2017年6月アーカイブ

 支那の戰國時代は、濤亂に富む環境を背景に、さまざまな人物がエピソードを織り成します。奇想天外な発想、意表をつく論理、男の意氣地、はった り、ほら話、どれをとってもせせこましい現代に生きる我々には、とても参考になります。この時代は、必死になって智慧を絞らないと、生きていけなかったの でしょうね。

 今日から「誘いに乗る女は妻にはできぬ」です。

 臨終まぎわの糠助の話が続きます。
 しばらくかかなかつたので、梅子黄(うめのみきばむ)を書けなかった(涙)。 以前は、この時期になると「ラッキョウ」「梅酒」「梅ブランデー」「梅シロップ」を造ってゐました。そんな時間がとれたんですね。

 昨日から、二十四節氣 夏至です。七十二候は 夏至 初候 乃東枯です。「なつくさかるる」と讀みます。

 冬至の頃に芽を出した「靫草(うつぼぐさ)」が枯れていく頃です。色鮮やかな夏の花が開花するという時期に、枯れていく花に思いを寄せた、昔の人の感覺はすごいですね。

「ウツボグサ 写真」の画像検索結果

 う~、あいてしまつた。こうなるときついんですよね~。氣持ちが(気持ち的にといふアホな日本語を使う輩が最近増えてきて困ります。そんな日本語はない)。

 シリーズものがどれだけあるか、書きだしました。「和歌と國造り」「源氏物語」「日本語の學習」「統帥參考」「南総里見八犬伝」「命の手紙」「教育勅語」「倭姫」「テニス部日誌」「七十二候」「倭言葉」「戰國策」・・・・・ 間があくとこれらがわからなくなつてしまひます。この週末にかけても自信なし(涙)。

 さて、今囘は野又君。
 蘇秦は、諸国遊説のたびの途中で、家族に会います。
 信乃のところに亀篠があわただしくやってきたところまででした。
 今囘は、小山君です。

 OBの野村さんがいらっしゃってゐます。このころ、野村さんは大學生。本當によく來てくださいました。一番、面倒をみてくださった方です。

 私が大学生で上京してからもよくおごってもらいました。野村さんが就職されて、高知に行ったときや東京に歸つてこられたときなど、テニスの一般の大會にダブルスを組んで出場したりしてゐました。結構、優勝なんかしていたのですよ。なつかしいなあ。年賀状のやりとりはしてゐますが、どうされてゐるのかなあ。
 年が明けましたね~。昭和五十二年です。私たちがインターハイに行つた年です。部長もコーチもいなく、生徒だけで、全國大會に出場すると云ふのは至難の業ですし、實際にとてもきつかったのです。インターハイ豫選最終日は、私は、恐怖と緊張で極度に調子を落としてしまひました。リーダーとはつらいものです。でも、その最低の調子の中で何とか戰ひ抜きました。

 今囘の日誌は、小田君でです。前囘にひきつづき。
 みなさん、蘇秦の名前は覚えておいてください。昨日も書きましたが、戦国7カ国で最も強力な秦をおさえるために、他の6国をまとめ、合従(がっ しょう)連合をつくって政治家です。でも、そんな蘇秦にも苦節の時代があったことをみてきました。ここ数回のタイトルは「貧窮なれば、父母も子とせず」で す。

 さて、「揣摩(しま)の術」を会得した蘇秦です。

 信乃と額蔵が兄弟のちぎりを交わしたところまででした。ふたりはその関係がばれないように、わざと仲が悪いようにみせかけたのでした。
 ほんまにおもろい。倉山満は(笑)。
倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々

 前に、この本を紹介しました。元々、佐々木道譽が大好きだつた私は、抱腹絶倒で讀み進めました。その續編が出ました。まあ、面白いこと面白いこと。
我が國では、「シビリアン・コントロール」が間違つて使はれてゐます。ボジティブリストとネガティブリストの違ひは、これまでも繰り返し述べてきました。従來の軍隊は、「これだけはやるな」と云ふものを定めて、あとは國際法に違反していなかつたら、自由に戰へるといふネガティブリストが常識です。自衞隊は、「これこれだけはやつていい」といふポジティブリストです。これは、軍人に「死ね」と言つてゐるやうなものです。平和安全法制の時に、「自衞隊員の命」を叫んでいた野黨の連中は、いつたいこrをどう考えていのでせうか?

