2014年7月アーカイブ

 今から、仕事をします。明朝はブログが入れられないと思ひます。

 怒られました・・・。正しい漢字と歴史的仮名遣ひを・・・。

 世の中に広く受け入れられてもらひたいなら、自己満足はだめっだって。。。

 このブログは、私の個人的な見解を述べる場です。

 もうひとつ、仲間とのホームページがありますが、今回、リニューアルをしました。やつと本格的なホームページを持つことができました。お役立情報、スタッフブログなど、新鮮で面白い情報をどんどん提供して参ります。

http://soepark.com/
 つづきです。

嬌と筝は身を亡ぼす

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

「利を人に譲りて、害を己れに受くるは、是れ譲なり。美を人に推して、醜を己に取るは、是れ謙なり。謙の反を嬌と爲し、譲の反を筝となる。嬌筝は是れ身を亡ぼすの始なり。戒めざる可(べ)けんや」

百人一首 八十六

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嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな

 かの有名な西行法師の歌です。戀に苦しむ胸のうちを月にかけて詠んでゐます。

土潤溽暑

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 今は、七十二候 三十五候 大暑 次候 「土潤溽暑」です。「つちうるおうてむしあつし」と讀みます。土が湿つて蒸し暑くなる頃です。
 弊社月刊誌「士魂商才」第七十七號の原稿が出來上がりました。明日、發送します。今週中に皆様のお手元に届きますやうに。

 巻頭言だけこのブログに掲載します。
 これ私も觀てゐました。相變はらず、大越健介がアホなことを言つてゐるなあ、と思ひましたが、ここまで叩かれるとは。世の中なかなか良くなつたものです。
 なんとはない文章のやうにみえるのですが、でも、惹きこまれる。さすが不朽の名作家、三島由紀夫です。不幸にもあのやうな事件で亡くなりましたが、國を思ふ氣持ちと文學的才能は他の追随を許しません。では、つづきです。

 この「よう」と「やう」の使い分けがまだわからない・・・。

感ず

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「我れ自ら感じて、而る後に人之れに感ず」

百人一首 八十五

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夜もすがら もの思ふころは 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり

 俊目恵法師(しゅんえほうし)の歌です。

「一晩中つれない人を思つて嘆くこのごろは、夜もなかなか明けず、光の差さない寝室の隙間まで冷たく思へることだよ」
 事務所のズボンプレッサーが壊れました。電氣がつかない。アイロンでやるしかないか。

 時計の電池がなくなり、時計屋さんに行つたら、「そのメーカーは、一度本國に送り返さなければならないし、ガラス面にもひびが入つてゐるから、日本では、修理をするのは無理です。本國に送り返してもかなり髙くなります」とのこと。いただきものなので、とても殘念です。
 財務省・経済産業省認定 経営革新等支援機関になることができました。俗名「認定支援機関」です。

桐始結花

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 今は、七十二候 三十四候 大暑 桐始結花です。「きりはじめて花を結ぶ」と讀みます。

百人一首 八十四

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ながらへば またこのころや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は戀しき

 藤原清輔朝臣の歌です。
 大阪事務所のビルの1階に、以前はサンクスが入ってゐました。とても便利でした。
  今日は、同博物館の大日如来を紹介します。
 三島由紀夫の不朽の名作「金閣寺」を讀みながら、歴史的假名遣ひと正しい漢字を學んでゐます。

寛事を急事を処する

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「寛事(かんじ)を処するには捷做(しょうき)を要す。然らずんば稽緩(けいかん)に失せん。急事を処するには徐做(じょさ)を要す。然らずんば躁遽(そうきょ)に失せん」

百人一首 八十三

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世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞなくなる

 詠み人は、皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい)です。藤原俊成(ふじわらしゅんぜい)です。この百人一首の撰者 藤原定家の父です。
 なんか間違つて捕えられているやうですが、個人情報保護法といふのは、個人情報を使つてはいけないのではありません。約束した範囲であれば自由に使つてゐいのが個人情報保護法です。

 それに、ベネッセの事件・・・。まあ、確かに惡いことですが、では、聞きます。
 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「凡そ人事を區處するには、當(まさ)に先ず其の結局の處を慮つて、而る後に手を下すべし。楫(かじ)無きの舟は行(や)ること勿れ。的無きの箭(や)は發(はな)つこと勿れ」
 三島由紀夫、谷崎純一郎・・・。いいですね~。

