最初は、蘇秦と張儀の話の続きからですね。蘇秦を怨んでいた張儀ですが、それは、蘇秦のはからいだと知ります。蘇秦は、誰か心を通じる人間を秦に 送りたかったのです。それは合従連合を成功させるためでした。張儀は蘇秦の生きている間は、その恩を徳として、合従連合を切り崩しませんでした。合従連合 に対抗する言葉が連横論です。秦が一対一で各国と付き合うというものですが、張儀は、蘇秦が生きている間は、この連横論を展開しませんでした。

 さて、今日から新しいお話です。「息壌(そくじょう)の戦い」です。
 この話は、また面白い。君主というものは気まぐれなものです。その気まぐれさをしっかりと押さえた対応が見事です。何日かに分けて掲載します。

 信乃が明日たつというのに、亀篠が明後日にしなさい、と言いました。なぜでしょうか?
 九十歳になる親父が、これでもかと手紙を送つてきます。人生を遺したいのでせう。私と息子は、親父の人生を引き繼ぐ義務があります。

つづきです。

□昔話
□海軍の朝から晩まで
 つづき
 今は、二十四節氣 大暑です。一年で最も暑さが感じられる頃です。云はんでもわかる。昨日は土用でしたね。鰻食べなかった😢。大好物なのに。大阪は天神祭。駅からバスに乘つたら、渋滞😢。

 まあいいや。

 七十二候は 今日まで、大暑 初候 桐始結花です。「きりはじめてはなをむすぶ」と讀みます。

 桐が花を咲かせる頃です。盛夏を迎える頃には、卵形の実を結びます。
「桐 写真」の画像検索結果
 この日誌に登場している後輩がコメントを入れてくれました。非公開希望なので内容は出せませんが(笑)。メールを送りました。今度會いたいな。人のつながりは一番うれしいですね。

 さて、今囘は、安河内B君。
 いろいろな關係の方々のおかげで仕事がどんどん充實してきてゐます。感謝合掌。

 フェデラー、すごいですねえ。私たちの時代は、マニュアルラケットでした。今のデカラケではありません。デカラケになつてから、テニスが別のスポーツのやうになつてしまひました。確かに迫力はましたけれど、美しくない。だから、テニスの試合を觀なくなりました。

 だけど、フェデラーのテニスは美しい。デカラケ全盛の中で、あのプレーの美しさを維持してゐるのはもう言葉にいひつくせない素晴らしさです。特にバックハンド。ほとんどのトッププレイヤーが両手打ちバックハンドを用ひる中、彼だけは片手打ち。それも見事に美しいフォームです。

 よいウィンブルドンでした。

 松居和代。メディアに出すなよ。
 クライアントさんのホテルで書いてゐます。やはり朝はいいな~。これを書いたら手紙を書きます。

 子供の頃から口が達者だつた私は、母からよく「言ひたいことがあつたら、三つ數へてからにしなさい。三つ數へてまだ言いたかつたら云ひなさい」と云はれました。

 最近、だいぶん、自分の云ひたいこと(私から發信する「誰が(つまり私)正しいか」を云はなくてもストレスがたまらなくなりました(笑)。

 人と話してゐるときに、その人の話が終はつたとたんに「でもな」「けどな」と云ひ返す人がゐます。かういふ人たちは、相手が話してゐるときに、その話をろくに聞きもせず、頭の中で自分勝手に解釈して、もう反論を考へています。なぜわかるかつて? 昔の私がさうだつたからです。
 蘇秦に冷たくあしらわれた張儀は、奮起して秦に向かいます。それを知った蘇秦は、喜んで、部下に事の次第を打ち明け、身分を隠させて、十分な路銀 を持たせて張儀のあとを負わせます。そして、秦までの道のり、張儀の面倒をよくみて、首尾よく張儀を秦に送り届けます。さあ、張儀はどうなるのでしょう か。

