「サチのお寺ご飯」という漫画があります。これ少女漫画かなあ?「かねもりあやみ」さんという作者です。全部で13巻あるようです。なごやテレビでもドラマでやっているのですね。

サチのお寺ごはん 1 | かねもりあやみ/久住昌之/青江覚峰 | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア


 サチの名前は「臼井 幸」です。幸せが薄いと人に揶揄われますが、とても前向きに生きています。サチ自身はお寺の人ではないのですが、近くにお寺があって、そこの住職さんに精進料理をいろいろ教わっています。この漫画がまた面白い!

 いろいろな料理の勉強にもなります。

 住職の源導(げんどう)が本当はサチがすきなのに、我慢しているところも面白い。日本の漫画はいいですね〜。漫画家の勉強にはすごいものがあるんでしょうね。尊敬します。
 引き続き久坂玄瑞の歌を紹介します。

ふるさとの 花さへ見えずに 豊浦の 新防人(にいさきもり)と われは来にけり

 先の大戦の敗戦前に紫電改というとても優秀な戦闘機がありました。帝国海軍松山基地にいた父は、グラマンをバタバタ落とす紫電改の優秀さを何度も観ていたそうです。指揮官は源田実だったと聞いています。源田サーカスといわれ戦闘機を魔法のように扱う一帯だったようです。

 先日四国 愛媛県の南海放送にこんな記事がありました。
 大東亜戦争という言葉を自衛隊隊員が使ったということで、物議を醸し出していますが、おかしな話です。 あれは、GHQが日本の敗戦後、日本に落ち度がないとわかると困るので、あえて「太平洋戦争」と付けた名前です。

 事実は、太平洋戦争という名前はなかった。歴史は、正しく伝える必要があります。挑戦のファンタジーや支那共産党のプロパガンダのような歴史。欧米の嘘八百の暴力のような歴史。欧州中世の言葉に「正しい歴史を知っている。それだけで殺す十分な理由になる」というのがあります。

 こんなのはいただけません。では、どうすればいいか。

 本当は大東亜戦争だが、敗戦國の日本はその名前を使うことができないんだ。隠さずに伝えると、子供たちは正しい歴史を知ることができます。そして、将来、必ず、あの戦争は大東亜戦争という言葉を使えるようになります。全くいつまで事実を隠そうとするのか。

 健は今、基本情報技術者の試験に取り組んでいる。基本情報技術者の試験は、科目Aと科目Bに分かれる。

 科目Aは、60問 90分1000点満点中600点が合格ラインである。シラバス(試験における知識・技術の細目は以下の通りである。

【テクノロジー系】1.基礎理論 2.コンピュータシステム 3.技術要素 4.開発技術
【マネジメント系】5.プロジェクトマネジメント 6.サービスマネジメント
【ストラテジ系】 7.システム戦略 8.経営戦略 9.企業と法務

 科目Bは、20問 100分 1000点満点中600点が合格ラインである。シラバスは
 【アルゴリズムとプロがミング分野(16問)】
 ・プログラミング全般に関わること
 ・プログラムの処理の基本に関わること(型、変数、配列、代入、算術演算、論理演算
  選択処理、繰り返し処理、手続き・関数の呼び出し など)
 ・データ構造及びアルゴリズムに関すること(再帰、スタック、キュー、木構造、グラフ
  連結リスト、整列、文字列処理 など)
 ・プログラミング諸分野への適用通知に関すること(数理、データサイエンス、AIなどの分野
  を題材としたプログラム など)
【情報セキュリティ分野(4問)】
 情報セキュリティの確保に関すること

 健にとっては科目Bの壁が高い。特に、プログラムミングのところであろう。

 今の子供は、小学校からプログラミングを習い始めるが、健が、情報技術に初めて触れたのは、31歳(平成元年)からである。

 Windowsができたのが38歳(平成8年)である。

 このギャップたるや物理的・時間的には如何ともしようがないが、それを、精神的にはできないと判断はしたくないのが健の性格である。とにかくやる!と、健は、繰り返し繰り返し言い聞かせている。いつまでの純情を忘れない男でいたい。純情とは「すなおで邪心のない心。利益・策略を離れて、いちずに寄せる人情・愛情。」である。

 昨日に引き続き、久坂玄瑞の歌を紹介します。

いくそたび くりかへしつつ 我が君の みことし読めば 涙こぼるも

 今日から二十四節気は 穀雨です。地上にあるたくさんの穀物に、たっぷりと水分と栄養が溜め込まれ、元気に育つよう、お天道様が恵みの雨を降らしてくれる時期です。

 そして、七十二候は穀雨 初候 葭始生です。あしはじめてしょうず と読みます。

 我國の別名である豊葦原の瑞穂の國が本来の姿を表し始めます。水辺の葭が芽吹き始め、山や野や水辺にも春の声が聞こえます。葭は、昔から屋根やすだれにつかわれ正解には欠かせないものでした。

