2025年2月アーカイブ

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 昔はこの人のことが大嫌いでした。「なしてごげんつやばつけんと生きられんとや(なんでこんなに格好つけんと生きられれないのかという博多弁)」と、思っていました。

  まあ、私があまりテレビを見ていなかったからとGACKTのことをよく知らなかったと思うのですが、最近、かみさんと一緒にご飯の時とか、仕事の合間のTVを観るようになって、「こいつは面白い(ファンの方失礼)」と思うようになったというか、かなりいいやつです。絶対に近くにいたら親友になる。GACKTは喧嘩の仕方を知っていますね。

 彼はXで、トランプが好きとか嫌いとかではなく、こういう人間が日本にいなくて大丈夫かという主旨を述べています。この発言大好き。日本がこのまま「喧嘩をしてはいけません」という「暴力と喧嘩の違い」もわからないようではたとえば「支那の暴力に」耐えらない人間ばかり出てきます。「いいほ人」だけど「弱い人」だらけになります。

 喧嘩とは「大切な価値観、大切なこと、大切な人」を守るためにやります。でも、暴力は「支那のようにただ相手を傷つける」ためにやります。ここがわからないと国創りはできない。

 耳に心地よい言葉は常に不正解です。市川房枝という人が、「買春防止法」を作りました。不幸にもそういうことでしか飯が高えない人が、地下買春に潜ってしまいました。地下から悲劇が生まれました。日本人というのは昔から本音と建前を使い分けるのが上手なんです。吉原では、そこに入った女性に和歌、習字、そろばんなどの教養を身に付けさせました。24歳ぐらいで吉原を出られたときに恥をかかないように。地下の人間が女性にそんなことを教えますか? 支那なんかは娼婦が逃げないように娼婦の目を針で潰します。

 男はそこで女を知りました。心も身体も。今では、女の心も身体も知らない男性がうろうろして犯罪を犯します。

 吉原がいいとか悪いとかではなく、これだけ本音と建前を使うことが巧かった国民が、たった一人の心無い人間の発案で世の中全体がおかしくなりました。子供の頃、TVで生理用品のCMがあったら恥ずかしくて観られなかったけと、興味はありました。今では家族で平気で観ています。

 私は新聞配達をしていたとき、飲み屋のお姉ちゃんのアパートにも新聞を配っていました。夜遅く帰ってきた彼女たちは帰ってきたら洗濯をします。その洗濯物がドアの外にたくさんかけてありました。恥ずかしくて下を向きながら、新聞を配っていましたが、興味はありました。

 でも、悪いことはしませんでした。今は、信じられないような犯罪が横行しています。

 GACKTのように本音が言える人間は素敵だなあ。その本音を言った時に彼は明るくてみんなを笑わせます。

 まだ会ったことがないけど、コイツ好きだなあ笑。
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  この前トランプが考えているであろう戦略を書きました。

 米国の1番の敵は支那共産党です。

 戦争というのはそれまで強かった国がいきなり弱くなります。あれだけ強かった大日本帝国がそうです。逆に、今まで弱かった国がいきなり強くなります(これは多分に外交力)。なので、孫子の兵法は言います。できることなら戦うなと。それも国と軍と民が一体にならないと戦争してはダメだと。つまり、戦争はしていけないのではなくやってはいけないんです(まけるんなら)。

 では、どうすればいいの? 孫氏はそれを「兵は詭道なり」。「戦いは騙し合いである」です。

  トランプはそれを知っていますね。習近平も知っている。習近平はこちらの意思を明確にするために報復関税にするといっていますが、支那人というのは自分に都合が悪ければ決して戦いません。

 トランプも今、支共産党と戦うと国力が弱まることを知っています。だから「アメリカを再び強くする」というコンセプトを掲げていろんなことに着手しています。「コンセプチュアルスキル」なんていいう言葉も知らないメディアは愚かなものです。もちろん政治家も官僚も同じ。今の日本では、経営者も同じ。

 ロシアには今、支那共産党の経済が半分以上入っています。このまま行くとロシアは支那の属国になってしまいます。それで一番困るのは誰か? ロシアではありません。アメリカなんです。ロシアの原油・金・ガスが支那のものになったらアメリカといえど敵わなくなりますし、支那がロシアにやろうとしていることは、共産主義お得意の他人のものを奪うだけです。今回の場合は、ロシアそのものを奪おうとしています。

 ゼレンスキーにはかわいそうですが、今、トランプがウクライナを中心に和平に傾けば、一番得をするのは習近平です。支那が困るのは、ロシアにアメリカを入り込ませることです。だからゼレンスキーは騙されたふりをして外交にあたればいい。レアメタルを武器にして。このままでいけばウクライナのレアメタルまで支那共産党に奪われてしまいます。プーチンに近づくのはまさにトランプの「兵は詭道なり」です。

 バイデンは、ロシアを非難するばかりで戦力の逐次投入ばかりしました。それがロシアが優位に立った原因であり、習近平は「よしよしバイデン」と思いました。米民主党には支那から大量の金も流れていることですし。

 イスラエル問題? これはイスラエル問題ではなく、イランとアメリカの問題です。この両国の金がハマスに流れています。アメリカは前のトランプが大統領の時に資金を出すのを辞めたのですが、バイデンになってまた復活しました。ハマスはそれを武器にイスラエルを攻めています。イスラエルとしたらやってらないですよね。メディアはそれを知っているかしらないか、それでもイスラエルを非難します。

 なにが正義なんだかわかりませんが、そんなにトランプが責めらないといけないの? コンセプチュアルスキルという素晴らしい能力を発揮しているだけなのに。
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 今日の讀賣新聞朝刊のトップ記事を見ると「どの本よりわかりやすい」ではなく「どの本より怖い」になってしまいますね。「AI悪用回線1,000件で契約-ID・パスワード20億件入力-」の記事タイトルです。それも中高生三人が。それもそれもチャットGPTを使って。SNSで購入した20億件超の情報を元にログインを試み、入手した回線を転売して。

 楽天モバイルは、一つの楽天IDで最大15回線まで契約が可能で、中高校異性たちは、不正ログインで複数回数を契約していた見込みです。

 新聞記事にはこれ以上書いていないのですが、この前ご紹介したクリニックの件と言い(あれはランサムウェアですね)、便利の裏返しのリスクが日々乱用されています。

 新しい技術を開発しそれを習得する必要はありますが、もっと人間性を磨くことを同時に教えた方がいい。「誰のために何のために」という人間の行動が「自分のために自分のために」という日本人らしくないなってしまっては、本末転倒です。はたらくとは、労働ではなく「周(はた)を楽にする」ことが日本人なのではないでしょうか。

 欧米や支那やロシアの支配体系は「奪い合って足りなくした国」です。日本だけが「分あって余らせた国」だったのに。情けないですね。
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  私は今、兵庫県西宮市鳴尾町に住んでいます。西隣(というかほとんど同じ地区)が甲子園です。甲子園球場があるところです。東が武庫川です。武庫川女子大学があるところです。この武庫川女子大学というのは経営者がすごいですね。二十年前はポツンとある学校だったのですが、今やあたり一面、あっちも武庫川女子大、こっちも武庫川女子大です。武庫川女子大学の隣に文字通り武庫川があります。どうも「兵」庫県とか「武庫」川というのは昔、武器庫だったみたいです。詳しく調べたことはないのですが、イザナギノミコトは淡路島を産みます。なので、「国の始まり淡路島」と言います。古代の人はとても国防を重視していました。今の日本の軟弱国民と違います。

 支那大陸の情勢変化は古代、まさに国の趨勢を左右する出来事でした。その時、支那が瀬戸内海を超えてきた時に、淡路島は国防の重要性をになっていました。いまでも、淡路島にはその名残がたくさんあります。なので兵庫県に武器を集めておく必要が国家安全保障上大切だった私は勝手に思っています。一度、きちんと調べてみますね。

 今の西宮の仮想敵はもしかしたら尼崎かもしれません笑。西宮出身の後輩がかつて言ったことを思い出します。「宝徳さん、もし武庫川がなかったら西宮は絶対に尼崎に征服されています」笑。冗談はさておき、その尼崎に尼崎信用金庫があります。ちょこちょこ出し入するのに立地上便利なので、年金が入金される口座を近くの尼崎信用金庫に移しました。

 手続きをして家に帰ってくると「尼信」から電話がありました。「あれっ、手続きが不備だったのかな?」と思ったのですが、「年金口座を作ってくださった方に渡す景品を忘れていました」というで次の日朝一番に取りに行くことにしました。すると。
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 実際には周到な準備が必要でしたから着手したのはもっと前ですが、出光興産株式会社が虎の子(このタンカーを拿捕されたら出光興産株式会社は潰れていた)の日章丸をイランに派遣したのは昭和二十八年(1953年)三月です。イランの石油を国有化しようとしたモサデク首相と英国の石油会社アングロイラニアンの関係は最悪になっていました。英国は世界各国にイランの石油を輸入するなと圧力をかけました。現にイタリアのタンカーはイランの石油を輸入しようとしてイギリス軍艦に拿捕されています。

 どの国もイランからの輸入には二の足を踏みました。この話はすんなりと言ったわけではなく出光計助専務と手嶋常務は何度もイランに足を運びます。ようやく目処がついたのですが、今度は国内の金融機関がL/C(信用状:Letter of  Credit この会社は安全ですという金融機関のお墨付き)を出しません(英国との関係悪化を懸念する政府に遠慮して)。これがないと相手先から信用されないので輸入ができません。ただ一行だけが信用状を出してくれました。
東海銀行
です(今は三和銀行と合併した後に三菱UFJ銀行ご合併している)。おおらかな雰囲気の良い銀行でした。この信用状がきっかけとなり、金融機関お再編成が行われるまでは東海銀行は出光興産株式会社のメインバンクでした。

 最初は日章丸はロサンジェルスで石油を積む計画でした。途中で、日章丸の新田船長が、「今から出光佐三店主からの手紙を読み上げる。『アバダン(イランの石油積み出し港)に迎え』」。新田船長は乗組員全員に伝えます。「我が艦は只今よりアバダンに向かう!」すると船内の乗組員全員から大きな声が上がりました。「日本万歳!」「出光万歳!」と何度も何度も。

 同年五月に日章丸はイランの石油を積んで川崎港に入港します。石油を日章丸に積んだままにしておくと仮処分申請を出され裁判が終わるまでせっかく積んできた石油が使えなくなる恐れがあります。出光興産は自社の川崎油槽所に荷揚げします。その時、メディアに囲まれた出光佐三店主は言いいました。

我俯仰天地に愧じず(われふぎょうてんちにはじず)

(天地に誓ってなにもはづかしいことはしていない)

 そして出光興産株式会社とアングロイラニアン(以下、AI)は裁判となります。出光側の弁護士は柳井弁護士です。

 日章丸が石油を積んで帰路に着いた時、日章丸側からは出光本社に電文が打てません。発信位置がばれて英国の軍艦に拿捕される恐れがあるからです。メディアは騒ぎました。
日章丸は何処(いづ)こ

 なので、出光本社から暗号電文を打ちました。

 この暗号電文をう打ちづつけたのが、私の母なのです。当時、二十歳です。タイプライターができたので選ばれたのでしょう。余談になりますが、このタイプ技術を誰かに伝えようとしていた母は、私が中学生の時に貧しいながらタイプライターを買ってくれて私に教えてくれました。なので、いまでも私はパソコンでブラインドタッチができます(まずキーとなる「F」の位置確認して繰り返しFだけを左手の人差し指でFを覚えるまで打ちます)。

 窓もない四畳半ぐらいの部屋に閉じ込められて、家にも帰されずにひたすらわけのわからない暗号電文を打ち続けました。寝ずの仕事だったので、一週間後に母は倒れました。たいしたものです当時の出光興産株式会社は、二十歳の女の子を一週間拉致できる魅力があったのです。今だったらメディアも本人の家族も大騒ぎですね。「健、あのね。その時ご飯に天丼をとってくれるの。あの味は忘れられなかったわ」と言っていました(私が出光興産に内定した時も「よかったね〜。残業したら天丼が食べられるよ」と言っていました。よほど美味しかったのですね笑)。そして、日章丸事件に自分が関われたことを誇りに思っていました。昔の日本人はすごいですね。女性で一人だけ日章丸にあげてもらって新田船長に会わせてもらったそうです。これが働きがい改革です。

 裁判で負けそうになったAIは、時間稼ぎをするために「弊社のタイピストが休暇中なのでしばらく休廷にしてほしい」と裁判長に訴えます。柳井弁護士が答えます「我が方に優秀なタイピストがいる。彼女なら一日でしあげますよ。お貸ししましょうか?」 休廷は取り下げられました。その出光側のタイピストは母です。

  敗戦に打ちひしがれていた国民は歓喜します。母が亡くなる直前にその当時国民から本社に送られてきた手紙やファックスを店主室という部署に頼んで、全部コピーして入院している母の元に持っていきました。「ありがとう」といつも通り満面の笑みをたたえながら「私の一生は無駄でななかったのね。国のためになったのね」と言って・・・。亡くなっていきました。母の葬儀には、大和さんという出光の中ではかなりトップの方が参列くださいました。私は母のことを会社に言ってなかったので葬儀に来てくださった私の上司たちは「なんで宝徳のお母さんの葬儀に大和さんが来るんだ」とびっくりしていました。

 母は、大親友だった祖父(璋二)が出光計助さんに頼んで出光興産に入社しました。今は派遣ばかりになっていますが、当時から私が出光興産を辞めるぐらいまで、そうでしたが、女子社員は縁故が多かったのです。その方が雇う方も安心です。私のかみさんもお義父さんが出光興産の社員でした。

 女子社員が辞める時、(そうではなくても)結婚退職と言えば自己都合退職ではなく会社都合退職になります。退職金が1.5倍になります。保険も出光保険サービスの保険にOB(OG)として入ることができます。中には「そんなの悪いです。本当は結婚するのではないのに」という女子社員もいますが、その時には、おそらく担当課長がだまって「結婚退職」に◯をつけているはずです。今は知らないけど。私はそうしていました。会社側もそのことに対して「当たり前」という感じでした。

 また前置きが長くなった😭。今日の手紙は新婚ほやほやの父母が洋子姉ちゃんにあてた手紙です。葉書です。昭和三十一年(1956年)三月五日 午後の六通めです。葉書は五円です。この年の十二月に姉が生まれます。姉だけは病院で出産でした笑。叔母(洋子)は十二歳です。
 今、マッチングアプリというのが流行っているそうです。それにInstagramやfacebookの「いいね」ボタンがあります。また昭和世代と言われるかもしれませんが、人と人とは、そんなにすぐに人と人との関係をよく知らない人と結ぶことができるものなのでしょうか?

 コツコツコツコツその人との関係を積み上げて積み上げてようやく信頼が築けてやっとできるのが人間関係でではないのでしょうか? それも複数の人間を含めた大勢の人とそんな簡単い関係を築けるのが令和の時代なのでしょうか? いくらITが発達してもそんなことまで実現するのでしょうか? 私にはわからないし、むしろ、リスクが増えていくばかりなのではないでしょうか? 特に、プロファイリングやサイバーセキュリティの観点からすると自分がリスクにさらされていることが多くなるのではないでしょうか?

  最近、梅毒患者が急激に増えているという記事をみました。これもSNS等で安易に人間関係を築いたことが原因になっているのではないでしょうか?

