六十にもなってまだ自分を振り返っている愚か者です。今回の入院は、こんなに点滴があると思わなかったので動けず思うように仕事ができませんでした。(点滴をしながら仕事をしていたら、点滴がうまく落ちないので、看護婦さんにバリ怒られました。「点滴が落ちなくて時間がかかるからおとなしく寝ててよ!」って。あの忙しい看護婦さんたちの仕事の時間を奪ってしまいました)。本は読めましたが。

 時間があったのでいろいろ考えることが出来ました。

 致知を読んでいたら久しぶりに安岡正篤先生のお言葉に触れました。やはり、いつも律しなければなりませんね。

「命は吾より作す(めいはわれよりなす)」

 今日から、七十二候 芒種 末候 梅子黄です。「うめのみきばむ」と読みます。

 梅雨入りですね。梅の実が店頭に薄黄色に色づいた梅の実が並んでいます。梅の実が熟す頃の雨という意味です。黴(かび)が生えやすい季節なので「黴雨(ばいう)」と書くこともありました。

 そして、今日、六月十六日は、歴史上とても意味のある日なんです。今日は、和菓子の日なんです。
国を支えて国を頼らず
 我が母校 慶應義塾大学創始者 福澤諭吉先生のお言葉です。最近の塾生・塾員(卒業生)は、義塾とかかわっても学問のすすめも福翁自伝も読みません。この言葉を知らない塾生・塾員も多いのでは?理念なき学問です。

 国会で、またアホな議論をしています。国家をどう導くかではなくどうでもいいことを。月5万円の話です。麻生さんの年金を聞いていましたが、おそらく麻生さんの年収だと年金はほとんどありません。麻生さんに貧乏人になれと言うのか。かつてサッチャーが言いました。「金持ちを貧乏人にしても貧乏人は金持ちにならない」。今の私たち日本人には明治維新をする力はありません。ということは、私たちがあの時代にいたら我が国はどこかよその国に征服されていました。ああ今、されているか。十四歳の女の子が攫われても助ける気もない国に。


 昨日、手術終わりました。11時15分手術開始の予定でしたが、12時5分から。点滴棒を引きずりながら手術室へ。全身麻酔なので、何時に手術が終わったか私にはわかりません。私が麻酔から覚めて(14時15分)落ち着くのを待ってからベッドで病室へ。術後処置をして(終了14時45分)、点滴を増やして17時45分まで安静。昨日は、朝ごはんも昼ごはんもなし、水分は0時からなし。腹が減ってしかたがありませんでした。17時45分に看護婦さん立会いのもと歩行確認。ご飯。点滴があるのでパソコンができず。昨日の0100から今日の0600まで天敵が外れるので急いでブログ報告です。

 1800抗生物質点滴。その後看護婦さんのケアが定期的にあり、2400最終点滴 0100点滴外し。目がさえて眠れなかったので0200まで読書。という一日でした。

 家族はもう、手術慣れ(笑)。かみさんが1530ぐらいに来てくれてすぐに帰りました。

 以上、手術報告です。たくさんの方からの温かいお言葉を感謝します。退院は17時午前中の予定ですが、18日午前中になるかもしれません(早く抜歯&入れ歯調整をしたいので)。 をはり
 当初、14日~16日の入院のはずが、次には13日~16日になり、次は12日~16日になり、また13日~16日になり、最後に13日~17日に。スケジュールが立ちません( ;∀;)。まあいいか。
 平成二十九年十一月六日に福井県小浜市で歩いていたら時速70キロの車に跳ね飛ばされました。奇跡的に命を取り留めましたが、顔がバキバキの割れて、顎が二つともはずれて、歯が十二本飛びました。警察の現場検証でも「よく命がありましたね」と言われるし、脳神経外科では「これだけの事故で脳挫傷も脳内出血もないのはありえない」と。

 その最期の手術が十四日にあります。明日は、朝、ある方と商談をして、その後、入院準備。十三日から入院。十四日手術。十六日退院予定です。昨年夏に腰骨を歯茎に移植したときに骨を固めるために埋め込んだプレートの除去手術なので大したことはありません。
 
