2017年7月アーカイブ

□昔話
□海軍の朝から晩まで
 のつづきです。

 掩体壕とはこういふものです。飛行機を隱す施設です。
「掩体壕 写真」の画像検索結果
 今囘も浅川君です。

 ろぷろす といふのは、テニス部で飼っていた、えっと、十姉妹だつたかな? 當時、「バビル二世」といふ漫画がはやつていて、バビル二世の三匹のしもべのひとつが怪鳥ロプロスでした。そこからつけられました。zenroとは同期の山口君です。山口君はいつも浅川君に振り回しをしていますね(笑)。
 かつて 愚かなる國民が、民主党に政權を委ねると云ふ我が國壊滅の危機がありました。少しよく見るだけで、あんな愚かな人間たちが、あんな愚かな政策を遂行したら、國が壊滅の危機を迎へることなど小學生でもわかります。今もさうですね。憲法改正を安倍さんが表明したとき以來、メディアは必死になつて安倍さん潰しに奔走してゐます。その使命も忘れて。

 民主党が政権を握ったとき、私はこのブログで「国民はここまで愚かか」といふ記事を書きました。そして、「このままでは日本は潰れてしまふ」と思ひ、「未来日本昔話」をシリーズで書きました。興味のある方は檢索してお讀みください。

 その新シリーズを書き始めます。

 新シリーズの内容は、明日から。今日は、過去の「未来日本昔話」の記事の第一回目を紹介します(當時の私の浅はかな知識は少し修正してゐます)。平成21年(2009年)12月7日の記事です。内容よりも設定をご理解ください。時は西暦2100年 民主党の愚か政権が續き 我が国は滅亡してしまったと云ふ設定。おばあちゃんと 孫の まさる君(當時10歳)の會話です。 あれから8年。明日から書くシリーズでは、まさる君は18歳になつてゐます。大學生ですね(笑)。

 さあ、明日からの新シリーズは、何をテーマにするでしょう(笑)。お楽しみに。
 大臣の甘茂(かんぼう)が、秦の武王を絶妙に動かします。企業における上司の使い方ですね。企業において、仕事のできない人は、上司の言いつけど おりにやって、環境の変化が起きて上司が考え方を変えたことに気づかず「この前、そうおっしゃたではないですか」と言います。上司の戦略性を常に頭におい て仕事をすることが大切です。
 蟇六(ひきろく)が河に落ちたところまででした。
 ここいらで、ブログ年間目標の整理。

1月  52  ▲10
2月  21  ▲35
3月  41  ▲21
4月  60     0
5月    116   54
6月  63    3
7月  33  ▲23(今のところ)
合計 386  ▲32

 今年は苦戦しているな~。 今年目標残が344 残り日数153 1日 平均2.24通 まあ、出来るでせう。

 九十歳の父が必死になつて何かを遺さうとしてゐます。しょっちゅう手紙が来ます。このブログに書き残します。

☐昔話
☐海軍の朝から晩まで  のつづきです。
 忙しいといふ字は嫌いなんです。「お忙しそうですね」と云はれると「心(忄)を亡くして私のことなど相手にしてくれないんですね」と云はれてゐます。でも、忙しい・・・・・・・・(涙)

 これが違うんですね~。朝のディフェンスをしっかりやればいい。あとはスムーズに動きます。仕事をすることや仕事の知識や能力を習得すること以上に、仕事を整える「腦」力が必要です。ディフェンスが亂るのは、遅くまで飲んだ時、遅くまで仕事をしたときです。朝、遅くても3時に起きられればいいのですが。そういふときは、リスクマネジメント。ルーティンな日でないことが予想されるなら、「では」どうするかを決めておけよ。わかってゐるならやれよ。よーし、予定表にリスクマネジメントを書き込むぞ~。