 では、つづきです。

百人一首 八十二

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思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり

 道因法師の歌です。俗名は藤原敦頼です。
 昨日、仕事に合間に、MRTさんにとても素晴らしい所に連れて行つていただけました。餘り時間がかなつたので、ささっとしか見ることができませんでしたが、なんともはや素晴らしい。この博物館は素晴らしい。何囘かに分けて紹介します。

忙中、苦中

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「人は、須(すべか)らく忙裏に間を占め、苦中に樂を存す。工夫を著(つ)くべし」

鷹乃學習

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 七月十七日~二十二日は、七十二候 三十三候 小暑 末候 「鷹乃學習」です。「たかすなはちわざをならふ」と讀みます。鷹の幼子が飛び立ち、獲物を獲ることを覺へる時期です。

百人一首 八十一

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ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ殘れる

 後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)の歌です。

「時鳥(ほととぎす)が鳴いたと思って、そちらを眺めると、そこには何もなく、ただ有明の月だけが空に殘つてゐるよ」

 國會で、多くの野黨がアホなことを云つてゐます。愚かな國民がたくさんゐます。

 軍に規定を増やすと兵士の危険度が増します。自分たちはのうのうとして生きて、自衛隊の危険度を増すことを平氣でいふ。戰爭はしてはいけません。でも、戰爭ができる体制だけは整へておかないと、外交ができません。我が國は、世界最大の債權國家です。でも、軍がないと、返してもらへません。

 なんともはや・・・。あんなに素晴らしかつた國家が・・・。教育の荒廢です。

 さて、昨日のつづきです。
 渾身の一策 士魂商才第七十六號の中から、「古事記と生きる」の記事を紹介します。何囘かに分けて。

 三島由紀夫の不朽の名作 金閣寺で正しい日本語を學習してゐます。

天地と人生の呼吸

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「寒暑、栄枯は、天地の呼吸なり。苦樂、榮辱は人生の呼吸なり。卽ち世界の活物たる所以なり」

百人一首 八十

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ながからむ 心も知らず 黒髪の みだれてけさは ものをこそ思へ

「永く愛するといふあなたの本心にもかかわらずにお別れした今朝は、黒髪が寝乱れてゐるやうに、私の心も乱れて、悩んでゐることです」

 待賢門院堀河(たいけんもんいんほりかわ)の歌です。

 非劇の天皇 崇徳院の母である待賢門院に仕へてゐました。でも、戀する乙女です。平安時代の戀愛とは。
 昨日、コンビニに新聞と朝ごはんを賈ひに行きました。
 三島由紀夫の名作 金閣寺を敎材として、歴史的假名遣ひと正しい漢字を學んでゐます。つづきです。

百人一首 七十九

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秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけき

 左京大夫顕輔(さきょうだいぶあきすけ)の歌です。

眞の樂しみ

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「人は須(すべか)らく快樂なるを要すべし・快樂は心に在りて事に在らず」
 これまでも述べましたが、最近福井県小浜市で仕事をたくさんいただいてゐます。それを父に云つたら「健のおじいちゃんの母校は小浜水産だ」と敎へてくれました。當時の小浜水産は、日本でふたつしかない水産學髙のひとつです。名門です。「麗水同窓会」といふOB会は、経済界に今でも大物を有しています。

 先日、小浜に行つた時、MRTさんのご厚意で、小浜水産に連れて行つてくださいました。寫眞を撮つて父に送つたら、手紙が來ました。
 最近、こいつら支那のスパイ?と思ふやうな、似非保守がたくさんゐます。〇〇〇〇動画なんかもさうですね。尖閣に自ら乘り込んでワーワー云つて何になるのでせうか?支那の思うツボです。

 味方とみせかけておいて實は・・・。支那がよくやる手法です。

 それに比べて(と云つたら三島由紀夫に失礼ですが)、三島由紀夫は、眞正保守です。とにかく格好良い。昔は、かういふ硬派のことを「男らしい」と云つてゐました。今は・・・。軟弱な男がよいさうです。

 大和魂はどこに行つた。

 まあいいや。金閣寺のつづきです。

惡を隱し善を揚ぐ

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「人に於いては此くの如くせよ。諸れを己れに用ふること勿れ。「善に遷り過を改む」。己れに於いては此くの如くせよ。必ずしも諸れを人に責めざれ」

