2016年10月アーカイブ

 今日の産經新聞の正論に、都留文科大學教授の新保佑司さんが、海道東征につひて書いていらっしゃいました。新保さんは、出光時代の先輩です。一緒に仕事をしたこともありました。十月三日には、交聲局「海道東征」の演奏會も開かれてゐます。

 海道東征は、神武天皇の東征を題材にして、北原白秋が作詩し、天才作曲家信時潔(のぶとききよし)が作曲したものです。戰後、ながらくこの世から葬られてゐました。

 神武天皇なんて本當にゐたのかと聞かれることがよくあります。いたのは眞理であり、眞實であり、事実ですが、ナンセンスな質問です。では、カトリック教會主義のやつらに「マリアは本當にいたのか」と聞いてみてください。喧嘩どころか殺し合いになります。マリアがいたのは彼らにとって、事實であるかどうか關係ないのです。眞理なのです(新約聖書はゾロアスター教の經典を書き直しただけなので、神武天皇がいらっしゃったことよりも眞實性は薄くなりますが)。

 その新保さんが、このたび、「海道東征」を上梓されました。




 さつそく注文しました。國が危機に陥つたとき、まづすることは、自國の歴史を見直すことです。新保さんも言つてゐます。明治維新が偉大だつたのは、維新に當たり、神武天皇の御世までもどつたことだと。

 といふことであれば、今の私たちは、歴史を知らなすぎます。こんなに素敵な國の歴史を。

 源氏物語もそのひとつですね。さあ、今日から、第六帖 末摘花(すえつむはな)です。
 すつかり寒くなりましたね。みまさん、體調に氣をつけませう。今年の冬は寒さうです。

 季節の素敵な日本語を時々紹介してゐます。今日は「律の風(りつのかぜ)」です。
 今は、二十四節氣では、霜降(そうこう)です。朝晩の冷え込みが増し山里では霜が降り始めるころです。確かに急にさむくなりましたね。

 七十二候(しちじゅうにこう)では、霜降 次候 霎時施です。「こさめときどきふる」と讀みます。ぱらぱらと通り雨のように雨が降りはじめる頃。雨が降つたかと思hrば、すぐに青空が顔を出します。初時雨は、人々や動物たちが冬支度をはじめる合圖だといはれてゐます。
「小雨 写真」の画像検索結果


 支那の古典に四書五經があります。四書は、大學、中庸、孟子、論語です。五經は、禮記、詩經、書經、易經、春秋です。どれも素晴らしい内容で、一時期は、むさぼるやうに讀みました。古典と云ひますが、五經は、まだ古代も古代、何千年前に書かれたものです。四書は、その五經を、その時代風にまとめなおしたものとお考えください。まあ、支那がまともだつた時代は、支那で漢民族以外が王朝を樹立したときだけです。〇年前の歴史とのたまつてゐますが、漢民族が支配したのは、漢と明と、今の支那共産党だけです。〇千年の中で3囘しかありません。

 四書五經の内容は素晴らしいのですが、彼らはその内容を實現する意思を持たず、理想論だけ述べたものになつてゐます。まあ、これだけ、嘘の理想論を書きながら、これだけ素晴らしい内容に仕立てあげられるものです。その嘘の才能は世界一の大陸ですね((笑)。彼らが實現する意思がない理想を實現したのが我が國です。
 その中の禮記(礼記)に、「天子の死は、崩と曰ひ、諸侯は薨(こう)と曰び・・・」とあります。一昨日の産經新聞にも載つてゐました。


 いきなり過激なタイトルですみません(笑)。
 
 親戚の人からいつも言われるのが「お母さんは、健ちゃんに嚴しかったね~」です。私には、母の優しい思ひ出しかないので、言われるたびに不思議な氣持ちになります。確かに、嚴しかつたのですが、その何十倍も優しかつたからだと思ひます。

