2017年1月アーカイブ

 「五つの私は母に手を引かれて住吉へ参りました。・・・・母はじっと私の顔をみていました。『この橋を渡れたら、いいお話を聞かせてあげるわね。』・・・その橋の上で母はおそろしい話を聞かせました。母の言葉ははっきりとおぼえておりません。母は私のほんとうの母ではないと言ったのでありました。私は母の姉の子で、その私のほんとうの母は、こもあいだ死んだのだと言ったのでありました」

 川端康成「反橋(そりばし)」の一節です。
 三島由紀夫が、自衛隊市ヶ谷駐屯地で、割腹自殺をしたとき、何歳だつたかなあ、小さな私は「言つてゐることはすごいのかもしれないけれど、こんなことをして世の中が變はるのだらるか」と疑問に感じました。確か、TVで觀ていた記憶があります。ニュースだつたかなあ。

 三島由紀夫の小説は、なんといふか、触れるとスパッと切れてしまふ、刀のやうなものでせうか。

 谷崎純一郎の小説は、う~ん・・・・・・。軆の中に入つてきて、自分の恥部を引きづりだしてくれる、「ばっかやろー、いらんことをするな~」と叫びながら、ウンウンと納得させられる作品です。

 森鴎外も若いころよく讀みましたが、あまり、入ってきませんでした。よそよそしい。

 夏目漱石? あの、客観性あふれる小説は、自分自軆を、第三者の目で見る力をつけてくれます。何にしても本は面白い。

 三島由紀夫の文學的遺産である 小説とは何か で、正しい日本語を學習してゐます。
 福井県に鳥浜貝塚があります。私たちは、縄文時代の人間は毛皮を着て生活をしたと習ひました。鳥浜貝塚を見に行くと、縄文時代から、織物をした歴史が刻まれてゐます。私たちが習つたものよりもはるかに先進的な文化だつたのが縄文時代です。

 それも、農業を中心として。

 十六条の譯と解説です。


 第八帖 花宴(はなのえん)に入つてゐます。

 藤壺のことを書いてきましたが、若紫も少しずつ成長して華麗さを増し、光源氏とのむつまじさがほほえましくも微妙に變じていくことがこの帖につづられてゐます。

 さて、宴のあと人影も消えた夜更けに光源氏は、なんとか藤壺にあへないだらうかと、館の周りをさまよいます。どの扉も閉じてゐてダメですが、すぐ近くに弘徽殿の細殿があり、そこは戸口がひとつ開いてゐます。そっと忍び込むと中は寝静まつてゐます。
 私は最初は、出光興産㈱の就職面接を受ける氣はありませんでした。親族がいた會社には、どうも抵抗があつたのです。でも、どういふ會社かは知りたかつたので、面接を受けに行きました。出光興産㈱は、その前々年前1,500億円の赤字を出してゐました(爲替差損で)。

 なのに訪問すると、會社は活氣にあふれてゐました。同時にS銀行も就職面接は受けてゐましたが、S銀行の面接前になると先輩から、「〇〇は聞くな」とか云はれました。でも、出光興産㈱では、人事の人から積極的に〇〇の話しをしてくださいました。自由闊達な雰囲氣に魅せられた私は、出光興産㈱から内定をいただき、入社する決意をしました。

 母は、とても喜んでくれました。「あのね、出光はね、残業すると天丼が食べられるのよ」なんて(笑)。母がいたころは、まだまだ、日本が貧しい時です。残業飯の天丼は、さぞかし、おいしかつたのでせう。

 母の葬儀には、大和丈夫出光石油化學社長が來てくださいました。出光の超大物です。母はよく大和さんに電話をしてゐました。同僚が家に遊びに來てくれることなどを連絡してゐたのでせう。

 私の上司は、びつくりです。「寳德、なんで、大和さんが、お前のお母さんの葬儀に來るんだ」と。

 今年、九十歳になる父が、私たちにつなぎたいことを手紙に書きまくつてゐます。命を懸けて愛した母が關與した、世紀の大偉業 日章丸事件のことを紹介してゐます。
 今日から、七十二候 大寒 末候 鶏始乳です。「にわとりはじめてとやにつく」と讀みます。

 鶏が春の氣を感じ、たまごを産み始める頃です。自然な状態の鶏は、日照時間が長くなるにつれ、産卵率が上がっていくため、春から夏にかけてたくさん卵を産みます。

 節分までです。
 出張に出ると、朝寝坊してしまい、ブログが書けないことが多くなります。すみません。

 「眞に働く姿を顕現し國家社會に示唆を與へる」

 「かつての」出光興産㈱第二の定款と云はれたものです。つまり、出光で働く者は、國家社會に示唆を與へるレベルでないと働いたことにならないといふ崇高な経営目的です。そのためにどうすればいいか「立派な日本人」になればいいのです。