 人間関係が今よりも希薄な時代は、お見合いが男女が出逢う最大のチャンスでした。でも、相手を知らないので最初は「この人で大丈夫なのだろうか?」から始まります。

 長所を見るより、短所を見ることから始まります。よしんばそれでお見合いが終わって相手と結ばれたとしてもその「短所を見る」ことは変わらないでしょう。そして、長い長い年月をかけて少しずつ少しずつコツコツコツコツとその人との関係を積み上げて次は「ああ、こういう良いところもあるんだ」と感じ始めます。ようやく長所を「魅る」ところまできます。

 恋愛は、最初「長所」から見ます。結婚したらだんだんだんだん相手の短所が見えてきます。そしてそれが本当に気に入らなったら離婚します。

 私の父母は、父が大親友の母の兄と兄弟になりたくて伯父の妹とである母を見初めました。母はその縁談話がいやでいやで、父から祖父母に話(主に手紙)があるたびに「断って!」と強く言っていたそうです。なので、二人の結婚前は父と祖父母との手紙のやり取りが多く、父と母は手紙のやりとりなんてしていませんでした。そうです。祖父母が先に父を気に入りました。叔母(洋子)がとっていた手紙の中にたくさん父と祖父母がやりとりした手紙が何通もあります。

 結局結婚したのですが、それから二人は積み重ねていきます。父が病気なり収入がなくなっても母が懸命に父の母(祖母)と父の弟、私たち兄弟三人を抱えながら内職をして家を支えました。晩年母が重い病気を長期に渡り患っても、父は母を支えました。二人の関係は盤石のものだったと息子の私は思います。母のお通夜で父が私に言いました「健、なんの欠点もないお母さんだったな」と。

 今、事業において黒字なのに後継者がいないところ(60万社ある)のスモールM&Aを中小企業庁が必死になって推進しようとしています。
 この記事を書き終えると、1万ブログまであと113通です(ごめんさい。私が計算し間違えていました)。

 今、Tverで山田洋次監督と石井ふく子プロデューサーのドラマをやっています。どれもなんというか、人間というより日本人本来が持っていた(持っていると言いたいが)人間の美しさが醸し出されています。日本人っていいですね。その中で、「金子みすずさん」の一生が描かれた「明るい方へ明るい方へ」というドラマがあります。一生というか二十六歳で亡くなっています。いとこだと思っていた好きな人が弟でした。その人への思いを断ち切るために他の人と結婚します。こいつがとんでもない男で、他の女と浮気したばかりではなく、病気をもらってその病気をみすずさんにうつしてしまいます。子供に感染しないようにみすずさんは必死です。離婚した男に親権を奪われそうになります。みすずさんは、自分の命を以てその男に子供が奪われるのを阻止します。みすずさんは命を開けた女の戦いに勝ち子供を守りました。自分亡きあとの子供の育成をおお母さんに任せます。松たか子さんが素晴らしい演技です。他のキャスターもすごい。

 みすずさんは、櫻餅が大好きで、自殺する前の日に、子供と一緒に櫻餅を食べて、「この子が櫻餅を将来食べたとき、私を思い出してくれたらいいなあ」と言います。お母さんはそれを覚えていてその子を育るとき、毎年、みすずさんの命日の前の日の三月九日の日には櫻餅を食べさせました。子供はもう母が自殺したことは知っていたのですが、その祖母の愛情を受け留めしっかりと生きました。みすずさんは自殺する前に好きだった弟に自分の詩集と手紙を送ります。受けっとった弟は東京にいたのですが、郷里山口に飛んで帰ります。そして、みすずさんの死を・・・。私は今日、おいしい櫻餅を買いに行きます。そして、これからは三月九日に櫻餅を食べてみすずさんを偲びます。

 金子みすずさんの詩は昔から大好きです。たくさんたくさんの詩をを拝見しています。


 TVドラマもこのレベルになると・・・。あかん、私、こういうのを観ると・・・。山田監督、石井プロデューサーこんな作品を「遺して」くれて感謝します。今の漫画を真似ばかりしているプロデューサーのドラマと全くレベルが違います。
生き様を みすずが遺した その詩(うた)は みんなちがって みんないい詩(うた)
 ブログ記事1万まであと154通。四月になっちゃうかな。

 時計を少しだけ過去に戻します。私は中立な立場で書いていますので、官僚(通商産業省)・元売・悪いことをしていた石油販売業者・利権に石油を利用していた政治家・石油を使って悪ことをしていた人々等には都合が悪い内容だと思います。でも、こういうことを隠しているから世の中が良くならない。こんな業界でも、出光佐三店主や宇佐美の親父さんや大阪のTさん、熊本のIさんが出てきます。彼らは独自の目的と意志を貫いた石油業界の伝説です。石油業界の数少ない真実です。

 私が出光興産株式会社 郡山出張所に勤めてい時のことです。入社二年目でした。民族系元売(+外資だけど日本の元売)と純粋な外資系元売(メージャーの子会社等)との特約店(出光では販売店)との卸価格差が20円/ℓ(20,000円/㎘)になったのです(メジャー系の方が安い)。少し長くなりますが、この石油業界の不幸、特に、日本の元売の一部とそれに付き合う石油製品販売業(特約店・販売店)の悲劇を描きます。
 今日の母から叔母(洋子)への手紙は謎多き手紙です。

 切手は「観音部菩薩像」。この観音菩薩像切手は。昭和二十六年(1951年)十一月一日から、昭和四十一年(1966年)六月三十日まで売られていたものです。使用済みでもオークションによっては結構な値段になることがあります。

 母が結婚したのが昭和三十一年一月八日です。その時、母が23歳で、洋子姉ちゃんは、11歳。でも、差出人が「秋武汎子」になっているので、きっと母が東京に住んでいる頃です。手紙の中には学芸会とか三学期も頑張れと書いてあるのでおそらく昭和二十年代です。それと宛先が東京都中野区なのに、手紙の中には大阪に遊びに来いと書いてあります。おかしいなあ。

 消印は「東京中央 8.5.13 前8-12」です。この頃の消印は解読できません。検索したけど出てこない😭。誰か教えてください。TV番組の博士ちゃんに聞かないとわからないかなあ。

 ああ、ひとつわかった。これ「特印」だ。すごい。正式名称は「特殊信日付印」。記念切手の発行の際などに用いられて、押印機で押すのは1日のみで、手押し印は七日間の期間限定で押してくれる消印です。だからこれは昭和二十六年の手紙です。お袋はわざわざ発行されたばかりの切手を特印で洋子姉ちゃんに出していますね。すごい。私は六十六年生きてきて全く知らなかった。消印が手押しなので、昭和二十六年十一月一日から七日の間に投函しています。それもわざわざ中野から八重洲の東京中央郵便局に行って。母は本当に洋子姉ちゃんが好きだったことがわかります。こんなことまでしてあげているなんて。叔母(洋子)は七歳ですね。特印は、発売日でも一部の大きな郵便局でしかできません。なので、この手紙の投函日は、十一月一日の可能性が高くなります。母らしい。「8」は東京中央郵便局の番号だと思います。

 東京中央郵便局の押印会場は京橋郵便局の5階にあるので、この5.13というのはおそらく京橋郵便局5階で十一月一日に発売された観音菩薩像切手に手押し消印を押した13番目ということになります。それも午前八時から十二時の間に(これが前8−12)。

 切手の素人なので、もし間違えていたら許してください。でも、宇佐美の親父にいつも「正解ではなく考えることが大切」という教えを受けてきたので楽しい!!!

 あとは東京に住んでいるのに大阪と本文に書いてある。これは天国に行ったら(いけるかな?笑)、お袋に聞いてみないとわかりません。あ〜楽しい〜。
  必要? やめたら何が誰が困るの? from your tax peyer.
   必要? やめたら何が誰が困るの? from your tax peyer.
 今日は面白い話ではないかもしれません。でも、親父さんの姿を知るにはいいかもしれません。

 私が出光興産株式会社に入った頃は、まだスタンドは簡易POSでした。一部はまだ伝票で手書きでした。日報も手書きが主流でした。アナログ商売でした。

 そこに本格的なPOSが入ることになりました。それも平成八年を過ぎた頃です。メーカーは3社でした。N社、T社、あとどこだっけ。まあ、いいや。

 一番大手はN社でした。さあ、宇佐美のTCSは200〜300あります。納入されたらPOSメーカーのすごい実績になります。

  ちょうどその商談の時に私は、宇佐美の社長室にいました(だいたいお客様がきてもここにいろと親父さんに言われました)。

 N社の部長だったか支店長だか忘れましたが、親父さんに言いました。「社長、最初の20台(だったと思います)は、〇〇円安くしますので、次の1台から△△にします」

 私は、「(あっ、それだめ)」と思いました。親父さんはこういうことが大嫌いなのです。いつも、「宝徳、正直な商売をやれ」と言われていました。

 親父さんは一言N社に「何を言っているか意味がわからん。それができるならすべてその安い価格にすればいいじゃないか」とそれこそ座っている椅子を蹴って自分の社長席にっ戻ってしまいました。その後は不機嫌な顔をして一言も口を聞きません。

  N社はしかたなく帰っていきました。

 後日、出光の名古屋支店に私のN社のその幹部が尋ねてきました。私を出光の人間と知ったからです。「なんとか親父さんにとりなってくれ」との依頼でした。そういう依頼を受けることも親父さんは大嫌いです。受けるわけにはいきません。「下手を売りましたね。あれは親父さんが一番嫌う交渉ですし、こんな依頼をあなたから受けたから私も親父さんが口を聞いてくれなくなります。親父さんがあの状態になったら誰が何を言っても聞きませんよ。それにあなたの尻拭いをしたらPOSメーカー間への中立性が失われます」と答えました。

 その後私は大阪支店に転勤しましたので結果はどうなったかは私の知るところではありません。

 私の記憶では、親父さんは一度も不正な商売をしたことがありません。これ自身が宇佐美の信用なのですね。

かたくなに 不器用までに 筋通す 親父の姿 なつかし思ふ
 
❶応用情報技術試験まであと、約229日、5,496時間、329,760分、19,785,600秒(発表がまだのため令和7年10月10日で設定)
❷情報処理安全確保支援士試験まであと410日、9,840時間、590,400分、35,424,000秒(発表がまだのため令和8年4月20日で設定)
❸70歳まであと約2,370日、56,880時間、3,412,800分、204,768,000秒(令和10年8月20日まで)
❹106歳の誕生日まで11,114日、2,666,736時間、160,004,160分、9,600,249,600秒(令和37年8月20日まで)


  これまでの復習です。

「マルウエアって何?」から。「悪いソフトウェア」です。

 目的は、コンピュータを使う人に不正もしくは有害な動きをすることを目的にしています。

 マルウェアを利用したハッキングはブラックハッカーが最もよく使う方法です。だからホワイトハッカーはマルウエアをブラックハッカーが使う方法を熟知しておく必要があります。

 マルウエアと言われるのもにはたくさん種類があります。

❶ウィルス
❷ワーム
❸ランサムウエア
❹ポット
❺バックドア
❻ルートキット
❼スパイウエア
❽アドウエア

 などなどです。これが全てではありせん。前述した「コンピュータを使う人に不正もしくは有害な動きをすることを目的」としているものは全てです。


 近年は、スパイウェアが主流になっています。スマフォ向けのものまでできています。スマフォには様々な機能が入っているので攻撃者はやりたい放題です。

 このようにインストールされた端末に記録されているさまざまな情報を盗み出したり、ユーザーの行動をモニタリングするマルウェアです。キーストロークロガーと呼ばれるマルウェアがありますユーザーの行動をモニタリングする代表的なものっです。キーストロークロガーはキーボードのストロークをすべて記録するものです。パスワードやクレジット番号を入力したらすぐに盗まれます。怖いですね〜。便利とはリスクなのかもしれません。

 讀賣新聞の2月18日の記事にこんなのがありました。ある宇都宮のクリニック(病院ではない)で30万人の顧客情報が漏れたというものです。
  今日から七十二候は雨水 次候 霞始靆 かすみはじめてたなびく です。春霞がたなびきはじめる頃です。


 春は冬の乾いた空気ではなく、待機中に細かな水滴が増えて、遠くの景色がぼんやりと霞んで見えます。これを「霞:かすみ」と言います「たなびく」は、霞や雲の共演です。天に薄く長く漂わせます。まだまだ寒いですが、春の気配が感じられます。

 美しい日本語には「佐保姫」というこれまた綺麗な言葉があります。山々の裾野にうっすらと広がる春霞のことを、春を司る佐保姫(さおひめ)がまとう着物の裾にたとえました。

 以前にも書きましたが、霞と霧は同じ現象なのですが、春が霞、秋が霧です。両方とも季語です。昔のにノン人はセンスがありますね。創造性がすごい。

冬が向かふ 春の霞に 思ひのせ 秋の霧は 何を思ひて
 今日は、私の大学の卒業式のことを叔母(洋子)に書いた手紙です。

 その前に出光興産株式会社に内定したときの手紙もどこかにあると思うのですが。

 内定したとき、うれしくて大親友のTJに連絡しました。そうしたらお祝いをするから来いと言われ彼の下宿(といっても代官山のマンション:彼はお金持ちです)に行きました。なんと、フランス料理のフルコースをご馳走してくれてるというではありませんか。代官山の店に行って、一番安いコースを頼むと、彼が「宝徳なあ、外で食べるときは一番良いものを注文しろ」と言いました。これまで私は怖くてそんなものを食べたことがありませんでした。こういう習慣も大切ですね。

 ビーフシチューを初めて食べたのも彼が連れて行ってくれたときです。渋谷でした。こんな美味いものがあるのかと思いました。と、思ったら、ある日曜日に彼の部屋に遊びに行ったら、「宝徳、すまん。昨日金を下ろすのを忘れた。無一文や。金貸してくれ」というではありませんか。当時はコンビニもなく土曜日に下ろさないと(土曜日は銀行はやっていた)日曜日は無一文になってしまいます。私もそのときは所持金0でした。仕方がないので、普段テニスのコーチをやっているマダム達に連絡しました(変な仲ではないですよ笑)。「今日、文なしなんです。テニスレッスンを入れてもらっていいですか?」と。いつもの三人のマダムが来て2時間レッスンでいくらもらったかなあ。確か1万円ぐらい。彼の車にはガソリンは入っていましたからテニスコートまで送ってもらいました。マダム達は大笑い。恥ずかしくてしかたがありませんでした。コーチが終わって、マダム達と別れ、また、彼が迎えに来ます。確か、浜松町にあるうどん屋に行った覚えがあります。なぜならば、そこはあの関東の黒い汁ではなくて関西や九州の透明な汁です(彼は大阪出身、私は博多出身。博多と大阪のうどんはよく似ていて腰がなくてねちゃねちゃしています。これがうまかっちゃん)。いつもおごってもらう彼に私は言いました「なんでん好きなもの食いやい」と。関西風の店なので、「けつね(きつねうどん)(また大阪のけつねが最高です。油揚げが違うのです)」におにぎりをつけて食べたと思います。「おかわりしてもよかけんね」とも言いました。あのときのうどんのうまかったこと。

 今でも彼にあったらこの話をします。

 話を戻しますが、出光興産株式会社から内定をもらった日に彼にご馳走になってから、家に電話をしました。すると母が激怒。

「食事の前に帰ってきてお父さんにまず報告をするのが本当でしょう!!」

 母に怒られたことはあまり記憶にないのですが、こういうけじめをとても大切にする人でした。では、洋子姉ちゃんに宛てた手紙をご覧ください。昭和五十八年(1983年)三月二十八日のハガキです。
  厚生労働省の「医療システムの安全確保に関するガイドライン」と経済産業省・総務省の「医療システムの安全確保に関するガイドライン」を代わり番子に書きますね。

今日医療情報を取り扱う情報システム・サービスの提供事業者における安全管理ガイドライン」から

 これは

❶「概説編」、❷「経営管理編」、❸「企画管理編」、❹「システム運用編」に分かれています。

 どの編もわかり易く解説しますね

と述べられた上で次のマトリックスが示されています。



 つまり各医療機関の都合に応じて読めということです。

 ははあ、これは医療関係者は読まないでしょうね。こうやって区分けをするところまではいいですが、この後各編を読んでみるとどこを読んでいいかわからなくなっています。

 このガイドラインをわかりやすいように書き直す必要がありますね。少しお待ちください。宝徳版「その本よりわかりやすいガイドライン」を作ります。一体、医療関係者のだれがこれを読むというの?笑
  昨日、タイトルに曜日を入れると約束していたのにもう忘れていました😭。嘘つき。

 さて、前回は、石油業界は上流(アップストリーム)の方が下流(ダウンストリーム)より圧倒的に儲かると申し上げました。その中で、自らダウンストリームで儲かる方程式を作った宇佐美の親父はさん敬服します。

 でも、宇佐美親父さんやちーちゃんは悩んだと思います。私が担当していた当時は、石油業界の流通が整備されていなかったために、業者間転売玉(業転:ブラックマーケット)と正常な元売卸価格より10,000円/kl前後の差があったのです。

 ある時、ちーちゃんが親父さんに逆らって他社買い(ブラックマーケットの商品を買う)をしました(ちーちゃんごめんね)。私個人としては「仕方がないかなあ」と思いましたが、ちーちゃんには「ちーちゃん、ごめん、俺個人の意見の前に親父さんとT支店長に報告のしようがない」と言いました。ちーちゃんの涙も初めてみました。それほど石油業界の流通はおかしかったのです。ちーちゃんの責任ではなかったのです。

 前にも言いましたが、元売再編より先に製油所の再編が先でしした。その過程で潰れる元売は潰れればいい。
  今日は天長節です。「天皇誕生日」などという変な名前ではありません。

 我が国における「日」と「節」はその意味が全く違います。世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我國 日本だけがこの「節」を使うことができます。

 日本の国体は「しらす」です。「うしはく(支配する)」ではありません。そして、天皇は。危機一髪の状況を何度も乗り越えて、すべての権力を手離し、権威だけの地位を作り上げました。他国では絶対に無理です。中には天皇親政を行おうとした天皇もいましたが、ことごとく失敗しています。