 躑躅(つつじ)が綺麗な時期ですね〜。花がどんどん美しくなる季節がやってきます。嬉しいなあ。

 穀雨のころの和菓子は。
「ごげな難関を本当に乗り越えられるか」

と、健は考えた。決して最初からお気楽に考えたわけではない。

 「世に優れた事績を遺した人々は常にこれを通り抜けてきたではないか」とも考えた。

 敬愛する出光興産株式会社の創業者 故出光佐三店主は、敗戦後まもない頃、イランに石油をとりに行った。製油所を持たない出光興産は、たった一隻のタンカー日章丸をイギリスの軍艦に拿捕されれば、倒産以外の道しかない。迷いに迷った。石清水八幡宮に詣り、弓矢を買い求めた。矢を日章丸に例えたのだ。「矢は放たれた」と佐三店主は思った。やれるだけのことはやったのだとも。優れた事績を遺す方々は、みな最後は楽天的になっている。そうでないと決断できないのだ。

 決断とは、一つのことを決めることではない。他の決断要素を捨てることなのだ。明治大帝しかり、昭和天皇しかり、いにしえの北条時宗しかり。

 今回の、ホワイトハッカー挑戦への決断は、過去の英雄に比べたら大したことではないが、それでも、コンサルの現業をやりながら、学習の時間を取る決断をするのは、かなり重いものがある。

 「え〜い、失敗することには耐えられるが、挑戦しないことには耐えられない」

 健は、汎子の教えを思い出した。「(自分に)負けてはならない」と。汎子は「勝ちなさい」とは決して言わなかった。なら「挑戦しないと言う選択肢ないな」。健は思った。

 「そういえばお袋、俺が小さい時に喧嘩で負けてくると『もういちどやってきなさい。お母さんはそんな弱い子を産んだ覚えはありません』」と言ったなあ。身体が弱かった健には酷な命令である。この時も汎子は「勝ってから帰れ」とは言わなかった。おかげで健は、小中学校で喧嘩で負けて帰ってきても「喧嘩で負けた」とはいわなかった(いえなかった?)。

 顔中腫らして帰ってきても汎子は何も言わなかった。姉の一美が「どうしたの」と聞いても「階段で転んだ」と答えた。そんなはずはないのだが、我が家はこれで喧嘩の話は終わりだった。一度、一つ年上の学年番長に逆らったときに、トイレに連れて行かれ20人ぐらいに取り囲まれて、ボコボコにされた(なぐるのは番長一人)。あれは怖かった、土下座して謝った。もう今日は生きて帰れないかもしれないと人生のうち何度も起きたことのひとつではあったが。

 その時も数週間、顔の腫れはひかなかった。体中の痛さもそうである。心の中では汎子も心配で心配でしかたがなかったが、それは絶対に口に出さなかった。男の子を育てるというのは、こういうことなのだ。令和の時代とまったく異なる。なら昭和でいい。

 後に一美に男の子(健の甥)が生まれた。その時に、汎子が、一美に言った言葉が「男の子はねその日のうちに生きて帰ってくればそれでいいのよ」であった。

 つまり、一美に「覚悟を持って育てなさい」という汎子のメッセージであった。
次の文です。このブログは私の観音経暗誦のために書いていますので、お読みいただかなくても大丈夫です。


若為大水所漂稱其名号即得淺處
にゃくいだいすしょひょうしょうごみょうごうそくろくせんじょ)

若し大水に漂わされんに、其の名号を称せば即ち浅き処を得ん。

 水の難への功徳です。とえ大海大水の中で溺れ漂よったとしても、観世音菩薩の名号を称へれば、種々の方便によって即ち浅き処に救い出されるのです。

  繰り返します仏教の素人が言う言葉ではないかもしれませんが、仏教は自分の中に宇宙があるという内観を求めます。欧米の宗教のように、そとにいる神に身を委ねません。
 
 なので、観世音菩薩も、自分の中に実はいるんです。それに気づけば七難も避けられると教えます。決して、他にたよれということではありません。東洋の仏教の勝ちですね。

 宗教ではありませんが神道はその宗教さえいらなくしています。すごい!
  昨日に続いて、久坂玄瑞の歌を紹介します。

 けふもまた 知られぬ露の いのちもて 千歳を照らす 月を見るかな

  観音経の次の文です。

若有持是観世音菩薩名者設入大火火不能焼由是菩薩威神力故
にゃくうじぜかんぜおんぼさみょうしせつにゅうだいかかふのしょうゆぜぼさいじんりっこ


若し是の観世音菩薩の名を持つことあらん者は、設い大火に入るとも火も焼くこと能わず、是の菩薩の威神力によるが故に


 
この文は火の難から救われることを書いています。

 人もし観世音菩薩の名前を受持念称する時は、たとえ燃え盛る火の中に入るほどの苦しみ怒りくるうようなことがあっても、その火で焼かれることはありません。これは観世音菩薩の大慈大悲の神力が働くからです。