 入社してこの言葉を聞いたときに身が震えました。「そんなことが出來るのだらうか」と。考へ直しました「出來るかどうかではない、やるかどうかだ」と。

 経営には「経営目的」が絶對に必要です。

 目的→目標→手段 を一貫性を保つてブレイクダウンしなければ物事はうまくいきません。手段ばかり話してゐる會社が多い。

目的:目標よりも上位概念。目標を達成することで得られる望ましい効果
目標:目的達成のためにやるべきこと
手段:目標達成にためにやるべきこと

 日章丸事件は、まさに、國家社會に示唆を與へた事業でした。

 今年九十歳になる父が、命を懸けて遺さうとしてゐるものの一つをご紹介してゐます。つづきをお樂しみください。

 母を愛してやまなかつた父が、渾身の力を込めて母を書いてゐます。母の再登場です。

 働き方改革なんかをやっていたら、日章丸事件のやうな快擧はできません。「眞に働く姿を顕現し國家社會に示唆を與へる」ことなど不可能です。男子の本懐は、國家社會に身を捧げることです。
 家事と仕事の合間にブログを書いてゐます。

 體重が76キログラム台で定着してきました。手術前は84キログラム中ほど。8キログラム以上痩せてゐます。今月中に75キログラム台に持っていきます。今年中に、72キログラム台に。

 まあ、それはいいけど、腹が減る減る。

 アパホテルよかつたですね。
 家の用事をしながら、仕事を一晩中しています。

 大日本帝國陸軍・陸上自衛隊の研究をしてゐます。

 彼らの仕事は、「ミス」をしたら死です。

 そして、上官は、部下から尊敬されなかつたら、いざ、戰闘となつたときに、誰もついてきてくれません。それどころか、後ろから部下に撃たれる可能性だつて否定できないのです。

 また彼らは、(特に日本においては)起きないかもしれない有事に備へて平時を過ごすすごさがあります。スポーツにおいて、試合がなくて練習することは考えられません。

 軍人といふのは、民間人よりはるかに人間がすぐれてゐます

 平時においても、髙い人間性づくりを鍛へ、部下から尊敬され、そして、髙いリーダーシップ・マネジメント能力を養成します。

 戰場において、上官が死んだとき、部下がおろおろしてゐたら、部下も死んでしまいます。想定外は戰場では許されません。あらゆる事態を想定して、自己完結した人間がチームを作る必要があります。

 陸上自衛隊では、これがMETT-T(任務分析)です。

 そして大日本帝國陸軍には、統帥綱領・作戦要務令がありました。
 三島由紀夫の文學的遺産「小説とは何か」で、正しい日本語を學んでゐます。つづきです。
  さあ、源氏物語は第八帖 「花宴(はなのえん)」に入ります。この帖はとても短い。 

おほかたに 花の姿を みましかば 露も心の おかれましやは

 藤壺が、第八帖 「花宴」で。光源氏のりりしい姿を觀て思はず詠んでしまつた歌です。
 母の兄弟の長男(伯父)の名は舜一でした。私は会つたことはないのですが、母の家族が北朝鮮から引き揚げて來るときに、途中で亡くなつた伯母の名は堯子(たかこ)だつたさうです。とても優しい人だつたと母から聞かされてゐます。会いたかつたなあ。膝にちょこんと座りたかつた。

 堯と舜は、支那古代の皇帝です。今でも、支那では理想の皇帝とされてゐます。まあ、さうでせうね。シュウキンペーなんかが皇帝になつてゐる今の支那では、人間性などといふ言葉は死語でせうから(笑)。

 昔の親は教養があります。子供ができる、若い時期でも、きちんと支那の古典から子供の名前を引用してゐます。腐つた戰後教育を受けてきた私たちとは、まつたく違ひます。
 
 舜一おじさんや堯子おばさんの名前を付けた祖父は、出光佐三店主弟 出光計助(當時専務)の高校の同級生です。母と共に、父の記事に出てきます。。

俯仰天地に愧ぢず

 日章丸が川崎港に着いたとき、マスコミにコメントを求められた出光佐三店主が、仰つたことばです。「天に對して何も恥ずべきことなどない(こころに一片の曇りもない)」「ふぎょうてんちにはぢず」です。

 明治のと男はすごいですね。胆力、教養が私たちとはまつたく違ひます。私たちは今、我が國史上最低の國を作つてしまつてゐることを、國民が自覺しなければなりません。

 それを自覺していない不感症國民だらけです(もちろん、私も)。

 さて、今年九十歳になる父が、命を懸けてこの世に残さうとしてゐるもののひとつ、日章丸事件をお樂しみください。いよいよ母の登場です。

 父が書いてゐる通り、百田尚樹氏については、私も同感です。「海賊と呼ばれた男」が出たとき、賈つて讀みましたが、ものの數分で讀むのをやめました。「盗作やん」と。出光には立派な本がたくさんあるに、それを讀まずに海賊を喜んで讀んでゐる社員が多いのはなんと情けないことか。百田氏の永遠のゼロも讀んだときにも同じ感じがしましたし、映画を観たときは、その駄作に、演技怒鳴りまくりの岡田なにがしが主役だつたので興ざめでした。

 今日の、文中に出てくる「出光万歳」「日本万歳」のところを評傳 出光佐三で入社前に讀みました。涙があふれてとまりませんでした。「俺は、こんなにすごい會社に入れるのか。命を捧げてもよい」と。

 今の日本は情けない。何が働き方改革でせうか。男は命がけの仕事をして初めて男です。仕事で死ねるなら、男子の本懐です。

 すみません・・・・。前置きが長くなりました。
 何歳ぐらいのときだつたかなあ。福田恒存先生の本を讀みました。頭を棒で思いつきり毆られた感じがしました。「なんだ、俺が習つたきたのは、日本語ではなかつたんだ」と。