 それと、企業でも、よく間違えられつのですが、コントロールとマネジメントは違ひます。制服組の防衛省は、自衞隊をマネジメントしやうとします。軍事の素人にこんなことをやられたら危險が増すだけです。

 全体の方向性だけを示す、コントロールでいいのです。

 さあ、樋口恒晴先生の時代です。「一國平和主義の錯覚」の著者です。この本、中古市場で8,000ぐらいします。
商品の詳細

 髙いので、新版で出た。「平和という病」


 これなら1,188圓で賈へます。

 そして、「幻の防衛道路」。これも必讀の書です。

 これはまたすごい本が出たものです。ねずさんさすがです。
 たまりません。良書がどんどん飛び込んできます。私は、良書に對する抵抗力がゼロです。

 まずは、亡くなつた平尾誠二さんの本。涙なくして讀めません。
 これやらなきゃ。忘れてた。親父と息子と三人で寳德家のルーツを探らうと言つてゐたのに。

 昨年7月19日に、この手紙が父から来ました。

 ご參考までに我が家を遡るとかうなります。

寳德 真大(まさひろ:息子)
寳德 健(私)
寳德 佳男(父)
寳德 義一(ぎいち:祖父、祖母はツイ)
寳德 寳四朗(ほうしろう:妻は、つる)
寳德 惣四朗(そうしろう:妻は、かの)

 寳四朗までは、今の本籍 福井県丹生郡越前町玉川でわかるのですが、惣四朗からは、苫前に行つて、原戸籍をとらないと遡ることができません。
 これも平成二十一年(2009年)に書いてゐますね。このころ、すさまじく本を讀んでゐました。

 昨日からのテーマは「貧窮なれば、父母も子とせず」です。蘇秦という人が主人公です。この蘇秦という人は、戦国策というより戦国時代でとても重要な役割 を果たします。
 戦国時代は、小国が大国に吸収されながら、最後は、韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦の七国にまとまっていきます。この中で最大強国が秦です。他の六国は、秦 に滅ぼされないかといつもびくびくします。その中で、この他の六国をまとめあげて、秦に対抗した立役者が「蘇秦」なのです。これを、合従(がっしょう)連 合といいます。
 額蔵にも信乃と同じあざがあり、そして、白い玉を持っていたとことまででした。

 さて、続きを読む前に、「上総(かずさ)」「下総(しもうさ)」という地名が出てきます。上総は、安房の国です。房総半島の先っぽ。木更津から先でしょうか。下総は、市川とかから北の方です。今の感覚では、市川の方が東京に近いのに、なぜ、遠い安房が「上」なのかということです。昔は、鎌倉や江戸から、船で木更津に行っていましたので、安房の方が近かったのですね。だから、安房が「上」です。そして、千葉県は「麻」がたくさん取れたので、「麻」なまって「総」となり、上総、下総となりました。千葉県県勢要覧を読むと載っています。
 小田君ですね。「へいた」てなんやつたかいな。

 戸川万吉は戸川先生。英語の先生です。倉富は倉富先生。この先生も英語です。まあ、倉富さんの授業はまつたくすすみません(笑)。關係ない話ばかりして授業時間がをはります。傑作です。クロは髙橋君???
 とてもありがたいことに、あふれんばかりの仕事があります。この仕事に追いかけられるのではなく、これらの仕事を撃墜(?)するのが今の目的です(笑)。
 
 なので、けふのブログは、先ほどのふたつでをはりと思ってゐたんですが、一寸、仕事の合間に、産經新聞を讀んだのが間違いでした。私の心の戀人 といふか 一番好きかも の 倭比賣(やまとひめ)が出てゐました。このシリーズいいですね。ああ、最愛の戀(恋)人 倭比賣よ~。