 つまり、我國国体は、シラス=天皇陛下なのです。

 天皇陛下は「誕生日おめでとうございます」などと言ってもらおうと思っていらっしゃいません。また、今年も長い我が国の歴史が続いたその節目を迎えられたことを心から喜んでいらっしゃるのです。

 天皇陛下、今年もまた天長節をお迎えになられ、我國の新たな歴史が刻まれましたことを心からおよびこび申し上げます。皇弥栄(すめらぎいやさか)!!!
  大手企業のM&AのPMIはどこから始まるか。吸収した会社の文化を叩き潰すことから始まります。

 それをやらないとどうなるか。

 みずほ銀行のようになります。みずほ銀行は合併の歴史です。まず、第一国立銀行と日本勧業銀行が合併て第一勧業銀行になりました。世にいうDとKです。

 第一国立銀行は日本最古の銀行です。澁澤榮一が設立しました。日本勧業銀行は官営銀行です。債券を資金源に長期低利融資を行いました。1950年に普通銀行になっています。


  このふたつの銀行が四十六年(1971年)に対等合併で第一勧業銀行になりました。途中、商業銀行になったとはいえ、官体質が残りました。それが商業銀行と対等合併をしても体質が合うわけがありません。これでは正当なPMI(統合後の組織運用・Post Merger Integratioon)ができるわけがありません。

  そんなとこところに富士銀行が加わります。富士銀行は敗戦前は日本最大の金融機関でした。安田財閥です。敗戦後の財閥解体によって「安田銀行」だったのを「富士銀行」に改名しました。私が学生の頃は富士銀行でした。私はこの銀行は大好きでした。同系列だった三井物産もそうですが、とてもよい雰囲気を持っていました。おおらかな銀行でした。これが今のみずほ銀行におけるFです。
 
  一方で 特殊銀行である日本興業銀行というところがありました。事業資金の供給・社債引受業務・外資導入・証券市場の育成等を行なっていた明治三十五年(1092年)設立の超名門金融機関でした。私が大学一年生の時にクラブの四年生が興銀に就職が決まりました。みんな「すごい!!!」と言っていたぐらいです。それが長期信用金庫になり、長期信用金庫が解体された後は、第一勧業銀行に合併されました。これが今のみずほ銀行におけるGです。

 メガバンクを作るのは大蔵省の彼岸でしたからこれはこれでいいのですが、この結果、十三あった年銀行が、「三井住友銀行(住友銀行+三井銀行+太陽神戸銀行)」「三菱UFJ銀行(三菱銀行+東京銀行)」「りそな銀行」が4つに集約されました。

 三井住友銀行は住友銀行が、三井銀行と太陽神戸銀行を、三菱UFJ銀行は三菱銀行が、東京銀行(ここは海外展開が得意な名門です)をそれぞれ吸収した形になっています。

 何が言いたいか。大企業の合併は、対等合併をすると失敗するのです。吸収する相手を叩き潰すぐらいのことをやらないと派閥ができます。その叩き潰された方でもそのなかから出てきた優秀な人認められますが。みずほ銀行出身者がみずほ銀行の同窓会に行くと、D、K、F、Gに分かれて行われます。そして、「あのDのやつが」とか、いまだにそんな話になるのです。電子システムがしょっちゅう破綻しているのがわかります。

 中小企業間のスモールM&Aでは、これを過度にやってしまうと組織が崩れてしまいます。
 今日からブログに曜日を入れました。過去のブログを検索したり、読み返したりすることが多い私は、「あれっ?西暦で言うと何年だっけ?」と思い、かつて西暦も書くようにしました。先日、自分の誕生日の記事を読み返していたら、「ところで俺は何曜日生まれたんだ?」と思いました。「この記事が何日に書かれたか」がわかるように今日から曜日も書きます。

 ちなみに、私が生まれたのは「昭和三十三年(1958年)八月二十日 朝七時三十六分 水曜日」です。

 息子は、「平成四年(1992年)十一月六日 金曜日 九時七分 体重3,250g、身長51cm」です。当時出光興産の販売促進としてガソリンスタンドで使える出光Uカードというのを販売していました。プリペイドカードです。マクドナルドでも使えましたので高校生だった甥に何回か送りました。その出光Uカードは自分でデザインもできるのです。記念品としてプレゼントをするのに良かったのです。今は、もう使えませんが。

 息子が産まれた時に、記念Uカードを創りました。そこに産まれた時の情報が書いてあります。それが上記に書いたものです。背景を富士山にしていたのでみんなから「右翼」と言われました笑。

 出光Uカードは店頭で販売していました。私は本社にいましたが、またぞろ、出光ではどこのスタンドが何枚売ったとかいくら売ったとかの競争を煽りました。支店単位でそれをするのはいいのですが本社では、別のマーケティングが必要だったのです。まだまさ不勉強な私は、そのことに気が付きませんでした。 まさに万死に値する行為」です。

 経済学の大家に「ヨーゼフ・シュンペータ」という「イノベーションの父」と言われる人がいます。「創造的破壊」「アントレプレナー」という言葉も生み出した人です。そのシュンペータが新事業や新商品は、「スケール」をしろ、と言っています。つまり「一気に世界市場に規模を大しろ」です。マックのスティーブ・ジョブズはシュンペータを読んでいたと思います。いずれシュンペータのことは書きますね。この「スケール」発想が出光本社にはなかったのです。マクドナルドだけではなく、マーケティングでどんどん流通させる発想が必要でした。場合によっては海外までも。そうすれば今でも活用されていました。シュンペータは、「ワルラス」の一般均衡理論という考え方を用いて、市場の均衡状態を「沈滞」とみなしました。その沈滞状態をシフトさせるのがイノベーションと解きました。イノベーションを起こしたらスケールしろとも。一般均衡理論は私の大学時代の専門です。なのに、そのときになぜ、気付かなかったのか。

 いつもそうです。「あ〜、あの時こう言うことに気づいていたらなあ」と。いつも後付けです。宇佐美の親父さんはトラックステーションを作ったのではなく、トラックステーションを「スケール」しました。若い時にそれに出逢っているのに気づいてなかった。まさに親父さんが私に「考えろ、考えろ、いつも考えろ!」と言っていたことですね。
 
 106歳まであと四十年を生きるなら、それを追求していきます。「シュンペータ」の本には学生時代に出逢っていました。でも、私はこのことの重要性に気付かなかた愚か者です。福澤諭吉先生が「義塾は実学の精神だ」とおっしゃっているのに。

 閑話休題。おっとまた脱線。ドナルド・トランプでしたね。
  もし、安倍政権のときに名目がGDP600兆円になっていたら消費も同時に活性化していたでしょう。なぜなら、国富を拡充する目的は、「個人消費の活性化」だからです。

  私は最初、消費税導入の時、「良い税制だなあ」と思いました。制度時代はそうだと今でも思っています。なぜなら消費税は消費にかかる税なので、民間消費支出を向上させる施策(たとえば減税)をすれば税収が拡大するからです。財務省の本性を気付かなかった私はとても愚かでした。本来なら消費税をそういう風に運用していたら、たとえ悪夢の民主党政権の時でさえ税収(38兆円でした)はそんなに落ちなかったでしょう。それどころか、増税につく増税です。財務省の癖は、とにかく増税したがります。日銀の癖はとにかく金利を上げたがることです。

 今や、消費税は「買い物罰金消費税」と言われています。その他にも「車の罰金自動車税」「働く罰金所得税」「死んだら罰金相続税」「呑んだら罰金酒税」「吸ったら罰金たばこ税」「車で罰金揮発油税」「旅行で罰金観光客税」・・・枚挙に暇がありません。五十種類以上があります。

 ではなくて、高市早苗氏がいいっているように国家というのはまず経済なんです。経済が活性化すると「名目」GDPが上昇します。つまり経済成長します。経済成長をすると、政府の謝金が「相対的」に下がります。何か問題ありますか? 

  政府の借金の絶対値は名目GDPが向上すると増加するでしょう(相対値は下がる)。PPM(プロダクトポートフォリオマネジメント)の観点からいうと、花形商品なので、伸びるけどお金(投資)も必要なので(正マクロ経済)。それが、プライマリーバランス一辺倒だと、PPMの問題児ばかりになります。それが今の日本経済です(負のマクロ経済)。

 しかしながら、政府は企業や家計と違い、通貨発行権があります。ハイパーインフレーションにならなければ、つまり、経済成長がなされていれば、通貨は発行していいのです(正のマクロ経済)。

 企業は節約すると消費税が一気に増えます(これはミクロ経済)。物価が高いと植田日銀総裁が叫びましたがこれはミクロ経済です。黒田さんが「家計」という言葉をマクロ経済の「家計」という言葉で使った時に野党とメディアはミクロ経済の「家計」と勘違いし、黒田総裁を責めました。メディアの勉強不足です。

 読売新聞で、三菱なんとかのエコノミストが「実質」GDPが上がらん意味がないというなぜなら・・・というコメントをしていました。これはミクロの見解ですし、プライマリーバランスという緊縮財政という誤ったミクロ経済のコメントしていました。彼をこれから「ミクロ」エコノミストと呼べばいい。

 「ミクロ経済発想」では、予算がいくらあっても足りません。正しいマクロ経済だと、所得がどんどん増えるので税収がどんどん増えます。物価が高くても所得の伸びがそれを上回るので、国民はそれ高いと思いません。

  なによりも、私が経済学を大学で勉強していた時は、GDPに占める民間消費経済はどんなに「名目」GDPが増えても6割以上ありました。今や、5割です。

 そして、かつて民間消費経済が6割だった頃は三公七民でした。政府が吸い上げるお金は3割だったのです。7割は自分達で稼いだ金ので民間経済を想像することができ、日本は「一億総中流社会」という「較差」が少ない夢のゆな社会ができました。今や、六公四民に近づきつつあります。

かつて、バブルが崩壊しました。バブル崩壊とは負債の増加ではなく、資産の相対的低下だったのです。なので資産の相対的低下を抑える対策が必要なのに、負債を削減する対策を大蔵省(現 財務省)が打ちました。

こういうのを日本語で本末転倒

といいます。リーマンショックの時、各国はお金を刷りまくりました。日銀総裁の白川は貨幣供給をしませんでした。そして、緊縮財政が続き官僚主導の600兆円ができてしまいました。

 つまりお父さんは稼いでも家に倹約を敷いて、自分だけ贅沢をしている経済です。

 無能な「お父さん(財務省・日銀)」は吸い上げるだけ吸い上げて官主導の会計「政府支出所得」がどんどん伸びる経済を作ってしまいました。歴史を少しは勉強しろよ。

 これが今回の600兆円の正体です。安倍さんが目標とした600兆円とは全く違います。

 マクロ経済がわからない、官僚・日銀・政治家・企業経営者・メディアばかりなので、、、、。ふ〜(涙)。

 経済は民間にまかせる。経済学の祖 アダムスミスのころから何も変わっていません。

金本位 米本位など 同じこと 緊縮財政  国の崩壊

信長の 楽市楽座の 国づくり 民の力を とことん引き出す
  最近の讀賣新聞の記事はいいですね。政治・経済以外は記事が生き生きしています。つまり職場が記者が生き生きしているということです。社会部も他社とは違い猛獣ではない。良い記事を書きます。朝がとても楽しみです。アプリだけではなくアナログの紙面も読んでいます(デスクが全体的に作りたいと思っている意思をみたいから:コンセプチュアルスキル)。

 政治部は、政治家の思惑を考慮し過ぎているような。そうしないと記事がもらえないのだろうか? もちろん朝日新聞みたいに記事にしてはいけないオフレコを書いてドヤ顔をしている馬鹿新聞のようになってはいけないが。明治時代は、下級武士が政治をやっていました。新聞記者はかつての政治を担っていた玄人武士です。その新聞記者が書く記事は、下級武士の政治に対して厳しい内容になっていました。今の政治がすごいと思いますか? ぐだぐだの自民党内閣、偉そうなことを言うけど所詮共産主義左翼リベラルの立憲民主党。与党にすり寄る維新の言うだけ番長(前原誠司、維新にはがっかりです。今の維新に必要な言葉は「孤高」です)それを利用する自民党。こんなんで、政治がよくなります? このままでは永遠に政治が「真に政治を考えている」姿にはなりません。国民のためになりません。

 経済部は、いろいろなエコノミストの言っていることを紹介していますが、エコののミスト自体がマクロ経済を知らなさすぎます。例えば、読売新聞二月十八日火曜日の朝刊トップ記事です。GDP600兆円でした。これについては後で書きますが、ここに三菱UFJリサーチ&コンサルティングの人間のコメントが載っていましたが、マクロ経済とミクロ経済の中身が混在していて、この人はいったい何が言いたいのだろうと思いました。エコノミストではないですね。「ミクロ」エコノミストに名前を変えたら? 讀賣新聞経済部もこんな人のコメントを載せたら器がしれますよ。

 もっと新聞自身がシンクタンク機能を持つまでにはいかないけど、マクロ経済に精通したらどうですか。今の政治家・官僚・メディアにマクロ経済がわかる人間がいないから、国富が何十年も成長してこなかったのです。

 新聞はもっとマクロ経済を勉強し、マクロ経済を語って、政治家と官僚を啓蒙しろ。それも経済部記者の使命だろう。

 閑話休題。それ以外の讀賣新聞記事はいい。産経(産經とはまだ呼んであげない)は保守を自認していますが、最近の産経新聞記事は裏どりが不十分なので厚みがありません。日経は財務省ポチだし、毎日朝日に言いたっては話にならないのは相変わらずです。
 
 今回、讀賣新聞(文芸部?)が「よみうり抄」上梓しました。
日から二十四節気は雨水です。立春から十五日目です。雪が雨に変わり、草木が芽吹き始める時季です。でも、まだまだ新潟あたりは雪がすごいですね。新潟の知り合いに連絡したら「さすがに、勘弁してほしい」と。

 そして、七十二候は、雨水 初候   土脉潤起     です。つちのしょううるおいおこる と読みます。  
 
 我が国の季節は、すべて農業が基本となっています。雨水は、冷たい雪が雨にかわり、山に積もった栄養たっぷりの雪が溶け出してきます。その栄養により田畑は潤い、この季節から農作業を始める目安とされてきました。まだまだ寒いですが、なんとなく春の気配も感るような季節です。

 さて、この春の始まりに、茶道では、どんなお菓子を食べるのでしょうか?
 今回は叔母(洋子)が小学校六年生のときに母から叔母へ出した手紙です。叔母が11歳か12歳です。そうすると母は23歳か24歳です。昭和三十一年一月八日に母は結婚しています。母は昭和七年九月生まれですから、結婚の時は25歳です。この時は、もう秋武姓から宝徳姓になっていますね。洋子姉ちゃん、可愛かったろうなあ笑。繰り返しますと、秋武家は、祖父(璋二)、祖母(綾子)、長女(堯子)、長男(舜一)、長女(汎子)、次女(雅子)、三女(洋子)です。雅子と洋子以外は亡くなっています。

  堯子は、北朝鮮から引き揚げてくるときに亡くなったそうです。毎年、敗戦の日には母が、その様子を語ってれました。「堯子(たかこ)」姉さんが亡くなる前には、コーヒー色をした嘔吐をしょっちゅうしていたそうです。「ひろちゃん、ごめんね。いつも汚いことをさせて」と謝っていたそうです。「優しい優しい人だったのよ」と、母はいつも言っていました。堯子が亡くなる時、めったに言わないわがままを言ったそうです。「りんごが食べたい」と。当時の朝鮮の子は、頭に籠を乗せて買い物に行っていたそうです。母は、朝鮮の子の真似をして、頭に籠を乗せてりんごを買いに行きました。引き上げ途中です。どんな危険が待っているかもしれないのに。母は買っていきたリンゴを擦り叔母に食べてもらいました。「あ〜、美味しい、ひろちゃんありがとう。」と言って亡くなっていったそうです。夏とはいえ寒い朝鮮の硬い土を、祖父と祖母は掘りました。そして、堯子を埋めたそうです。洋子は一歳か二歳です。それでも、泣きもせずに朝鮮半島と渡り、38度線を超えたそうです。


 アジアの立地を知らないアメリカは三十八度線で、北朝鮮(共産圏)と韓国(自由主義権)の境を引きました。もし三十九度戦にこれが引かれていたら後の朝鮮戦争はおきていなかったかもしれません。朝鮮半島のくびれが細いところだからです。

 父と伯父(舜一)は、我国統治下の北朝鮮在住の大親友で。父はどうしても叔父と兄弟になりたかみたいで、母を紹介されました。母は、最初嫌で嫌で逃げ回っていたそうです(洋子話)。母は、18歳から二十歳は出光興産会社に勤めていました。伯父は、東京で別の仕事に就いていました。同じアパートに住んでいました。まだ日本が貧しい時です。トイレや炊事場は共同だっみたいです。ある日、会社の飲み会があった母が帰ってきたとき、伯父が自分の食事の食器を共同の炊事場で洗っていました。母は「私に恥をかかせないで!!!」と伯父を怒ったようです。 出光興産株式会社を辞めてまもなく結婚します。その様子は以前このブログでお伝えしました。

 母はとても洋子姉ちゃんを愛していました。そして、洋子姉ちゃんがとっていてくれたたくさんの手紙を命の手紙として、このブログに書いています。
 このブログ記事のタイトルで、日にちのところですが、意味があります。皇紀から始めるのは、今、日本が皇紀何年かを知らない人のあまりも多いからです。

 日本の国体は天皇陛下です。そして、苦労に苦労を重ねて、歴代陛下が欧米・支那や世界のどこの国より以前から作りあげた歴史なのです。我が国が世界最古の国であることも知らない人が多い。そして令和を書いた後に格好書きで西暦を書いています。これが日本人の常識です。今、世界で元号をもっているのは日本だけです。それと、西暦もついでに書いているのは、あとで読み返した時に、元号と西暦が頭の中で一致するからです。令和はいいですね。令和(018)を元号に足したら西暦の下二桁になります。

 さて、宇佐美の親父さんと一緒に車に乗ったら、ほとんど親父さんが運転します。というか、私に運転させてくれません。理由は如何に。
  有本明弘さんがお亡くなりになりました。享年96歳。心から哀悼の意を表しご冥福をお祈り申し上げます。不埒なる北朝鮮による拉致被害者有本恵子さんのお父上です。くやしかったに違いありません。悲しかったに違いありません。無念だったに違いありません。
 
 拉致被害者を取り戻せなかったのは国民の責任が大きいのです。


 小泉内閣が五人の拉致被害者の一時帰国を実現したとき、それまで「拉致なんていうのはない」と言っていた野党や共産主義左翼リベラルの人間はなす術がありませんでした。なので、一時帰国で終わらせようとして早く北朝鮮に送り返そうとしました。それに敢然と立ち向かったのは安倍晋三と中川昭一郎でした。与党にも一時帰国論者がいました。

 例えば自分の子供が隣の家に拉致されて交渉の末三日間だけの帰宅が実現したとします。その子をもう一度隣の家に行かせますか?あなたなら。共産主義左翼リベラルの方々いかがですか?

