IKさんの事務所です。今。だれもいません。風が強いので不気味です。おねがいだから何にも起きないで。でも、こんな時間いいなあ。ブログ書けるし手紙書けるし。何より、かうやつてゆつたり時間を過ごすと、仕事のいろいろなことを落ち着いて考えることができます。今日は徹夜。無理していません。樂しいんです。

 今、惱みがあります。息子が盆に歸つてきたとき、私に3WAYバッグを薦めました。、一つにまとめて必要なときには背中に背負えと。賈ひました。確かに便利です。片方にパソコンやWeb関係の物を入れ、片方に仕事の書類・・・。うん、こりゃあいい。と思ったとき、「本が入らない」。

 結局もうひとつバッグを。でも、これが定まらない。今囘の出張には、まえにある美容室でもらったのを・・・。でも今一つ定まらない。だから、次は・・・。一度棚を見渡します。

 今夕から出張です。明石→博多→東京→館山→横浜→敦賀→小浜で、関西に戻るのは19日になります。へっへ~。
 さあ!今日から、戦国時代でもっとも有名な話です。これは一般常識として知っておかなくてはだめです。「呂不韋(りょふい)の先物買い」です。「奇貨、居くべし」という言葉で有名です。実は、秦の 始皇帝は、実の父の子供ではない可能性があります。また、この呂不韋という男がいなかったら、秦の始皇帝はありえなかったのです。
 どうですか? このシリーズ。 日本という国は鎖国をしていても、世界に匹敵する文化を持っていたのです。江戸時代に開国し、明治初期に、外国のことをどんどん受け入れていきました。特に、科学技術と政治システムです(ただ、数学は日本の方が発達していて、何も学ぶことがなかったそうですが)。科学技術は、欧米列強の恐怖から逃れるため。政治システムは国際社会の仲間入りをするためです。まあ、それは当然のことです。でも、よく考えてみてください。国際的な政治システムがなくても、日本は、平和で、民の知力は高く、文化は発達していたのです。伊能忠敬の地図など、イギリスは驚嘆したそうです。そうです、そんな複雑な政治システムがなくても、日本は国家と国民が一体に国を運営する力を持っていたのです。考えようによっては、この方がすごいですよね。

 まあ、そんなことはいいとして。どこまでだっか。そうだ、信乃が旅籠屋の主人に助けられて話していたら、見八が、大塚村で自分の隣に住んでいた糠助の子供だということがわかったところまででした。

※お斷り
 このシリーズは、今から八年前に書かれてゐます。私の認識不足のところがありますので、修正しておきます。鎖國ではありません。カトリック教會主義の排除です。では、引き續きお樂しみください。
 いろいろな資料を北陸に忘れてきたので、記事がたくさん書けないのfが殘念です。

 今日から七十二候 白露 次候 鶺鴒鳴です。「せきれいなく」と讀みます。

 鶺鴒が鳴きはじめる頃です。鶺鴒は水邊を好む鳥です。川の上流域に行くほど多く觀られます。町なかでは、あまり見かけられないかもしれませんが、民家の軒下などにも巣を作ります。

「鶺鴒 寫眞」の画像検索結果

 こんな鳥です。よく見かけますよね。

 鶺鴒と云へば伊達政宗ですね。あの話本當なのかなあ。
 今年、九十歳になった父が大量に手紙を送ってきます。何かを遺したいのでせう。私がこのブログに遺します。さういへば、最近こないなあ。1か月前風邪をこじらせたと妹から。母の誕生日の今日、電話してみます。

