なんか、教育勅語で私が毎朝讀むたびに感動で震える「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」のところが、「天皇のために死ね」と解釈され、これがあるから駄目なんだといふ議論が横行してゐます。

 天壌無窮を全く理解していない愚か者の集まりです。

 同じ「皇」でも、今上天皇陛下のことの場合「すめらみこと」と云ひます。皇祖皇宗以來、ずつと續いてゐる、君臣一體をなつた、人間社會の奇跡である「シラス」といふ國體を指すときは、皇は「すめらぎ」と讀みます。

 つまり、有史以來連綿とと續いてきた(天壌無窮)この素晴らしい國體が「すめらぎ」です。君が代も同じ意味です。

 天皇誕生「日」といふと、「すめらみこと」の誕生日をお祝ひすることですが、天長節といふと、「皇祖皇宗以來の天壌無窮の節目を祝ふ」になります。意味が全く違ひます。

 日と節の違ひがわからないと、我が國を正確に學習することはできません。

 紀元節しかり。建国記念日ではありません。文化の日ではありません。明治節です。昭和の日ではありません。昭和節です。

 だから、敗戰前は、みんなで、天壌無窮の節を祝ふ「祭日」がありました。今の我が國に、祭日はありません。祝日です。GHQ(進駐軍ではない占領軍)が、すめらぎと臣民を切り離したのです。

もうそろそろ目を覺ましませんか?

 今日は、ブログを書かないつもりで昨日たくさん書いたのですが、ひとつだけ。

 新聞にもネットニュースにも、「名誉挽回」といふ言葉が躍つてゐま。おいおい、大丈夫かい。

 名譽は囘復するものではなかったか。汚名返上、せいぜい汚名挽回では。私が間違つてゐるのかなあ・・・。誰か教えてください。

 あのなんとかといふ大臣・・・。感覺が麻痺してゐるのでせうね。おそらく自分では間違つたと思つてゐない。彼、東大卒です。知識(は否定しませんが)だけの學習をしたらかうなるといふ敗戰後の不埒な教育の産物そのものです。

 だいたい、この大臣のひとつ前の失態なんか、左翼記者にうまく乘せられただけです。

二上(ふたがみ)の 峰(お)の上(うへ)の繁に 隱(こも)りしに そのほととぎす 待てど來鳴かず


 二上山の峰の上に繁み隱れてゐるそのほとどぎすは、いくら待っても來て鳴かないことだ。大友家持です。彼が赴任先の越中で詠んだ歌です。なので、この二上山は 大阪と奈良の間にある山ではなく、富山県です。関西の二上山と同樣、山頂が二つに割れてゐます。

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 これが関西。
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 これが富山県高岡市。

 では、いつも通り、三島由紀夫の文學的遺書といはれてゐる「小説とは何か」で正しい日本語を學習していきます。

 今年のブログ目標は、年730通です。つまり、一日2通。

 ところが 1月52通/62通 2月21通/56通 3月41通/62通 で合計 114通/180通 ▲66通。つまり、1日2通として33日分遅れてゐます。 4月も25日で今のところ39通/50通です。絶對に、GWで追いつきます。

 本は今のところ65冊だから200冊/年ペースです。手紙が全然ダメ。とにかくなんもかんもGWで取り返すけん。

 さて、今年九十歳になる父が、何かを私たちに遺そうと、手紙を送つてきます。寂しいのでせうね。今日も、「今日はおじいちゃんの誕生日ですね」とメールをしたら、「この思いをどこに向けたらいいのか」といふ返事が返つてきました。十九歳で父を失い、一家の面倒を敗戰の荒廃のなかでみなければならなかつたのはどんなに大變かだったか、私たちにはうかがひ知ることができません。戰爭はしてはいけないのではない。負けてはいけないのです。よく「戰爭の記憶を忘れるな」と云ひますが、違ひます「敗戰の記憶です」。 あの戰爭が我が國の侵略戰爭ではないことなど火を観るより明らかですが、指導者が惡るかった。特に、山本五十六と近衛文麿です。この二人が我が國をつぶしたと言っても過言ではありません。なのに、山本五十六など、なぜ、あれだけ持ち上げられるのか。

 さあ、髙めて繋ぐのが私たちの使命です。父が「遺そう」としてゐることは私と息子が引き繼ぎます。

 今日から日韓合同同窓会です。
 岡村君が書いてゐます。縣大會が近づいてゐますね。私たちの第一目標は(絶對の目標)は、インターハイ出場です。 第二目標が、打倒柳川商業でした。當時 柳川商業は、全國大會で10連覇してゐました。

 目標は、二段階もしくは三段階で決めることが大切です(企業においても)。その前に目的がなければ目標は全く生きてきません。まあ、これはまた後日。

 1:2マッチをやつてゐますね。一人対二人。シングルスで角度への對應力を向上させることが目的です。でも、テニスって、シングルスコートでやるに限って云へば、一人の方が強いのです(笑)。やりやすいから。ダブルスコートでやつたら、それは、確實に二人が勝ちます。
 明朝はブログが書けないと思ふので。