 さて、昨日からの続きです。ようやく重い腰をあげた張儀です。

 昨日は、これまでのあらすじでした。

 さて、信乃を亡きものにし願わくば銘刀村雨(むらさめ)を手に入れようとする蟇六(ひきろく)と亀篠です。さあ、どんな悪巧みを考えつくのでしょうか。

 
 今日から、七十二候 小暑 末候 「鷹乃學習」です。「たかすなはちわざをならふ」と讀みます。

 五・六月に孵化した雛が、巣立ちの準備をする頃です。 獨り立ちができるやう、飛び方を覺へ、獲物の捕り方を覺へ、「獨り」といふことを一から學びます。

 世界で象形文字(表意文字)を維持してゐるのは我が日本だけではないでせうか? 支那は、完全に字を崩してゐますし、朝鮮など、あれが字なのかわからないほどです。表音文字で育つと、感情的になりやすくなります。それは、支那人、朝鮮人、歐米人を見るとわかりますよね。だから小學校から英語など、とても恐ろしいことなのです。

 漢字には「字源」があります。それを體系化したのが白川静先生です。2冊持ってゐますが、本を開くととてもワクワクします。

 學習の「習」も象形文字です。
 今日は、何曜日? 曜日の感覺がまつたくありません。今日は、芦原温泉→金沢→東京→館山と移動します。北陸新幹線は初めてです。

 九十歳になる親父がくれる手紙を紹介してゐます。

□昔ばなしh
□海軍の朝から晩まで

のつづきです。
 今日は、安河内B君。信二ですね。

 我が母校 福岡髙校はラグビーの名門校です。先輩には、あの有名な新日鐵釜石の森さんもゐます。私たちの時代には、全國大會出場回數が花園出場が秋田工業髙校についで二番目でした。

 男子制服の襟章はラグビーボールです。當然、冬の體育の時間はラグビー。冬のクラスマッチはラグビー。腦震盪續出です(笑)。今やつたら、大問題になりますね。

 現在、ジャパンの日本代表に 福岡くんがいます。福岡髙校出軆です。福岡髙校の福岡君。

 我がテニス部でもよくやりました。この日は、1年對2年をやつてゐますね。1年がトライをしたら終了。しなければ延々と續くといふものです(笑)。無茶ばかりしてゐました。

 ちなみに、なぜ、トライといふかご存知ですか? 昔は、トライをしても點は入りませんでした。トライをするとゴールキックをする權利が得られるだけだつたのです。ゴールキックに「トライアル」するから「トライ」です。

 さて、日誌に戻ります。
 學生時代、經濟學を學んだとき、農村の労働力の話がありました。特に、イギリスがひどいイギリス病と呼ばれる事例をみながら。「へー、農村の労働力とは國家にとつてこんなに大切なんだ」と感じたことを覺へてゐます。

 ルイスの轉換點といふ言葉があります。
 蘇秦と張儀の話の続きです。尋ねてきた張儀を蘇秦は冷たくあしらいます。張儀は、腹が立って、腹が立ってなりません。蘇秦に目にものみせて くれんと、発奮します。蘇秦がいる趙の国をやっつけるには秦以外にありません。張儀は秦に向かいました。これからが面白いのです。次回ね。
 あらすじがわからなくなった人もいるみたいなので、ここで、今までのとことまでをまとめておきます。
 九十歳の親父から、かなり頻繁に手紙が來ます。何かを「遺」こしたいのでせう。引き繼ぐ義務があります。書き遺しておきます。手紙の來る頻度にブログがおいつきませんが(笑)。
 今囘は、藤(とう)君です。

 「ぎょうらしい」とは、博多辯で「おおげさ、けばけばしい、うっとおしい」」です。船津とは、先生の名前です。私は直接習つたことがありませんのでよく知りません。
 六条御息所は、斎宮になつた娘について伊勢へ行くことになりました。

光「ああ、残念、しかしまたいつかお会いできるだろう」

 なんと、この時の光源氏の豫感は、後に實現します。

 さて、桐壺院の健康が惡化してゐます。朱雀帝が見舞いに訪れました。
 前囘、少し蘇秦と張儀のことを書きました。蘇秦は、張儀に目をつけます。そして、策を弄します。そのころ貧乏だった、張儀は、その策にはまってし まひ、蘇秦に仕事のツテを求めて、会いにいきます。でも、蘇秦は、張儀を冷たくあしらいます。この續きも次囘書きますね。少しずつ戰國策の背景を紹介して いきます。以下の文章は、昨日の續きです。

 さて、楚と斉の同盟を崩そうと、張儀が楚に向かいます。商於の土地を譲るという条件で、楚王に斉と手を切るように依頼します。楚王は、商於の土地 が手に入ると大喜びです。「策士と策士」の続きです。

 この土地を治める領主の陣代が浜路に恋をしてしまいました。

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