 今日から新しい手紙です。もう叔父の名前を出していいですね。父の弐番目の下の弟 卓(たかし)です。

☐宝徳 卓の思い出
 今夜は徹夜なので、このブログから明日の日付にしてください。

 IKさんの奥さんも今日が誕生日です。おめでたうございます。

 母は生きていれば八十五歳です。昭和七年九月十二日生まれ。

 一度だけ、誕生日を忘れて連絡しない時がありました。家に歸つたらものすごく悲しさうな顔をしてゐました。今でも、その日のことを思ひだすと心が痛みます。平成七年七月十日死去。享年六十二歳でした。
 秦の昭王は、武安君の諫言を聞かず、自ら趙を攻めて惨敗します。武安君は「だから言わないことではない」と言います。起こった昭王は、武安君のも とを訪れ、無理やり病床から起こして言います。
 旅籠屋の主人が釣りをしているときに出くわした信乃と見八を出すけだそうとしているところまででした。
□昔話
 のつづきです。
 ああ、本が面白い。たまりませんね。

 今、日歐支の兵法の比較をしてゐます(アメリカにはない)。やはり我が國の兵法は美しい。なのに、「軍事」といふだけで惡ととらへる愚かな人が多い。我が國の武は正義です。

 讀み返してゐます。

 闘戰經(とうせんきょう)。我が國最古の兵法です。孫氏の兵法は、人を騙すことを教へてゐます。闘戰經は世を治める道を教へてゐます。この違いは大きい。

画像検索結果



 そろそろ、来年の手帳を準備しないと。毎年、10月に替えてゐます。予定を組むときは樂しいんだけど、いざやるとなるととてもしんどい。人間とは弱いものですね~(笑)。

 一昨年の今頃は、入院していたんだよな~。周りの人に怒られるかもしれませんが、結構、樂しい入院生活でした。病院經營の勉強にもなりました。もちろん、健康管理の勉強にも。

 頭髪のカラーをするのを次囘の美容室からやめます。おそらく、眞白な頭になるでせう。
 私たちは、子供のころから、歐米はすごいといふ教育を受けて來ました。なので子供の頃は、歐米のものが花盛り。映画などは、ほとんどがアメリカPRです。アメリカはこんなにすごいんだ!といふ内容ばかりです。たまに日本を馬鹿にしたものも(笑)。猿の惑星など、日本人を猿にみたてた映画です。それが米國ではあまりヒットせずに、日本で大ヒット(笑)。作った人間は、ギャフンですね(笑)。

 でも、たいしたことないんです。歐州なんて暗黑の歴史そのものです。

 兵法もさうです。
 秦の昭王から武安君のところに派遣された范雎に対して、武安君が答える続きで す。
  すこ~しだけ、話が変わります。すぐに戻りますので。信乃と見八が川に浮かべてあった舟に落ちて、その舟が流されてどこかに行ってしまったところまででしたね。
□昔話
 のつづきです。
 今回は、真城君です。
 支那の兵法には、孫氏、呉子、六韜三略などがあります。歐州にはクウラゼウィッツの戰爭論があります。でも、これらの兵法は、相手を欺くことはあたりまえ(孫氏の兵は詭道なり 戰爭とは相手を欺くものだ)に代表されるように何か正々堂々としたところがありません(若い時はむさぼり讀みましたが)。

 そんな戰ひではだめだと、我が國でつくられた兵法が「闘戰經 とうせんきょう」です。これは、いずれ詳しく書きますが、なんと、九百年前のこの兵法があるルートで残つてゐるのです。

 この内容がまた素敵です。人間社會の奇跡を創造した我が國 日本。兵法の世界でもそうなんです。武力を持たないことが平和だと錯覺してゐるおバカな國民を多いのは敗戰後の腐った教育の責任です。眞理、眞實をしつかりと教へてゐれば、そんなことがいかにおろかなことかは明白です。


 我が武なるものは天地の初めに在り、しかして一氣に天地を両(わか)つ。雛の卵を割るがごとし。故に我が道は萬物の根元、百家(ひゃっか)の權與(けんよ)なり。

 闘戰經にある言葉です。
 秦の昭王の命令を聞かない武安君のところに、昭王は、范雎(はんしょ)を派遣して説得に当たらせます。范雎の言葉に、武安君は答えます。
 犬飼見八(いぬかいけんぱち)という男が信乃との対決の為に獄から出されました。
□昔話
 のつづきです。

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