 最近の私の和歌

 しらすといふ 國體築きし 皇(すめらぎ)が 坐(ましま)す國に 櫻花咲く

 梅に桃 櫻に藤と つなぎしに 忘れたならじは 木蓮の花

 こんにちは ことばがおはらぬ そのうちに 抱っこをせがむ 幼き笑顔

 田植ゑ待つ はられた水に 陽が映える 斎庭の稻穂 とはにかがやく

 嶺南の 山も雪解け 緑映え すべてが芽吹く 春のおとづれ

 水はられ 田植ゑ待つ多の すがすがしさ 天壌無窮の しはわせかみしめ

 櫻残る 山の緑に 映えながら はられた田水に 姿を映す

 薄紅と 黄色緑の 合唱に 我も我もと 八重の共演

 へたくそだなあ。 でも、和歌は毎日一首以上は詠めてゐます。問題は、讀書とブログと手紙です。

  さて、大化の改新と云ふ一大政治事件において、我が國のリーダーたちはどのやうな難局を乘り切ったのでせうか。
 今日から七十二候 穀雨 次候 「霜止出苗」です。「しもやみてなえいづる」と讀みます。

 暖かくなり、霜も降らなくなり、苗がすくすくと育つ頃です。田植ゑの準備が始まり、活氣にあふれてゐる農家の様子が連想できる言葉です。

 天照大御神が、孫の 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨するときに三つの云ひつけをしました。これが、敗戰前は、小學生でも知つてゐた、三大神勅です。
 息子の情報によると、習近平と金正恩は、仲が惡いのですが、金正恩は、江沢民とつながつてゐるさうです。 習近平が軍閥をかたっぱしから統合していったとき、7つある軍閥でたつたひとつ、満洲閥の 江沢民だけはつぶせませんでした。

 なので、江沢民が生きてゐるあいだは、金正恩は大丈夫です。逆に云ふと江沢民が死んだときに情勢は一氣に變はります。
 さて、葵の上に子供(光源氏の子)が生まれました。生霊になつて葵の上に憑りついた 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は不快なままです。

 今日は、真城君です。 OBで九大醫學部の山口先輩が指導に來てくださいました。

 テニス部にも山口君がいます。真城君はそれを「復興」と書いてゐます。

 お氣づきと思ひますが、みんなかしこいでしょ? 今、讀み返しても樂しくてしかたがありません。

 なんかなしとは博多辨で「なんとなく」です。
 今日は、シベリア抑留で亡くなつた、祖父の誕生日です。生きてゐれば、百二十三歳。なので、祖父の紹介をします。

祖父:寳德義一
①陸軍伍長
②生年月日    明治二十七年四月二十五日
③死沒年月日 昭和二十一年一月二十五日
④戰病死
⑤満洲國吉林省(きつりんしょう)延吉縣(えんきちけん)
⑤壊血病
⑥本籍地 福井縣丹生郡越前町玉川第三十九號二十一番地
⑦曽祖父 寳德寳四朗
 曾祖母  寳德つる
⑧第12791部隊本部



 これ三十歳ですって(笑)。貫禄ありすぎる。
 まあ、話はぐちゃぐちゃです。葵の上に憑りついてゐたのは、なんと六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)だつたのです。

 さて、そんなことはありあしたが、葵の上(光源氏の正妻)は、無事に出産しました。贈り物が次々持ち込まれ、三夜、五夜、七夜、九夜の祝宴もにぎにぎしく催されます。

 六条御息所は自分が生霊となつて葵の上に憑りついたことには氣づいてゐません。でも、魂が抜けてさまよつてゐるやうな感覺はあり惱んでゐました。

 出産のニュースを聞いて、「あらっ、命も危ないといふ話ぢやなかつたの」とうらめしい。

 氣がつくと衣裳には祈祷に用ひる香のにほひが滲みこみ、髪を洗つてもとれません。

 「ああ、やはり、生霊になつて葵の上の枕邊に行つたんだわ」 自分が厭わしくなります。こんなことが世間に知られたら大變なことになります。獨リ心の中に隱してゐるとますます氣が變になりさうです。

 さて、光源氏はどうでるか。
 我が國近現代史において、明治天皇が最高のリーダーであることは異論の餘地がありません。あの激動の時代、我が國存亡の危機を、シラスといふ我が國の國體を貫き通しながら、乘り切られました。

 あっ、そうだ。私たちが學校で、習つた、嘘をひとつ。

 「君臨すれども統治せず」ではなく「統治すれども支配せず」です。これの意味がわかつたら、我が國の國體のことが理解できるやうになります。追々、説明しますね。

 それと、もうひとつの嘘。政教分離といはれますが、これは、歐州のことばで我が國は關係ありません。 カトリック・教會主義があまりにもひどかつたので、カトリック教會主義から政治を奪はう(かつては、國は教會の下にあつた)としました。それには一度絶對主義を経る必要がありました。

