2014年9月アーカイブ

 あれっ?凛としてを入れたのに入つてゐない。明日、改めて。 

何週間か前、SWDさんにあるお礼のメールをしたら、「〇〇常務が今度岐阜に來ますから、もし、岐阜にいるんだつたら、サプライズで會ひませう」と返信をいただきました。

 昨日、SWDさんに聞いて初めて知つたのですが、三島由紀夫の葬儀に、出光佐三店主が弔辞をよまれたさうです。なんでも、三島由紀夫と佐三店主の対談が豫定されていて、それが叶わなかつたからだとか。良い話ですね~。

 三島由紀夫はネットで調べても、ボロクソに書かれてゐますね。まあ、今の日本人(我が國臣民とはあへて云ひませんが)では、それが限界でせうね。私たちはとんでもない嘘の敎育を受けてきたのですから。

 つづきです。
 三島由紀夫のこの情景の描写は、現代の作家ではとうてい出せません。なぜか、國語が退化したからです。現代仮名遣ひの罪ですね。つづきです。

ブログ分析 3

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 なるほどなるほど。

凛として 十

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 三男の政孝は好奇心旺盛、相当な暴れんぼうだった。後に自ら「大人になっても、少年時代の生傷があちこちに残っている」と語っているほどだ。中でも極めつけは八歳のときの、穴の大けがだ。2階から階段を転がり落ちて顔を強打、七針縫った。

 くらくらくるぐらい奥の深い日本語を味わふことができます。敗戰後教育を受けた私たちは、一體何を学んできたのでせうか? 歴史にしても國後にしても嘘ばかりでした。

 つづきです。
 昨日、あいた時間があつたので、カーテンを賈ひに行つて、北陸事務所につけました。

凛として 九

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 今日から第2章です。面白いですね。
 不朽の名作 三島由紀夫の「金閣寺」を讀みながら、正しい日本をを學習してゐます。つづきです。
 昨日から小濱入りしてゐます。500大阪発で、近江今津でバスに乘り換へて、815分小濵着です。

ブログ分析 2

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 面白い、面白い。この1週間の私のブログ訪問者數です。

凛として 八

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 あつた、あつた、ありました。大阪事務所の机の脇に落ちてゐました。昔、寝相が惡く、ベッドから落ちて、家族が「健はどこに行つた」と騒いでゐたのを思ひ出します。

 つづきです。今日で、第一章は終はりです。明日から、第二章です。
 久しぶりに、三島由紀夫や谷崎潤一郎を讀んでゐます。こんなにすごいものかと改めて感じてゐます。
つづきです。
 あれっ?「凛としての本」が・・・・・・。明日から出張なので、送る荷物に中に入れたのかなあ? おーい、凛として~。といふことで、樂しみにしてゐる方々、すみません。しばしお時間を・・・。下手をしたら、28日まで書けないかも。

 話を變へます。先日、久しぶりに家に戻りました。次の朝、四時に事務所に來ました。
 三島文學を讀んでゐると、その語彙の豊富さに驚いてしまひます。この事實ひとつとつても、現代假名遣ひがいかに貧弱かがわかります。

 父の死後の主人公です。

雷乃収聲

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 今日から、七十二候 四十六候 秋分 初候 「雷乃収聲」です。「かみなりすなわちこえをおさむ」と讀みます。
 大親友の深田さん(失礼(笑)、深田さんは私をお父さんと思ってらっしゃるそうです)に、あれこれ迷惑をかけながら、私のブログの分析の仕方を敎へてもらゐました。まだヨチヨチ歩きなのですが、少しずつやつてみます。
 自然界でのオスは、メスの氣を引こうと必死になります。メスは、少しでも強く賢いオスと結ばれようとします。つまり、自然界では、メスがオスを選びます。

凛として 七

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 何を成したかよりも、どう生きたか。かつての日本人の在り方ですね。つづきです。
 三島文學はいい。實にいい。つづきです。
 昨日は、ブログを書き始めて丸九年の日でした。一時、ブログが壊れてしまひ、まだ復活してゐない記事がたくさんあります。手作業での復活なので、まだまだ時間がかかります。

 このブログは、自分が考えたことを忘れないように始めました。

凛として 六

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 政孝にネルトンはどう答へたのでせうか?
 お父さんが亡くなります。さういへば、この主人公にの名前が出てきません。今、氣づきました。さすが三島由紀夫です。
 應仁の亂で大半の建物が焼けた醍醐寺に復興の光を當てたのは豊臣秀吉でした。