 繰り返し書いてますが、この時、金正日は、日本との戦争を本気で覚悟しました。なのに、日本国内では、メディアの報道も稚拙だったことから一時帰国を喜ぶだけでした。朝日新聞などは拉致被害者を早く北朝鮮に返せという論評でした。

 この時、日本人が「やっぱり北朝鮮は同朋を拉致していたではないか。すべて返さないと許さない」と国民が全国的な声をあげていたら金正日は全員返し、その犯罪を明らかにする可能性が高かったのです。

 実は小泉さんはあの時、ブッシュに協力を要請していました。ブッシュはそれに応えて第七艦隊を北朝鮮のすぐ近くに展開してくれていたのです。これは当時の北朝鮮にとって筆舌に尽くし難いプレッシャーです。

 でも、日本はお祝いムード。金正日もブッシュも呆れてものが言えませんでした。

 これが今の人本国憲法「典」の似非平和主義です。「自分だけ平和なら他の国民はどうなっても知らない」という意味です。


国民主権:政府(場合によっては国)を転覆して良い権利。日本人はフランス人みたいに愚かではないですからやりませんが、共産党や立憲民主党などはやる気満々です。

基本的人権の尊重:人を殺していい権利が基本的人権です。さすがにそれはダメなので法律で禁止しています。でも、京アニ放火事件や安倍さん暗殺犯はどうですか?弁護士は責任能力の有無で争ってきます。あれがもし無罪になったら、日本は殺人事件やり放題です。人を殺してもそれも暗殺であっても許される権利です。

平和主義:自分だけ平和なら他人はどうでもいい権利。今回の拉致事件です。

 この怖い憲法「典」をありがたがっている日本はどうかしてます。

 あの時、日本人が真の平和を知って北朝鮮に対し激怒していたら。悔しいです。

北方領土のときもそうです。ソ連崩壊の時に自衛隊を米国と共同して展開していたら取り戻せました。

 政府ではない。政府を動かすに国民の力が必要なんです。勉強なんかするのではなく、人間として当たり前の感覚を取り戻しましょう。そろそろ目を覚ましませんか?
 3省2ガイドラインとは、経済産業量・厚生労働省・総務省の「3」が作成している医療機関向け「2ガ」イドラインなので「3省2ガイドライン」と呼んでいます。

 電子的に医療情報を取り扱う事業者のサイバーセキュリティ対策の「運用」を示したガイドラインです。

  一部の医師を除き、非常に申し訳ない言い方ですが、医師は「医療しか知らない」のです。またある程度収入が見込まれることから、現在の専門化された自分の仕事に安住してしまう傾向にあります。それにプライドがかなり高い人が多いのです。結果的に多くの医師は自分の仕事の範囲外のことには興味を持ちません。医師同士においても、医師とコメディカル(医師や歯科医師の支持の下に業務を行う医療従業者)との連携においても、他の院内サービス提供職員との連携においても)。

 それで回っているうちはいいのですが、大変な機会費用が発生してしまい合成の誤謬を生みます。

※コメディカル(看護師、保健師。助産師、薬剤師、臨床検査技師、衛生検査技師、臨床工学士、放射線技師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、栄養士、管理栄養士、救急救命士など)、国家試験合格者。

※他の院内サービス提供職員:看護助手や売店の方、会計係などとても重要な顧客サービスをしているが国家試験を通ってない人。

※機会費用:その仕事をすれば100の利益を得ることができるのに、50の仕事を選んでしまうこと。この失った利益は決算書上には計上されないが、結果的に50のコストがかかっている。中小零細企業は機会費用がたくさんある。

※合成の誤謬(ごうせいのごびゅう):それぞれが自分が有利になるように動く(部分最適)ため全体的な効率を妨げ却ってコスト高に(全体最適の阻害)なること。利権集団なんかがそう。

 つまり、どんなに腕の良い医師がそ揃っていても「運用がお粗末」です。クリニックは少人数で運営するのでまだいいのですが、病院経営はこれがあると大きな赤字になってしまいします。
 ひとつだけ言い訳です笑。一連のブログ記事は、朝(未明)とか仕事の合間とかにバーって書いていますので、初稿は誤字脱字だらけです。二、三日中に読み返す時にそれを修正しますので、「これ何の意味?」というのもありますが、時間が経つにつれて(全部とは言いませんが)直っています。すみません。事情ご賢察ください。このブログも平成十七年(2005年)九月に始めましたのでもう今年で二十年目になります。ご愛読いただいて感謝申し上げます。最初は、「あの時自分はど何を考えていたか」をテーマにしました。だんだん読者の方が増えてき工夫をするよになりました。途中でブログが一度壊れて1000通ぐらいの記事をまだ復活できていません。また、私の怠慢から途中サボった時期もあり離れていった読者の方もいらっしゃいました。習慣というのは続けているうちはいいのですが一度でもストップすると再度やり始めるのに多大なエネルギーが必要になります。ご迷惑をおかけしました。

2005年:82通(5ヶ月)
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2007年:819通
2008年:24通(この年に一度壊れていますね)
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です。合計9,823通!!わ〜い、あと177通で1万通だ!!! あと少しで達成。壊れたブログは戻らなとして、20年で223ヶ月 平均44通 月間過去最高143通(平十八年(2018年)六月)です。

 私は子供の頃から継続が苦手だったのですが、読書200冊/年(今はそんなに読んでいません)・手紙150通/月(今はラインでやっている)・ブログで継続の力がついてきたように思います。でも満足は失望の始まり、安心は絶望の始まりです。怠惰に戻る時はすぐなので続けていきます。感謝合掌。

  スモールM&Aは譲り渡し側経営者に関する資産・負債の最終契約後整理についてからでしたね。
  まだだ歪みの歴史もたくさんあるのですが、それは歪みの修復の歴史とともに振り返りましょう。

まずは、元売再編の歴史です。

 敗戦後、元売りは大きく分けて「民族系」と「外資系」に分かれました。当初民族系は出光興産株式会社だけした。そのうち通商産業省が官僚主導の民族系を作る(おそらく天下り利権のため)と、共同石油という民族系を作りました。他は全部外資系です。

 石油は、油田の開発(原油)→精製(石油製品製造)→油槽所(ガソリンスタンドの近くまで運ぶ:製油所が兼務することもあり)→ガソリンスタンドへの供給→お客様

 というのが大きな流れです。このサプライチェーンにもまた何段階かに分かれます。理由は「儲かる」「流行がない」「腐らない」「商いが複雑ではない」からです。

 「儲かる」は先ほどのサプライチェーンで言うと左に行けば行くほど儲かります(上流:アップストリーム。その反対が下流(ダウンストリーム)。

 上流はセンシスターズに始まる国際石油資本(メジャー)が絶対に手放しません。それにロシア・東南アジア・南米などがあります。ロシアはGDPの約半分が石油とガスです。

 アラブの産油国は、当初、セブンシスターズの支配下にありました。欧米は、アラブを支配するマネーゲームに血眼になります。イランもイラクも自立しようとしましたが、一時はそれで欧米に叩き潰されましたん。日本も石油が欲しかっただけなのに、米国が共産主義と組んで潰されました。結局、勝利者は共産主義でした。このブログでも解説しますが、ご興味ある方は以下の本をお読みください。

 まあとにかく、一番儲かるの一番左を国際石油資本(メジャー)が手放すわけがありません。敗戦で叩き潰された日本には特に。日本は消費地精製主義」という原油を輸入してそれを精製することからはじめさせられました。どれでも末端のガソリンスタンドよりはかなり儲かるのです。ガソリンスタンドの歴史は、常にこれらに翻弄されました。欧米はかつて石油のことになると世界を無茶苦茶にしました。それもまた書きます。

 それも、その流通網にまで「外資」として、入られて。それに敢然とと立ち向かったのが「消費者本位」「大地域小売業」「人間尊重」の理想を掲げる、出光佐三店主率いる「出光興産株式会社」だったのです。かつて、出光興産の石油情報は商社より速いと言われていました。



両書弊とも弊社蔵書より」
 TCSの話はまた、機会があったらしますね。でも、親父さんは一度やると決めたら徹底的にやる人です。ある日ちーちゃん(経理担当の女性)が出勤したら、目が真っ赤っかの親父さんがいたそうです。「親父さん、どうしたの!?」とちーちゃんが聞くとなんでも神奈川県の厚木まで厚木の運送業者にセールスに行っていたそうです。それも軽四トラックで。今と違って高速道路網がありまし、下道は、舗装もされていません。すべて舗装がされていない下道です。すごい時間がかかったことでしょう。またそんなことはしょっちゅうだったのだそうです。

 今の働き方改革=働かない改革は、きっと自分の仕事なのに他人の仕事とか会社の仕事とか第三者みたいな冷めた目で仕事をみているのでしょうね。学生時代に欧州人は働くことが悪で、自分の余暇を切り売りして労働の対価を得ているという話を聞いた時はびっくりしました。

 もともと我が国に「労働」権利」「義務」と云った言葉はありませんでした。大日本帝国憲法には、「権利・義務・主権」と云った言葉は一切ありません。これは明治の男たちの欧米に対する挑戦でした。「欧米の皆さん、私たちは、権利や義務などという言葉がなくても立派に国を創り・運営することができるのですよ」という。

 私は出光興産株式会社に勤めている19年間は残業手当などもらったことがありません。他の社員もそうでした。だいたい、残業手当をもらうと、目の前にある仕事が「自分の手から離れて会社の仕事」になってしまいます。そんなの絶対に嫌でした。出光で新ガソリンが発売される時私は新ガソリン導入の本社のチーフをしていました。「出光の新しいガソリンは俺が市場に導入する。これに失敗したら腹を切る」と思っていました。会社の仕事とか他人の仕事とか思っていたらそんな風には思えないし、そんな楽しみは味わえないですよね。働き方改革は他人に言われてやることではなく、自分で見つけ出すことです。働き方改革は、官僚が作った「愚民化政策」です。

 宇佐美の親父さんもそうだったでしょう。厚木の往復の時、楽しくてワクワクドキドキしたでしょう。

 あっ、そうだ。私が本社勤務から名古屋支店勤務になった時のことです。
❶応用情報技術試験まであと、約238日、5,712時間、342,720分、20,563,200秒(発表がまだのため令和7年10月10日で設定)
❷情報処理安全確保支援士試験まであと419日、10,056時間、603,360分、36,201,600秒(発表がまだのため令和8年4月20日で設定)
❸70歳まであと約2,377日、57,048時間、3,422,880分、205,372,800秒(令和10年8月20日まで)
❹106歳の誕生日まで11,127日、267,048時間、16,022,80分、961,372,800秒(令和37年8月20日まで)

 昨日までの復習です。

「マルウエアって何?」から、始めましょう。「悪いソフトウェア」です。

 目的は、コンピュータを使う人に不正もしくは有害な動きをすることを目的にしています。

 マルウェアを利用したハッキングはブラックハッカーが最もよく使う方法です。だからホワイトハッカーはマルウエアをブラックハッカーが使う方法を熟知しておく必要があります。

 マルウエアと言われるのもにはたくさん種類があります。

❶ウィルス
❷ワーム
❸ランサムウエア
❹ポット
❺バックドア
❻ルートキット
❼スパイウエア
❽アドウエア

 などなどです。これが全てではありせん。前述した「コンピュータを使う人に不正もしくは有害な動きをすることを目的」としているものは全てです。


 前回は「ウイルス」と「ワーム」でした。今回はランサムウェアです。

 ランサムウェアとは、コンピュータに感染しデータを暗号化して使えなくし、その復元の対価として金銭を要求するコンピュータ・ウイルスのことです。近年増加してきてとても悪質です。

※身代金を要求するメッ表示された
※拡張子が全て同じ文字に変わっている
※ファイのアイコンがすべて白くなった
※Read Me・・・How to・・・なdぽもファイルが保存されている
※パスワードが勝手に変更されたやロックがかかってデータにアクセスできない
※突然プリンターから大量の脅迫文が印刷された
※休日や深夜にファイルがすべて置き換わっている

 などなどなんですが、怖いなあ〜。仕事を便利にする手法が仕事を邪魔というか破壊しています。

  ランサムウェアをもう少し深掘りしますね。
 母と年が一回り違う叔母(洋子)がとっていてくれた母からの手紙を(たくさんあるので)順不同に書いています。祖母(綾子)が亡くなっています。手紙の日付は昭和三十八年(1963年)十月十九日です。亡くなったのは九月八日ですから、もう一月以上が経っています。悲しかったのでしょうね。母はかなりのショックを受けています。こんな愚痴っぽい母の手紙は今までみたことがありません。こんなに字が乱れている母の手紙を観たのも初めてです。母はまだ三十一歳です。

 前回の手紙でも申し上げましたが、私は、そんなに多く祖母の思い出があるわけではありません。でも、これを書いていると「もしかしたらこれもおばあちゃんの思い出かもしれない」と思うことがたくさんあります。井戸しかない台所だったのは前回紹介しました。その台所で祖母が焼き饅頭を作ってくれたのを覚えています。そして、ミルクが嫌いな私のいとこにミルクの歌を作っていました。「♫みるくみるくおいしいなあ砂糖を入れてギュッと回して飲みました〜♫」。なんでこんな六十三年前のことを私は覚えているのだろう? きっとこれからも命の手紙を書き続けると記憶が蘇ってくるのかなあ。

 手紙をとっていてくれた叔母のおかげですね。
 昨日から、七十二候は 立春 末候 魚上氷です。うおこおりをいずる と読みます。

 凍っていた川や湖の氷が割れだすころです。この七十二節気は、そんな割れた氷の間から魚が飛び跳ねる様子です。

 この時期によく見られるのが「薄氷(うすらひ)です。春の氷とか残る氷とか言われています。


 フリー素材より。

 こんなのです。今まで氷は硬かったので、そのつもりで思いっっきり踏むとバシャって、返ってきて洋服を濡らしたことが何度かありました笑。
 
 もうすぐ渓流釣りが解禁です。私はあまりしたことはありませんが、静岡県駿東郡裾野町(現 裾野市)に住んでいた頃、山に入ってやったのは半渓流釣りでした。

 本格的な渓流釣りは子供にはちょっと無理です。なおで、大人になってからは「いわな」とか「やまめ」の骨酒をひたすら飲んでいました。あれ美味しいですよね〜。これに長野名物の「ざざ虫」とか「蜂の子」があったら最高です。とか、蕎麦を食べながら骨酒を飲む。野沢菜も欲しい。ああ、たまらん。
  司馬遼太郎、山崎豊子、吉村昭、城山三郎、阿川弘之などの作品はほとんど嘘です。これはまた後日、それぞれを評価していきます。メディアがなぜ絶賛するか私には皆目見当がつきません。共通点は筆が強いので読者が信じてしまうことです。小説なのでいいではないかというご意見もありますが、それ以上に、小説の許される範囲を逸脱した内容です。