 私たちは、時代を髙めてつなぐ義務があります。日本男児の唯一の使命は、「すめらぎの弥栄を護る」ことです。これは、何も天皇家を護ることだけではありません。人間社會の奇跡 日本の在り方を護ることです。そこには家族も友人も大切な人はみんな含まれますし、そして、我が國の先輩たちが營々と築いてきたものもあります。

 男はそれしかできないんです。女が男に女を求める今の時代、男がどんどん情けなくなります。男女は區別しないと、世の中がおかしくなります。昔の婦道はそれを知つてゐました。だから、自分たちの仕事を男にさせるなんて、愚かなことは要求しませんでした。もつと嚴しい仕事に男を放り込んで鍛へたのです。「女の腐つたのみたいになりなさんな」と叱りながら。

 せめて日本語ぐらいは取り戻しませう。

 三島由紀夫の文學的遺書である「小説とは何か」で本來の日本語を學習してゐます。
 江戸に「矢切の渡し」があります。歌にもなりました。

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 この間、岐阜のタウン誌「GIFUTO」を讀んでいたら、小紅(おべに)の渡しのことが載つてゐました。へーーー、岐阜にも渡しがあるだ。
 セブン・シスターズといふ本があります。私たちの時代は、石油業に関はる人間の必讀の書でした。セブン・シスターズ。まう、あまり聞かれなくなつた名前です。世界の石油資本を支配する七つの会社がかつてありました。メジャーと呼ばれてゐました。

 このセブン・シスターズの内、3社は、ロックフェラーが作ったSO(スタンダード」・オイル)が、シャーマン法(日本で云ふ獨占禁止法)により分割されたものです。なぜ、エッソといふ名の石油会社があるか(今は、エクソン・モービル)。「SO」→「エス・オー」→「エッソ」です。

 セブン・シスターズ
1.スタンダードオイルニュージャージー(後のエッソ石油 1999年にモービルと合併しエクソンモービル)

2.スタンダードオイルニューヨーク(後のモービル 同上)

3.スタンダードオイルカリフォルニア(後のシェブロン)

4.ロイヤル・ダッチ・シェル(オランダ60%、英国40%)

5.アングロ・イラニアン(後のBP'ブリティッシュ・ペトローリアム) この會社が今囘出てきます)

6.ガルフオイル(後のシェブロン 一部BP)

7.テキサコ(後のシェブロン)

 巨大と呼ばれる言葉では片づけられない資本に對し、日本の中小零細企業(當時)でしかなかつた出光興産㈱が挑み續けたのです。市場の開放のために。

 今年九十歳になる父が、命を懸けて残さうとしてゐるものの一つです。つづきです。原文ママです。 次囘は、私の母が登場します。
 十六条まできました。これは今の私たちが猛省する必要がある条文ですね。

 自然道で生きてきた私たち日本人は、歴史を知らないと、過去をすべて否定してしまふことになります。今日は、条文だけです。
 かつての出光興産㈱は、大胆かつ最新の仕事の進め方をしてゐました。一中小企業が、こんな大偉業を成し遂げるなど、今の日本では考えられません。

 日章丸が神戸港を出港する前の日、佐三店主は、石清水八幡に行き、身を清め、白羽の矢を受け取りました。

 佐三店主は、翌日、神戸港で日章丸を見送りました。白羽の矢を手に日章丸に上がり、祀つてある宗像大社にその白羽の矢を捧げました。この命がけの事業に従業員に命を懸けさせるのではなく、自分が行けないのかと、血涙をおしこらえたさうです。

 今年九十になる父の命を込めた文章を引き續きご覧ください。
 さあ、今日も、三島由紀夫の文學的遺書である、「小説とは何か」で正しい日本語を學習します。
 

 日章丸事件當時の出光興産㈱は、まだ、製油所を有しませんでした。原油を持つてきても、ガソリンや灯油などの石油製品にする能力を有していなかつたのです。他に頼むしかありませんでした。いつも供給に不安を抱えながら經營をしてゐたのです。

 そんな中、日章丸は、出光興産㈱の虎の子でした。當時、世界最大のこのタンカーが拿捕されると、出光興産㈱は、石油製品が手に入らなくなり倒産してしまう危機にさらされるのです。

 その虎の子を、英国軍艦に拿捕される危険性をはらみながら、イランに派遣した、出光佐三店主をはじめ、當時の出光興産㈱の社員の方々の胆力と偉業をお樂しみください。かつての出光興産㈱には、ドラマを創り出す力があつた。

 今年九十歳になる親父が命を振り絞つて書いてゐる「日章丸事件」を數囘に分けて紹介してゐます。原文ママです。

  「働いて働いて働きぬけ」。古今東西最高の經營者 出光佐三店主の言葉です。


 「若いうちは寢食を忘れて働け」とも。

妥當性といふ名の愚行)によれば、ブラック企業といふことになるのでせう。

 

 働くことは「惡なの」。仕事しか自分を鍛えてくれないのに。「勞働」なんていふ、歐

米や共産主義の、いや~な言葉が日本人にしみついてしまひました。

 