 第十二代 景行天皇の妹です。仕事もあるし、長くなるので、何囘かいにわけて、私の最愛の人を紹介します。我が國史上には、素敵な女性がたくさん登場しますね。

 それと何度も書いてゐますが、天照大御神は古事記。天照大神は日本書紀です。

 伊勢神宮を創建されたのは倭比賣だといふことはご存知でしたか?
 宇佐美の親父さんや南総里見八犬傳を檢索してゐると、なつかしい記事がたくさん出てきます。結構良いこと書いていますよね(笑)。少しずつバックナンバーを紹介します。まだまだ、書くことたくさんあるのに、こうやつてすぐに何かに手を出す。日本語の學習も、源氏物語も、教育勅語も書きたいことだらけなのに。いろんなことに手を出して、お尻がふけなくなる。エニアグラムタイプ7。あ~、こんなの思い出したらエニアグラムまでバックナンバーを紹介したくなるではないか・・・。

 まあ、いいや。

 支那の古書に「戰國策」といふものがあります。人間の生きる智慧が満載です。すこーしずつ紹介していきます。周が衰え、秦の始皇帝 が中国を統一する間の、戰國時代の出來事です。バックナンバーですので、僞物日本語 現代假名遣ひです。漢字も正體字ではなくアメリカが日本語を亡くそうとして、「当」面「用」いる漢字とした「當用漢字」です。
 信乃が死のうとしたときに、糠助、蟇六(ひきろく)、亀篠(かめざさ)が飛び込んできたところまででした。
「考の玉 写真」の画像検索結果
 昨日、夜の企業訪問に向けて、必死になって資料を作つてゐたら、急にパソコンに文字が打てなくなりました。ひぇ~。ネットで調べた方法でやつてもダメ!幸ひにも、私は、ファイルはすべて64GのUSBに保存しています。それに文字は打てないけど、マウスはOK。上書き保存もできました。

 では、電源を一度落とそう・・・・。さて、立ち上げてみるか・・・・。 「修復する必要がある」とかなんとかのメッセージが出まくり。何度やっても同じ。そして、なんどやつても、終はりが「修復できないから専門家のところに持っていけ」とかいふメッセ―ジ。ファイルはいいのですが、販売管理ソフトと会計管理ソフトがインストールされてゐつので、とてつもなく困ります(今度、バックアップ方法を勉強します)。目の前が眞つ暗になりました。あ~あ。

 「落ち着け、寳德、落ち着くんだ」。少し、間をおくと、「そうだ、昔、パソコン画面が眞つ暗になつたとき、一度、バッテリーを外して付け直してから立ち上げたら、直つたなあ」。懐古、懐古。
 信乃が犬の与四郎の首を切ったときに、「孝」の字が浮かぶ白い玉が出てきたところまででした。
 これを書いたら+9~♪

 今年九十歳(卒壽)になる父が、自分の人生を遺さうと必死に手紙を送ってきます。受け留めとして繋ぎます。金亨貞さんとの手紙のまとめです。父がその手紙に書いた、注記を掲載してゐます。
 この村雨丸といふ刀はとても重要な役割をしますので覺へておいてくださいね。室町時代は面白い。我が國が一番 活性化した時代ではないでせうか。その一時代の中を滝沢馬琴が書きました。時代背景がわかつてゐると、南総里見八犬伝は、さらに面白くなります。

 番作が銘刀村雨丸で腹をかき切りました。

 さあ、出てきます。最初の玉。孝!

 仁義禮智忠信孝悌!

「南総里見八犬伝 NHK 写真」の画像検索結果
 親父が今年の七月一日で九十歳です。何歳が〇壽といふのはいつも使はないからすぐに忘れます。いつでも見られるやうにまとめておきます。〇壽は満年齢です。
 これを書いたら+8。四日分の貯金~♪。

 教育勅語がなぜ大切か、少し、その背景をシリーズで。
 これを書いたら+7。うざいかもしれませんが、目標管理は常に行はないと、私のやうに弱い人間はすぐにだめになります。

 最近のメディアの凋落には、目を覆ふものがあります。新聞もテレビもくだらなすぎます。私はほとんどテレビを觀ませんが、家に歸つたときにテレビを觀ると、茫然自失。よくこんな番組を支へるスポンサーがゐるなあといふ一言しか出てきません。