 母は、三十數年間病氣でした。入退院と手術を繰り返し、全軆リューマチで、関節はほとんど人工関節でした。毎朝、起きても、治ることにない自分の軆體をみてどういふ思ひで生きてゐたのでせう。
 今、太平記を讀み返してゐます。面白いですね~。我が國が最も活性化した時代。室町。佐々木道譽が大好きです。でも、後醍醐天皇が良い人に書いてあります。とんでもないですね。先日の産經新聞でも、「さすが後醍醐天皇」と書かれてありました。我が國の歴史上、「天皇を廢止していいか」といふ國民投票をもし行ったとしたら、可決されてしまひさうなのが後醍醐天皇の時代です。

 もちろん皇室も人間です。いろいろな苦難を乘り超えて今の皇室があります。むしろ、人間として生まれて、あのやうな過酷な生活を過ごされてゐること自體が奇跡ですが。

 さて、十七条憲法。繰り返しますが、江戸時代の寺子屋の「讀み」「書き」「そろばん」の「讀み」は、支那の古典ももちろんありましたが、基本は十七条憲法と貞永式目でした。十七条憲法で日本人としての精神性を學び、貞永式目で、日本人として生きるルールを學びました。

 十条の解説をしませう。
 金木犀が、あちらこちらで私たちに素敵な香りをプレゼントしてくれてゐます。木犀(もくせい)は、樹皮が動物の犀(サイ)に似てゐるからつけられた名前ださうです。
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 銀木犀があるのもご存知ですか?

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 花の色は白で香りも控えめです。
 私はまだ幼くて、正常に判断できませんでしたが、なんかおかしいなあと思ったことがありました。五十年安保や六十年安保の時です。學生がヘルメットをかぶり棒を振り回しながら亂闘をしてゐました。

 大學生とは、これが正常な姿なのだらうかと思ひました。日本人はこんなに醜いのかと思ひました。何よりかはいさうなのは、警察官です。デモの學生からこんなことを言はれたこともあつたさうです。「お前、學歴は?」と。

 お前ら學生のせいで、出ていかんでもいい金が使はれ、出動せんでもいいことに警察官が振り囘されます。なのに、この言いぐさはなんでせうか?

 さて、また警察官がかはいさうな時期になつてきました。あの、観るのもおぞましい、乱痴氣騒ぎ。
 宇都宮の爆發事件で、メディアは「元自衛官」と報道してゐます。この事件は、七十二歳にもなつてまだ自分探しが終はつてゐない情けない大人が起こしたもので非難されて當漸でせう。

 だけと、自衛隊出身者が事件を起こすとなぜ、「元自衛官」といふ枕詞がつくのでせうか? メディアに潜む、自衛隊を陥れたい勢力の影が透けて見えます。情けない。今のメディアは、なにが目的で存在してゐるのでせうか。新聞。この新聞大好きおじさんが、最近の新聞のレベルの低さには辟易としてゐます。テレビ。語るにも値しません。後何?ラジオ?テレビと同じです。雑誌?まともなのは數社だけです。

 もし、私が事件を起こしたら「元出光興産社員」と出るのでせうか?

 ジェンダーフリーもそうです。
 先日、息子と話していました。企業人の仕事も、自己完結できる社員が団結するようにしないといけない。鍛え上げた人間たちがお互いのその力を使ひ合ふと、それは「分け合ふ」ことになります。分け合ふと餘ります。「分け合つて餘らしてきた」のが我が國です。武士道の精神です。

 弱い人間が傷をなめあふやうな組織を創ると、相手の力を奪わないと仕事にならないので、「奪い合つて足りなくなる」組織となります。

 かつての我が國は、自己完結した人間が、社會を構築してゐました。例えば。
 平尾誠二さんが亡くなりました。私たちの時代のヒーローです。それにして五十三歳は若すぎます。心からご冥福をお禱り申し上げます。