 もつとも、若い内はこの言葉が心底原落ちしてゐませんでした。「じゃあ、いつ遊ぶの」と(笑)。

 小學校四年生ぐらいの時でせうか? 父の本棚にあつた、三島由紀夫の「潮騒」を讀みました。あの程度のエッチ度でドキドキしたころが懐かしいのですが、なんだか禁断の書を讀んだ氣分になりました(笑)。

 もちろん三島由紀夫の作品ですから歴史的假名遣ひと繁體字です。最近賣られてゐる本は、三島も谷崎も、全部現代假名遣ひです。三島や谷崎の本にこんなことをしてしまつたら、三島や谷崎の作品にならないのです。特に三島由紀夫は、ずつと歴史的假名遣ひと繁體字にこだわつてきました。本當の日本語を使ひたいといふ、三島由紀夫に対する冒瀆です。

 でわ、練習します。
 いよいよ藤壺が中宮になります。帝の寵愛はますます深まります。

 面白くないのが弘徽殿女御です。帝は、自分の退位を考へます。さうすれば、弘徽殿女御が生んだ東宮が帝位を繼ぐのは必定です。帝は弘徽殿女御(こきでんのにょご)に「さうすればあなたは皇太后になるんだから」と宥めます。

 そして、光源氏は宰相のポストに就きます。藤壺が中宮として入内(じゅだい)する夜には、お供の役をおおせつかりま。 やっべえ~。

 でも、光源氏は「つらいな~」と。光源氏も辛いのですが、藤壺はもつとつらい。

 藤壺の子は、罪の子。でも、絶世の美男美女 光源氏と藤壺の子供です。成長するにつれて、それはそれは美しく育つていきました。光源氏のやうにあでやかに、さながら天に月と日がふたつながらのやうに輝いてゐるやうです。

 さあ、源氏物語は、第八帖に入ります。こんどは紫式部のどんなしかけがあるのでせうか?
 今年九十歳になる父が終活に入つてゐるやうです。以前は百三十歳まで生きると言つてゐましたが、この前来た手紙には「九十歳まで生きるとは、思つてゐなかつた」と書いてありました。母が六十二歳で亡くなつたのが、平成七年。神戸震災の年です。もう二十二年になるのですね。

 父は最近頻繁に手紙をよこします。寳德家をつないでおきたいのでせう。私と息子に。

 その父が、母の思い出ともに書いた「日章丸」事件を送つてきました。父は、「かつての」出光興産の大ファンです。長い文章なので、數囘にわけてご紹介します。原文ママです。
 今日から二十四節氣 大寒です。七十二候は、大寒 初候 款冬華です。「ふきのはなさく」と讀みます。

 
凍てついた地面に蕗の花が咲き始める頃です。地面には雪が積もり、強い寒さが襲つてくる時期ですが、草花は春に向けて着実に動き出しています。陰から陽への移り變はりですね。

ふきのとう
 ルーティンががたがたです。どんなにオフェンス力が強くても、ディフェンス力が弱い人間はだめです。立て直します。

 「ことりっぷ 奈良・飛鳥」といふ本をいただきました。うれしい。


 最近、公共工事を施工する會社が不足してゐるやうです。理由は、金額があはないこと、そして、民主党政權の時に「コンクリートから人へ」といふ信じられないキャッチフレーズの元、建設會社が重機や機材を処分したことがあげられます。 あの時、民主党に投票した人は萬死に値します。

 金額があはないことは、談合がなくなつたことに起因します。「談合は惡」といふPC(ポリティカル・コレクトレス:人爲的に作り上げられてしまつた僞の正義)が成立してしまひました。なぜ、談合が惡なの・・・・・? そして、震災の復興などが遅れてゐる責任は誰がとるの? 國民ですよね。反省が必要です。

 ニュースを觀ていたら、「小中學校の教諭の残業が多い」との朝日新聞の記事が載つてゐました。おいおい、教諭や教師は勞働者かい。そんな發想をしてゐるから、教育と云ふ國にとつて最も大切な事業がおかしくなります。國家を破壊します。人を成長させやうとしたら、時間や勞力は無限に必要です。いやなら教師になるなよ。 教育大学を廢止すべきです。師範學校を創りませう。

 ちなみに、官立學校は、中學まででいい。官立大學は、權威主義がはびこり、これまた國を壊します。

 寺子屋が一番いい。

 築地移轉問題。
 三島由紀夫の文學的遺遺言である「小説とは何か」を讀みながら正しい日本語の學習をしてゐます。

 三島由紀夫はすごいですね。敗戰後、GHQや國内の悲しい勢力が日本語をつぶさうとしてゐるときも、作品は歴史的假名遣ひであり、繁體字です。
 今日は、小正月(こしょうがつ)ですね~。小正月の行事や食べ物については割愛しますが、本來ならば、成人の日でした。なぜ、一月十五日の小正月が成人の日だつたのか。

 武家社會の頃には、小正月に元服の儀(げんぷくのぎ)が行われてゐました。昭和二十三年(1948年)、その歴史・由來的なつながりから、一月十五日が國民の祝日「成人の日」として定められ、正月・小正月ともに祝日となった期間が半世紀近く續きました。もちろん、農業行事にも深くかかはりがあることも理由の一つです。それを、ただ單に、日曜日と祝日をくつつけるだけの理由で・・・・。國會議員よもつと勉強してください。森内閣です・・・・・。