 新聞。朝日、毎日、東京、共同通信、赤い御三家(北海道新聞、中日新聞、西日本新聞)は、議論の餘地もなく、國家破壊者です。

 でも、

日經:かつてあれほど素晴らしかつたこの新聞がなぜにこれだけ堕落するか。3分も讀めません。
讀賣:財務省御用達 可もなく不可もなくの記事ばかり
産經:我こそは保守なりと叫んでゐますが、まあ、底が浅い。あの「國民の憲法」など、曲學阿世以外の何物でもありません。

 おいおい、どうしたメディア。でも、樂しく新聞を讀む方法があります。ネットニュースでは味はえない方法が。
 これを書いたら+6です。

 過去の、親父さんのことを書いたブログを拾つてゐると、こんなのも出てきました。タイトルは「良い人間を強い人間に」です。平成十九(2007年)年二月六日の記事です。

 先日、家に歸つたら、いつものごとく親父から手紙が來てゐました。開けてみると、自分の葬式はここでやれだのなんだのが書いてありました。爆笑してゐると、かみさんが「でも、偉いよ。うちのお父さんなんて何にも考えてゐないよ。すごいと思ふ」と。なので「俺からは言へんけど、お父さん、お母さんが、準備をしてくれと云はれたら、やるよ」「なんだよね~。でも、その氣持ち全然なし」とのこと。

 まあ、すごい親父です。今年九十歳。昭和二年七月一日生まれです。

 金亨貞さんとその奥様からの手紙の最終囘です。親父が書いた注記です。
 番作がついに村雨丸を隠しているところから出しました。信乃に渡します
 今日から、二十四節氣 芒種 末候 腐草爲蛍です。「くされたるくさほたるとなる」と讀みます。

 かつての日本人はすごいですね~。この意味は、「ホタルが暗闇に光を放ちながら、飛び交う頃」です。きれいな水邊に住んでゐると思はれがちですが、野原でも蒸れ 腐りかけた草の下で、明かりを灯し始めます。きれいにきれいに自然を見つめ、そして、自然と共生し、人間社會の奇跡を築きあげたのが我が國 日本です。それを、今の日本人は忘れてゐますが。

 蛍つて、まだまだたくさんの言葉があることをご存知ですか?
「蛍 写真」の画像検索結果
 これを書いたら+4です。

 親父さんにはよく怒られました。「まつたくお前は乞食のお粥だ」とか。「なんですか、それ?」と聞くと、「ほうら、また。お前はすぐに聞く。考えろ!!!」「親父さんの智慧にはついていけませんよ」「では教へてやる。宝徳、乞食のお粥には米は入っているか」「入っていても、ほんの少しでせうね」「だつたら、何ばかりだ」「お湯・・・・、あそうか 湯ばかり→ゆうばかり→言うばかりですね!」「わかつたらさつさとやれ」。
 この記事を書いたら豫算達成ペース+1です。

 予四郎の事件にこじつけて、銘刀村雨丸(むらさめまる)を差し出すように番作を説得するように、糠助をたきつけた、亀篠(かめざさ)と蟇六(ひきろく)夫婦です。
 今囘は岡村君です。
 先日、亡くなられた岡田英弘先生の奥様でいらっしゃる宮脇淳子先生がご主人を悼むお言葉を出されました。ちゃねるクララに出てゐました。涙なしには讀まれません。なんて素敵なご夫婦でせう。
 これで年間目標達成ペースにのせました。きつかった~(笑)。もう、さぼらないやうにします。 

 今囘は、真城君です。疲れてますね(笑)。何を書いてゐるかわからない。

 こわった と云ふのは こわばった です。
 
 我が福髙は、クラスマッチでも眞剣勝負。けが人が續出します。
 これを書いたら▲1です。

 平成二十七年(2005年)七月二十日 七十六歳で亡くなられた 故 宇佐美史郎氏(宇佐美の親父)の思ひ出を綴つてゐます。親父さんの七十六年の生涯の中で、私などたつたの二年間のお付き合ひです。でも、本當にかはいがつていただきました。

 ネットで「宇佐美史郎」と検索すると、私のブログ記事がわんさと出てきますね(笑)。



 今日は、親父さんとのよもやま話を。
 これを書いたら年間目標達成ペースまであと▲2です。よかつた。昨日も書きましたが、もう少ししたらあらすじを一度まとめますので、今は、がまんしてお讀みください。長編小説と云ふのは、讀みはじめが大切です。登場人物と大体のあらすじを、自分なりに把握すると長編小説が讀めます。