 激しい戰ひの末、政治は教會から離れました。「政治」と「教會」を分離することが、政教分離です。

 靖國参拝がどうのこうのと言ってゐる發言のおかしさがわかりますね。

 あ~ん、明治天皇の御製(天皇の和歌)を書こうと思つたのに前置きが長くなつた~。

 今の政治家は和歌が詠めません。そんなもの必要ないと仰るでせうが、明治天皇は生涯で10万首以上の和歌を詠まれました。それがいかに大切か。

 そして、我が國が過去、どのように和歌とともに国造りをしてきたかをシリーズで解説しませう。

 まずは大化の改新。
 祖父の話が始まります。父はシベリア抑留で帰つてきませんでしたので、私たち姉弟妹は、逢つたことがありません。部屋に寫眞だけ飾つてありました。にらみつけられてゐるやうでとても怖かつたことを覺へてゐます。四十代半ばに見えた祖父の寫眞ですが、なんと三十歳の時のものなのですね。

 昔の男は、成熟していたのでせう。私たちはガキです。あ~あ、世の中が退化してゐます。
 なんであんなに純粋になれたのだらう? 取り戻したいなあ。

 今囘は、浅川くんが書いてくれてゐます。「飼鳥(かいちょう)ロプロス委員長」といふペンネームで。彼の記事は、かなり事前解説が必要ですね(笑)。

 ロプロスとは、我がテニス部で飼つてゐた、確か十姉妹です。

 森くんは、みんなから「馬」と呼ばれてゐましたので、森とびとは馬とびです。馬とびで、東公園の大回り(そとを周る)を2周もしてゐますね(笑)。ガキデカとは當時はやつた漫画のタイトルで主人公が「こまわり」でした。

 郷原さんは、私たちの一つ下、彼らと同期の女性マネジャーです。彼女は、私の同期と付き合つてゐたので、野又君がふられたことになつてゐます。郷原さんはお姉さんが、私たちの同期生です。

 世話係とは、福岡髙校では、学級委員のことです。

 浅川君は、カーレースが好きでした。時々、日誌にスーパーカーなんかの繪を描いてゐました。

 昭和五十一年です。
 あ~、調子惡いなあ。體調も少し惡くて、寢てゐました。リズムが惡いんだよな~。なんでだろう???

 いけないいけない。惱むときはたいてい自分の努力不足。他のせいにしないやうに。

 昼間寢ていたから目がさえてしまつて・・・。ブログを書きます。本を讀みます。

 20日から、二十四節氣(にじゅうしせっき) 穀雨(こくう)ですね。 地上にあるたくさんの穀物に、たつぷりと水分と榮養がためこまれ元氣に育つやうに天が惠の雨を降らしてくれる頃です。

 そして、七十二候(しちじゅうにこう)は、穀雨 初候 葭始生(あしはじめてしょうず)です。

 水辺の葭が芽吹き始め、山の植物、野の植物が緑一色に輝き始める頃です。葭は、最終的にすだれや屋根などに形を変え、人々の生活を手助けしてくれます。

「葭 写真」の画像検索結果
 今日から、時々和歌も。

望(もち)ぐたち 清き月夜(つくよ)に 我妹子(わぎもこ)に 見せむと思ひし やどの橘

 大伴家持です。家持が青年の時、後に妻となる坂上大嬢(さかのうえのいらつめ)に橘の花を贈る際に添えた歌です。

 満月の清き月夜にあなたに見せやうと思つた橘の花ですよ。

 ああ、いいなあ。情緒がある。若い時にかういふ口説き方をしたかった(笑)。

 さて、三島由紀夫の文學的遺書である「小説とは何か」を題材に正しい日本語の學習をしてゐます。
 光源氏の正妻 葵の上に憑りついてゐる、もののけの正體探しが始まります。

 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)も胸騒ぎを覺へます。ますます氣が滅入つてしまひます。

 光源氏が訪ねてきますが、そう簡單に氣はおさまりません。

 「つらい、にくい、苦しい、でも好き」

 なんせ、光源氏には子供が生まれるのです。もう訪ねてこないかもしれません。

 昨日まで、鴻雁北(こうがんかへる)でしたね。

 今日から、七十二候 清明 末候 虹始見です。「にじはじめてあらはる」と讀みます。

 春が深くなるにつれ、空気が潤ってくるので、この時期からきれいな虹を見ることができます。虹が虫偏なのは、空にかかる虹を大きな蛇と見たてたためとされています。
 父に子供のころの振り返りの續きです。今日、出てくる中學校とは、𦾔(旧)制中學です。

 このころ、𦾔生中學に行く生徒は、全体の3割もいなかつたさうです。

 父は頭がいいといふか、努力家です。一度決めたらやり抜くすごさがあります。今も(九十歳)、英單語を一日十個暗記してゐるさうです。入院をしたら、「退院をしたらすぐに歩く」と寢ていても、腿上げを100囘ぐらいしてゐます。

 旅順工科大學に行きたかつたと聞いてゐます。戰爭でその夢も遂げられませんでしたが(志願兵)。

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