 傳統や行事といふものを輕く考へてはいけません。祖先からの遺言といふ意味もあるのですから。なのに、あんな、見るにもおぞましいハロウィンなんかが・・・・。悲しいですね。

 十七条憲法も同じです、數千年前から續く、我が國 國體を聖德太子がまとめてくださいました。

 十六条です。十七条が終はつたら、十七条憲法の構成、意義、そして、私たちが生きる道を総括して參ります。今日は、十六条の条文だけです。譯と解説は後日。
 今日は、何年振りでせうか。日曜日を家で過ごします。ガミさんと大喧嘩にならないやうに(笑)。

 みなさん、大雪に氣をつけてください。 

 新聞は夕刊が面白い。朝刊も懸命に作られてゐるのでせうが、記者の不勉強と質の低さが目立ちます。それとPC(ポリティカル・コレクトネス:政治的妥当性)を作り出しし、それに縛られてゐるので、朝刊は本當に面白くない。PCとは「これはかうでせう」と決めたらそれに逆らふことさえ許さない世論扇動型の愚行です。「いじめはなくさなくてはならない」「原發は惡」「残業は惡」「軍は惡」「先の大戦は、侵略戰爭」「談合は惡」・・・・・。全部嘘です。かつては「北朝鮮は地上の樂園」といふPCがありました。支那の云ふことに逆らふなといふPCも。

 でも、夕刊は、そんなしがらみがあまりなく、落ち着いて讀むことができます。

 それと、タウン誌が充實してきました。タウン誌や夕刊に載つてゐる、「行きたいな~(遠ければ旅、近ければ散歩)」「食べたいな~」と思ふ記事を紹介して參ります。

 今日は、先日に引き続いて西宮の地域情報誌「宮っ子」からです。

 西宮は酒造りがとても盛んです。
 經濟學を學ぶ學生が、經濟原論と共に最初に触れるのは「SNA」です。「國民經濟計算(System of Nation Account)です。

 GDPなどを計算する際の決まりです。

 今、税収が54兆圓以上あります。民主党政權時代は37兆円だつたことを思へば、アベノミクスは成長といへるでせう。それと、「景氣頼みの豫算」などとメディアはのたまひます。成長を志向することがなぜ惡いのか。まつたく御用新聞ばかりでどうしやうもありませんね。

 この税収を見ておかしいと思ひませんか?我が國のGDPは約500兆圓です。GDPの10%以上の税収??? 政府が、GDPの計算方法を見直さうとしてゐます。正しく計算したら550兆圓~600兆圓あるのでは? さうです。SNAを見直す時期に來てゐるのです。財務省は嫌がりますが(笑)。經濟發展をするとなると増税ができなくなるからです。

 實質賃金が低下したとも2週間ぐらい前に報道がありました。
 なぜ、この作家を今まで知らなかつたのだらう。

 長田渚左さん。私より弐歳年上ですね。姉と一緒だ。
「長田渚左」の画像検索結果

 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとづきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。

 冬は早朝(が良い)。雪がふつた朝は言ふまでもなく、(降りた)霜がとても白いときも、またそうでなくてもとても寒いときに、火などを急いでおこして、(部屋の炭びつまで)炭を運んでいくのも、たいそう(冬の朝に)ふさわしい。昼になって、生暖かく(寒さが)だんだんとやわらいでいくと、火桶に入つた炭火も白い灰が多くなつてゐるのは(見た目が)よくない。

 ご存知、枕草子からです。一番最初に學校で習ふので、暗唱してゐる人も多いのでは。「つとめて」は、早朝です。「夙(つと)」から派生した言葉で、早朝や明け方をさす言葉です。   




 繰り返しますが、このシリーズは、讀者の方々は無理に讀んでいたたかなくても結構です。

 私の生きる唯一の目的と目標は、「かつての日本人のやうに、立派な日本人になること」です。

 「祖國とは國語」。そのためには本當の日本語を學習したい。これがこのシリーズのテーマです。

 小學校から英語・・・・・・。あんな、表音文字の情緒不安定な言葉を子供のころから學んだら、日本人は崩壊してしまひます。まあ、人のことはいいか。つづきです。
 名前は覺へなくてよいのですが、どうしても紹介したい女性がゐます。「源典侍(げんのないし)」です。人柄もよく、才氣もあり、出自もよいのですが、とても好色なんです。十分に年を取つてゐるのに、その氣は衰えません。

 光源氏は、好奇心をそそれら、冗談半分に誘いかけてみました。すると、典侍は、その氣になるではありませんか。
 この2~3日は、ディフェンスががたがたです。ルーティン壊滅(笑)。今日から立て直します。

