昨日の大坂地震はすごかったですね。ほとんど災害が起こらない大阪なので、みんな慣れていません。私は、8時難波發 名古屋行近鉄特急の出發を待ってゐました。津に向かうためです。

 電車がとても揺れました。最初は「なんと、下手な運転手だ」と思ひましたが、長く続くので、「あっ、これは地震だ」と思ひました。 しばらくすると地上への避難命令(近鉄難波駅は地下にあります)。

 地上に出ても、御堂筋線等地下鉄、在来線がすべてストップ。新大阪駅に回って名古屋経由で津に行こうかと思っても、タクシーは拾えないし、新幹線もストップ。移動もできません。
 今日のこの内容を理解していただくためには、漢の高祖劉邦のエピソードを知る必要があります。劉邦が天下を統一したあと、論功行賞が問題になりま した。劉邦は、蕭荷(しょうか)を最大の功労者とします。蕭荷は、戦争には出ず、武器食料などを、送り続け、常に漢軍を飢えさせることはありませんでし た。項羽には、こういう人材がいませんでした。常に勝ち続けた項羽が最終的に負けたのは、兵站の差であったといってもよいのです。

 劉邦のこの決断にとうぜん、戦場で命を はった将軍たちがいちゃもんをつけます。でも、劉邦は「狩りをするとき、獲物を追ってしとめるのは犬だが、その犬の綱を解いて指図するのは人だろうが。お まえたちは、逃げ回る獲物を仕留めたにすぎない。その手柄は犬の手柄だ。そこへいくと蕭荷は、お前たちの綱を解いて指示をしたのだ。つまり人間の手柄 だ。」といって説き伏せました。その劉邦の話が今回出てきます。

 タイトルは「賞、その親(しん)に私せず」です(20090601)。

 名前は覺へなくてよいのですが、どうしても紹介したい女性がゐます。「源典侍(げんのないし)」です。人柄もよく、才氣もあり、出自もよいのですが、とても好色なんです。十分に年を取つてゐるのに、その氣は衰えません(20170113)。

 光源氏は、好奇心をそそれら、冗談半分に誘いかけてみました。すると、典侍は、その氣になるではありませんか。
 カウンセリングには三段階がありました(20110117)。

①リレーションをつくる
②問題の核心をつかむ
③適切な処置をする

 リレーションを作るために「受容と支持」が必要でした。問題の核心をつかむために「繰り返し」「明確化」「質問」を勉強しました。適切な処理をするために、情報提供とアドバイスがありました。これがカウンセリング体系です。  最終章の「面接技法上のその他の問題」を解説しています。簡便法を実施するためのリレーションの形成の続きです。
 中国古代、戦国時代の人々の、絶妙な生きる力を書いた「戦国策」を紹介しています(20100531)。

 今日は有名なことわざ、「まず隗(かい)より始めよ」です。
 氣持ちいい~、書類も伝票も片付いた!!! さあ、つづきつづき。絶對に休憩しないこと。絶對に本を讀まないこと。

 さあ、親父の手紙です。親父のサラリーマン時代の定年の話です。これからしばらく生々しい企業現場の話がとても面白いですよ。
 連續して違う仕事を次々とこなすのはリズムづくりが大切。かういふブログを書いたり、伝票整理などの簡単な作業をしたり。一度休憩すると再開するのが大變。休憩するならブログを書いてゐるはうがいい。あと、私の場合讀書が危險です。ずつと讀んでしまひます。特に今、讀みたい本が棚から叫んでゐます。何冊も。「なんで、讀んでくれへんねん」と。
 
 小學校六年生の時の担任は、親戚の叔父さんさんでした(母の妹の旦那)。この人はバリバリの左翼だったので、(親戚なので嫌いではないけれど)あまり、私自身がなついてゐませんでした。それにやりにくくてしかたがありません。「なんで親戚が担任なんだ」とずっと思つてゐました。きっとそんな態度が日々出ていたのでせうね。

 立派な方でした。生徒を家に集めて習字を教へたりしてゐましたから。

 最後の思ひ出は苦いものです。(書道が得意な)先生が「色紙に好きな言葉をかいてあげるから云ひなさい」とクラス全員に云ひました。私は「勝利」と書きました。

 すると、渡された色紙の文字が「敬愛」になつてゐました。今なら、「敬愛」の本當の意味を知ってゐますが、當時は、先生も知らなかったのでは(笑)?とても意味のある言葉なのでいずれこのブログで解説します。

 話を戻して。なんだっていいんです。別に色紙が欲しいわけでもないのですから。だけど、かういふのを設計主義と云ひます。相手の望みをかなへると云ひながら、自分の答えで對應する。

 親戚なので云ひませんでしたが、顔には出たでせうね~~(笑)。私だったらかういふ生徒には二枚書いて渡します。

 シリーズでこのブログに「カウンセリングの技法」を書いてゐます。「相手の 氣持ち と 行動の變容」がカウンセリングです。このやり方では子供の變容はあり得ません。

 教師が習得するマニュアルの中に「カウンセリング」はないのだらうか?