 予四郎の事件を利用して、番作が持つ、源氏の棟梁の証の銘刀村雨丸(むらさめまる)を手に入れようと画策する蟇六(ひきろく)と亀篠(かめざさ)です。
「南総里見八犬伝 写真」の画像検索結果
 不思議なものです。ブログをさぼる日が長くなると、自分のいろいろなモノやコトに對する意識も散漫になります。ブログをたくさん書く日が續くと、いろいろなモノやコトに目がいき、ネタに困ることがありません。むしろ、そのネタを忘れないやうに、メモすることがたいへん(笑)。

 讀書も同じです。あまり本を讀んでゐないときは、一冊讀んで、終はりのことが多いのですが、たくさん讀んでゐるときは、名著が向こうのはうから飛び込んできます。

 そのためにも、朝の時間は大切ですね。自分を見つめなおす、ブログを書く、本を讀む、朝のおつとめをする・・・・。手紙まで毎日書ければいいのですが・・・。

 以前、この二つの本を紹介しました。
「短歌のすすめ 写真」の画像検索結果

 それと、画像はありませんが、「短歌のあゆみ」です。

 もう夜久先生の御著書は、短歌の學習の域を超へてゐます。歴史書ですね。

 統帥綱領・統帥參考・作戰要務令とは、日本陸軍の將官と参謀のために"軍の統率"のあるべき姿を説いた作戦指導書です。その示唆するとことは、經營哲學・人生哲學に通じるものがあります。

 戰闘状態では、人間は極度のストレスに襲はれ、通常の状態ではなくなります。その時に、どう部下を鼓舞していくかは並大抵のリーダーシップやマネジメントでは賄ひきれません。

 仕事でもそうですね。スキルももちろん大切ですが、さういふ精神状態を支えてくれる上司に信頼が集まるのでせう。

 人間は本來、統率されることを望みません。しかし、素晴らしく統率されると、奮起し、納得し、陶酔します。リーダーに欠かせない要素なのでせうね。

統帥參考6
 戰爭においては、百を知るよりも一を信じるにしかず。百の知識は一つの信念によりて撃倒せらる。死生の巷において一事を遂行する力を有するものは、知識にあらずして信念なり。

 これを書くと▲3です。明後日達成しさうですね。

 子供のころから、特に歴史を學ぶと、「なんかおかしいなあ」と思つてゐました。でも、それを解消する手段がありませんでした。世の中に出ている本が嘘だらけだつたからです。本當のことをいはうものなら、殺されさうな雰圍氣だつたのでせう。良い本を出版しても葬り去られてゐた社會。今、それらの本が中古市場を中心に出始めてゐます。少しずつよい世の中になつてきてゐます。

 さて、倉山満がまたやつてくれましたね。それと、高山正之先生も。

 これを書いたら▲4です(明日の目標分を引いて)。

 さてさて、親父さんとの青森出張珍道中のつづきです。

 浅虫温泉って海に面していてとってもよい温泉です。一度行ってみてくださいね。
http://www.asamushi.com/ 浅虫温泉HP
 これを書いたら▲5です。

 あと数囘書いたら、これまでのストーリーを一度まとめますね。

 予四郎が蟇六一党にさんざん槍で刺されたところまででした。
 昨日から、七十二候 芒種 初候 蟷螂生です。「かまきりしょうず」と讀みます。

 二十四節氣の芒種は、麦や稻など穂の出る植物の種を蒔くころです。稻穂の先にある針のやうな突起を芒(のぎ)と云ひます。雨が増える頃でもあります。

 田の風景が美しいですね~。斎庭の稲穂の神勅(ゆにはのいなほのしんちょく)です。これが神話の頃から續いてゐる風景なのですね。

雲ひとつ なき空の下に 廣がるは 斎庭の稻穂 今この時にも

 そして、蟷螂生。秋に生みつけられた卵から、かまきりが誕生する頃です。かまきりは農作物には手をつけず、害虫を捕まえてくれる、私たちにとってありがたい存在です。なんですが・・・。
 昨日は、日付のつけ方が無茶苦茶ですね。すみません。