 今は、二十四節氣(にじゅうしせっき)の小寒です。一月二十日からが大寒です。

 この小寒、大寒の期間を「寒」と呼びます。

 
 ブログを書く時間が少しできました。

 今日から、七十二候 小寒 次候 「水泉動」です。「しみずあたたかをふくむ」と讀みます。

 地中で凍つた泉の水が溶け、動き始める頃です。まだまだ空氣は冷たく、寒い時期ですが、春に向けて少しずつ動き出してゐます。

 先日、易經で陰と陽の話をしました。
 ごめんなさい、今日のブログはこれだけです。

 自分の記憶のために。

     古事記 天照大御神 建速須佐之男命

     日本書紀 天照大神 素戔嗚尊

 日本書紀は、外交文書なので、「どうだ、我が國はすごいだらう」と書いてあります。

 神話・祖先の遺言としては、古事記の方が日本人向けなのです。
 正月は、元日に、西宮神社、二日に、廣田神社に行つてきました。

 廣田神社は、御祭神が、天照大御神です。西宮コミュニティ協會が出してゐる「宮っ子」といふ地域情報誌があります。平成二十九年新年號が、「タイムスリップ西宮」といふテーマです。とても面白い。

 少しずつ紹介していきますね。第一弾は、廣田神社。この神社に、伊勢神宮より西に天照大御神が祀られてゐることから、この地を「西」の「宮」と云ひます。
 支那の古典の中で、一番信じられて、一番素晴らしいなあと思ふのが、「易經」です。いくら嘘つき支那人と云へども、よくぞこんなすごいことを考へついたなあと。

 おそらく四書五經の中で詩經と並んで最も古く、そして、大宇宙の摂理を明らかにしたものでせう。元々、どんな民族でも、大宇宙との摂理を生活の中に組み込み存在してゐました。男と女を陰陽とし、そして、すべてのモノとコトが、陰陽で区別され、秩序を保つてゐると云ふ古代文化がありました。歐州は、それをカトリック教會主義が、むちゃくちゃにしてしまひました。

 支那は、あんなに素晴らしいことを考へながら、人間の欲望が先に来る「ウシハク(すべて支配者の所有物にする支配形態)」をしてしまひ、でたらめな國になりました。人間とは出發點は一緒なのに、そこに存在するリーダーにより、むちゃくちゃになるのです。我が國だけが、「シラス」の國體を創り上げ、そして、それを維持するために、とことん戰ひ抜く、「皇(すめらぎ)」がおはしました。

 日本ほど幸せな國はありません。おつとまたやつてしまつた。

 易経は、六十四卦の物語で大宇宙を語り、そして、その六十四の物語で、大宇宙と人の調和を(つまり生き方)を示してゐます。その中で、リーダー論である「乾為天(けんいてん)」は、龍の物語で、人間を戒めてゐます。ただし、易經を單なる占ひととらへる風潮がありますが、ご注意を。易經の奥は深く、占ひ師ごときが扱へるものではありません(もちろんこの私も)。
 「勉強」から「學習」に變へました。「學」は「まねる」→「なめぶ」→「まなぶ」と變化しました。だから人から教へてもらふ。それだけではだめです。「習」は象形文字です。表意文字。表音文字である英語や、今の支那や朝鮮の言葉ではありません。


 「習」の「白」は鳥の胴體です。「羽」はわかりますね。「習」とは、ひな鳥が親鳥の飛ぶ姿をみて、自分も飛びたいなあ、と思い、羽をばたばた何度も何度も繰り返す、といふ意味です。だから「習」は、「同じことを何度も何度も繰り返す」といふ意味です。

 「學んだこと」を「何度も何度も繰り返して」自分のものにする。これが學習の意味です。勉強とは違ひます。

 ちなみに「習慣」の「慣」の「りっしんべん」は、「心」です。心には、いろいろな欲望があつて、「ころころころころ欲望を變へてしまふ」から「こころ」と云ひます。「毋:かん」は、昔の銭挿です。穴があいてゐるお金が、バラバラにならないやうに一つにまとめたのが「毋」です。お金なので下に「貝」がついてゐます。

 「習慣」の意味は、「ころころころころ變はる心を變はらないやうに、ひとつのまとめ、何度の何度も同じことを繰り返す」です。素敵でしょ?

 「習慣」の同義語が「躾(しつけ)」です。「ころころコロコロ變はる心を變はらないやうに、ひとつにまとめ、何度も何度も同じことを繰り返す」と「身が美しく」なるのです。

 だから「躾」は大切です。幼い時や未熟な時には、まず、この躾です。「しつけ」を丁寧語にしてください。「おしつけ」です。「おしつけ」でいいんです(相手が自立してきたのにいつまでもおしつけをやつては人は育ちませんが)。

 漢字の字源は素敵ですね。
 おつと、また前置きか・・・・

 三島由紀夫の文学的遺書である「小説とは何か」で、本當の日本語を學習してゐます。
 十五条の譯と解説です。

 よく、「昔の日本は、滅私奉公だつた」といふ言葉を聞きます。悲しくなります。正しい歴史も理解しないまま、不勉強な自分の主觀だけで、そんなことを言つて世の中を亂します。

 滅私奉公ではなく、この十七条憲法を讀めば、「背私向公(はいしこうこう)」であることがわかります。十七条憲法は、推古天皇十二年(西暦604年)に創られてゐます。今から千四百年ほど前です。そして、この十七条憲法は、我が國 すめらぎ(皇)の八千年以上も前から、培われてきた、自然道で成り立つてゐます。そんな前から、この素晴らしい生き方を私たちの先輩はやつてきたのです。