 さて、歐州は、あの素晴らしいローマ帝國がキリスト敎によつてぐちゃぐちゃにされ暗黑の時代に突入します。それにほとほと疲れて、「もういいかげんにしやうよ」と再び古代ローマ帝國の繁榮を取り戻さうとしました。これが「再生(ルネサンス)」です。そして、十五世紀以降、ルネサンス→宗敎改革→對抗宗敎改革→大航海時代の四つがからみあひ、ウェストファリア體制といふ近代化をしてゐきます。「このウェストファリア體制」が歐州公法、つまり、國際法です。我が國は、これが世界標準であると強く思ひ、明治時代以降、國際法の優等生であり續けました。ところが、中世を經てゐないアメリカが出現しました。なので、大東亞戰爭は、アメリカの軍事的な實力ではなく、國際法侵しまくりのアメリカの非道に敗けてしまひました。アメリカは、國際法を守る氣はありませんし、今まで、守ったことがあつただらうか? 記憶にありません。

 そのウェストファリア體制に移行する前に、歐州は、近代化のために宗教を克服する必要がありました。だから、絶對主義が出てきたのです。これについてはまたいつか。我が國は、織田信長が、比叡山と石山本願寺を叩きのめしてくれましたので、宗教戰爭は起きませんでした。信長といふ男は正しい眼を持った政治家でした。


 宗教は、宗教に徹してゐればいいのですが、一つ間違えるととんでもないことをし始めます。その最たるものが、カトリック教会主義です。そして、彼らが起こした十字軍です。


幸(さき)くませ 真幸(まさき)くませと 人びとの 声渡りゆく御幸の町に

 皇后陛下の御歌です。フランス人が絶賛した歌です。

 紫式部とは、本當ににくい作家です。第二帖の雨夜の品定めで、今後、光源氏をはじめとした男たちが接する女性を想像させ、その後の展開に期待を持たせます。

 この第五帖でも、若紫と光源氏が男女の仲になるまでにはいつてゐませんが、そのギリギリのところまで書いてゐます。そして、「ああ、この後、光源氏と若紫はどうなるのだらうか」と讀者に期待させてから次を讀ませやうとしてゐます。

 初めて源氏物語を讀んだときは、その登場人物の多さに壓倒され、すぐに斷念してしまひました。その次に讀んだときは、前に讀んだときの最初のストーリーパラダイムにこだわりすぎました。

 とにかく、源氏物語を讀むコツは、「心を虚しう」です。飛ばし讀みをしてもいいので、タンタンと讀みすすめる。

 さて、二条院(光源氏の住まい)に移り住んだ若紫です。

 今は、二十四節気(にじゅうしせっき)では、寒露です。七十二候では、今日から、寒露 末候 「蟋蟀在戸」です。「きりぎりすとにあり」と讀みます。

 蟋蟀が戸口でなく頃。この候の蟋蟀は、夏から冬にかけて見られ、鈴のような音色を響かせるツヅレサセコオロギだと言われています。ギーッチョンと機織りのように鳴く蟋蟀ではありません。
 やうやくパソコンが復活しました。ないと不便なものですね。でも、登録してあつた繁體字をまた一から登録しなければなりません(涙)。ブログを書くのに時間がかかること。

 さて、十条の条文の譯からでしたね。難しいとお感じの方もいらっしゃるかもしれませんが、江戸時代の寺子屋初等教育では、この十七条憲法(604年)と鎌倉時代の貞永式目(1232年)が定番でした。ただの讀み書きそろばんではなかつたのです。そろばんなんて、ただそろばんを入れるだけではなく、塵劫記(じんこうき)という高等数学レベルの本が、庶民の家に一冊必ずありました。

「じんこうき 写真」の画像検索結果

 十七条憲法と貞永式目を學べば、我が國がどのやうな國かがわかります。十七条憲法で國家、人としての在り方、そして、貞永式目で守るべきルールがわかります。今の民法の取得時効の概念など、貞永式目のころから定められてゐます。

 かういふ基本中の基本の勉強がないから、今の私たちは腰が弱い。何かあるとすぐにへなつとなつてしまひます。

 では、本日は、十条の譯を。
 男の最大といふか唯一の使命は、自分より「力が」弱い存在である女性や子供を守ることです。だから働いてご稼ぎ、軆體を鍛えて守ります。男は女と子供を守るんです。それしか仕事がないんです。