 繰り返しますが、仏教は、西洋の宗教のように誰かが救ってくれるというものではありません。誰かが救ってくれると思うと救われなかった時にその誰かの責任にしてしまいます。

 仏教は、自分の中に宇宙があると教えます。だから内観せよと。今回の教えも、観世音菩薩という自分の中に本来存在しているものを見つけたらということになります。

 令和六年四月号の専門 編集後記です。
 今日から何回かに分けて久坂玄瑞(くさかげんすい)の和歌を紹介します。

 久坂は吉田松陰の門下生で、弟子の中では最も愛されていました。とても優秀だったそうです。木戸孝允(桂小五郎)などは、明治維新後「久坂が生きていたら、私などは足元にもおよばないだろう」と語っています。

 でも二十五歳という若さで蛤御門の変で流弾を受けて自決しました。


ほととぎす 血になく声は 有明の 月よりほかに 聞くものぞなき

 すさまじい歌ですね。久坂に歌には常に緊張感があります。幕末は、まだ、二十代の男たちが命をかけた戦いをします。その緊張感のなせる業なのでしょう。こういう緊張感の歌を紹介していきます。

【今日の私の和歌】
國難に 命おしまず 若人が 進める我國 素晴らしき國

2.結論と現在の日本の失敗要因

 結論から申し上げると、失敗の要因は「主権者國民の責任です」。政治家や官僚やそのポチであるメディアに騙され、騙されるがままに政治家を選びます。よく「この國は一体どうなるのですか?」と聞かれます。まず「この國」と第三者発言をしている段階で「主権放棄」です。社会主義政策を取ると、だまっていてももらえるお金が増えるため、主権者と言われている國民は努力をしなくなります。

 

 そういうふうに官僚や政府に飼い慣らされているのが今の「主権者國民」です。貯金のない人が結婚しようと思うでしょうか?子供を作ろうと思うでしょうか?子供の教育費用はどうするのでしょうか?企業はこの混沌としたリスク環境のなかでそれを乗り越える投資資金をどうするのでしょうか? 國家百年の計といわれる教育はどうするのでしょか? それらを否定する、GHQが1週間でつくった憲法「典」をどうしようとしているのでしょうか? 北朝鮮に同朋が拉致されても軍を派遣して奪い返すことすらしません。ソ連が亡くなった時に北方領土を奪い返す最大のチェンスが巡ってきたのに、奪い返せ!と政府に言いもしません。こんなことなら天皇陛下に大政奉還したらいい。

閑話休題。政治が経済に対して唯一できることは、マクロ経済の三つの市場を活性化して「民の活力を強める環境を整備する」ことです。社会主義のような環境をどんどんつくることではありません。

 

城山三郎の大ベストセラーに「官僚たちの夏」という本があります。「経済を民間だけに任せていられない。我々官僚の出番だ」と旧通産省の役人が池田勇人がモデルの首相に楯突く本です。実際は、池田勇人が官僚を押さえ込みます。

 

 子供の頃、どんどん生活環境が変わりました。男たちは必死になって金を稼ぎ、優秀な女性は世に出て活躍し、家庭に入る女性は必死に子供を育てました。「洗濯機・冷蔵庫・テレビ」が家庭の三種の神器と言われ、どんどん身の回りの生活が豊かになりました。その後も「カー、クーラー、カラーテレビ」が新三種の神器と呼ばれました。ほんとうに活力がある國でした。「Japan as No.1」という本をアメリカ人が書きました。少子化だから経済成長ができないなどというメディアの宣伝に乗せられないで、もうそろそろ目を覚ましませんか?マクロ経済を学んでみませんか? MMTなどという共産主義左翼リベラルの嘘に騙されないように。

 汎子も敗戦の日には毎年、子供達に引き揚げの苦しさ伝えた。不思議とそれが楽しそうなのだ。佳男も汎子も血液型はO型である。よって自然と子供3人はO型になる。つまり親子全員がO型なのだ。O型とは、陽気で朗らかな性格である。時として人生や仕事にぬけができるのがO型の欠点ではあるが、そんなことは気にしない。過ぎ去ったことを全て楽しい思い出にしてしまう。

