蒋介石日記

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  第三回目です。何度も申し上げますが、これは、私の記録として残したい記事です。興味のない方は読まないでください。

【平成18年4月19日 産経新聞記事 -3-】
 蒋介石の生涯は、内外の敵との果てしない闘争の日々だった。日記には「倭」の蔑称を使った日本への憎悪だけでなく、軍閥、党内反蒋派といった政敵への怨念や市販が生々しい言葉でつづられている。

 例を紹介しよう。満州事変の起きた1931年(昭和6)年、広東を拠点に分派活動を強め、同年末に蒋介石を一時下野に追い込んだ孫文の長男、孫科 に対しては、「不肖のせがれめ」(同年5月27日) 、「倭寇と手を組む売国奴」(12月24日)-と孫文に払った敬意はかけらも見せていない。

 より早い時期では、北伐構想をめぐる対立から、22年(大正11年)6月に孫文退陣を迫る武装クーデーターを起こした広東系の軍人、陳炯明が憎悪 の対象だった。「わが国人、党友、子孫よ。陳炯明が元首党魁(孫文)にあだをなした罪を忘れるな。殺さずにおくものか」(同年8月8日)と激烈な口調だ。

 こうした初期のライバルが、最終的に蒋介石を脅かす存在でなかったことは歴史の示すとおりだ。蒋介石にとり、終生のライバルとなったのは無論、中国共産党であり、ほぼ同世代に属した毛沢東に他ならない。

 しかし、1931年までの記述には、第一次国共合作(1924年~1927年)が、途中で実施的に破綻してからの共産党掃討作戦や共産党員の粛清 は登場するものの、共産党指導者を名指しした激しい非難は見当たらない。わずかに共産党の創設メンバー、陳独秀らの名が出てくる程度だ。

 なぜか。1931年の日記にみえる共産党、共産主義への蒋介石の理解はこんな調子だ。
《反動派の争乱はなおやまず、国情は危急を告げ外国の侮りも強まっている。共匪(共産党への蔑称)はもとより、ソ連を利用している状態だ》(1931年4月12日)
《共産主義の実態は一つの宗教だ。マルクス教とでもいうべきであり、世界性、無国境性を有している》(同月14日)

 少なくとも、日記の記述からは、コミンテルンの指導や世界共通階級理論への視点が目立つ。のちの戒厳令下の台湾で、徹底した反共路線を敷き、「大陸反攻」を叫んだ蒋介石に怨念はこの時期まだ感じられない。

 蒋介石は1930年末から、共産党が江西省などに築いた革命根拠の包囲作戦を実施し、毛沢東のゲリラ戦術の手ごわさも承知していたはずだ。それでもなお、共産党が中国の支配を国民党と争う存在になることまでは、蒋介石もこの時点で到底予見できなかったに違いない。

 むしろ、この時期の記述に見え始めるのは、拡大するナショナリズムにどう対処するかという悩みだ。連来の初回でも少し紹介したが、満州事変で蒋介 石がとった「不抵抗主義」に対する宅生らの反発は激しく、南京の中央党部(国民党本部)などは、1931年の11月から12月にかけて、連日激しいデモに 見舞われている。
《昨夜10時すぎ、まさに辞職(蒋介石の下野)の会議を開いていたとき、北平(北京)大学の共産分子が学生を強要して中央党部にデモをかけ、発砲騒ぎとなった》(同年12月16日)

 デモは翌日も続き、蒋介石は「もし制裁をおこたれば、このゆがんだ学生の風潮は民族を滅ぼすものとなる」(17日)といらだちを隠さない。

 租界の回収交渉など民族主義的な外交を進める上で、1910年代以降、急速に高まった中国ナショナリズムは国民政府の後ろ盾でもあった。

 だが、一歩対応を誤ると政権への激しい圧力となるわけで、共産党は地下学生組織を通じてそこを突いたのだ。政権とナショナリズムの微妙な関係は、反日デモへの対応など、今日の中国政治がなお抱える課題だ。

<日本時代の1921年台湾に立ち寄り>
 台湾が日本統治下にあった1921(大正10)年10月、蒋介石が台湾北部の基隆港に船で立ち寄っていたことが、日記の記述で分かった。蒋介石の台湾初訪問は、これまで戦後の1946年(昭和21年)10月とされ、日本時代の台湾を目にしたことは知られていなかった。
 立ち寄りは1921年10月3日で、広東方面から上海に戻る途中、基隆港に約7時間停泊した。下船したとの記述はなく、船内にとどまって読書をしていた らしいが、少なくとも市街風景はながめたものとみられる。日記では、停泊中の荷役などの作業が乱雑だと不満を述べ、「日本の国情の堕落ぶりが知られる」と 酷評している。

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このページは、宝徳 健が2006年5月 3日 16:02に書いたブログ記事です。

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