 ゆっくりしてきます。また報告しますね。


 入院中に讀もっと。歴史は海から変わる。

 あと、仕事の本四冊。を三回。
 昨日から七十二候 芒種 次候 「腐草爲蛍」です。「くされたくさほたるとなる」と読みます。

 以前にも書きましたが、小学校三年生二学期から五年生まるまる、父の仕事の都合で 静岡県駿東郡裾野町に住みました(現裾野市)。それはそれは美しい自然にあふれ、富士山なんかは毎日見放題(笑)。 川の水はすべて富士山の湧水。遠足に水筒を持って行ったことがありません。そこいら中に湧水があふれ出ているのです。やまめやうぐいなんかもよく捕りに行きました。やまいちご、うべ、あわび・・・。栗拾いも行ったなあ。
 
 水がきれいなので、蛍がもう、なんというか表現できないぐらい歩くと踏んでしまうのではないかと思うぐらいでした。

 またみたいなあ。
 女系天皇は絶対のダメです。これを言う人たちは、我が国が、なぜ、世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国だということがまるでわかっていません。女性天皇? いんですがでは、愛子さまに「一生結婚しないでね」というのですか?

 女性蔑視という人がいます。とんでもない、皇室は男性排除なのです。女性はどなたでも皇室の一員になれますが男性は絶対になれません。

 今日の産經新聞①

 賛成ですが、そんなに対象者がいるのかなあと思っていました。すると、同じく産經新聞②
 私には、甥一人(三十九歳)、姪一人(三十二歳)がいます。二人とも姉の子供です。甥が生れたときは私は大学二年生。姪が生れた時は、もう社会人になっていました。もう、かわいくてかわいくて。遊びに来たときは、ずっと遊んでいました。今でもかわいくて仕方がありません。姪は東京で働いています。

 甥は、今、古賀市長をやっています。ひいき目を外しても大した政治家です。彼が、シティ情報ふくおか という雑誌に掲載されました。叔父バカをお許しください。

 今は、二十四節気 芒種 七十二候 蟷螂生です。「かまきりしょうず」と読みます。

 秋に産み付けられた蟷螂の卵がかえるころです。かまきりは農作物には手を付けず害虫を捕まえます。ありがたい。でも、私は、この世で一番苦手なのがかまきりです。小さい頃、何かの拍子にかまきりが肩に乗りました。なんだろうとみたときにかまきりと目があいました涙。こわかった‥‥。それ以来・・・・。まあ、いいや(笑)。

 二十四節気(にじゅうしせっき)は半月毎の季節の変化を示していますが、これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候(しちじゅうにこう)です。二十四節気が古代のものがそのまま使われているのに対し、七十二候は何度も変更されてきました。

 日本でも、江戸時代に入って日本の気候風土に合うように改定され、「本朝七十二候」が作られました。現在主に使われているのは、明治時代に改訂された「略本暦」のものです。
 
 ちなみに「気候」ということばは、この「節気」と「候」からできています。
 私達の子供のころというか、高校ぐらいまでは、世界一流のスポーツをTVで観ることはあまりありませんでした。私がやっていたテニスでも、せいぜい、デビスカップで他国の選手が来た時ぐらい。それも、日本はテニスが弱かったのでデビスカップアジア予選で負けますので、一流どころといえば、オーストラリア(当時はテニス王国 ロッド・レーバー、ケン・ローズウォール、ジョン・ニューカム。女子ではグーラゴング)が来日してきた時ぐらいです。高校時代に初めて、アメリカのジミーコナーズとオーストラリアのジョン・ニューカムのアメリカでのウィナーズ・テイク・オール(勝者が賞金の全てを獲得する)の試合を観たときは驚きました。「自分たちのやっているのはテニスではない」と。小さい時から一流に触れないと決して一流選手にはなれません。一時は本気でプロになろうと思っていた(バカですね:当時の福岡の片田舎では無理です:(笑))私は無残にも夢を打ち砕かれました(かえってよかった)。

 サッカーもそうです。当時日本は目も当てられないぐらい弱かった。メキシコオリンピック(昭和四十三年)のときは銅メダル。ウイング杉山がサイドを駆け巡りセンターリング、それを、センターフォワード釜本がシュートして得点。ワクワクしながら観たものです。でも、その後の長期低迷。