蓮始開

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 昨日から、七十二候 三十二候 小暑 次候 蓮始開です。「はすはじめてひらく」と呼びます。

 旧暦お盆の時期です。今は、八月をお盆とするところが多くなりましたが、東日本を中心に、今でも旧暦のまま七月十三日から十六日までの四日間をお盆とする地域がたくさんあります。

 お盆は「盂蘭盆(うらーぼん)」が語源です。

 宇佐美の親父が、私によく「人生はなぁ~、上り坂と下り坂とそしてもうひとつ坂があるんだ~。宝徳、知つてるか~?」と言つていました。答えは「まさか」です。このまさかに対応できる人間が強い人間です。

 

 

百人一首 七十八

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淡路島 かよふ千鳥の 鳴く聲に いくよ寝覚めぬ 須磨の関守

 源兼昌(みなもとのかねまさ)の歌です。悲しい歌なのですが、見事な歌です。

 百人一首の選者である藤原定家が源氏物語好きだつたので選ばれた歌です。ちよつと解説が必要ですね。
 渾身の一作 士魂商才第七十六號の中の「教育勅語」の記事を數囘に分けてご紹介します(參囘と云ひましたが弐囘にします)。「シラス」といふ我が國の根本原理を、教育勅語の父である、井上毅 がつきとめます。

 日本人であれば、絶對に知つてください。この言葉「シラス」を知らないと、我が國臣民として根無し草になつてしまひます。

 「シラス」と云ふ言葉を知つてゐれば、日本国憲法改正論議が、いかに稚拙なものかわかります。マッカーサーの落書きから始まつた、憲法と云ふなの文章でしかない日本国憲法は、廃棄するのが筋です(現實問題は別として:臣民がシラスを知らないから、現實問題が發生します)。

 そして、大日本帝国憲法が(數點の短所を除いて:こんな短所は何にでもある程度)、いかに優れてゐるかが理解できます。「シラス國 日本」。世界中、どこにもできなかつたことを、八千數百年前から、奇跡のやうに行つてきた我が國。ドキドキします。子供たちにこれを敎へたら、もう、大丈夫です。このことを世界に知らしめたら、我が國が世界をリードできるだけではなく、世界平和に限りなく貢献できます。

 では、つづきです。
 三島や谷崎を讀むと、今の小説が讀めなくなります。それほどのレベルの違ひを感じます。

 あんな事件があつたので、三島由紀夫は「文學」という觀點からは(一般レベルで)正當な評価がされてゐないやうな氣がします。

 つづきです。

百人一首 七十七

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瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ

「激しい思ひが岩にせき止められ、今は、別れている二人だが滝川の水が再び出逢つて、ひとつの流れになるように、あなたとの戀を貫くつもりです」

 崇徳院(崇徳上皇)の歌です。崇徳上皇は、この歌をどのやうな気持ちで詠んだのでせうか?

善く身を養うもの

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「善く身を養う者は、常に病を病無きに治め、善く心を養う者は、常に慾を慾無きに去る」

 訳も解説も不要ですね。朝からかういふ言葉に出逢うと・・・。反省反省。

百人一首 七十六

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わたの原 漕ぎ出でてみれが 久方の 雲居にまがふ 沖つしらなみ

 法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)の歌です。
 
 藤原忠道のことです。娘を皇室に嫁がせて陰の權力者として摂関政治を行つてゐた藤原一族の長です。
 本日、七月十日は、母の命日です。そして、わが社の創立記念日です。創立丸十三年です。明日から十四年目に入ります

 母のことについては、過去このブログで何度も紹介してきました。昭和ひとけたの女性といふのは芯があります。
 七夕の日は雨が多いですね。昨日も、織姫と彦星は會へませんでした。

 明日は、ブログが書けません。早くポケットワイファイを賈はないと・・・。

 渾身の一作 士魂商才第七十六號の中の「教育勅語」の記事を數囘に分けてご紹介します。「シラス」といふ我が國の根本原理を、教育勅語の父である、井上毅がつきとめます。井上毅がいなかつたら、教育勅語は出來てゐません。教育勅語がもしなかつたら、我が國は、歐米のやうなつまらない國になつたことでせう。たつた一人の男が、我が國を救ひました。三囘にわけて紹介します。