 閑話休題。昨日から、七十二候 次候 「土潤溽暑」です。「つちうるほうてむしあつし」と讀みます。熱氣がまとはりつく蒸し暑い頃です。

 暑い暑いと天につばはく愚痴をいふ私たちですが、祖先はもつと暑さを樂しんでゐました。
 今囘は、浅川君です。通称 あさっちん。

 大きな体でパワーに恵まれてゐました。体は少し硬かったけど(笑)。本格的なコーチがいれば、彼は大成してゐたかもしれません。指導者がいない髙校生の限界です。

 ピンクレディーの歌の一節が(笑)。

 竹内君といふのは英語の先生です。YACHI先輩と云ふのは我々の同期の山口君です。
 

 最初は、蘇秦と張儀の話の続きからですね。蘇秦を怨んでいた張儀ですが、それは、蘇秦のはからいだと知ります。蘇秦は、誰か心を通じる人間を秦に 送りたかったのです。それは合従連合を成功させるためでした。張儀は蘇秦の生きている間は、その恩を徳として、合従連合を切り崩しませんでした。合従連合 に対抗する言葉が連横論です。秦が一対一で各国と付き合うというものですが、張儀は、蘇秦が生きている間は、この連横論を展開しませんでした。

 さて、今日から新しいお話です。「息壌(そくじょう)の戦い」です。
 この話は、また面白い。君主というものは気まぐれなものです。その気まぐれさをしっかりと押さえた対応が見事です。何日かに分けて掲載します。

 信乃が明日たつというのに、亀篠が明後日にしなさい、と言いました。なぜでしょうか?
 九十歳になる親父が、これでもかと手紙を送つてきます。人生を遺したいのでせう。私と息子は、親父の人生を引き繼ぐ義務があります。

つづきです。

□昔話
□海軍の朝から晩まで
 つづき
 今は、二十四節氣 大暑です。一年で最も暑さが感じられる頃です。云はんでもわかる。昨日は土用でしたね。鰻食べなかった😢。大好物なのに。大阪は天神祭。駅からバスに乘つたら、渋滞😢。

 まあいいや。

 七十二候は 今日まで、大暑 初候 桐始結花です。「きりはじめてはなをむすぶ」と讀みます。

 桐が花を咲かせる頃です。盛夏を迎える頃には、卵形の実を結びます。
「桐 写真」の画像検索結果
 この日誌に登場している後輩がコメントを入れてくれました。非公開希望なので内容は出せませんが(笑)。メールを送りました。今度會いたいな。人のつながりは一番うれしいですね。

 さて、今囘は、安河内B君。
 いろいろな關係の方々のおかげで仕事がどんどん充實してきてゐます。感謝合掌。

 フェデラー、すごいですねえ。私たちの時代は、マニュアルラケットでした。今のデカラケではありません。デカラケになつてから、テニスが別のスポーツのやうになつてしまひました。確かに迫力はましたけれど、美しくない。だから、テニスの試合を觀なくなりました。

 だけど、フェデラーのテニスは美しい。デカラケ全盛の中で、あのプレーの美しさを維持してゐるのはもう言葉にいひつくせない素晴らしさです。特にバックハンド。ほとんどのトッププレイヤーが両手打ちバックハンドを用ひる中、彼だけは片手打ち。それも見事に美しいフォームです。

 よいウィンブルドンでした。

 松居和代。メディアに出すなよ。
 クライアントさんのホテルで書いてゐます。やはり朝はいいな~。これを書いたら手紙を書きます。

 子供の頃から口が達者だつた私は、母からよく「言ひたいことがあつたら、三つ數へてからにしなさい。三つ數へてまだ言いたかつたら云ひなさい」と云はれました。

 最近、だいぶん、自分の云ひたいこと(私から發信する「誰が(つまり私)正しいか」を云はなくてもストレスがたまらなくなりました(笑)。

 人と話してゐるときに、その人の話が終はつたとたんに「でもな」「けどな」と云ひ返す人がゐます。かういふ人たちは、相手が話してゐるときに、その話をろくに聞きもせず、頭の中で自分勝手に解釈して、もう反論を考へています。なぜわかるかつて? 昔の私がさうだつたからです。
 蘇秦に冷たくあしらわれた張儀は、奮起して秦に向かいます。それを知った蘇秦は、喜んで、部下に事の次第を打ち明け、身分を隠させて、十分な路銀 を持たせて張儀のあとを負わせます。そして、秦までの道のり、張儀の面倒をよくみて、首尾よく張儀を秦に送り届けます。さあ、張儀はどうなるのでしょう か。