 引き揚げの話は壮絶であった。日本に帰れると聞いて、お金まで渡して手続きをしたが、途中で朝鮮人に騙されたことがわかった。その時、祖父 二が朝鮮人に拳銃を突きつけたのだ。子供達が泣いていると、祖父は「泣くな!」と叫んだ。支那人や朝鮮人と相対するときは、絶対、弱みを見せてはいけない。両民族とも他国から征服され支配を受けてきた歴史なので、強いものにはとことんへつらうが、弱いものはとことん蹂躙する性質を持っている。

 それに加えて敗戦国で、軍事力がなくなると国民はこういう目を見る。

 汎子は、その時の父の姿をみて「お父さんはなんと強いんだろう」と思った。

 他の引き揚げの記憶は後に譲るとして、この時の経験から汎子は「負けてはならない」と強く思うようになった。

 伯父や叔母たちは、健に「お母さんはあんたに厳しかったね〜」というが、健は優しい汎子の姿しか覚えていない。確かに、二人以外の誰かがいるときは、日本の男としての姿を求められたが。汎子が、男子としての健を育てる上で必ず言っていた言葉がある。「負けてはダメです」。勝ちなさいとは一言も言われたことがなかった。

 その教えが、幼少の頃から身体が弱かった健ではあるが、意志と根性といじっぱりを健に植え付ける原動力となった。そして時として無謀な目標に向かうのであった。

 健が今回ホワイトハッカーに挑戦するのも汎子の教えによるものであった。
 御製とは、製(ぎょせい)とは天皇陛下の詩歌や絵画などの作品のことで、特に和歌を指して使われる言葉です。昭和天皇はそのご生涯に1萬首もの和歌をお詠みになられていて、そのうち900首ほどが公開されてゐます。

あらたまの 年を迎へて いやますは 民をあはれむ こころなりけり

 昭和天皇がまだ摂政の時代に正月の宮中歌会はじめで詠まれた御製です(大正十三年)。

 前の年に關東大震災がありました。

 廣き野を 流れゆけども 最上川 海に入るまで にごらざりけり

 雄大な歌です。陛下御自身が御政道で濁らないぞと決意されてゐます。大正十五年の御製です。まだ昭和天皇が摂政をやられている頃でしょうか?

ふる雪に こころきよめて 安らけき 世をこそ祈れ 神のひろまに

 昭和六年の御製です。天子樣の主なお仕事は祭事です。私たちの伺いしれないところでいつも私たち臣民を慈しんでくださっています。これ以上の幸せはないですね。

 こころをすっきりさせたかったので天子樣に甘えてしまひました。古今東西、統治していただく方を天子樣とお呼びできるのは我が國しかありません。

【今日の和歌です】
天道の 古(いにしへ)からの その動き  人は迷えど 天はその時
  国際投資アナリストのOさんが「知らないのは日本人だけでは、実は日本の評価は「世界一」、世界のマネーが日本に向かってくるぞ」という記事を書いていました。

 記事を読んだんですが、一体何を言いたいか皆目見当がつきません。日本は世界最大の債権国家なんていうことはもうずっと前からわかっています。世界のマネーが日本に向かうってそのこと? それならストックのことで、今の日本に足りないのはフローです。たまたま株価が上がっているのは、虫の息の支那共産党経済から日本に資金が移動しているだけです。訳がわからん。

 それにもましてわからないのが4月15日の朝日デジタルです。安倍さんを暗殺した山上という男を「銃撃事件」と書いてあります。あれこそテロだろ?テロとかけよ。さすが朝日といいたい。

 言論の自由と嘘の自由は違うだろう。
 昨日の産経新聞にこんな記事が載っていました。
「刑事判決を実質無意味にする」 死刑囚2人の訴え、大阪地裁が退ける 当日告知巡る訴訟」

 要は死刑囚が、当日に死刑と言われるのがたまらない」と訴えていたのです。さすがに裁判所は否定しましたが、こんなのありか。

 以前は、二日前に告知していたのですが、死刑囚の精神が乱れるので当日にしているという事実は別にして。これが基本的人権の恐ろしさです。

 ものすごく誤解されていますが、基本的人権とは「人を殺していい権利です」。流石にそれはいけないので法律で禁止されていますが、でも、その権利があるために、弁護士はこんなバカなことをします。

 京都アニメーションの事件もそうですよね。あれだけ多くの人をあれだけ残忍に殺していながら、この基本的人権があるために、弁護士は、「責任の能力」から入って、極悪被告人を無罪にしようとしています。

