髙校時代は1年6組、2年6組、3年1組(理系)でした。1年は中村先生(數學)、3年は犬丸先生(體育)、2年・・・・・覺へてゐません。
同窓會などでみんなと話をしてゐると、髙校時代をエンジョイし、だからこそ、よく覺へてゐるんですよね~。誰と誰が付き合っていたとか、何組の誰と一緒だったとか。私は、中學が區域外の上、テニスばかりしていたので、髙校時代の思ひ出と云へば、テニス以外は、とにかく腹が減って仕方がないといふことしかありません。早弁もよくしてゐました。
母がいつも「お米が60キロあっても1か月もたない!」と叫んでゐました。五人家族です。ものすごい大きなタッパふたつのひとつに米をギューギュー詰めしてもらいます。もうひととはおかずを山盛り。それでも、カバンの中に横に入れて持っていくので、上部に隙間ができます。食べるとき、悲しくて悲しくてしかたがなかったのを覺へてゐます。帰って、母に「隙間ができないように詰めて」といふと、「これ以上はもう入らないわよ」と云はれました。パン食の時は母は、あのながーーーーい、一本の食パンをすべてサンドイッチにしてくれます。
さて一時間目の休み時間10分。食堂に行ってパンと牛乳。二時間目の休み時間10分。母の弁当、三時間目の休み時間25分(食堂でカレーライスと定食とラーメン)、四時間目の休み時間35分 昼寝、五時間目の休み時間10分 食堂でパンと牛乳。部活終り パンと牛乳かうどんかラーメン。家に帰って、どんぶり飯4杯でした。朝飯ももちろん家で食べますから1日7食。テニス以外ではいつも食べることばかり考へてゐました。とにかく腹が減りました。
閑話休題。秋の新人戰 中部地區大會が近づいてゐます。相手は、2年生(3年は引退している)。こちらはきちんとした硬式テニス歴がまだ半年を經てゐません。それも勝つ。と、思ひ込んでゐます。
この頃から3年生に勝つようになってきました。この記事は、十七歳當時の私と対決してゐるので、すべての日誌をご紹介してゐるわけではありません。彼と勝負出來る内容の時の日を書いてゐます。
では、日誌を。