 さて、昨日からの続きです。ようやく重い腰をあげた張儀です。

 昨日は、これまでのあらすじでした。

 さて、信乃を亡きものにし願わくば銘刀村雨(むらさめ)を手に入れようとする蟇六(ひきろく)と亀篠です。さあ、どんな悪巧みを考えつくのでしょうか。

 
 今日から、七十二候 小暑 末候 「鷹乃學習」です。「たかすなはちわざをならふ」と讀みます。

 五・六月に孵化した雛が、巣立ちの準備をする頃です。 獨り立ちができるやう、飛び方を覺へ、獲物の捕り方を覺へ、「獨り」といふことを一から學びます。

 世界で象形文字(表意文字)を維持してゐるのは我が日本だけではないでせうか? 支那は、完全に字を崩してゐますし、朝鮮など、あれが字なのかわからないほどです。表音文字で育つと、感情的になりやすくなります。それは、支那人、朝鮮人、歐米人を見るとわかりますよね。だから小學校から英語など、とても恐ろしいことなのです。

 漢字には「字源」があります。それを體系化したのが白川静先生です。2冊持ってゐますが、本を開くととてもワクワクします。

 學習の「習」も象形文字です。
 今日は、何曜日? 曜日の感覺がまつたくありません。今日は、芦原温泉→金沢→東京→館山と移動します。北陸新幹線は初めてです。

 九十歳になる親父がくれる手紙を紹介してゐます。

□昔ばなしh
□海軍の朝から晩まで

のつづきです。
 今日は、安河内B君。信二ですね。

 我が母校 福岡髙校はラグビーの名門校です。先輩には、あの有名な新日鐵釜石の森さんもゐます。私たちの時代には、全國大會出場回數が花園出場が秋田工業髙校についで二番目でした。

 男子制服の襟章はラグビーボールです。當然、冬の體育の時間はラグビー。冬のクラスマッチはラグビー。腦震盪續出です(笑)。今やつたら、大問題になりますね。

 現在、ジャパンの日本代表に 福岡くんがいます。福岡髙校出軆です。福岡髙校の福岡君。

 我がテニス部でもよくやりました。この日は、1年對2年をやつてゐますね。1年がトライをしたら終了。しなければ延々と續くといふものです(笑)。無茶ばかりしてゐました。

 ちなみに、なぜ、トライといふかご存知ですか? 昔は、トライをしても點は入りませんでした。トライをするとゴールキックをする權利が得られるだけだつたのです。ゴールキックに「トライアル」するから「トライ」です。

 さて、日誌に戻ります。
 學生時代、經濟學を學んだとき、農村の労働力の話がありました。特に、イギリスがひどいイギリス病と呼ばれる事例をみながら。「へー、農村の労働力とは國家にとつてこんなに大切なんだ」と感じたことを覺へてゐます。

 ルイスの轉換點といふ言葉があります。
 蘇秦と張儀の話の続きです。尋ねてきた張儀を蘇秦は冷たくあしらいます。張儀は、腹が立って、腹が立ってなりません。蘇秦に目にものみせて くれんと、発奮します。蘇秦がいる趙の国をやっつけるには秦以外にありません。張儀は秦に向かいました。これからが面白いのです。次回ね。
 あらすじがわからなくなった人もいるみたいなので、ここで、今までのとことまでをまとめておきます。
 九十歳の親父から、かなり頻繁に手紙が來ます。何かを「遺」こしたいのでせう。引き繼ぐ義務があります。書き遺しておきます。手紙の來る頻度にブログがおいつきませんが(笑)。
 今囘は、藤(とう)君です。

 「ぎょうらしい」とは、博多辯で「おおげさ、けばけばしい、うっとおしい」」です。船津とは、先生の名前です。私は直接習つたことがありませんのでよく知りません。
 六条御息所は、斎宮になつた娘について伊勢へ行くことになりました。

