百人一首 七十八

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淡路島 かよふ千鳥の 鳴く聲に いくよ寝覚めぬ 須磨の関守

 源兼昌(みなもとのかねまさ)の歌です。悲しい歌なのですが、見事な歌です。

 百人一首の選者である藤原定家が源氏物語好きだつたので選ばれた歌です。ちよつと解説が必要ですね。
 まず、須磨です。須磨の巻が源氏物語にあります。源氏物語りは、現代人には讀むことが難解で、詠み始めても須磨の邊りで、止まつてしまひます。なので、何かを目標にしていても途中で止めることを「須磨源氏」と云ひます。

 須磨は、現在の兵庫県神戸市須磨区邊りです。現在では関西屈指の海水浴場になつてゐますが、地名の由来は「畿内の隅(すみ)」です。京都から遠く離れた地で、輕い罪人の流刑地でした。

 流刑されたのではなく、自分の意志で向かいましたが、光源氏も都で失脚しさうになつたので、須磨で隠れるやうに住んだ時期がありました。そこで明石の君と知り合ひます。

 さて歌の意味です。「淡路島から飛んでくる千鳥がもの哀しげに無く聲に、いつたい幾世目覺めたことだらう。この須磨の関の番人は」。

 兼昌が、旅の途中で須磨に泊まつた夜、明石海峡を挟んだ向かいの淡路島から飛んでくる千鳥の悲しい聲が枕元に響いてきました。宮廷でも最終の官位があまりたかくなかつた兼昌です。哀愁漂ふ中年男性が、都から離れた畿内の隅、須磨で一夜を過ごします。さらに哀愁漂ふ千鳥の鳴き聲がします。そのさびしい心情を須磨の関の番人に託して詠んでゐます。中年男性の悲哀が見事に表現されてゐます。

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このページは、宝徳 健が2014年7月13日 04:32に書いたブログ記事です。

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