 それがなんですか!
 いつも持ち歩いているPCが大破(涙)。今日、賈ひに行きますが、セットしたりするまで時間がかかるのと、今日から、長期ロードで用事を済ませたらすぐに出かけます。なので、フログは、月曜日の朝まで書けません。ごめんなさい。書きたいことが山ほどあるのに。今日は、輕い話題で。

 ノーベル醫學生理學賞を受賞された大隅先生は、私の高校の先輩に當たります。そして、わが母校 福岡縣立福岡高等學校は、來年 創立百周年なのです。お祝いが重なつてもう大騒ぎ。

 その福髙(ふっこう)の同窓生とラインをしてゐますが、なつかしい博多辯がとびかつてゐます。

お詫び

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明日、10月10日はブログを書く環境にありません。かけません。
明後日は、夜に書きます。
M:任務 Misson
E:敵情 Enemy
T:地形 Terrain
T:部隊 Troops
T:時間 Time
C:民事 Civil Consideration

 からMETT-TCとなつてゐます。

 昨日は、優秀な人間の任務に対するとらへかたをのべました。
初草の 若葉の上を みつるより 旅寢の袖も 露とかはかず

 光源氏が若紫のことを思つて詠んだ歌です。この歌で、紫草を詠つてゐるので、この少女は若紫となりました。

 光源氏は、押しに押します。若紫の後見人になることを。繰り返しますが、若紫は、藤壺の兄(かなりっ高い位)が愛人に産ませた子です。愛人は早死にし、祖母である尼君が育てます。その尼気味が亡くなってしまふのです。
 キリスト教がローマ帝國に入り込み、あの素晴らしいローマ帝國が、獣の社會のやうに汚れきつてしまひました。聖書以外のなにものも研究をしてはいけないので、科學技術も失ひました。庶民は、字を知ることさへできません。もし、庶民が本を讀めたりしたら、魔女裁判にかけて殺されたのです。

 キリスト教徒異教徒の戰ひだけではありません。キリスト教内の他派とも殺し合ひます。「異教徒は殺さなくてはならない。異端児は殺さなくてはならない」が彼等の正義です。

 十字軍もさうでした。
 今日から二十四節氣 寒露(かんろ)、そして、七十二候では、寒露 次候 鴻雁來(こうがんきたる)す。

 寒露とは、夜が長くなり、露が冷たく感じる頃です。朝晩の冷え込みはきつくなりますが、空氣が澄んだ秋晴れの過ごしやすい日が多くなります。夜空を見上げると美しいお月様が浮かびます。


天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

 柿本人麻呂です。なんて美しい歌でせう。
 「日出處天子致書日沒處天子無恙(日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや)」。西暦607年に我が國が外交デビューしたときの聖德太子の文章です。隋の皇帝煬帝にあてた手紙です。なんと格調高く堂々とした外交文書でせうか。このぐらいの外交をしなければなりません。

 このころ、我が國の國家としての體裁が整つてきました。白人中心史觀に立たなければ、七世紀は世界史にとつて重要な世紀です。

 ユーラシア大陸の東のはずれの日本が世界史に登場したのです。この後、白村江の戰ひ、遣唐使による律令國家の建設と、續きます。そして、894年に菅原道真の建言で、大陸との交はりを絶ちます。十九世紀まで我が國は、世界史に登場せず、獨自の文化をはぐくみます。

 歴史を見直してください。我が國は、支那大陸との交はりがないときは、とても平和で文化が充實するのです。支那大陸とのかかはりが深くなると、國内が亂れます。田中角栄も餘計なことをしたものです。
 今日は、十条の本文だけ紹介します。解説は次囘。十条も素晴らしい文章です。
 さて、いよいよ、METT-TCの解説をしていきませう。

M:任務 Misson
E:敵情 Enemy
T:地形 Terrain
T:部隊 Troops
T:時間 Time
C:民事 Civil Consideration