光「ああ、残念、しかしまたいつかお会いできるだろう」

 なんと、この時の光源氏の豫感は、後に實現します。

 さて、桐壺院の健康が惡化してゐます。朱雀帝が見舞いに訪れました。
 前囘、少し蘇秦と張儀のことを書きました。蘇秦は、張儀に目をつけます。そして、策を弄します。そのころ貧乏だった、張儀は、その策にはまってし まひ、蘇秦に仕事のツテを求めて、会いにいきます。でも、蘇秦は、張儀を冷たくあしらいます。この續きも次囘書きますね。少しずつ戰國策の背景を紹介して いきます。以下の文章は、昨日の續きです。

 さて、楚と斉の同盟を崩そうと、張儀が楚に向かいます。商於の土地を譲るという条件で、楚王に斉と手を切るように依頼します。楚王は、商於の土地 が手に入ると大喜びです。「策士と策士」の続きです。

 この土地を治める領主の陣代が浜路に恋をしてしまいました。
 博多は今日は追い山(山笠の最終日) 4時59分からタイムレースをやります。同級生からラインがバシバシ。





 私は宗像郡に住んでゐたので、山笠とは直接關係がありませんでした。びつくりしたのは、山笠期間中になると、生徒が休むんです(笑)。それを學校も公欠にします。

 同級生もたくさん出てゐます。グループラインも山笠一色! 元氣をもらえます。

 さて、今囘は、安河内A君です。

 「いっちょん」は「まったく」の意味です。

 それと安河内君も書いてゐますが、「踏み込んでうってすぐもどる」ことがテニスの大切なコツです。まず、ボールが來たら、來た方の足を踏み出す。つまり、右利きなら、フォアに来たら右足を横にして踏み出します。これで、左足から出すときと2~3歩違います。そして、打ったらすぐに戻る。これが出來れば、そこいらの人には勝てます。

 



 久しぶりに触れたな~。やはりいいや二宮尊德は。もう一度學習しようかなあ。書き留めておきます。
 教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以てテ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」が文法上誤りだと、あの、もっともらしいことを言つて、最後に人をだます左翼 池上彰が週刊文春(いつだつたか忘れましたが)で言つてゐました。腹を抱へて笑ってしまひました。私は教育勅語でこの部分が一番好きです。愛してゐます。毎朝、教育勅語を唱和してゐますが、このフレーズを讀むときは涙が出てきます。

 だいたい、「すめらみこと」と「すめらぎ」の違ひもわからない池上彰ごときが何を云ふ。「シラス」もしらない池上彰ごときが何を云ふ。
 上念司がまたやつてくれました。この人の本は實に面白い。マクロ經濟を實例を通して、これだけわかりやすく解説する。敬服です。

 マクロ經濟は絶對に必要です。マクロを知らずして、投資のセミナーとか株のセミナー何ていふミクロを勉強しても、何の役にも立ちません。

 さて、今囘、上念司が上梓したのは・・・。
 蘇秦と張儀が出てきました。このいずれ書きますが、この二人には、とても面白いエピソードがあります。昔、一緒に学んだ蘇秦と張儀ですが、蘇秦が 先に出世します。合従(がっしょう)連合をもって、趙に重んじられていました。蘇秦は、せっかくつくりあげた合従連合が秦の横槍でくずれることを恐れま す。秦に気心の知れた人物を送り込んでおきたかったのです。さて、蘇秦は、どうしたのでしょうか。また明日書きます。  

 今日は「策士と策士」です。昨日まで張儀と陳軫の話をしましたね。二人は政敵です。二人の争いは、張儀が宰相に登用されてケリがつきました。陳軫 は結局、楚に出奔しました。やがて、楚と秦の間に紛糾が生じ、二人は作を戦わせます。
 あいてしまってすみません(涙)。