凛として 五

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 つづきです。
 つづきです。

芙蓉

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 白露 末候 玄鳥去の頃だけではありませんが、だいたい七月~十月までにかけて芙蓉が咲きます。ピンクや白の直径10~15センチ程度の大ぶりな花をつけます。

 芙蓉は朝に咲き、夕方にはしぼんでしまふ一日花です。早朝に開花したときは本來の淡紅色で夕方になるにつれて、色は次第に濃くなり、そしてしぼんでゆきます。
  十五世紀に入ると醍醐寺座主が足利將軍家の後繼者の選定をつかさどるやうになります。

凛として 四

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 つづきです。
 この試みを續けてゐて、改めて現代仮名遣ひは、惡だといふことがわかります。歴史的仮名遣ひもさうですが、文語体の素晴らしさもあります。

 敗戰語の私たちは、日本語を捨て去つたのですね。それを進化とのたまう人たちがゐます。哀しい。悲しい。退化してゐるのに。

 では、つづきです。

玄鳥去

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 昨日から、七十二候 四十五候 白露 末候 「玄鳥去」です。「つばめさる」と讀みます。

 つばめといふと、子供の頃讀んだ、「幸福な王子」の話を思い出します。

凛として 參

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 竹鶴政孝さんが阿部社長よりスコットランドに行くように云はれたところまででした。
 つづきです。
 昨日まで、奈良國立博物館で「國寳 醍醐寺のすべて―密敎のほとけと聖敎(しょうぎょう)」をやつてゐました。奈良駅なら、ここから1時間足らずで行けるのに・・・。

 最近、かういふのに行けないな~。前も、結構スケジュールは詰まつてゐると思つてゐたのですが、ラッキョウを漬けたり、梅酒作つたり、美術館や博物館に行く時間がありました。いやいや、主語が自分以外になつてゐます。今でも、飲む時間、飯食う時間を減らしたら、かういふ時間が創れるはずです。

 行きたかつたな~。毎日とはいきませんが、何回かに分けて紹介します。日經新聞八月二十七日の記事を參考にしてゐます。日經は、日曜日の文化欄だけはとてもいいですね。あとはまう讀むところがありません。何より、プリンシプルがない。

凛として 弐

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 いただいた本の内容については、文を尊重して、現代仮名遣ひで書きます。前段は、お許しください(といふか正しい日本語です)。

 ニッカの名前は「大日本果汁」を略したものです。ウィスキーづくりにはお金と時間がかかります(特に最初は)。なので、キャッシュを得るために、竹鶴正孝氏がウィスキーが出來るまでにやつてゐたのが、ジュースの会社「大日本果汁」でした。

 また、次回のNHK朝ドラの名前が「まっさん」なのは、奥様のリタさんが「まさたかさん」と呼ぶのに、呼びにくく、どうしても「マッサン」となつたからです。

 さあ、第壱章から見ていきませう。
 この三島由紀夫の金閣寺は、實際にあつた話です。讀んでおいて損はありません。實は一大事件における少年の心理を綴つてゐます。では、つづきです。

猛獣たちの宴

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 朝日新聞が火だるまになつてゐます。遅い遅い。あの新聞を認めていた臣民に問題があります。かつて、朝日新聞のことをぼろくそに云つたら、「古代人」のやうに扱はれたことがあります。何でも、朝日新聞を讀まないのは進歩的ではないのだとか。氣が狂つてゐますね。その人たちは、今、何を考へてゐるのだらうか???

 戰前、戰爭を一番煽つたのは、朝日新聞です。臣民は騙されて戰爭に突入しました。つまり朝日が國を壊しました。今は、左翼になつて嘘ばかりついて國を壊してゐます。いつの時代も朝日は國を壊します。

 しかし、何でも朝日新聞の發行部数は280万部にまで落ちてゐるさうです(朝日新聞發表は700万分)。讀賣新聞の發行部数は700万部(讀賣新聞發表は1000万部)ですから、相當な危機です。

凛として 壹

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 先日、新梅田食堂街の名店「たこ梅」でおでんを食べた後、すぐ近くに「ニッカバー北海」があつたのでウィスキーを一杯だけ飲みました。シャイなおばちゃんが一人でやつてゐます。
 つづきです。
 どなたから聞いたのかは忘れてしまいましたが、とても良い話でした。そうしたら、九月十二日の新聞に記事が掲載されてゐました。
 つづきです。