 はっきりしているのは、司馬遼太郎は毎日新聞で出版するようになってから作風がガラリと変わりました。山崎豊子は最初から毎日新聞です。なので、西山太吉の愚かなる行為を描いた「運命の人」なんかは、モデルの西山太吉をこれでもか、と美化します。毎日新聞は、西山太吉と沈まぬ太陽に仕舞いをつけないとジャーナリストを名乗る資格がありません(同じく、浅見一男と本田勝一にしまいをつけない朝日新聞もジャーナリストを名乗る資格はありません。この二人は、帝国陸軍の少尉二人を支那に銃殺刑にさせてています。朝日は人殺し新聞です。うちにも朝日新聞が時々売り込みにきます。私は言います「嘘に金払えって言うのか」「人殺しの片棒を担ぎたくなから」と)。

 この中でランキングをつけるとしたら1位は山崎豊子、2位は司馬遼太郎、三位は阿川弘之、四位は城山三郎と吉村昭です。このひどい人たちの小説を私は若い頃に貪るように読んででいました。恥ずかしい。真実を知った時は自分の人生否定されたように感じました。

 「大地の子」では上梓したあと何かの雑誌でインタビューをうけた彼女は周恩来によくしてもらったことや周恩来がいかにすらばしい人間かを語っていましたがうまく利用されたにすぎません。

  一番ひどいのは、「沈まぬ太陽」です。事実をひん曲げています。若い頃にどういう体験をしてきたのだろうか。日本航空は悔しくて仕方がなかったでしょう。

 先日、ニュースで、今でもこの事件が日本航空に負の遺産を抱かされているというような報道がありました。
これってただメディアの責任だけだろう

真実を報道するそれが唯一民主主義を守る手段である

  このメディアコンセプト守っているメディアは一社もありません。一番大切なのは、

誰が正しいかではなく、何が正しいか

です。日本の中にはメディアに限らず、政治家、官僚、企業、利権団体・兵庫県庁等にこの「誰が正しいか」が蔓延し素晴らしい若者の成長を阻害してます。私は命を閉じるまでにささやかな抵抗で終わるかもしれませんが、この「誰が正しいかではなく、何が正しいか」の「誰が正しいか」でのさばっている老害を一つでも多く叩き潰し、若者が成長しやすくなる世の中創りをすることです。
 立憲民主党の安住が予算員会の委員長になりました。こいつはどうしようもない共産主義左翼リベラルです。野田佳彦と一緒です。でも、始末に終えないのがこの二人(いや、立憲民主党の他の左翼も自民党の左翼も公明党も)自分たちが共産主義左翼リベラルと思っていないことなんです。判断材料は

労働価値説

ただ一つだと言うことです。今回はその話をおいて、自民党の議員で元制服組自衛官が安住に発言を要求した時に、お前は「制服組だろう。それに先の大戦で侵略を犯した者の仲間だろう」という発言をしました。元自衛官は民主主義の民意を代表して代議士人なりました。安住はその民主主義を否定しました。元NHK出身には池上彰といいこういう輩が多い。ずいぶん良くなりましたが、まだ、NHKは

NHK(日本破壊協会)です。
 
我が国の歴史などけしつ分ほどもしりません。こう言うのが議員にいること自体が恥ずかしいし、よくこう言う人間に投票する国民がいるなと不思議でなりません(国体を破壊する国民は私は否定します)。もし私のこの論点を否定するなら今回の安住の所作も強く否定しろ。あいつらはは公人だぞ。

 さて、 日銀の植田総裁も公人でありながら特定の集団を守るために利上げをしました。今回の利上げには何の理由もない。だって、企業は、銀行にお金を預けてもいまだに0金利です。でも、金融機関はだまっていても0.5ん%の金利をもらえるのです。これって金融機関のための施策ですよね。金融機関からお金もらっているの? メディアはもっと騒げよ。

 今の日銀総裁は総理大臣でさえ辞めさせることができません。日銀は独立性など本来持っていません。持っているのは金融政策の独立です。早急に日銀法を改正しないと我が国には永久に好景気などきません。

 また、「物価が心配だ」と植田総裁はいいました。あんたは政治家か。日銀総裁が考えなければならないことはマクロ経済です。ミクロ経済ではありません。もし、本当に物価が心配なら我國を好景気にするために金利の引き下げを考えろ。もう支離滅裂です。
 昨日のつづです。ここからでしたね。

❶応用情報技術試験まであと、約240日、5,760時間、345,600分、20,736,000秒(発表がまだのため令和7年10月10日で設定)
❷情報処理安全確保支援士試験まであ421日、10,104時間、606,240分、36,374,400秒(発表がまだのため令和8年4月20日で設定)
❸70歳まであと約2,379日、57,096時間、3,425,760分、205,545,600秒(令和10年8月20日まで)
❹106歳の誕生日まで11,129日、256,096時間、15,365,760分、921,945,600秒(令和37年8月20日まで)

 マルウェアは私達年代にはあまり馴染みがない言葉でした。「コンピュータウィルス」という言葉しかなかったような。

 まず、「マルウエアって何?」から、始めましょう。「悪いソフトウェア」です。

 目的は、コンピュータを使う人に不正もしくは有害な動きをすることを目的にしています。

 マルウェアを利用したハッキングはブラックハッカーが最もよく使う方法です。だからホワイトハッカーはマルウエアをブラックハッカーが使う方法を熟知しておく必要があります。

 マルウエアと言われるのもにはたくさん種類があります。

❶ウィルス
❷ワーム
❸ランサムウエア
❹ポット
❺バックドア
❻ルートキット
❼スパイウエア
❽アドウエア

 などなどです。これが全てではありせん。前述した「コンピュータを使う人に不正もしくは有害な動きをすることを目的」としているものは全てです。

 今日は、ウィルスとワームです。
 今日の手紙は、戸畑病院に入院中の祖母(綾子)と看病中の叔母(洋子)に出した手紙です。今もありますね。「戸畑総合病院」です。結構すごい病院です。クリニック経営というのは結構儲かるのですが、病院経営は医師だけではなく様々な分野のコメディカルや他のサービス従事者がこれだけのサービスを提供するとなると、総合的にリーダーシップを発揮する人間がいないと無理です。一番厄介なのは医師です。病院が大きくなるに従って医療は専門科に細分していきます。できることできないことがはっきり分かれてきます。そこに国家資格を持ったコメディカルが関わります。看護師さんが一番総合的に医療を見る目を持っていることは、一度でも入院したことがある人ならわかるでしょう(わがままな看護師さんは手に負えませんが)。

 ホームページを見る限りでは、それらの運用が統一的に患者に提供されている気がします。もし、これが本当ならどなたか素晴らしい方がいて、医師やコメディカルや他のサービス提供者を納得させるコンセプチュアルスキルをもっています。まるでホテルのような病院です。

 また、ベット数は196です。ここに26の診療科があります。このぐらいのベット数の病院の経営が一番苦しい。310名の職員数で、看護師が127名。病床稼働率80%としても稼働しているベットが約157床。ICUの看護師基準の1対2、オペ看(手術従事看護師)、病棟看護師、臨床看護師等で看護師の最高基準の1対7を回そうとすると恐らくこれだけの看護師が必要なのでしょう。かなり効率化された「他セクションとのコミュニケーション方法」「情報共有力」「人材育成力」「IT化とその活用」等が実現していると言うことです。でないと病院が大幅な赤字になってしまいます。また、タニタの食堂が入っています。これも有効ですね。Wi-Fiも完備です。これは個室に入院している人間としては助かります。

 患者さんと看護師さんの口コミもとてもいい。私が心臓バイパス手術で入院した「岐阜ハートセンター」もこのような感じでした。お見舞いに来てくださった年配のコンサルタントさんが「宝徳先生、ここはまるでホテルだね」とおっしゃっていました。

 閑話休題。いけないけない。医療のブログではなかった。昭和三十八年三月二十三日の手紙です。封書で郵便代は20円です。この頃はもう妹(幸:実は妹の誕生日は今日二月十三日です)が生まれていますが、母は産後1ヶ月ちょっとです。手紙における母の文章の素晴らしさが感じられます。昭和一桁生まれとは日本女性が一番美しい頃かもしれませんね。
  この記事では、宇佐美の親父さんが非真面目な思想で開発したTCS(トラックステーション)について、私が親父さんから伺った話を書いています。今日のテーマはポスターボードです。




 宇佐美のTCSは販売量が半端ではありません。例えばタイヤなどを売ると、一番売っているスタンドは1万本/年です。それも人口5万人ぐらいの四国の池田の街です。かつてやまびこ打線で蔦監督に引き入られ甲子園を沸かせました。はっきりいってど田舎です。この街でどうやったらそれだけのタイヤが売れるのか・・・。街のタイヤ専門店が潰れてしまいました。私が担当していたのはまだセルフが解禁になる前でしたから現在は把握していませんが。

 他にも、年に一回所長会と主任会がそれぞれ当時本社があった、愛知県の津島市で行われるんですが、その時に行われる表彰式で発表される販売個数や本数が私たちの常識の数字に0が一つ多いのです。そんなに優秀な社員が揃っているかと言うと最初は違います。新入社員教育は、頭、抹まっ茶茶の人間が寝ています。でも、それが1ヶ月も経つとこの人あの時の???というぐらい成長しているのです。

 閑話休題。ある時また親父さんとスタンド巡回をしました。車の中で親父さんが「宝徳なあ、これだけスタンドが増えると当然だが俺のことを知らない社員がいるんだ。するとなあ、そいつが色々な商品をセールスしてくるんだ」と嬉しそうに語ります。

 でも、スタンドのオープンなんかはセレモニーにはそのスタンドで働く社員も参加します。そして、セレモニーが終わったあとは、親父さんの周りにスタッフが集まって、楽しそうに会話をしています。その時の親父さんの嬉しそうな顔。「この人は、本当にお客様を愛し、従業員を愛し、事業を愛しているんだなあ」って思って涙が出てきます。オープンの時の親父さんの挨拶「元売りの皆様、金融機関の皆様、消防関係の皆様、SSを作ってくれた会社の皆様、地域のみなさま、従業員の皆様、皆様のおかげでまたひとつ夢がかないました」といいます。すっごい素敵な笑顔で。私の涙腺は大崩壊です。「親父さん、よかったね。また、夢が叶って」と心の中で思いながら。

 おっと、また前置きが長くなった。親父さんとスタンド巡回に行った時に、ショップの中のポスターボードにポスターが貼ってありました(当たり前ですが、こんな風に)。


 
 すると親父さんが激怒。
最終契約後の状況による支払いの変動からでしたね。この記事は、中小企業庁 M&Aガイドライン(第3版)を参考に加筆してお届けしてます。


 譲り受け側から譲渡し側への譲渡には、さまざまな要素が組み込まれます。そのために、最終契約に至るまでバリュエーション調査(企業価値評価・事業化評価)やDD、譲渡し側の希望などの結果や交渉のステップをしっかり踏まえ、その結果や交渉からの「決まったこと」は、常にレビュー(確認)することが求められます。でも最終契約後に譲渡額を調整・修正する条項が設けられることもあります。いずれも、双方の解釈の相違により、争いに発展する可能性があることから、その条項の設定を設ける際には調整・修正が発生する条件、調整・修正の方法等の妥当性を確認の上、明確かつ詳細な内容にすることが求められます。

❶アーンアウト条項
 クロージング後の一定期間(通常三年以内)もおける時点において、対象企業 の売上や利益等の財務目標や売上個数や入居率等の非財務項目を設定し、目標が達成された場合に譲り受け側から譲渡し側に追加対価を支払うことを定める条項です。

 クロージング後の業績悪化等のリスクが回避できます。

❷株価調整条項
最終契約からクロージングまでに、譲り渡し側の企業価値が変動した場合に、既に支払った譲渡対価について、調整を行う条項です。これはとても危険なので条項の設定にあたっては慎重になるべきでしょう。

❸支払金の返還に関する条項
 過去の投資に基づく損失や過年度の修正が発生した場合等において、既に支払った譲渡対価について譲渡し側が譲り受け側に対して払い戻すことを定める条項です。

 どれもお金に絡むことなので、かなちお互いがナーバスになることが予想されます。お互いリスクをどう見るかのすり合わせを十分行って何度も確認してください。

 次回は、譲渡し側経営者に関する資産・負債の最終契約後整理についてです。
❶応用情報技術試験まであと、約242日、5,808時間、348,480分、20,908,800秒(発表がまだのため令和7年10月10日で設定)
❷情報処理安全確保支援士試験まであ423日、10,152時間、609,120分、36,547,200秒(発表がまだのため令和8年4月20日で設定)
❸70歳まであと約2,381日、57,144時間、33,428,640分、205,718,400秒(令和10年8月20日まで)

 マルウェアは私達年代にはあまり馴染みがない言葉でした。「コンピュータウィルス」という言葉しかなかったような。

 まず、「マルウエアって何?」から、始めましょう。「悪いソフトウェア」です。

 目的は、コンピュータを使う人に不正もしくは有害な動きをすることを目的にしています。

 マルウェアを利用したハッキングはブラックハッカーが最もよく使う方法です。だからホワイトハッカーはマルウエアをブラックハッカーが使う方法を熟知しておく必要があります。

 マルウエアと言われるのもにはたくさん種類があります。

❶ウィルス
❷ワーム
❸ランサムウエア
❹ポット
❺バックドア
❻ルートキット
❼スパイウエア
❽アドウエア

 などなどです。これが全てではありせん。前述した「コンピュータを使う人に不正もしくは有害な動きをすることを目的」としているものは全てです。

  次回からこれらのマルウエアを見ていきましょう。
  今日は紀元節です。建国記念日なんていうへんてこな名前ではありません。

今年も紀元節を迎えることができました。おめでとうございます。


 日本語において「節」と「日」は意味合いが全く違います。

 天皇誕生日ではありません。「天長節」です。文化の日ではありません。「明治節」です。昭和の日ではありません「昭和節」です。

 皇弥栄(すめらぎいやさか)では、今年もまたこの節を迎えることができたことを祝います。神話の世界から世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我國 日本では。特定の「日」を祝うのではなく、「長い歴史を今年も通づけることができました」と「節」を祝います。



 とても良い歌です。ぜひ、ユーチューブで聞いてください。
  石油業界の自由化の前にもう一つの悪しき風習です。「押し込み」というのがありました。新聞協会でいうところの「押し紙」です。石油業界では、燃料油や潤滑油(エンジンオイル)を月末になると無理やり販売店に入荷させる慣習のこをと「押し込み」と言います。

 私は出光興産株式会社名古屋支店勤務の頃も押し込みは一切やりませんでした。大阪支店販売一課長の時には、課員が押し込みをしようとしたら「販売店の財務バランスが一気に崩れるぞ。押し込みはダメだ」といって辞めさせました。すると他の課から「俺たちはしんどい思いをして押し込みをしているのになぜ販売一課はやらないんだ」と言われました。私の返答は「自分たちが泥棒しているから俺の課にも泥棒しろっていうのか!」と言ったら「泥棒とはなんですか!」とくってかかってきました。

  これがいけないんです。日本の社会は。間違った仕事の仕方をしていて、それが当たり前になっています。それが若い人の成長をどれだけ阻害しているか。兵庫県庁もそうなのでしょう。

 堂々と売ればいい。「もし押し込みをするなら、月初に押し込みをして、月末までに押し込んだ分を販売店を一緒に売り切ってこい」と課員には言いました。

 私が課長に時にやった「まともなこと」は、他の課長からバッシングがありました。それも私が出掛けていない時に、うちの課員にバッシングするのです。私が当時、出光で最年少課長であったことも彼らには目障りだったのでしょう。

