心が安まる老子:第1章

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  毎日とは行きませんが、自分自身への戒めのためにも、時々書いていきます。先日紹介した本です。
第1章「無名こそが常名だ」
 

人生をどう生きるかと考えたとき、
こう生きるべきだとか、
こんなふうに生きたらいいとか、
固定概念にとらわれてしまう。
でも、皆がよいという生き方が、
よいのではないか。

肩書きや名声もそうだ。
みなが認めるものが正しいと
思わないことだ。

生まれる前には、
人も、ものも、
呼び名を持たない。
ところが、
生まれたとたん、
ほかのものと区別するために
名がつけられる。

名づけたことにより、
それぞれは識別される。
名づけたとたん、
それがなんなのか、
限定されてしまう。
ものには本来、名などないというのに。

もともと、ある存在には
名はない。
ただそこにあるだけだ。
名がないことが常名なのだ。

ものに名がないように、
生き方にも、
これが正しいという定義はない。
決め付けて生きない。
それが本来のありようだ。

【所感】
囚われないということは、仏教の教えでもあります。囚われるから人間は苦しむ。現実の世界に生きているととても難しいことです。でも、ひとつ仕事がうまく いくと、それに囚われ、次の仕事も同じ価値観で入っていってしまう。次の仕事がいい迷惑ですよね。素直にものを観る力。子供のときの方ができていたなぁ。

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このページは、宝徳 健が2006年4月 5日 10:17に書いたブログ記事です。

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