言志四録 最終回

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 SWDさんからいただいた、佐藤一斎先生の「言志四録」が今日で最終回です。平成25年7月7日から連載してきました。

「吾が軀(み)は、父母全うして之れを生む。當(まさ)に全うして之を歸すべし。臨歿の時は、他念有ること莫れ。唯だ君父の代恩を謝して瞑せんのみ。是れ之を終わりを全うすと謂う」
 昨日 九月十二日は亡き母の誕生日でした。平成七年七月十日 享年六十二歳です。もう十九年も経つのですね。強く優しい母でした。數十年間ずつと病身で入退院を繰り返してゐました。「私が家族の病氣を全部引き受けてゐるからみんなは大丈夫よ」といつも言つてゐました。どんなに痛くてもしんどくても家事を絶對にさぼらないあの強い精神力はどこから来てゐたのでせうか?

 通院や入退院の際には、よく付添いました。うまく歩けない母に、ぶつかつてきたり、ぶつかつた後に、捨て台詞で去つていく輩もたくさんゐました。

 そんなことを思い出してゐたら、昨日の産經抄(産經新聞朝刊のコラム)にこんな記事が掲載れてゐました。

 文豪 三島由紀夫の金閣寺を讀みながら、本當の日本語を学んでゐます。それにしても、三島由紀夫と谷崎潤一郎はすごい。

 つづきです。

臨終の誠意

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「誠意は是れ終身の工夫なり。一息(いっそく)尚存すれば一息の意有り。臨歿には只澹然(たんぜん)として累無きを要す。即ち是れ臨歿の誠意なり」

鶺鴒鳴

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 昨日から、七十二候 四十四候 白露 次候 鶺鴒鳴です。「せきれいなく」と讀みます。
 朝日新聞を糾弾するメディアが増えてきました。でも、こんなのは必然です。今まで、朝日の嘘を見抜けなかつた臣民の責任です。

 それよりも。
 つづきです。

一生の計

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「人生は二十より三十二至る。方(まさ)に出づる日の如し。四十より六十に至る。日中の日の如く。盛德大業(せいとくだいぎょう)、此の時候に在り。七十八十は、則ち衰頽蹉跎(すいたいさだ)して、將(まさ)に落ちんとする日の如く。能(よ)く爲す無きのみ。少壮者は宜しく時に及びて勉強し以て大業を成すべし。遅暮(ちぼ)の嘆或(たんあ)ること罔(な)くば可なり」
 昭和天皇實録が上梓されました。通常の人間には耐えられないやうな人生。各新聞は勝手なことを言つてゐますが、自分だつたらどうだといふ觀点からみなくてはいけません。本物を讀むたいな~。研究してみたいな~。我が國を危機から救つていただきました。もし、陛下がいなければ、我が國は確実に滅んでいたでせう。

 話は変わりますが、ひょうんなことから井田真木子さんのことを知りました。

 今日は、サンフランシスコ講和会議が開かれ、講和条約と日米安保条約が結ばれました。昭和二十六年です。
 史上最惡の大河ドラマです。

 「これ、どうしようもないな」と「云ふと、息子が「時代劇と思つて觀たらいいやん」と。
 これはすごい。本當にすごい。錦織圭選手が全米オープンテニスで決勝に進出です。
 不朽の名作 三島由紀夫の金閣寺を讀みながら、本來の日本語を學習してゐます。

老人の修養

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「老人の事を處するは、酷に失はずして、慈に失ひ、寛に失はずして、急に失ふ。警(いまし)む可(べ)し」

草露白

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 今日から、七十二候 四十三候 白露 初候 草露白です。「くさのつゆしろし」と讀みます。

 白露は、大氣が冷えてきて露を結ぶ頃です。草露白は、草に降りた露が白く光る頃のことを云ひます。

すごいぞ錦織

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 錦織圭選手が、全米オープン(テニス)でベスト4です。すごいすごい。相手は世界4位なのですが、錦織選手より1歳下です。ライバル心たるや、私達常人にはうかがひしれない者があるのでせう。
 第二次安倍改造内閣が發足しました。

 山谷えり子さんが國家公安委員長兼拉致担当です。ベスト人事です。それと・・・。
 一昨日、意氣揚揚と事務所を出ました。何人かにメールを送ろうとして・・・。
 弊社月刊誌 士魂商才第七十八號の巻頭言だけ紹介しておきます。發送は明日になります。八月號なのにすみません。

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