 我が國はなんと素晴らしい國體を有している國なのでせう。士魂商才第七十六號は、かならず熟讀してください。
 
 このブログの読者の皆様で、士魂商才をご希望の方はご連絡ください。我が國再生のときです。
 民主党政權時代、愚かな総理大臣たちとメディアを抱き込み、消費税増税路線を作り上げたのが、時の極惡財務省次官 勝栄次郎です。
 三島文學はいいですね~。三島由紀夫、川端康成、谷崎純一郎は最高です。

 三島由紀夫は本文中では「金閣」と正しい表現をしてゐます。なのになぜ、タイトルが「金閣寺」なのだらうか? 鹿苑寺金閣が正解で、金閣寺ではありません。疑問を持ち続け、三島由紀夫を研究していきます。

では、昨日のつづきです。

得意と失意 弐

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「得意の事多く、失意の事少なければ、其の人知慮を減ず。不幸と謂う可(べ)し。得意の事少なく、失意の事多ければ、其の人、知慮を長ず。幸いと謂う可し」

温風至

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 今日から七十二候 三十一候 小暑 初候 「温風至」です。「あつかぜいたる」と讀みます。

 もう小暑なのですね~。

 梅雨が明けて本格的に夏に向かう頃です。

 さうだ。今日は七夕でもありますね。

 以前にこのブログで書いた記事を再掲しておきます。まだ現代仮名遣いですね(笑)。博多弁です。

百人一首 七十五

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契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり

 藤原基俊の歌です。うらみつらみの歌です。

「させも草(よもぎ)の露のやうなお約束を頼みにしてきたのに、あぁ、今年の秋もむなしく過ぎていくやうです」
 昨日もブログを書いたのですが、うまく入りませんでした(涙)。

 昨日はうれしいことがふたつありました。ひとつは、IKさんから「寳德さん、今月號は渾身の一作ですね」とのお言葉をいただいたことです。もうひとつは、久しぶりに家に戻つて、息子に「〇〇、シラスとウシハクは知つてゐるか?」と聞くと、當然のやうに説明してくれました。もう、私が彼に敎へることは何もありませんし、我が國臣民として、この基礎が出来ていたら、後は、もう大丈夫です。

 讀者の皆様には、もう士魂商才第七十六號が届いてゐると思ひます。今月号は、絶對に熟讀してください。そして、今月號は、保存してください。

 私はこれからも百號、二百號、三百號と士魂商才を書き續けていきますが、第七十六號は、これまでの集大成であり、そして、今後、何號書き續けやうとも、第七十六號がすべての土臺(土台)になつていきます。

 今月號のテーマである「シラス」とは、我が國日本が成り立つてゐる、根本原理です。

 このことを知らずして、例へば、

親が子に知識の教育だけを施しても何の意味もありません。

どんな憲法改正を論じても何の意味もありません。

どんな問題解決に取り組んでも何の意味もありません。

 私の歴史的假名遣ひと漢字がまだまだ未熟なことは氣づいてゐますし、時々間違ひがあるのも知つてゐます。

 そこで、習ふより慣れろ。不朽の名作家であり、不朽の名作である 三島由紀夫の「金閣寺」の文書を學習していくこととします。やはり三島文學は素晴らしい。變換(変換)できない字もあります。ご容赦下さい。


 今、出版されてゐる、三島由紀夫、谷崎純一郎、森鴎外、夏目漱石の作品はみんな現代假名遣ひとなつてゐます。これは、著者に對する冒瀆です。絶對にやつてはならないことです。これをやつた瞬間に、その作品が作品でなくなります。

 歴史の否定です。例えば大東亞戰爭を太平洋戰爭と呼ぶのと同じぐらい罪なのことです。

得意と失意 壹

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「得意の物件は懼る可(べ)くして、喜ぶ可(べ)からず。失意の物件は、愼む可(べ)くして、驚く可からず」



百人一首 七十四

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うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 禱らぬものを

 源俊賴朝臣(みなもとのとしよりあそん)の歌です。

「私につれなかつた人がなびくやうにと初瀬の觀音樣に禱つたのに。初瀬の山おろしよ、もつとつれなくなれとは禱らなかつたのに」

 この歌のタイトルは「禱(祈)れども逢はざる戀(恋)」です。

半夏生

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 今日まで、七十二候 三十候 夏至 末候 「半夏生」です。「はんげしょう」と讀みます。