 安倍さん暗殺事件でも、朝日新聞などは、この基本的人権をたてに銃撃事件て、日トロ殺す権利を無実化しようとしていま。

 第日本帝国憲法では、「人権」という言葉がありませんでした。これを多くの法曹界等の人間は、だから第日本帝国憲法は未熟だと言います。

 我國には、「人権」なんていう、欧州の宗教裁判の後腐れみたいな言葉はありませんでした。必要ないんです。なので、明治の男たちが「欧米の皆さん、私たちは人権なんていう言葉つかwなくても十分國が成り立つんです」という思いを込めました。

 弁護士さんよ。そんなことも知らないのか。
弁護士が國体を破壊する狂気になってどうする!
 前号で、マクロ経済には3つのマクロ市場があると申し上げました。

    財市場(モノの市場)

    貨幣市場(お金の市場)

    労働市場(労働力お市場)

現代ではこれに情報市場が加わるのかもしれませんが、これらの市場が、大きく、太く、速く、自由に動けばその國の経済は活性化します。当たり前のことですよね? 今は、税金吸い上げて資金の動きを抑え、天下の悪法労働法規が労働の自由化を妨げて、財市場では、1日に3つぐらいの様々な官僚規制ができていて、これら市場の動きを小さく、細く、遅く、不自由にしています。なので、30年間も國富(名目GDP)が伸びていません。トランプが大統領の時1対2ルールというのを官僚に守らせました。官僚が1つ規制を作ったら2つ既存の規制を廃止するというものです。こういうのを政治主導というのだよ。旧民主党諸君。トランプはプラス減税をしました。

 

池田勇人も、民の活力を高める自由主義の政策を採ったのです。政府は減税と規制緩和で民の活力を高め、民間が自由に商売ができる仕組みを整えました。あとは國民の活力に任せるという自由主義経済です。今の日本の社会主義経済政策とは対極をなします。

 

逆に、政府は新幹線や高速道路などの誰もが使う公共物を建設しました(敗戦後で民間にお金がなかったので)。今の日本政府のように間違っても成長計画を作成したり、儲けを指導する、賃金を無理やり上げさせる、成長産業を絞って投資するとなどといった、まさに愚かな徳川吉宗や松平定信や水野忠邦のような政策はしなかったのです。

 

池田勇人は、10年で所得を倍増すると國民に宣言してそれを見事に達成しました。10年で倍ということは年7%の経済成長が必要です。最初の頃は、冗談と受け取られ大爆笑されたようです。

   ある時、母 汎子の兄 舜一が我が家を訪ねてきた。

 祖父は大したものである。昔の大人は古典をしっかり学んでいる。我が家は、朝鮮半島からの引き揚げ者である。母の実家 秋武家は、朝鮮からの引き揚げ者である。長女の名前は、堯子(たかこ)。堯は支那の理想の皇帝である。その存在も消しながら民を幸せにするそんざいだ。
それにちなんで堯子。長男は舜一。舜はその後継。

 その下の母 汎子の「汎」の字には「ひろくてかぎりがない」の意味がある。下の雅子の「雅」は「気品を感じる美しさ」、末っ子の「洋子」の洋は、「限りなく広い様」とう意味だ。キラキラメールを凌駕する。

 堯子は、朝鮮から引き上げてくるときに朝鮮の地で亡くなった。汎子の話によると怒ったことがない限りなく優しい人だった。赤い血をたくさんはいて。亡くなる最後に「りんごが食べたい」と生涯でたった一つのわがままを言った。汎子が朝鮮人に化けて頭に籠を乗せて買いにいった。12歳の少女が当時一人で出かけることは、どんなにかリスクがあることか。

 堯子は、汎子が買ってきてくれたりんごをたった一口、口に含んだ。「ああ、おいしい。みんなごめんね、汚い血をたくさん掬ってくれて。さようなら」と言って命を落とした。朝鮮の土は凍っている。そこをこじ開けて埋葬した。いまだに、堯子は朝鮮に眠る。

 秋武の祖母 アヤは、毎年、敗戦の日になると、仏壇に向かって泣いていた。汎子は、その話を毎年、子供達に話して聞かせた。引揚の凄まじい、朝鮮人とロシア人の日本人に対する行いを含めて。その様子は「ヨーコ物語」「続ヨーコ物語」に書かれている。長く、米国の教科書として採用されてきたが、アメリカの朝鮮系国民の反対で廃止された。敗戦国とは結局、国際社会の中では真実まで消される扱いを受けるのである。

 さて、このような根っこでそだった健は、身体が弱かったものの・・・(つづく)

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