 あま、先生、特に當時の日教組バリバリ教師に私が好かれるはずもありませんね(笑)。内申書が惡くなるはずだ。

 では、偉そうな日誌を。
 この記事から明日のルーティンです。今日は種類の違う仕事がたくさんあります。また、事務処理や補助金の支給申請などもやります。クライアントのDDと計画づくりも。なので、仕事のリズムを變へるときや頭を休めたいときに不定期にブログを書きます。

 長井君です。彼は確か途中で辞めたんですよね。やはり、進學校で顧問も(いるにはいるが)、監督もコーチもいないといふのは、私たちに大きな負荷がかかつてゐました。これでマネジャーもいなかつたら部活は成り立たなかったでせう。
 
 それに加へて、私がインターハイに行くなどといふわがままを言ひだしたのです。リーダーが目標を示すのは組織として當たりまえなのですが、進學校のテニス部でそんなことを望んで入ってくる生徒が何人ゐるでせうか?しかし、リーダーは、一度示した目標は、いかなる状況でもやらねばなりません。しんどかつたなあ。でも、やつてよかつた。

 わが校でシングルスの決勝が行はれました。大會當日、中垣君の足がつったからです。はつきりもうしあげてこれはつらかった。私は大會當日に合はせてすべてのコンディションをピークに整えたからです。ピークの後は下降になります。實際、調子は惡かつた。でも、そんなことを言っていられません。

 試合後の練習で1周400メートルの運動場大回り5周を8分で走れと命じてゐます。2キロ8分。當時の私達にとっては樂勝です。
 今日は、仕事がいっぱい。さて、ブログは打ち止めにして仕事をします。

 鹿児島県出水市といふところは本當に食いものがうまい。蕎麦うまい。


 遇祥庵に連れて行っていただきました。

 少し面白いので整理しておきますね。

禺:大頭神異のもの まあ、何か神聖なものだと思つてください。
隅:神異の住む四晦(しかい)の地
嵎:そのやうな神怪の居る山嵎(さんぐう)
遇:神怪に遭遇すること
偶:そのやうな形の人かた

祥:めでたいこと 喜ばしいこと 吉事の前兆 ネへんは、神様に禱りをささげる時の臺です。羊はお供物。禱りを捧げてゐる状態の字です。

 つまり、この店は、神秘的なことに遭遇する喜びがある目出度い店といふことです。オーナーの教養が感じられます。
 今日は「諍臣(そうしん)は必ずその漸を諌む」です。諫議大夫とは、皇帝のそばにいて、諫言を呈する役割の人です。舜も禹も古代の理想の王です(20090525)。
 どこまで書いたつけ・・・? さうだ。藤壺が光源氏の子供を産んだところからでしたね。帝に寵愛される藤壺とその子供に、宮中の嫉妬の嵐が吹き荒れます(20180104)。

 負けてゐられるかと、藤壺は、氣強くなつて、産後の肥立ちもまずまず。元氣も囘復してきました。
 カウンセリングには三段階がありました(20110115)。

①リレーションをつくる
②問題の核心をつかむ
③適切な処置をする  リレーションを作るために「受容と支持」が必要でした。問題の核心をつかむために「繰り返し」「明確化」「質問」を勉強しました。適切な処理をするために、情報提供とアドバイスがありました。これがカウンセリング体系です。  さて、いよいよ最終章です。「面接技法上のその他の問題」です。今日は簡便法です。
 中国古代、戦国時代の人と人とのやりとりや駆け引きが書かれた「戦国策」をシリーズで掲載しています(20100527)。

 今は、燕の国です。今日のテーマは「漁夫の利」です。高校時代に勉強しましたね。

 先日、息子から、「お父さん、事務所の本棚には戦国策はある?」と聞かれました。国語の本に出てきたので、どんなものかみたいということでした。へー。
 父からの手紙です。新しい手紙が今日からスタート。今囘書かれてゐることには私も大賛成です。これを多くの日本人に云ふと、「そんなこと習ってゐない」「さういふ教育を受けていない」と恐ろしい言葉を吐きます。自分の日本人としての自覺の欠如ですね。まさに敗戰後の腐った「恐育」の賜物です。

 斷つておきますが私は子供の頃親からこんなことは教えられてゐません。日本人として當たりまえの話です。

日の丸の赤いところに字を書くな!!
 この日誌を書いてゐると、子供の頃のことがいろいろと思い出されてきます(笑)。

 私はどうやら昔から先生への反発がかなりあったやうですね。でも、ただ反発したわけではないですよ。「どう考へてもそれはおかしいだろう」といふときだけです。普段は品行方正な模範生(笑:自分で云ふな。違ふと思ふ)だつたのですよ。

 小學校三年生の時です。給食の脱脂粉乳が牛乳に變はることになりました。脱脂粉乳なんて飲めたものではありません。脱脂粉乳だけではなく、昔の給食はあれは人間が食べるものではありませんでした。