徒然なるままに(皇紀弐千六百七十七年一月十五日 四)

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 最近、公共工事を施工する會社が不足してゐるやうです。理由は、金額があはないこと、そして、民主党政權の時に「コンクリートから人へ」といふ信じられないキャッチフレーズの元、建設會社が重機や機材を処分したことがあげられます。 あの時、民主党に投票した人は萬死に値します。

 金額があはないことは、談合がなくなつたことに起因します。「談合は惡」といふPC(ポリティカル・コレクトレス:人爲的に作り上げられてしまつた僞の正義)が成立してしまひました。なぜ、談合が惡なの・・・・・? そして、震災の復興などが遅れてゐる責任は誰がとるの? 國民ですよね。反省が必要です。

 ニュースを觀ていたら、「小中學校の教諭の残業が多い」との朝日新聞の記事が載つてゐました。おいおい、教諭や教師は勞働者かい。そんな發想をしてゐるから、教育と云ふ國にとつて最も大切な事業がおかしくなります。國家を破壊します。人を成長させやうとしたら、時間や勞力は無限に必要です。いやなら教師になるなよ。 教育大学を廢止すべきです。師範學校を創りませう。

 ちなみに、官立學校は、中學まででいい。官立大學は、權威主義がはびこり、これまた國を壊します。

 寺子屋が一番いい。

 築地移轉問題。
 小池さんは、政局ばかりで政策がなにもありません。政治家ではなく政治屋ですね。あれは、地下ピットだつて。ではなぜ、築地移轉問題が出てきて、豐洲が選ばれたのか。その檢證が何もありません。ただ、移轉が惡い。都庁が惡い。自民党都連が惡い。政局だけの政治展開は、必ずくずれます。

 年賀状をたくさんいただきました。「もう年なのだから無理をせずに」とたくさんの方々から。ありがとうございます。心から感謝し、重く受け止めます。確かに体の無理は利かなくなりました。かつてなら、三日ぐらい徹夜しようともびくともしなかつたのですが。

 だけど、私は、生まれてこの方「無理」をしたことがありません。自分のケイパビリティを100とすると、私はまだ20ぐらいしか發揮してゐません。つまり、まだ、生きることにさぼつてゐます。だから、体の無理が利かなくなつた分を30だとしても、あと50は力を盡せるのです。ああ、くやしい。いつまでこんなバカなのだらうか。

 若い人と、クライアントを囘つてゐて、「ああ、あそこの會社にも顔だけ出さうか?」と云ふと、「あそこの會社は、先日行きましたから」と答へが返つてきました。う~ん、トイレだけでも借りて、少し話をするだけで随分と違ふのになあ。

 さあ、今年は、知識慾→研究慾→成果慾と發展させます。

 たくさん書いたなあ。では、別の仕事をします。

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このページは、宝徳 健が2017年1月15日 05:10に書いたブログ記事です。

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