 「私」の「禾」は、穀物です。「ム」は、肘です。つまり、生きるために大切な穀物を、自分ひとりに引き寄せて、自分ひとりだけのものにするといふ意味です。歐米や支那の支配形態である「ウシハク」です。
 季節の素敵な言葉を時々紹介してゐます。今日は、初昔(はつむかし)です。

 年が明けると、そこを境として、旧年と新年に分けられます。つい先日、つい數時間前だとしても、遠い昔に感じることはありませんか? 新年は特にそんな氣分になります。
 今日から、二十四節氣 小寒(しょうかん)です。七十二候は、小寒 初候 芹乃榮です。「せりすなはちさかふ」と讀みます。

 芹が生え始める頃です。芹は春の七草のひとつで、冷たい水邊で育ちます。一箇所から競り合つて生えてゐることから、芹(セリ)という名前になりました。

 春の七草は、子供のころ覺へました。私たちの子供のころは、日本全體がまだ貧しく、遊ぶものを手に入れることが少なかったのです。お金持ちの家には、野球ゲームなどがありましたが、我が家ではとてもとても。
 この記事は、讀者の皆様は、興味がある方だけお讀みください。私の日本語の訓練ですので。

 私たちの子供のころ、「当用漢字」といふ言葉がありました。GHQは、日本語を廢止しやうとしました。漢字を簡素化し、字數も制限しました。歴史的假名遣ひもやめにしました。つまり、我が國の素晴らしい歴史と臣民を切り離さうとしたのです。「当用漢字」とは、「日本語を廢止するまで日本人にいらせる漢字」だつたのです。言葉を替へると文化が滅亡することは、カトリック教會主義が世界でやつた所業を振り返るとわかりますね。

 まあ、これは、我が國數千年の歴史をたかだか二百年の愚かな國がやらうとしたことなので、びくともしませんでしたが、なんとなんと、國内に、この動きに便乘して、日本語を叩き潰さうとした勢力があつたのです。文部省を中心に。

 この動きに、福田恒存先生は猛然と戰ひました。

 我が國が今、おかしくなつてゐる眞因をご存知ですか? 言葉が日本語でなくなつてゐるからなんです。言霊の幸(さきは)ふ國 日本。美しい言葉つ使ひ合ふからみんなが幸せになる國でした。それが、こんな動きに翻弄され、正しい日本語會話がなくなつたことから、

何をコミュニケートしてゐるかがお互いわからなくなり

 意思疎通が阻害され、爭いが起こります。我が國開闢數千年で我が國が崩壊しやうとしてゐます。

 三島由紀夫の「小説とは何か」を學びながら、私自軆の日本語を鍛へて參ります。この本は、三島の遺言です。そして、昭和四十七年初版刊行であるのに、歴史的假名遣ひと繁体字で書かれてゐます。
 どこまで書いたつけ・・・? さうだ。藤壺が光源氏の子供を産んだところからでしたね。帝に寵愛される藤壺とその子供に、宮中の嫉妬の嵐が吹き荒れます。

 負けてゐられるかと、藤壺は、氣強くなつて、産後の肥立ちもまずまず。元氣も囘復してきました。
 昨日のメディアで、體操の田中理恵選手(だつけ?)がご結婚されたとの報道がありました。「一般男性」と。メディアは何を考へてゐるのでせうか? 私たちが一般なら、有名人は「特別」なのでせうか?言葉はきちんと使ひませう。特に、メディアの言葉がひどい。

 企業で、人の採用をサポートしてゐると、面接の際に、「この仕事は私に合つてゐますか?」と聞かれることが多々あります。かういふ質問をすることも信じられませんが、「仕事が人間に合はせる」のではありません。「人間が仕事に合はせる」のです。一人一人に仕事を合はせてゐたら、企業はつぶれてしまひます。それに、「使命」の本當の意味を知りません。おかしなな世の中になつてきたものです。

 年賀状がまだ書けてゐません(涙)。みなさん、すみません。毎年六百枚書くのですが追いついていない。今週中に書きます。
 息子が帰省してゐます。やはり樂しいですね~。どんどんたくましくなる。でも、吉本を觀ながら、ケラケラ笑ふ姿は、子供の頃と何も變はつてゐません(笑)。

 親になるまで、親の愛情を眞險に考へたことがありませんでした。ありがたかつたのは事實ですが、當たりまえのやうに受け止めてゐました。親になると、父と母が注いでくれた愛情あふれるシーンを思ひだすことが多くなります。

 出光興産に入社した時、當時の出光は、上司が新入社員の親に手紙を書いてゐました。確かにお預かりしましたと。さすが家族主義でした。

 私の場合も當時の上司が書きました。父からその上司に返信が來たさうです(私は見てゐない)。
 まだ、三日になつてゐませんが、明朝早いのでルーティンの一つであるブログを済ませておきます。

 私は、家でサラダを食べるときには、スタミナサラダにして食べます。基本のサラダが、キャベツと玉ねぎとブロッコリー、そこに、納豆と生卵とキムチを混ぜます。かうすると飽きない。元旦に、このスタミナサラダを食べやうと卵を割ると、なんと双子。生まれて初めてです。おみくじも大吉だつたし、今年は、春から縁起がいいや(笑)。