 閑話休題。では、自由化の話。
 今日の手紙を紹介します。昭和三十八年(1963年)十二月五日に母から叔母(洋子)に宛てた手紙です。妹(幸)は生まれていままだ生まれる前です。ハガキ代は五円です。祖父が初めて大阪に来られました。父は椎間板ヘルニアで入院しています。元々、貧しい家だったのですが、この父の入院からさらに貧しくなりました。でも、母は貧しさを子供達に見せたことはありませんでした。幸い母は裁縫や編み物ができたたので、内職で生計を立てていました。昔の女性は、裁縫もできました。私の服などは、買ったことがなく、すべて父のお下がりでした。二件つづきの市営住宅に住んでいました。祖父が遊びにきています。この時のことは覚えています。祖父にグローブをおねだりしています。それも「子供のグルーブではなく大人のグローブだよ!」とお願いしました。祖父は若い時、大病をしてどっちだっけな、片方の目が義眼でした。祖父が寝ていても義眼の方だけ目が空いたままです。少し怖かった。

 北朝鮮から引き揚げてくるときに、「日本に帰る船を準備してやる」と朝鮮人に騙されてお金だけとられました。その時、祖父は朝鮮人に銃を突きつけられたそうです。伯父は戦争に行っていましたから、祖父以外はすべて女です。母が怖くて泣いていると、祖父が「泣くな!!!」と言ったそうです。さすが祖父は知っていますね。支那人や朝鮮人には絶対弱みを見せてはいけません。虐げられて生きていきた民族は強い相手には従いますが、弱い相手にはとことん強くでます。

 母はその時「お父さん(祖父)は何てすごいんだろう」と思ったそうです。

 いいおじいちゃんでした。晩年も一人で泳ぎに行ったりしていました。住んでいるのは福岡県遠賀郡芦屋町です。海がすぐ近くです。後に、芦屋町に住みことになる私も、家から海パンを履いたまま海に泳ぎに行っていました。危険なのですが、監視員もいますし、みんなそうでした。

 高度経済成長はまだ始まったばかりです。そのとき、池田勇人総理大臣がいなければ一体日本はどうなっていたのでしょう。では、母から叔母(洋子)への手紙をご覧ください。まだ新幹線がない頃です。新幹線ができるのは次の年の十月です(東京オリンピック)。まだ母の病気は発症していません。
 あまりに無謀な目標を申し上げます。今年の秋に実施される「応用情報処理技術者試験」と来年4月に実施される「情報処理安全確保支援士」試験に合格します。世の中の情勢が私に75歳までとか70歳までというわがままを許してくれません。

 そして、来春(夏に六十八歳になる年)からホワイトハッカーデビューします。その後、知見を積んで、70歳までに国際資格である
CEH(Certified Ethical Hacker:エシカルハッカーであることを証明できる国際資格)
CISSP(世界では注目度トップクラスである資格)

 のどちらかを取得します(これはかなりしんどい目標ですが達成します)。85歳まで働いて90歳で命を閉じよういう計画を立てたのですが、ある社長さんから105歳まで仕事しろ!と言われたのでやります。昔から喧嘩を売ったとはありませんが、売られた喧嘩は必ず買ってきました笑笑。皇紀二千七百二十四年です。キリが悪いから、あと一年後の、皇紀二千七百百二十六二十五年の誕生日に命を終えます。

そのためには、今のかなりくたびれ気味な体調を整えないと。何から始めようかな。

❶応用情報技術試験まであと、約243日、5,832時間、349,920分、20,995,200秒(発表がまだのため令和7年10月10日で設定)
情報処理安全確保支援士試験まであと424日、10,200時間、612,000分、36,720,000秒(発表がまだのため令和8年4月20日で設定)
❸70歳まであと約2,382日、571,698時間、3,430,080分、205,804,800秒(令和10年8月20日まで)
❹16歳の誕生日まで・・・もういいや後で計算します笑笑。

 昨夜の朝日新聞のニュースで、SNSからの被害が急激に拡大しているというものがありました。今やっているソーシャルエンジニアリングですね。前回のブログ記事を振替えります。(二月二日)

松島の 松の齢(よはひ)に 此寺の 末さかへなん 年はふるとも

 仙台藩主 伊達政宗が瑞巌寺の棟上げの際に詠んだ歌です。

 昨日の讀賣新聞日曜版「よみほっと」の記事です。私は、このよみほっとが大好きで、日曜日の讀賣新聞が来るのを楽しみにしています。読売新聞を定期購読すると、讀賣新聞アプリがダウンロードできます。いろいろな楽しみな読みがいのある記事があり(新聞記事だけではない。小説なども)、買い物もできます。買い物すると「よみぽポイント」が付き、特典やポイントによる交換もあります。ゲームをしてもポンイトがたまります。私の朝一番は福くじ→おみくじ→星占い(これもポイントが付く)をしてその後、記事を六つ読みます。読むとこれにも「よみポイント」が付きます。その後間違い探しをやって脳を活性化させて仕事に付きます。日曜日になると「よみポイント」が付くクロスワードと数独もやります。とにかく、この讀賣新聞と讀賣新聞日曜版「よみほっと」が大好きです。うまくアプリを作るなあという感じです。

 読売新聞を定期購読(配達)しています。もうやめようかなあと思ったこともありますが、定期購読をやめると「よみぽランド(アプリの中のレージャーページ)」もやめなければならないのでやめられません。上手なやり方です。でも、とっても楽しいです。

 そして、昨日の、よみほっとが、瑞巌寺です。私は戦国武将の中で伊達政宗と佐々木道誉というやんちゃ坊主が大好きです。

 織田信長が、誰もが思わなかった天下統一「天下布武」を掲げました。それまでの戦国武将で天下統一を考えた者などだれもいませんでした。信長は、武力はさほど強くはなく、戦でまけてばかりいました。(TVドラマで描かれている信長には、いつも違和感を感じます)。でもこの天下布武という戦国武将唯一のコンセプチュアルスキルで天下統一に近づきました。

 それを見ていた豊臣秀吉や徳川家康が「あっ、天下って統一できるんだ」と思い、その後の二人の天下統一につながります。伊達政宗は、惜しむらくは、生まれてくるのが遅かったのです。生まれた時から、信長・秀吉・家康の天下統一のコンセプトを持って持ていました(佐々木道誉の時代は室町なので天下は統一されていた)。伊達政宗はギリギリまで天下統一を諦めていませんでした。

 この瑞巌寺も秀忠が征夷大将軍になって、各地の大名を取り潰す流れの中で、仙台藩にもその余波が来た時に、伊達政宗は敢然とそれに立ち向かう拠点にこの瑞巌寺をフル稼働させようとしました。瑞巌寺には、いろいろな戦いのための工夫がなされています。
 二月二日以来のこの記事です。

 スモールM&Aの難しさの一つに、意思疎通がなかったそれぞれの経営者がお見合いして結婚までいきつくことにあります。お互いを見つけ合い、意思疎通をして、情報を公開し合いながら理解を深めていく。あせらなくていいので、しっかりとこの意思疎通を行なってください。

 今まで、経験した中では、ある会社が、大きな会社(大企業ではない。規模が)の子会社(株式譲渡)にするというお見合いと結婚がありました。すると、DDでの意思疎通ができていないことから、出るわ出るわPMIどころではなく、財務上の齟齬が結婚後にたくさん出てきてそれの後始末で業務指標を生じた例があります。

 さて、支払いですが、最終契約の基づく支払いや手続きは、クロージング時に実行することが基本ですが、そのタイミングがズレる時があります。

❶譲り受け側にお金が足りない
 これが一番物議を醸し出します。つまり、譲受がわに支払うお金がないときです。破談になることもあります。せっかくここまで話し合ってきてということにもなりますので、しっかりと仲介やFAに何度も確認することが必要です。

❷役員退職功労金の支払い
 これもクロージング後の支払いとなります。譲渡し側の経営者や役員が一定期間業務引継ぎとして譲り受け側に残ることがあります。その時にこの方達へインセンティブとして活用されることがありますが、この場合も譲受側の資金状況によって揉めることがあります。また、譲り受けたけど事業がうまきくキャッシュフローを産まなかった場合もあります。これは完全にDD不足です。これも揉めます。

❸株式の段階的取得
 これもクロージング後です。揉め事が起きるのはDD不足であったり、譲り受け側の資金不足であることが多いのです。これなどは、解釈の違いが如実に出てきます。けりをつけるものは早目に越したことがありません。

では、次回は、最終契約後の状況による支払いの変動についてです。
  今日から七十二候は、立春 次候 黄鶯見院(うぐひすなく)です。

 かつての日本人は、春を告げる最初の一声である「初音」を何よりも大切にしました。

春来ぬと 人は言へども 鶯の 泣かぬ限りは あらじとも思ふ

 壬生 忠今と言う人の歌です。

 「初音」は春の季語でもあります。久しく鶯の鳴き声を聞いていないですね。静岡や千葉に住んでいる時は聞いていました。「ホーホケキョ」とちゃんと泣ける様になるまで結構時間がかかるんですよね。そこに至るまでの完成しない鳴き声を「ぐぜり」と言います。これって、鶯は前の年にはちゃんとないていたのに、新しい春には、またぐぜりから始まるそうです。

 東京に「鶯谷」と言う街があります。なんでも寛永寺のお坊さんが、「江戸の鶯は訛っている」といって、京都からこの鶯谷に数千羽の鶯を運んだそうです。鶯にも方言があるんですかね笑。

 鶯はいろいろな別名があります。「春告鳥」「歌詠鳥_・・・・。

 今年こそ、久しぶりに鶯の綺麗な声が聞きたいな。泣いている場所に自分で行かなければならないのかなあ。

 調べてみたら、西宮神社は鶯の名所だとか。近いし行ってみたいな。

 猪名川町に「うぐひす池公園」というのもあります。

 ああ、そうだ。もう直ぐ寒梅の季節ですね。岐阜に梅林公園という梅が見事に咲く名所があります。

 ここの翠々円 植東という店の菜飯と田楽がとてもおいしい。宿泊もできます。最後は食い気ですね。私は笑。

幼き頃 初音の声を 母と聞く 春告鳥と 母は語りて
 この記事では、宇佐美の親父さんが非真面目な思想で開発したTCS(トラックステーション)について、私が親父さんから伺った話を書いています。今日のテーマはアンダーシャツです。


 今は知りませんが、宇佐美のTCSにはいろいろな物が売っています。俗にガソリンスタンドは、燃料油とオイルと油外三品(TBA Tタイヤ。Bバッテリー、アクセサリー)、役務収入(作業量料等)がありました。また別のところで述べますが、宇佐美のスタンドの強さは、燃料油に軽油あること(平均すると当時でガソリン200㎘、軽油600㎘、灯油も強かった)とTBAはものすごい販売量です。TBAをたくさん売るので作業資料としての役務収入が高いのです。なので、ガソリン価格が乱売で低くなっても平気で商売ができます。それ加えて、ショップのこの「いろいろな物」の売り上げがすごいのです。なので他社のスタンドがやTCSが近くに出てきても、あまり怖くはありません。1番の競合はコンビニエンスストアです。「いろいろな物」の売上が落ちるからです。

 それに宇佐美の親父さんは、あまりこれら商品の実績にうるさくいいません。一度、「実績検討(各部署ではやっているのですが)はしないのですか?」と聞いたら「お前は馬鹿か、もう終わった過去の実績を検討してその数字が変わるんならやるけど、過去は変わらんだろう」とおっしゃいました。確かにそうですね笑。専務さんたちも過去の実績より「実績表に昨日の実績が記入されていない」「制服が乱れている」「スタンドが汚い」などの鮮度をとても大切にしていました。

 親父さんの全国の所長に対するマネジメントは電話です。なんせ数が多いので順番に少しずつ電話をかけるのです。突然。いつかかってくるかわかりませんから、所長さんが電話を取って親父さんだったらびっくりします。

 「おい、今日はどうだ」「いつもと変わりません」「昨日と同じ今日があるか!!!」てな具合で。

 時には「(宇佐美のTCSで売っている)棚のラーメンは、何を全面に置いてある!?」と親さんが電話をします。咄嗟のことなので所長さんたちは答えられません。「ただボケーっとラーメンをならべてどうする。今、一番宣伝(CM)をやっているラーメンを調べてそれを前におかんか」とか言います。これは何もラーメンと話をしているのではなく、そのぐらいちゃんと考えろとおっしゃっています。いつも私に言うように笑。

 宇佐美にTCSにはトラックの運転手さんが着替えられる様にアンダーシャツも売っています。あるとき、私が親父さんに聞きました。
 母(汎子)はこのようにとても筆豆です。推敲も毎回しっかりします。加えて、私たちの子供の頃からの「母子手帳」「成績表」「賞状」などもきちんととっていてくれました。

  父もとても筆豆です。生前はことあるごとに手紙を書いていました。特に姉の息子(一城)、私の息子(真大)には。手紙を泣く泣く廃棄してしまったのはおしまれますが、このブログにも「命の手紙」として書いています。右上の方にある「検索」を押したら出てきます。アーカイブの活用方法は、月毎に書いた内容が格納されています。

 それが、なんと、父が書いた「寳德義一百年歳祭」というワープロうちしたものを冊子形式にまとめているものが残っていました。また、紹介しますね。

 義一は、私の父方の祖父です。ソ連のシベリア拉致(あれは抑留ではない)でおそらく亡くなりました。
 
父です。                              父方の祖父です。これで二十代前半です。
帝国海軍甲種飛行兵           明治の男たちに比べたら私たちの世代は
第14期です。この二年後      なんて子供なんでしょう。
に先任伍長になっています。  この写真は常に家に飾っていありました。
260人の兵を率いていた      「おじいちゃん、怖そうだなあ」って思って
そうです。「健なあ、部下が   いました。父は「敗戦後はいつも親父が欲しい」
悪いことをするとすべて       と思い、舞鶴に何度も言ったそうです。
父さんの責任になるんだ。   弓の腕前は錬士二段です。
でも、父さんは『俺の管理    もちろん、私は、会ったことがありません。
能力がないだ』と一度も      父方の祖母は四十代前半で未亡人になり
他人の責任にしたことは     ました。寂しかったでしょうね。
なかった。それがリーダー
だぞ!」と繰り返し聞かされ
ました。

 さて、今日は、少し母と叔母(洋子)との手紙を離れ、前野のおばちゃんが、祖母(綾子)に宛てた手紙を紹介します。前野のおばちゃんは、私とどういう親戚関係にあるのか、いまだに私にはわからないので、このブログで解明します。でも、とても優しいおばちゃんで、会うとかならず、和紙にくるんだお菓子をくださいました。

 SNSよりやっぱり手紙の文化の方がいいですよね。もし、戦国時代にSNSがあったら、彼らが書いた素晴らしい手紙は残ってないですものね。不易流行。
 卸売の世界は、取引先である小売の力が増します。それでも出光にはまだ販売店の従業員が憧れてやまない直営店があったので、力はありました。心斎橋直営・姉ヶ崎直営などは、水道についているホースの巻き方まで、それらで研修を受けた販売店従業員は真似ていました。私も見たことがありますが、それは見事なドクロ型をしていました。郡山出張書の直営店は残念ながらそうではありませんでした。

 出光興産株式会社の誤った判断は、それらを販売子会社に移管してしまったことです。私たちの頃は、直営店の社員が病気をしたりしてスタンドに欠員が出た時は、事務所の社員が平気で欠員補充に入っていました。おそらく今は無理でしょう。出光興産株式会社は小売を手放してしまったのです。ですから、「なんで出光興産の社員はこんなに売るのが下手なんだろう」という状態ができてしまいました。

 私は本社勤務の際によく、先輩方に質問をしていました。「我が社は、小売ですか? 卸売ですか? 製造業ですか?」と。

 誰も答えてくれる人がいませんでした。佐三店主は「大地域小売業」と明確に言っていたのに。もし変えるのなら、それを経営者として社員が納得いくようにして、仕組みを変えていく必要があります。いきなり「総合エネルギー企業」と経営者が言い始めましたが、普段の仕事と掛け離れ社員は何をしていいかわからなくなりまし。結果、その経営者に気にいられている茶坊主がたくさん出世し、会社はめちゃくちゃになりました。そういう人ほど威張っていました。

  野武士揃いと言われた社員や常に辞表を懐にしまって自分の思うように仕事にアタックしている社員も少なくなりました。私たち若い社員から見ても「この人すげえ」という人も。 

  このように混乱に混乱を極めていた石油業界にお天道様はそれを正そうとするのは当然です。
  かつてあんなに素晴らしかった日経新聞は、今や完全に財務省のポチです。一部二百円??? 高すぎるでしょう。日曜日の文化欄だけ面白い。日本文化新聞に名前を変えたら。

 朝日新聞は吉田清治、本田勝一等にしまいをつけないとジャーナリズムを名乗ってはいけません。毎日新聞も西山太吉、浅見一男(こんなじだっけ?)に、しまいをつけないと朝日と一緒です。特に、本田克一と浅見一男は、新聞記者の命である事実の確認(ウラを取る)をしないで、向井・野田両少尉の罪をでっちあげ、両少尉は支那の雨花台で銃殺刑にされました。彼らの家族が無実を訴えて戦ったのに司法はそれを袖にしました。両新聞は、名前を「日本共産主義リベラル新聞」に名前を変えたらいい。

 産経新聞も最近はウラをとりませんね〜。だから生地が浅い、何が保守だ。保守とは

国体を破壊する狂気に対抗する力

です。産経は少なくともその動きをしていない。日本の国体「シラス」を守ろうとしていないのだから。「日本弱腰新聞」に名前を変えてください。

 地方新聞はもってのほかです。特に、北海道・中日(+東京)・西日本の三つの新聞社は「赤い御三家」と言われています。地方新聞の社説は共同通信と全く同じ。なので、北海道で地方新聞を買って、関西で例えば神戸新聞を買うと、まったく同じ社説を読むことになります。地方紙は全部共同通信に吸収されたら?

