戰國策 再12(皇紀弐千六百七十七年七月十七日 五)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 蘇秦に冷たくあしらわれた張儀は、奮起して秦に向かいます。それを知った蘇秦は、喜んで、部下に事の次第を打ち明け、身分を隠させて、十分な路銀 を持たせて張儀のあとを負わせます。そして、秦までの道のり、張儀の面倒をよくみて、首尾よく張儀を秦に送り届けます。さあ、張儀はどうなるのでしょう か。

 さて、昨日からの続きです。ようやく重い腰をあげた張儀です。

  楚の使者と会いました。

「ここからここまで、縦横六里の土地です」

 使者は言いました。

「私は六百里と聞いてまいった。六里とはなんだ」

張儀
「小心者のこのわたしが、六百里の地を贈るなど言うはずがない」

 使者は帰国して報告しました。楚王は怒り、兵をおこして秦を討とうとしました。陳軫が謁見を請いました。
「申し上げたき儀がございます」
「なんじゃ、申してみよ」
「秦を討つのは得策ではありません。むしろ、城を一つ与えて連合し、斉を討つ方がよいと思います。秦に与えたかわり斉から取る。損はありません。あなた は、斉と断交したうえ、秦の違約を責めようとなさる。これでは、斉と秦の手をにぎらせてやるようなものです。わが国の損害ははかりしれません」

 楚王は聞き入れず、兵をおこして秦を攻めました。秦は斉と連合して、韓までそれに加わりました。楚の軍は大敗しました。
 楚は、土地、人民を失ったばかりか、あやうく滅亡の瀬戸際に追い込まれました。陳軫の意見を聞かずに、張儀の策にはまったのです。まさに、兵は詭道なり ですね。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7017

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年7月17日 03:27に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再33(皇紀弐千六百七十七年七月十六日 四)」です。

次のブログ記事は「案山子論法(皇紀弐千六百七十七年七月十七日 六)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。