 この解説をする前に、少しわかりやすい例を。
 稲田防衛相が、「軍事費」と言つて非難されてゐます。何が惡い。自衞隊は軍隊です。違ふといふなら反論してみろ。憲法? 憲法がおかしいのか、私たちがおかしいのか。當然前者です。あの、憲法と云ふ名前の文章でしかない 邪教 日本國憲法は、改正ではなく、根本的に作り替えなければなりません。讀んでいたら頭がおかしくなります。

 以前、ある本への投稿を依頼されました。「平時」「有事」といふ言葉を使ふだけで、書き直しをさせられました。なんでこんな國になつてしまつたのでせうか? 軍隊は、善です。惡ではありません。一般民間人のはうがよほど、惡です。我が國は損をしてゐます。こんな大切なことに目をつぶっゐるのだから。軍民交流が活発になればお互いに活かせるものばかりです。

 米特殊部隊も驚くスキルを備えてゐる、海上自衞隊 特殊警備隊を創設した伊藤祐靖氏は、創設時に民間企業から多大なノウハウを學びました。逆もまたしかりです。

 リーダーシップを研究してゐたら、METT-TC」といふ軍事用語に出逢ひました。METT-TCと心理學を組み合はせた、私獨自のリーダーシッププログラムを開發していきます。
 少し、仕事の息抜きでブログを書きます。

 時々、日祭日と云ふ表現を聞きますが、今の我が國に祭日はありません。GHQ(占領軍)が、天皇陛下と臣民を切り離すために祭日を廢止しました。
 ローマ帝國が分裂したことは、昨日述べました。

 東ローマ帝國は、とにかく西歐、つまり、キリスト教、つまり、カトリック教會主義から逃れたかったのです。

 これ以降数百年にわたつて、西歐の歴史は不明になります。聖書しか認めなかつたので、書物が書かれなかつたのです。歐州中世は、「暗黑の世紀」と呼ばれてゐます。古代より新しい時代のはうが記録が残つてゐないのです。

 我が国は、歴史が一度も途切れることがありませんでした。退化した經驗もありません。だから、歴史を武器にする感覺がないのです。

 そして、日本人は、常に歐米白人社會が世界の最先進國だと思ひ込んでゐますが、おわかりでせう。白人社會の今日の姿などほんの最近なので。
 先日、誰だつたかなあ、話していて意気投合したことがありました。我が國女性がさす日傘ですが、あれは、歐州でうんこ防止のためにできました。かつての歐州は、うんこをアパートの2階や3階から捨てていたので、下を歩いてゐる人はたまつたものではありません。上から落ちてくる、うんこに當たらないやうにできたのが日傘です。だから、歐州の人が日本に来て、あんなにたくさんの日傘をさしてゐる人を見てびつくりするさうです。我が國は、きたないものでも、美しく使ふのですね(笑)。

 ちなみに、ハイヒールは、下に落ちてある、うんこを踏まないやうにできたものです。

 まあ、これは中世の出來事ですので、今から書こうとしてゐる古代とは直接つながらないかもしれませんが、似たやうなものです。

 歐州が古代史に華々しく登場するのは、ペルシャ戰爭(アジアですが)、アレキサンダー大王とローマ帝國の五賢帝ぐらいです。つまり、歐州が歴史をつかさどつたこの3つの事件は、例外なのです。
 「いとしるきほどにて、人々見たてまつりとがむるに、あさましき御宿世(すくせ)のほど心うし」・・・・・

 話は少し飛びますが、藤壺にはつきりと、つはりの兆候があらはれて、人々がみて問いただすやうになります。藤壺は、世の定めのあさましさに心を惱まします。懐妊です。光源氏の子を身ごもるのです。

「藤壺 イラスト」の画像検索結果

 やがて藤壺は、宮中に歸つて、「帝の子」として出産します。のちの冷泉帝(れいぜいてい)です。

 まだ時間的に餘裕があつたころ、糠漬けも漬けてゐましたし、ラッキョウも泥ラッキョウから作ってゐました。梅酒も梅シロップも。それを飲んだ後には、梅ジャムも。イチジクがでたらコンポート。ジンジャーエールも生姜からつけてゐました。カリン酒も。