 まあ、まともと言ってもいいかわかりませんが、唯一まともに近いのが、讀賣新聞なのでしょうね〜。では、その讀賣新聞の今朝の朝刊記事に一言ずつコメントします。

 その前に言っておきますが、メディアの使命を繰り返し書いています。それは、

真実を報道する。それが民主主義を護る唯一の手段である

 業界全部にこんな素晴らしい使命があるのはメディアだけです。だけど、そんなメディアを私は六十六年間見たことがない。
 昨日の讀賣新聞のトップ記事は「DDoS攻撃」でした。ディードス攻撃と読みます。大量のデータを送り付け、システムに障害を引き起こす攻撃です

 年末年始(それも12月26日から)に国内の航空会社(日本航空)や金融機関(三菱UF銀行、りそな銀行、みずほ銀行など)、(NTT docomo)が狙われました。それも「絨毯爆撃型(企業内のサーバーやネットワーク機器を広範囲に攻撃する)。新聞記事はこの絨毯爆敵型が国内でこれほど大規模に行われるのは異例と言っています。これの対応するには「能動的サイバー防御」が必要だと言います。

 今回、被害にあった企業の多くはDDoS攻撃に備えて、警視庁や内閣サイバーセキキュリティセンターが推奨する「CND(コンテンツ配信サーバー)」を入れているそうです。大量のデータを送られても複数のサーバーで分散処理し特定のサーバーへの負荷を軽減するものです。

 でも、CND導入はとてもコストがかかるので、全部のサーバーには導入していません。このため導入している企業でもCDNで守られていないサーバーのあるところで被害が起きました。海外サーバーのブラックハッカーはこれで自信を深めたでしょう。一定の効果があるのですから。今回は犯行声明がなかったので一種の実験のようです。

 この方法で中小零細企業や中小零細企業が活用しているクラウドなんかが攻められたら、中小零細企業はひとたまりもありません。さて、どうするか。解答はまだありません。

 クラウドがやられると言うことはAIや生成AIもおかしくなると言うことです。ITは、新しいシステムを開発するときに、セキュリティまで対策を打っていません、だから、ブラックハッカーはその仕組みさえ知ってしまえば、いくらでも攻撃でき、セキュリティは常に後追いになります。怖いですね〜。

 今、研究している医療のセキュリティが狙われたら、ほとんどの医療でDDoSの絨毯爆撃型なんて対策をしていないのですから、手術中や治療中の患者さんはどうするのでしょうか?
 この記事では、宇佐美の親父さんが非真面目な思想で開発したTCS(トラックステーション)について、私が親父さんから伺った話を書いています。今日のテーマはゆで卵です。



 親父さんの非真面目もきっと、常に試行錯誤とトライアンドエラーを繰り返したのでしょう。でも、一緒に宇佐美のTCSに行くたびに昔あった話を楽しそうに話してくれます。必ず思いとともに。

 ある日、一緒に巡回した日に、昔、ショップ内のテーブルに「ゆで卵を3個50円(当時)販売した」話を聞きました。

親「どうだ、宝徳、それなら買う気になるだろう」
私「はい、でも、それって原価割れではないですか?」
親「全くお前はいつも何も考えん奴だ。真面目に考えるなと言ったろう。非真面目だ。馬鹿につける薬があったら100万円出してもお前につけてやる」

 また、これです。何回目だ。と、思ったけど、何回も言うというのは親父さんに言わせたら1万回だそうすから。うん、1万回聴こうと思いました。

親「一度に3個もゆで卵を食う奴がいるか? 多くのトラック運転手が一個か二個、ゆで卵のカゴに返していくんだ。どうだ。これなら原価割れしないだろう。お客様に喜ばれて結果的に儲かるのがお客様のためになるんだ。安いなあ、って買って気分が良くなって、そして、結果的に儲かる。んうん。宝徳なあ、商売は儲けよう儲けようとするな。儲けようとすると商売が小さくなるぞ。お客様のためになることをしていれば、お客様が自然と儲けさせてくれるんだ。覚えとけ」(このセリフも100回は聞きました)。

私「(すっげえ! これって二宮尊徳の『遠くを図る者は富み、近くを図る者は貧す』じゃん。口で言うの簡単だけど実践はこうするんだ」

 私に自慢すると親父さんの顔はたまにドヤ顔になるのが可愛いのです。

 そして、さらに思ったことはスループット会計とそれを実現するための制約条件の理論なのです。私の頭に入っていたことの実践版をいつも親父さんは現場で「魅せて」くれます。福澤諭吉先生のいう「実学」とは、こう言うことなのでしょう。上滑りの学問ではダメだ! ということですね。

が〜ん。

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 今、宇佐美の親父さんの記事を素晴らしく書き上げたのですが、ブログに嫌われて「そんな記事をお前は書いていない」と保存を拒否されました。ものすごくショックです。一回下書きで保存すればよかった。涙涙。折れた心を補修するために朝ごはんを食べて来ます。悲しい〜。
 母は、子供たちが勉強しなくても決して「勉強しなさい」とは言いません。私は、中学一年の時、とても乱れました(父に言わせるとこいつは中学の時札付きの悪だった。と親戚や知人に私を紹介。でも、恐ろしくてあんなごんだくれ中学でそんなことはとても無理です)。

 成績も落ちまし。高校一年生の時も3番で入った成績一年後とんでもないことになりました(これは事前に両親に断っておいたが流石にこれは許容範囲外)。母はたった一言「あなたはこんな成績を取る子じゃないのよ」。と、涙を一粒ながします。それ以外はいつもの明るい笑顔です。これをされては男として無視できません。中学の時と高校の時の成績は次の試験で一気に上げました笑。(知らんけど)。

 母は私たちに勉強を教えたことがあったかな・・・・・・。という感じです。最初に習ったのは「鉛筆の削り方」です。当時まだ電導はありませんでした。小さなマッチ箱のような手動鉛筆削り箱穴に鉛筆を入れて鉛筆を回せば削れます。その後すぐに手動でハンドルを回すと鉛筆が削れる縦型のおもちゃみたいな削りきができました。でも、母は、これを許しませんでした。ナイフで一本一本削らせるのです。何回かやるとうまく削れるようになるのですが、勉強する前に鉛筆を削るので、なんか勿体無くて勉強に使いたくなくなります。次からは勉強のあとに削るようにしました。

 次に辞書の引き方です。へーーーこんなにいっぱい言葉ってあるんだ。とか。同じ読み方でも違う感じがあるんだとかいっぱい色々なことを知りました。今では、スマホで検索しますが、スマホが出る前は辞書が大好きでした。私は、あの厚みの何ページぐらいにその言葉があるというのを覚えていました。

 次に手紙の書き方と推敲の仕方です。我々がSNSをやるような頻度で手紙を書いていたのではないかなあ。なので、こんなたくさん残っている。

 さて、今日は、まだ病気になる前の母です。昭和四十年一月一日。お正月に祖父(璋二)がきています。連名でハガキを書いています。ハガキ代は五円です笑。私は小学校一年生。大阪府枚方市に住んでいた頃です。

 祖父が遊びに来ている時、祖父はいつもの習慣で朝からお酒を飲もうとしました。父が「申し訳ありませんが、子供たちがいるので朝から飲むのをやめていただけませんか?」と言ったら一日機嫌が悪かったみたいです。

 話は遡りますが、父と母が結婚したばかりのときに、母の実家に行きました。夕食の席で、祖父が「さあ、佳男君(父)、一杯やろう」と言いました。父は、「いえ、癖になりますから控えます」と言った父に、祖父と母は惚れたみたいです。まだ、昭和三十一年です。まだまだ敗戦の爪痕が消えていない時です。貧しかったのです。
  今日は、潤滑油の話をしましょう。民生用と工場用で潤滑は分かれます。工場用はとてもたくさん種類があるのですが、もし、緊急に必要となったときは、同じ種類ではなく、粘度で合わせていいきます。ただし、切削油と言って、ものを切る時にかける潤滑油別です。出光は当時から潤滑油シェアが日本一でした。潤滑油にはとことんこだわっていました。新入社員時五月の連休のことです。確かあのときは五連休だったと思います。年配の社員の方が「五月も連休はすまんが全部開けてくれ。その代わりうちの母ちゃん飯を家でご馳走するら」と言いました。出光の社員は家族同士や妻帯者と独身がとて仲がいいのです。出光にはかつて、家族会という佐三店主が続けてきた文化があります。各支店出張所で家族は全員きます。社員はもちろん、独身寮、女の子、お客様、業者の方が年に一度集まって、美味しいものを外で食べる会です。なので、本社や支店出張所にいる人で知らない人はいないのです。これは、次に、「うちに遊びに来いよ」がありますし、仕事でどんなに遅くなって、奥様が社員全員を知っているという安心感につながっていました。集合社宅があるところは、奥様方がそれはそれは仲良くなって、私たち男どもに対する圧力団体になります笑。転勤が多いから仕方がないんですよね。私は、一つのところに長く勤務した方ですが、それでも、19年間で5か所(研修を含めたら6か所)を渡り歩きました。

  あと潤滑油は、船舶と原発用いるタービンオイルとか、みかんの葉にダニ(ミカンハダニ)がつかないようにする潤滑油とか、水道屋さんがパイ部を切る時に使う、パイプカットとかがあります。あっ、飛行機に使う潤滑油もあります。

 また、みんなが転勤になると引越しの手伝いに言っていました。とても楽しい会社でした。変な売り方以外は。

 郡山出張所を二年で転勤になり、千葉支店に行きました。その時の嫌な思い出です。

 ガソリンスタンドで売るエンジンオイルをBFC(当時、ベスト(一番いいオイル)、ファースト(2番目)、クレスト(普通))と言いました。ブランド名はアポロ。ギリシャ神話アポロンです。ちなみに工業用オイルはダフニーです。ギリシャ神話では、アポロンとダフネです。又、前置きが長くなるから一番後に書きますね。

 そのBFCのキャンペーンを昨日書いた無鉛ハイオクと同じようなキャンペーンを本社が行うのです。どの部署も恥ずかしい成績は残せません。何をやったと思います?
 今日から二十四節気は「立春」です。新しい春です。暦としては今日からが一年です。

 そして、七十二候は、立春 初候 東風解凍です。「はるかぜこおりをとく」と読みます。

 まだまだ寒いですが、春を感じるあたたかな風が東の方から吹いて、湖や川の氷を溶かしていくころです。東風とは春風のことです。

 東風というと菅原道真公の和歌を思い出します。

東風(こち)ふかば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ

 これを「におい」としたり「春をわするな」としたりするバカな日教組の教育がありますが、そうしてしまうと、せっかく道真公が詠まれた歌が、道真公の歌ではありません。日教組は余計なことをするな。

 子供達の脳は知的好奇心に溢れています。すぐにものを覚えます。漢字も和歌も。子供達にわかりやすいようにという日教組の「小さな親切 大きなお世話」は世の中にいらない。共産主義左翼リベラルはすぐに「小さな親切 大きなお世話」をします。一瞬耳に心地よいので国民も騙されます。


 道真公は、拷問の刑で人殺しばかりやっている支那に呆れて「支那からはもう学ぶことはない」と、遣唐使を廃止しました。日本は、支那と離れている時ほど、幸せになります。みごとな平安文化が咲き誇りました。千年以上も前に、女性が詩や小説を書いています。欧米や支那でこんなことをやったら、その女性は即座に拷問で殺されます。道真公は我國を救われました。

 政治家も少しは正しい歴史を学べよ、思い込みのイデオロギーではなく。

 さて、立春の和菓子は?
  覚えていなかったけど、私って「基本情報技術者」の資格を持っているんですね。そう言えば、出光興産株式会社 大阪支店販売一課長の時に他課の3人の女子社員から「課長も一緒に受けませんか?」と誘われて受けた記憶があります。3人共美人だったからOKしたのかな笑。その時合格したのですね。

  思い出しました。当時の出光興産は経営が厳しくて、この3人の美女軍団が入っていた英会話クラブが廃止になりそうになりました。また3人がきました「課長、なんとかしてください」って。まあ英会話クラブの費用なんて、支店長・副支店長以下私たち役職者が少し交際費をがまんするだけで出ます笑。「何でもかんでも削減すればいいのではないだろう」と思って、「よし、先輩たち(冗談)、俺も英会話クラブに入れてくれ。俺が入っているんなら廃止できんだろう」と言って、楽しく英会話をしました(学生時代はそれなりに話せましたが、ずっと英語を使っていないので。もうすっかりしゃべられなくなっていました笑)。職場って思い出創りですよね。それも「働きがい改革」の一つです。働き方改革=働かない改革とは違います。

  だって、役職者にとって一番嬉しいのは、部下たちの楽しい笑顔ですものね。楽」と「楽しい」は違います。私は高校時代インターハイを目指してテニスをしていたときには、「どんなに苦しくても試合で負ける悲しさに比べたらましだ」と思って練習を重ねていました。「だって、インンターハイに行けなかったら死のうと、真剣に思っていましたから」。そう不合理不都合不条理鬱陶しさという苦しさを乗り切った後が「楽しい」のです。乗り切った人のみに与えられるお天道様のご褒美です。

 苦しくないところにあるのは「楽」です。働かない改革です。楽な仕事なんかあるか!!!


 それと、昨日、国家資格「情報処理安全確保支援士」のセミナーをリモートで受けました。まず、これに通ればホワイトハッカーの道が開けますね。取った後のIPA(独立行政法人情報処理推進機構)のサポートも手厚いし、仕事をするにあたっての情報もどんどん流してくれるようです。


CEH(Certified Ethical Hacker:エシカルハッカーであることを証明できる国際資格)
CISSP(世界では注目度トップクラスである資格)

 などは、この情報処理安全確保支援士を取って経験を積んでからチャレンジすればいい。

 今は、「応用情報処理技術者」で情報処置のインプットの基礎力を構築し、「情報安全確保支援士」でアウトプットのホワイトハッカー能力を構築していきます。

 みなさんに宣言はしてみたものの、どうやった取ればいいんだと思っていましたが、これで道筋がはっきり見えました。70歳までに取ります。世の中の情勢は75歳までに取ると言った猶予を私に与えてくれない情勢になってきました。

 また、3省2ガイドラインというものがあります。厚生労働省、総務省、経済産業省の3省が定めた2つの医療情報システムを安全に管理するための2つのガイドラインです。つまり、情報システムの「運用管理」に関するガイドラインです。いつも官僚の悪口をこのブログで言っていますが、こういうのを作らせたら日本の官僚はピカイチですね。怖いのは、官僚がこの運用を管理しようとすることです。

 さあ、ホワイトハッカーの道筋が見えてきました。私の20年超に渡るコンサル経験、プロファイリング能力に加えて、これまでやった医療機関のコンサルをまとめ直し知見を深める。そして、このガイドラインで医療現場の運用を深め、情報セキュリティ能力と高める。

 私の医療スーパーコンサルのあり方です。もちろん他業種もこれまでやった50社以上のコンサル知見をまとめなおします。

 この歳になって、こんな世界が待っているなんて。感謝合掌。今は、すこし身体を痛めていますが、これは天が今のうちにその知見を高めろと言っています。

 すみません。昨日からの続きは、又明日から描きます。
 私のド下手な図で今日も親父さんの非真面目を解説します。


 ある時、あるTCSで、親父さんが突然私に言いました。

 「宝徳、所長に言ってな、ロップもらってこい」

「???? ロップて何ですか???」

「お前は大学を出てロップも知らんのか!!!」

「う〜ん、あっ、ロープですね」

「知っているんなら最初から聞くな」

どんな会話やねん。何をするんだろうと思いながら、借りてきました。

所長も心配でついてきました。




  このなかで紹介する母からの手紙は、順不同になります。あまりにも数が多いので。今日の手紙は(平成六年(1994年)四月十七日です。母が亡くなるのが、平成七年(1995年)七月十日ですから、もう余命一年ちょっとです。胸が締め付けられます。