 今は、私の郷里博多では、博多祇園山笠の眞っ最中です。七月一日から十五日までです。

 私は、宗像郡に住んでゐましたので、山笠をかつぐことはありませんでした。

 髙校に入つて、博多在住の生徒は、山笠の時は、午前中で學校から歸へつたのを見てびつくりしました。先生も「あー、今日からやま(山笠の事をかう呼ぶ)か~。しかたがないな」といふ感じでした。
 本日の夕方から小浜入りします。5日土曜日朝l一番に小浜を出て西明石に向かひます。小浜はピッチの電波の入りが惡いので、3日、4日、5日とブログが書けないかもしれません。

 さて、最終囘です。お詫びです。以前、私が子供のころ、祖父の写真が飾つてありました。四十二歳の写眞と申し上げましたが誤りです。祖父がソ連に抑留されて亡くなつたとされてゐるのが四十一歳です。

 写眞は、三十六歳の時です。ずいぶんとしつかりしている三十六歳です。敗戰後の私たちは幼い。教育の荒廢ですね。

 停學のつづきからです。

我楽多屋

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 以前にも書きましたが、岐阜で一番好きなお店が、古本屋の「我楽多屋」です。昨日も行きました。三島由紀夫をと谷崎純一郎の現代仮名遣いでない本を求めて。

 すごいすごい、この本屋はやはりすごい。中島敦全集もありました。8000円。お金を貯めて賈ひにいきます。

 昨日賈つたのは・・・。
 集団的自衞權が内容は不本意ながらも閣議決定されました。自衞隊発足六十年の日に。素晴らしいことです。安倍さんは、防衞だけではなく、他の分野においても、敗戰後 傷んでしまつた我が國の骨格を整えやうとされています。國民が支へないと。

 今日、朝日新聞も賈ひます。なんて書いてあるんだらう。まあ、朝日が反對することは、我が國にとつて良いことであることはもう、常識になつてゐます。それと面白いのが、朝日が書いた記事と支那が云つてゐることが全く同じです。笑つてしまひます。

 そして、左翼はあの時と同じことを云つてゐます。
 今日、七月一日は父の誕生日です。昭和弐年七月一日生まれ 八十七歳です。脳梗塞と心臓停止といふ病気を経て、今は、「生まれ變はつたやうに絶好調(本人談)」ださうです。何よりです。ひ孫と飲むのが樂しみださうです。姉の孫(父のひ孫)が、上が7歳、下が4歳ですから、あと十三年。私の息子は今二十二歳。たとえ今、結婚して子供が成人してもあと二十年です。ゆうに百歳は超えます。まあ、本人は百三十歳まで生きるつもりですが。

 七月一日は、自衞隊が発足した日です。今日で、六十年です。自衞隊はれつきとした軍隊です。軍事とは、自國民を守るためにあります。それがなぜいけないのか? 軍事力が強いほど他國は攻めてきません。空母も原子力潜水艦も必要です。他國ならいざしらず、我が國における軍隊は、戰爭をする道具ではなく、戰爭を防ぐ手段です。我が國が一度とて、侵略を目的とした戰爭をしたことがあるでせうか?皆無です。かつて中世におけるあの大國 スペインが、なぜ、我が國を攻めることができなかつたか。それは、卓越した軍事力を持つてゐたからです。明治維新の際、我が國が軍備を進めなかつたら、今頃は、我が國は、支那かロシアかイギリスになつてゐます。なぜ、こんな單純なことがわからない人が多いのだらうか?

 七月一日はまた、博多祇園山笠の始まりの日です。みんな燃えてゐるんだらうな~。

 さて、父からの手紙のつづきです。優等生佳男が停学をくらひます。

困心と衡飽

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「困心衡慮(こんしんこうりょ)は、智慧を發揮し、暖飽安逸は思慮を埋没す。猶お之れ苦種は藥を成し、甘品(かんひん)は、毒を成すがごとし」

百人一首 七十參

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高砂の 尾の上(へ)の櫻 咲きにけり 外山(とやま)の霞 たたずもあらなむ

 権中納言匤房(ごんちゅうなごんまさふさ)の歌です。

「あの髙い峰にも櫻の花が咲いたことだよ。人里近い山の霞が、どうか立たずにいてくれたらなあ」

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