 領内を巡視している陣代が蟇六(ひきろく)の家に宿泊し、浜路に目をつけたところまででした。
  今囘は弥永君です。昭和五十二年、私たち、福岡髙校男子硬式テニス部は インターハイ出場を果たしました。監督もコーチもいませんでした。髙校スポーツで、指導者がいないといふのは致命的です。そして、キャプテンであつた私は、インターハイ予選(縣)が近づくにつれてプレッシャーでボールが打てなくなるほどでした。それでも、インターハイ出場を果たしました。技術とかそんなものではありません。「インターハイに出る(出たいと言つたことは一度もなかつた)」「出なければ死ぬ(というところまで思ってゐた)」といふ精神の強さが、きつとそれを可能にしたのでせう。「インターハイ予選で負ける」といふ選択肢は、私たちにありませんでした。

目的:(テニスの名門でありながらそれまで低迷していた)福髙テニス部の傳統と誇りを取り戻す
目標:そのためには最低インターハイに出場する(この目標が間違つてゐました。インターハイで優勝するとしないと。これが監督もコーチもいない髙校生だけのチームの限界です)。
手段:だから、どんな苦しい練習もやる。どんなに練習でつらくても試合で負ける苦しさよりはまし。

 純粋だつたなあ。 でも、明るいテニス部だつたんですよ。この日誌をご覧いただければわかりますよね。
 今は、二十四節氣の小暑(しょうしょ)です。そして七十二候は、昨日までが、温風至(あつかぜいたる)。今日から、小暑 次候 蓮始開です。「はすはじめてひらく」と讀みます。

 蓮がゆっくりと蕾をほどき、花を咲かす頃です。 水底から茎を伸ばし、水面に葉を浮かべ、綺麗な花を咲かせる蓮ですが、花が開いてから四日目には散つてしまひます。

蓮の花の名所in東海

 愛知県の彌冨あたりは蓮の名所です。それはそれはきれいです。

 ところで、如来は、蓮に座つてゐますよね?
 本日は、母の命日です。平成七年七月十日没 享年六十二歳。

 そして、我が社の創立記念日です。平成十三年七月十日設立。

 去年は、なんて書いていたかなあ。ああ、亡くなったときのことだ。ブログ書く時間が今、あまりないので、コピペしておきます。
 支那の歴史家 司馬遷が「史記」を書くにあたつて參考にしたのが「戰國策」です。戰國策の原作者は明らかではありません。おそらく、当時の口 承、記録がバラバラと存在していました。これを、現在の形になおして「戰國策」と命名したのが、前漢末の劉向(りゅうきょう)という人です。

 

 前囘から「誘いに乗る女は妻にはできぬ」です。

 糠助が亡くなりました。
 菖蒲華を飛ばしてしまひましたね。

 今は、七十二候 夏至 末候 半夏生です。「はんげしょう」と讀みます。

 半夏(からすびじゃく)が生える頃です。半夏生の名をもつ草の葉が白く染まる頃です。農事の節目ともされており、田植えを終わらせる頃です。
「からすびじゃく」の画像検索結果

 今年の半夏生は七月二日。七月二日はタコの日でもあるさうです。
 ずいぶんさぼってしまひました。すみません。それにしても都民はおバカが多いですね~。あの政局だけで政策がないなんとかファーストを信任しました。左翼が手を叩いて喜んでゐますね。

 民主主義とは恐ろしい。この制度が本當によい制度なのだらうか。國民主權とは、國家を転覆してよい權利です。基本的人權の基本思想は、人を殺してよい權利です。平和主義とは、自分だけが平和なら他の人間はどうでもよいといふ主義です。だから、十四歳の女の子が拉致されても、森友ほどの騒ぎになりません。この三つを柱としている邪教 日本國憲法のなんと恐ろしいことか。

 小池さんが、代表を辞任しました。これを詐欺と云ひます。もともと、地方自治では、首長が代表をやるなど、基本的理念とあひません。それをメディアは誰も批判しませんでした。曲学阿世の徒と云ひます。

 さて、久しぶりのスタートは、寺田君です。昭和五十二年です。私たちがインターハイに行つた年です。

 倉富とは、英語の倉富先生です。呼び捨てするなよ(笑)。關係ない話ばかりで授業が全く進みませんでした。

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