 私たちには極力弱音を言わないようにしていましたが叔母(洋子)にはこの手紙の中で言っています。平成七年六月に意識がなくなってICUに入りました。その前に妹(幸)と二人で病院に見舞いに行きました。行ったら、一般病棟のベッドの上で、両手を持ち上げてブルブルと震えています。

 「どうした!」と私がいくと、もう苦しそうで苦しそうでたまらない顔をしています。それでも、手招きします。「忙しいのにいつも見舞いに来させてごめんね」と。いつも自分より人のことです。医者に聞いたら「この方法だとよくなると思います。」と言いました。私は言いました「では、なぜ、それをやらないんですか」。医者「御家族に聞いてからと思って」・・・・・・。では、「私が来なかったらずっとその治療はやらないのか」?と聞きました。胸ぐらをつかみぶん殴ることを必死で抑えながら。

 すぐに集中治療室に入りました。父と交代でICUの前の廊下のソファーに泊まり込みました。親父が泊っているときに亡くなりました。「すまん」と夜中に電話が入りました。「俺が泊まりの晩でよかった」と言いました。東京の久ヶ原に住んでいたのですが、千葉県柏市にいる妹のところに車で迎えに行き病院に向かいました。霊安室に行きました。

  後日の葬儀では「秋武の義父・義母には実の息子のように可愛がっていただきました。今回は、とんでもないことをしでかしました。すみません」と母の死を悼んでいました。

 病気がありましたが、トイレに行こうとしてベッドから落ちて、弱っていた足骨が折れて入院しました。外科に入院したのに、内科で死ぬか。霊安室に担当医は来ませんでした。「解剖してもいいですか?」との伝達だけをして。即座に断りました。顔ぐらい出せ。

 都立大塚病院です。

  亡くなったとき遺品整理をしました。自分のものは何もありませんでした。姉(一美)が父(佳男)に怒りました。「着物の一つも買ってやらんね!」と。それほど、自分のことより人のことでした。いつも人のことばかり。そして日本の優れた文化「婦道」を全うした日本女性の鏡のような母でした。病気になる前は、寝ているのを見たことがありません。「お母さんは、一体いつ寝てるんだろう」といつも思っていました。

 その後も妹はこの死に納得できず、父と一緒に「訴えたりしないから、なんで外科に入院したのに内科の病気で亡くなるのか。亡くなった原因を教えてくれ」と数度手紙を出しました。返ってくるのは担当医ではなく、院長のワープロの手紙ばかり、それも同じ文言で。詫び状をワープロで書くことは絶対にしてはいけません。受け取る方は、何度も同じミスをしているんだな、と判断します。

  母の葬儀には、彼女の出光興産株式会社勤務時代の活躍から、なんと、辞めて何十年も経っているのに、役員の方がいらしてくださいました。同僚の女性も(一人を除き、もう退職なさっていましたが)。

 私は昔、母が出光で働いていたことを社内で言っていませんでしたから、私の上司たちは、「なぜ、あの方が寳德のお母さんの葬儀にいらっしゃるんだ」とびっくりしていました。

平成七年(1995年)七月十日(月)  死因不明。 享年六十二歳。激動の人生でした。

  具体的には、譲り受け側の義務として、保証の解除または移行を位置付けた上で、保証の解除または移行のクロージンを条件としの設定や保証の解除または移行がされなかった場合の契約解除条項や補償条項等の設定からでしたね。

 ①DD
  これは前に申し上げした。何もないように見えても、それは契約成立のためになんらかの課題・問題点は抱えています。また譲渡側の経営者からのヒアリングのみで譲渡し側のリスクは評価することはできません。完全には無理ですが極力、客観的な情報ををとらないと、結果的に表明保証の補償額・保証期間等で結局、売渡側の負担増につながる恐れがあります。


②表明保証の内容
 表明保証とは、契約当事者が特定の時点において、契約目的物や当事者に課する事実が真実かつ正確であることを表明し、相手方に対して保証することです。

  表明保証の期間や瀬人上限が設定されていない場合や適用場面が一義的に明確でない規定が存在する場合、譲渡し側が課題な表明保証責任を負担するリスクがあります(そのための裏付けとしてDDが必須。しかしながら原稿のスモールM&AにおけるDDは価格が低いため不十分なことが多い)。表明保証を範囲を巡った紛争は、譲受が側と譲渡し側の関係性が悪化した時です。なので、バリューエーションやDDがとても重要なのです。

 次回は、クロージング後の支払い・手続きを説明します。
  SNSは、ソーシャルエンジニアリングの格好の標的だということを知っていますか?ソーシャルエンジニアリングは、かなり高度なコミュニケーション能力が必要なことはおわかりいただけたと思います。復習しますが、ソーシャルエンジニアリングとはマルウェア(PCやその利用者に被害をもたらすことを目的とした悪意あるソフトウエア)を用いずにパスワードなどの情報を盗み出す手法です。
 
 あなたの会社の情報システム部の担当者をよそおって電話をかけてログインするパスワードなどを聞き出したりします。それほどSNS上の情報とはプロファイリング(あなたがこんな人だということをどんどん知っていくこと)をしやすいのです。

 チャットなどで関係を構築しオフ会などを開催し関係性を築いていくことも考えられます。
SNSがこれほど普及していない頃は、家に視察に行ったり、オフィスを見に行ったりしてプロファイリングをしていたのですが、SNSはそんなことしなくても手軽に情報が入ります。

 また口コミサイトもそうです。転職サイトが運営しているものなど、情報がダダ漏れです。

 メールや電話などもそうです。電話の方がある程度プロファイリングができていると、メールよりも臨機応変に対応できます。

 では、どうやって新たな情報を電話で聞き出すのでしょうか? 

 うちの家は、知らない番号は、携帯で後から検索して、必要ならかけることにしています。ほぼ、9割必要ない電話です。固定電話はやめました。なので、ナンバリングシステムももうありません。つづく
 なんでも、今年の節分は二月三日ではなく、二月二日だそうです。太陽の周りを地球が一年でまわっていなからだそうです。


 節分とは、一定の日付ではなく、二十四節気の「立春の前日」を指します。そして、立春は太陽の位置によって決まります。

 地球の公転周期は365日より若干長いので、閏年で2月を29日にすることで暦を調整しています。なんか、2月3日の節分が2月2日になったのは、124年ぶりだとか。

 小さい頃はよく豆まきをしましたね。父はいつも仕事でいないので、外とうちに向かって撒いて、その後、「歳の数だけ食べるのよ!」って言われましたが、いっぱい食べていました。物が買えない時代でしたからこれがうまかった。

 恵方巻きのことは、三十八歳で大阪に行ってからです。私は小学校三年生まで大阪にいましたが、そんな風習は知りませんでした。

 さあ、今日からが新しい年です。 というか明日から立春ですから新しい春です。それにしても寒いけど笑。
 この前は石油業界の「カルテル癖」の話をしました。

 今回は、無鉛ハイオクの酷い売り方の話をしましょう。

 数ある商品を、時々、本社は競争社会に陥れます。それで新商品の売上をあげようと。無鉛ハイオクの場合、ハイオク/(ハイオク+レギュラー)の比率で支店や出張所を争わせ速報を出すのです。当時は、視点・出張所を合わせると販売関係部署は出光で70強ありました。そして出光金アポロというハイオクの名前だったので、「金比」という名前のハイオク比率で争そわせました。

 そうしたら各支店は何をやったか。レギュラーのタンクにハイオクガソリンを入れて、販売店に売らせてハイオク比率「金比」を上げていたのです。

 地道に販促活動をやって、所長さんたちを説得し、担当地区の全体ミーティングもやり、販促物の使い方や声の掛け方の運用方法を説明してきた私は、金比はNO.1でした。自慢ではありませんが私は、販促キャンペーンでは負けたことはありません。

 スタートして1ヶ月がたったころ、上記の変な売り方が始まりました。私は絶対にやりませんでした。
  初代内閣官房安全調査室長の故佐々淳行(よしあつ)氏が著書で書いていらっしゃいました。

  新聞記者には三種類あるそうです。経済部・政治部・社会部。経済部は普段から経営者と接しているので紳士だそうです。政治部は時によって猛獣になる半紳士・半猛獣だそうです。社会部だけは断言しています。猛獣だと。

 普段、経済部と接している経営者は、記者は紳士だと思っているそうですが、何か自社等にスキャンダルがあると、いきなり猛獣の社会部が出てくるから面を喰らうそうです。

 私は興味ないから、中居とフジテレビの番組なんて見ていないのですが、だいたい週刊誌ごときが書いた記事に、メディアも政治も翻弄されすぎです。自分たちで調べようともしない。こんな曖昧なことで10時間以上も記者会見をやりますか? 橋下さんの一言で情勢が変わっても、文春もメディアも反省の色がない。

 今、日本で一番の悪は財務省とメディア(それも社会部)でしょう。
  母が大好きだった叔母(洋子)は、母が六十二歳が亡くなった時に「汎子(ひろこ)姉ちゃんが死ぬはずない。だから私はお葬式にはいかない」と言っていたそうです。これらの手紙は息子を洋子姉ちゃんの家に連れて泊まりに行った時に、一部もらいました。その後、全てを私の家に送ってもらって、こうしてブログに書いています。

  この汎子の「汎」と言う文字は「はん」とも読みます。「ひろくゆきわたる」「ひろくて限られていない」「ひろく全体に行き渡る」という意味です。じいちゃんは名前をつける天才ですね。母は、その字の通りの人でした。誰からも愛され、誰にでも優しく、活発で。そのくせ、私が日本男児として曲がった行動をしたら、恐ろしくらいの厳しさでした。本当に母の病気が進行してまともに動けず、握力はゼロに近くなっていたときにも家事を休もうとしません。手伝おうとしたら「これは私の仕事。私に恥をかかせないで。あなたは男でしょう。他にやることがあるはずです」とすごい迫力で怒鳴られました。

 洋子姉ちゃんの「洋」も「大きな海」「広い海」「水の広がるさま」「限りなく大きくて広いさま」という意味です。母の名前の字と意味がよくにていますよね。  身体の中に優しさしか入っていないのではと私たち姉弟妹は思っています。

 母は、平成七年七月十日に亡くなりました(我が社の創業節にしています)。享年六十二歳の若さで。ずっと病気でした。全身リウマチで身体の関節はほとんどが人工関節でした。

  彼女の三大事件は、敗戦後北朝鮮からの引き揚げで身ぐるみ剥がれそうになりながら38度線を超えて帰国したことです。舞鶴港に着眼した時に「北朝鮮の咸興から帰ってきた福岡の秋武は知りませんか」と軍隊に行っていた伯父(舜一)の声が聞こえました。「にいちゃんだ!!!!」と家族みんなで再会を喜びました。博多に上がっていたら会えないところでした。

 次は、出光興産株式会社の日章丸事件での活躍です。これについてはまた詳しく。

 3番目は私を産んだことです。変な意味ではありません。うちは、父方も母方も私が中学になるまで男の子は私一人でした。つまり私が産まれるまで男の子はいませんでした。親父は国のため帝国海軍の予科練に行った時、「ああ、これで寳德家の家計も途絶えるのか」と思いました。そして私が産まれ・私の息子が産まれ繋がったのです。晩年父は「このつながりはなんともいえない嬉しさだ」と言っていました。誤解しないでくださいね。当時はそうだったんです。歴史を否定する必要はありません。今では親戚関係に男は、我が家2人、伯父関係に4人、姉の子1人です。

 昭和三十三年八月二十日七時三十六分に私が産まれました。産声を上げなかったそうです。母は、真っ青になったことでしょう。お産婆さんの機転で、お産婆さんが私の両足首をもって吊り下げ、往復ビンタをしました。それで、産声を上げたそうです。なので、普段は信じられないぐらい優しいのですが、私が、日本男児として情けないことをしたら、鬼の形相で叱りました。
 父と母の結婚式。昭和三十一年一月八日 当時はこれが精一杯でした。敗戦後十一年です。


 さて、今日は、なんの手紙を紹介しようかな。叔母との手紙となるとまだまだ先になるかも。祖母と祖父、そして、母の子供の頃から結婚前の資料が洋子姉ちゃんからいただいたものの中にたくさん入っています。
 親父さんが作りはじめたのがトラックステーション(以後、TCS)はどんな業態をなのでしょうか。

 今は、たくさんTCSがありますが、宇佐美以外の他社は、何を打っているかという業種の範疇を超えていません。

 親父さんんTCSは「どうやって売るか」という業態なのです。

 そこにも親父さん得意の「非真面目さ」がふんだんに盛り込まれています。何回かに分けて紹介しますね。
   有鉛ハイオクに対して鉛を使わないハイオクを無鉛ハイオクと言います。

  それを全元売が一斉に9月1日に売り出しました。新入社員の私は、「日本は資本主義だよな。どうやったら競争に勝つためにと発想するのが普通なのに、どうして一斉に開発した商品を売るんだろう」という疑問を抱きました。
 テクニックだけではない、サイバーセキュリティの世界からでしたね。

  情報システムの世界では、「脅す・賺(すか)す・煽(あお)る」という手を使います。相手に一つでも、この気持ちをもたせるために攻撃をしますと書きました。

 脅すとは相手の「弱み」を知り、それを使って行動することを言います。弱みを作ってしまうこともしてくるでしょう。私は、新入社員の時に、賭けのお金を支払わない893さんのところに集金に行ったことがあります。私が店頭で接客をやっていた時「早くしろ早く」と893さんがやってきました。「給油した後は「おい、新人か?わかっているだろう?俺たちはつけだ」」と、ビューッと帰っていきました。「そうなのかなあ」とおもましたが、なんとも仕様がなく所長に報告に行ったら、「ばかやろ====」と怒られました。「今から行って取ってこい!!!!」。出光興産は売掛回収のはことのほか厳しかったのです。

 私は「げーーーーー」と思いました笑。

 最初、とてもいかついお兄さんが出てきて一方的に「自分は悪くない、悪いのはお前たち」理論で攻めてきます。「つけとけと言ったらお前ははいと言ったじゃねえか!!」と。「脅されました」。「たったそれぐらいの金でガタガタ言うな!」「たったそれぐらいのお金だったら支払ってください」とのやりとりが。


 その後に少し優しそうなお兄さんが出てきます。それでなんとかなるかなとこちらは考え、少しだけホッとするのですが、優しい兄さんは、一万円を出して、釣りはいいからこれで支払うと言い始めます。これが「賺す(すかす)」です。脅した後にやると効果的です。


  きちんとお釣りを出すと、「まあ、とってけや。釣りで一杯やってくれ」となります。もう一度ビビります。  優しいお兄さんがそう言っている時にまたさっきの怖いお兄さんが怒鳴り魔はじめます。それもさっきとは違って、「お前だって金がほしんだろう」とか言って。これが「煽る(あおる)」です。

 これを何時間もやられると普通の人間なら参ってしまいます。結果的に集金してきたのですが、精生も根尽き果てました。

 ソーシャルエンジニアリングでも同様です。では、次回は、ソーシャルエンジニアリングにおける「相手騙す」方法を見ていきましょう。
 経営者保証解除の問題でしたね。お互いが以前からよく知っている企業同士である場合を除き、結構シビアな緊張状態が続きのは、スモールM&Aでも変わりません。一つ一つをきちんとクリアしてお互いにレビューを繰り返し確認していかないと、あとで言った言わないという状態になります。
 
 DDなどの確認も含めて各段階を丁寧に積み重ねた集大成が最終契約となります。

 経営者保証はその中で最も重要な項目です。

 中には「もう面倒だからあとはお前に任せるわ」という経営者もいますが、これは絶対にダメです。


 そう言う経営者ほど後で文句を言ってきます。「聞いてない」と。そりゃそうでしょう。「聞いてない」ではなく、「聞かなかった」んだから。
  
 M&Aに当たっては、そのステップとして当然ながら、士業専門家等との仲介契約・FA契約や譲受側との契約において秘密保持条項があります。それらのそれまでの関係者以外に相談する場合には、相談先を秘密保持契約の対象から除外した上でおこなことも大切です。

 その際、各相談先とどのタイミングで相談し秘密保持契約の対象から除外するかがとても悩ましいくなります。M&は他に情報が漏れてしまうと失敗するケースが多々あります。
 
 両当事者間で調整の上、保証の解除または、譲受側への以降を想定する場合には、こお最終契約に置いて保証の解除または移行を明確に位置付けることを検討することが必要です。

 具体的には、譲り受け側の義務として、保証の解除または移行を位置付けた上で、保証の解除または移行のクロージンを条件としの設定や保証の解除または移行がされなかった場合の契約解除条項や補償条項等の設定が必要で。

 次回は、こ具体的な条件をお示ししましょう。

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