 あるとき、大切な友人が、風邪を引きました。カリン酒をあげたら、とても喜んでもらひました。

 今は、ちやうどカリンの季節ですね。
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「花梨酒 写真」の画像検索結果


 今日は、九条の譯です。

第九条
 まこと(信)は人の道(義)の根本である。何ごとをなすにあたつても、まごころをもつてなすべきである。善いことも惡いことも、成功するのも失敗するのも、かならずまごころがあるかどうかにかかつてゐるのである。人々がたがいにまごころえお以て事にあたつたならば、どんなことでも成し遂げられないことはない。これに反して、人々にまごころがなけれれば、あらゆることがらがみな失敗してしまふだらう。
 仕事の息抜きにブログを書いてゐます。ブログや手紙と云ふのは不思議な効果があつて、仕事が波に乘らないとき、少し時間をとつて書くと、仕事のリズムを創つてくれたり、思わぬ仕事のアイデアを提供してくれたりします。アウトプットとはさういふものなのでせうね。でも、これを書いたらまた仕事。今日は夜なべです。台風の影響で、JR遅延してゐるから夜なべもいいですね。

 小紫といふ木があります。
「小紫 木」の画像検索結果


 紫式部といふ木より少し小ぶりで形が整つてゐます。
コムラサキ

 これが紫式部です。

 小紫は觀賞用としてよく庭に植ゑられてゐます。今の時期が旬です。雅な雰囲氣から源氏物語の作者の名前がついたのでせうね。

 さて、若紫と初めて出逢ひ、そのことばかりが氣になるまま、正妻の葵の上のところに來た光源氏です。
 夏目漱石の小説は、若いときよく讀みました。三四郎が一番好きでした。吾輩は猫であるは、若いときはよく理解できませんでした(今はできます)。そして、坊ちゃん。

 これも面白かつたですね~。坊ちゃんの中で、「うらなり」といふ登場人物がゐます。

 坊ちゃんが、青白い顔でありながらふくれているその人物の顔を見て、子供の頃に同じように青くふくれている人物について下女の清が、「あれはうらなりのとうなすばかり食べているからああなった。」と言っていたのを思ひ出し、「うらなり」と名づけました。
 私の事務所の近くに大塩平八郎の墓がある寺があります。ずつと前に、ある人に「ほら、大岡平八郎の墓だよ」と言ったら「誰ですかそれ?」「私は歴史が苦手ですから」と云ふ答えが(笑)。

 歴史が好きとか嫌いとかの話ではありません。自分のおばあちゃんの名前を知らないのと同じレベルです。

 まあ、ここまでひどくなくても、歴史が嫌いな人は多いのではないでせうか?學校であんな教へ方をしてゐたら、嫌いになるのも當然です。でも、大人になつても歴史が嫌いなのは自分の責任です。學校や先生や社會のせいにしないやうに。
 古事記が祖先の遺言であるといふところからでした。山彦が兄の海彦の釣り針を、海中に探しに行きました。その際、海の王と意気投合しました。娘とも仲良くなりました。山彦は、釣り針を王に見つけてもらつて、陸に帰りますが、海にいる間に娘と仲良くなります。
 いつだつけな。最近、TVを觀てゐたら、「全然食べれます」と言つてゐた有名人がいました。

 かういふ言葉を聞くと脱力感が全軆を貫きます。「全然」の後には否定形がきます。「食べられません」です。我が國は、言霊の幸ふ國(ことだまのさきはふくに)です。きれいな言葉をお互いに使ひ合ふからみんなが幸せになる國でした。世界で最も近代的な國は日本です。文化があり、平和で治安が良く、親切で食べ物がおいしい。世界で唯一歴史が連續した國です。

 白人が白人のエゴを世界に押し付けた時代がありました。日本以外の有色人種の國は、それを征服といふ形で受け入れました。我が國は明治維新と云ふ自己改革によつて近代化を図り、世界中の國々に我が國は、文明國だと認めさせました。

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