2018年6月アーカイブ

 人が來たので、扇を交換して別れた光源氏と女性でした(20170303)。

「すてきな人だつたなあ」
 弘徽殿(こきでん)で會つたのですから、右大臣家の娘です。しかも若い。五番目か六番目。

 みなさん、覺へてゐますか? 光源氏の正妻 葵の上は、左大臣の娘です。左大臣と右大臣は政敵です。

 そして、弘徽殿の女御(こきでんのにょうご)は、光源氏を憎んでゐます。
 中国古代、戦国時代の人間模様が書かれた「戦国策」を紹介しています。たまらなく面白い(20100607)。

 中国史上最大の暗殺未遂事件です。荊軻(けいか)による秦の始皇帝暗殺未遂事件です。史記にも載っています。

 燕の太子・丹が準備を整え、いよいよ荊軻が秦に乗り込む時がきました。
 さてさて、はじめましょう。アジブと四十人の美女です。長いので、何回かに分けて書きますね。息子が小さい時、夜の寝物語で、好きだったのは「古事記」と 「アラビアンナイト」でした。なつかしいな~。「お父さん、一緒に寝よう。何かお話して」と言っていた彼が今は私の身長をはるかに追い越しています。
 まあ、定年後の再就職先ではおとなしくしていればいいものを(笑)。まあ、だから父なのですがね。

 明日、九十一歳になる父が定年後の再就職先で大暴れをします。まさに、サイレント役員(役員は言ひ譯をしない)ですね。
 髙校時代は1年6組、2年6組、3年1組(理系)でした。1年は中村先生(數學)、3年は犬丸先生(體育)、2年・・・・・覺へてゐません。

 同窓會などでみんなと話をしてゐると、髙校時代をエンジョイし、だからこそ、よく覺へてゐるんですよね~。誰と誰が付き合っていたとか、何組の誰と一緒だったとか。私は、中學が區域外の上、テニスばかりしていたので、髙校時代の思ひ出と云へば、テニス以外は、とにかく腹が減って仕方がないといふことしかありません。早弁もよくしてゐました。

 母がいつも「お米が60キロあっても1か月もたない!」と叫んでゐました。五人家族です。ものすごい大きなタッパふたつのひとつに米をギューギュー詰めしてもらいます。もうひととはおかずを山盛り。それでも、カバンの中に横に入れて持っていくので、上部に隙間ができます。食べるとき、悲しくて悲しくてしかたがなかったのを覺へてゐます。帰って、母に「隙間ができないように詰めて」といふと、「これ以上はもう入らないわよ」と云はれました。パン食の時は母は、あのながーーーーい、一本の食パンをすべてサンドイッチにしてくれます。

 さて一時間目の休み時間10分。食堂に行ってパンと牛乳。二時間目の休み時間10分。母の弁当、三時間目の休み時間25分(食堂でカレーライスと定食とラーメン)、四時間目の休み時間35分 昼寝、五時間目の休み時間10分 食堂でパンと牛乳。部活終り パンと牛乳かうどんかラーメン。家に帰って、どんぶり飯4杯でした。朝飯ももちろん家で食べますから1日7食。テニス以外ではいつも食べることばかり考へてゐました。とにかく腹が減りました。

 閑話休題。秋の新人戰 中部地區大會が近づいてゐます。相手は、2年生(3年は引退している)。こちらはきちんとした硬式テニス歴がまだ半年を經てゐません。それも勝つ。と、思ひ込んでゐます。

 この頃から3年生に勝つようになってきました。この記事は、十七歳當時の私と対決してゐるので、すべての日誌をご紹介してゐるわけではありません。彼と勝負出來る内容の時の日を書いてゐます。

 では、日誌を。
 
  今囘は、深見君。前囘書いた、私のビンタがまだ効いているそうです。今だからカミングアウト。40メートル奪取は、10本ぐらいしたら許してあげやうと思つてゐたのですが、練習をしていたら忘れてしまって・・・。「しまつた。もういいという指令を出していない」と思つたときはすでに四十本。みんなごめんね。

 OBの川鍋さんが來られてゐます。私は、主要OBに毎月20~30通の手紙を書いてゐました。部活の状況、試合の戦績、新メンバーの紹介などです。書いていたのを知っていたのはマネジャーの生田さんだけです。他の部員には同級生にも言ったことがありません。努力してゐる姿を人に見られるのがはづかしい時代でした。

 OBの方々には本當に支へていただきました。特に川鍋さん、山口さん、野村さんは頻繁にご指導にいらしてくださいました。感謝しております。
 明日、七月一日は、親父の誕生日です。昭和二年(明治六十年)七月一日。昔の男たちは、常に國家に對する死生觀がありました。すごいですね。

 福沢諭吉先生は、

一身独立して一国独立す(一軆獨立して一國獨立す)
国を支えて国を頼らず(國を支へて國を頼らず)

と仰いました。明治の男たちの氣概です。なんとまあ、私たちは情けない。

 女性には婦道がありました。決して女が男に女を求めませんでした。強い國づくりができました。
 この記事から明日のルーティンです。明日から七十二候 夏至 末候 半夏生です。「はんげしょう」と讀みます。
 ひさしぶりの掲載です。貞観政要のテーマは「守成は創業より難し」です。コンサルティングをやっていくと、本当にこれはそうだと思いますね。企業を維持して行くことは素晴らしい仕事です。だから、企業の第一の使命が「ゴーイング・コンサーン(継続企業)」なのでしょう。

 今日のテーマは「政を為すの要は人を得るに在り」です(20090810)。

深き夜の あはれを知るも 入る月の おぼろけならぬ 契りとぞ思ふ

 ある女性が「朧月夜に・・・」と呟きながら來たのに對して、そふぇをうけて「こんな月夜のあはれを知るあなたは、入る月とも深い契りがあつてのことでせうね」と問ひかけたのです。「入る月」は、もちろん忍び込んできた光源氏自軆のことです(20170226)。
 荊軻が燕の太子・丹の願いを聞き入れ、丹は荊軻に最高に贅沢な生活を与えたところまででした(20100606)。

 史記にも書かれている戦国時代、最大の刺客、荊軻(けいか)による秦の始皇帝暗殺事件です。
 明日、七月一日は親父の誕生日です。昭和二年(明治六十年)七月一日。なんと

九十一歳です

 先日両目の白内障の手術をしたら「よく見える」と喜んでました。まだまだ元氣です。

 さて、定年後再就職した會社で大暴れの親父です。
 明日から博多は山笠ですね~。もう、博多ののぼせもんたちは、仕事どころではなかろうね(笑)。七月一日から十五日まで。

 高校時代の友人が、本格派ばい。大黒流ればい。大黒流れの非売品の扇子をくれたっちゃん。これはレアものばい!!!。かなりの價値があります。たまらんめいが。うれしか~。

博多の男たちよ。もえんしゃい!!