 朝は、ブログが書けないと思ふので今書きます。また、今から仕事をするので自分を仕事のリズムに乘せるためにも。

 今囘は、あさっちんです。浅川君です。だれてますね(笑)。
 一寸、仕事の息抜き。

 我が國発の國産F35Aがお披露目されましたね~。今、我が國は、4機F35を保有してゐます。航空自衛隊のパイロットが、アメリカでその4機の訓練中です。國産は初めてです。

 例えば現主力戰闘機F15 イーグルですが、何もつかず、F15だとアメリカ産です。國内でライセンス生産するとF15Jとなります。だから、F35も今回が初めてのF35Jとなります。F35には、A型
B型があります。B型が垂直離着陸機です。これは、会場市営隊の空母 いづも や かが に載せ
ことができます。もし、これが實現すれば、我が國防空圏を完全にカバーすることが出来るばかりか、敵基地攻撃能力を保有することができます。

 まあ、そんなことになつたら、支那や朝鮮ばかりではなく、支那から金をもらってゐるであらう、民進党なんかが大騒ぎしますね(笑)。

 ニュースの記事を紹介しますね。
 宇佐美の親父の思ひ出です。過去の記事を再掲してゐます。時間がないときは、これで逃げてゐるずるい私・・・・。面白いからいいよね。

 平成二十二年十二月十日の記事です。青森の續きです。
 蟇六(ひきろく)が番作の犬、予四郎を殺そうと作戦を練っていることを、それを隠れ聞いた百姓の糠助が番作に伝えたところまででした。
 宇佐美の親父お話。昨日の続きです。
 蟇六が猫を飼ったところからでした。


 これを書くと▲6です。今日はもう書けません。うれしいことに仕事がたくさん♪

 平成二十二年十二月四日の記事です。東北新幹線が全線開通した年です。

 東北新幹線が全通しましたね。青森には親父さんとの氏との想ひ出があります。

 小説家とはすごいものですね。創造力と想像力がないとできない職業です。我が國はすごい。

 信乃の母親、手束が亡くなります。


 信乃の母親、手束が亡くなります。「南総里見八犬伝 NHK 写真」の画像検索結果
 安河内Bが、今囘の森君の日誌の前に書いてゐるのですが、全部英語で書いてゐて、ブログに書き移すのが煩わしいので、時間があるときにします。


 さあ、いよいよランニング週間の最終日 福髙―太宰府を全員で走ります。36キロメートル。福髙テニス部名物です。今でもやつてゐるのかなあ?今やつたら問題になるかもしれませんね。全員完走。欠席者なし。といふか、これを休むと部にいられません(笑)。

 森君、面白いですね~(笑)
 金亨貞さんの奥様からの手紙です。つづきです。
 今回の親父の記事は強烈です。私の生きる指針にもなつたゐます。平成十九年(2007年)一月二十日の記事です。
 信乃は9歳になりました。
 さあ、博多は、山笠の準備に入りました。髙校グループラインもその話がたくさん入り始めました。郡部に住んでゐた私は、直接山笠に關係ありませんでした。なので、山笠の期間中に平日なのに午後から歸へる生徒がいたのにびつくりしました。今は知りませんが、山笠は博多つ子の命そのものです。

 さてさて、今囘は、藤くんです。西南学院から山田君が練習に参加してゐますね。
「岡田英弘 写真」の画像検索結果


 息子は私に物をねだることはほとんどないのですが、たまに、本を賈つてくれと云ひます。
 平成十八年(2006年)八月一日に書いた宇佐美親父の記事です。

 先日(當時)、久しぶりに同社にうかがいましたら、とてもシステマチックな会社になっていました。それは それでとても素晴らしいことですが、他にはなかった、少しだけ昔を、宇佐美ファンの私が振り返って生きたいと思います。おやじさんをしのびながら。
 これを書いたら▲9です。

 實は私は、南総里見八犬傳を書いてゐるんです。



 ほしい人は言つてね。

 犬塚家に信乃が生まれて面白くない亀篠(かめざさ)と蟇六(ひきろく)です。
 父と金亨貞さんのやりとりが續きます。太字は父です。しかし、きれいな日本語ですね。今の日本人は恥ずかしい。
 日誌の中では寒い日が続きます。昭和五十一年十二月です。今囘は、安河内A君です。

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