 おみくじは、凶や大凶にもなつたこともありますが、これも縁起がいい。要は本人の心の持ち方です。天からのメッセージ。

 讀賣新聞の夕刊は面白いですね~。木下元財務次官を天下りで受けた讀賣の經濟欄は御用新聞です。政治欄は少し面白い。社會欄はPC(ポリティカル・コレクトネス)です。元旦の朝刊の社説はひどかつた。

 それに比べ、夕刊は文化部が中心なのでせうか? 安心して讀めます。昨年十二月十七日の夕刊に掲載されていた、「福知山」の記事もよかつた。抜粋して要約しながら紹介しますね。
 私たちの仕事は、氣力、體力、腦力(能力ではない)の三つが必要です。一昨年の手術後、それぞれは、囘復してゐたのですが、どうもこの三つのバランスが惡い状態が續いてゐました。それが、最近戻ってきたので、樂しくて仕方がありません(もつとも、この正月は、普段の疲れが出たのか、軆體が少し重く、寢てばかりゐますが。明日までに囘復させます)。このブログを書いたらまた寢ます。

 なので久しぶりに、ルーティン・期日目標を中心とした目標管理を今年は復活させます。明日からやります。

 ところで、寢ながらTVを觀てゐます。普段こんなにTVを觀ることがないので、新鮮です。相變はらず、話すことが商賣なのにひどい日本語をを使つてゐる奴らに辟易しながら。

 ベッキーは、前よりうんときれいになりましたね。しんどい思いをすると人間は成長します。それにしても、なんとかといふあんな下らん男にひつかかるなよ。「ら」抜き言葉を使ふのでファンはやめましたが、有村架純ちゃん、かはいいですね(笑)。

 まあ、いいや。今年の目標です。
 元日の朝を元旦と云ふのは皆さんご存知の通りです。旦が朝といふ意味です。「一」は地平線。地平線の上に「日」が顔を出すので「旦」は、朝です。日がもう少し昇って、「木」の間まで來ると、「木」と「日」が重なつて、「東」となります。日がもう少し昇つて、木の上に來ると「杲(あきらか、高い)」となります。日がうんと昇るので、いろいろなものが見えてあきらかになるのでせう。

 もつと昇ると「昊(こう 空といふ意味です)」。 日が沈んでいくと草原の下に行くので、「草」と「日」を併せて「暮」となります。

 漢字は、表意文字(意味がある文字、語源ではなく、字源をもつ文字)です。英語などの表音文字とは根本的に違ひます。支那や朝鮮は愚かです。せつかくの表意文字を捨てて、字を表音化してしやうとしてゐます。表意文字で育つた人間が感情的になりやすいのは、歐米や支那、朝鮮をみてもわかりますよね。

 なのに、我が國でも、なんと、小學校から英語教育などこれまた愚かなことを言つてゐます。せっかく情緒ある表意文字の環境にありながら。祖國とは國語。これは、あれだけの國際經驗豐な、藤原正彦先生もご自身の著書で仰つてゐます。

 この字源を明らかにしたのが白川静先生です。日本人は素晴らしい。

 大晦日から、七十二候(しちじゅうにこう) 冬至 末候 雪下出麦です。「ゆきぐだりてむぎのびる」「ゆきわたりてむぎのびる」などと讀みます。   
 今の家老が、まだ若いとき、当時の家老ふたりを落としいれ、自分が権力を握ろうとした逸話を、掃除をしていた下男から小文吾が聞いているところまででした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 本來なら紀元節からが弐千六百七十七年になるのでせうが、面倒なんのでご勘弁を。

 弐千七百年まであと二十四年。八十二歳か~。そこまでは生きていたいなあ。弐千八百年だと、百八十二歳。とても無理だわ。

 ある方のご厚意で、御節料理を賈ひ求めました。いただくのが樂しみです。

 何囘、覺へてもすぐに忘れるので、御節についてまう一度書きます。
 明けましておめでたうございます。旧年中は大變お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。本年の目標やルーティンや期日計画は明日、ブログに掲載します。

 久々に、家でゆつくりしました。午後から休みにしたので。テレビも観ました。私は藝能人の名前をあまり知らないので、「あれ誰?」「これが?」と聞きながら観ます。息子は解説付きで優しく教えてくれるのですが、ガミさんは、うるさいな~といふ顔をして、「うるさい」と云ひます。

 あの語尾上げ言葉、「あの~⤴」「だから~⤴」「それで~⤴」の醜いしゃべり方、「ら」抜き言葉。「全然大丈夫です」が亂發されてゐます。聞いていて悲しくなります。あと、あの、なんだか男か女かわからない「なんとか ちぇる」と云ふタレントが「籍を入れさせてもらいました」と。おいおい、だれに入れさせてもらったの?自分たちで入れたんだらう?「籍を入れました」でいいの。

 「ザ・イエローモンキー」といふ名前のグループがゐるのを知つてびつくり!!! なんといふ自虐的な名前なんでせう。恥ずかしくないのかなあ???

 と、私はテレビを観ないはうがいいですね・・・・(涙)。

 ガミさんから「屠蘇を作れ」といふ至上命令が下りました。作ってゐるときに屠蘇の袋に、屠蘇の言はれが書いてありました。前にも書いたことがありますが、自分でも思い出したいので再度書いておきます。

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