なぜ、歴史が嫌いな人が多いか(皇紀弐千六百七十六年十月五日)

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 私の事務所の近くに大塩平八郎の墓がある寺があります。ずつと前に、ある人に「ほら、大岡平八郎の墓だよ」と言ったら「誰ですかそれ?」「私は歴史が苦手ですから」と云ふ答えが(笑)。

 歴史が好きとか嫌いとかの話ではありません。自分のおばあちゃんの名前を知らないのと同じレベルです。

 まあ、ここまでひどくなくても、歴史が嫌いな人は多いのではないでせうか?學校であんな教へ方をしてゐたら、嫌いになるのも當然です。でも、大人になつても歴史が嫌いなのは自分の責任です。學校や先生や社會のせいにしないやうに。
 だいたい「日本史」「世界史」と別れてゐます。東洋史なんて表現もあります。

 東洋史と云ふのは、漢文を史料に使つた支那史です。周辺民族である朝鮮、満州、モンゴルなどは付属品のやうに扱われてゐます。だいたい、支那の王朝で、漢民族だつたのは、漢、明と今の共産党だけです。あとはすべて周邊民族です。なのに、周邊民族も制覇すると、漢文で史料を作りました。

 西洋史もイギリス史、フランス史、ドイツ史が中心となり、他の國は、ままこ扱いです。

 こんな學問をしてゐたら、支那と西歐が先進地域と勘違ひしてしまひます。

 それに、それぞれを細切れに習ふか、どれかひとつしか學ばないので、つながりがまつたくわからず、ダイナミックな歴史が暗記科目になつてしまひます。

 だいたい、世界四大文明が最古なんて嘘ですし(我が国のはうが古い)、そして、俗にいふ世界四大文明は、すべて非歐州です。歐州が發達したのなんてつい最近です。

 ギリシャ文明の勃興により、初めて歐州に文明が生まれたのはたかだか、紀元前五百年程度のことです。そこに隆盛を誇つてゐたペルシャ帝國が遠征します。ギリシャ連合軍は、二十年間で三度の苦戰を乘り越えて防衛しました。

 こんなていたらくで、歐州が世界の中心だなんて・・・。なら、モンゴル帝国の侵略を二度にわたって退けた鎌倉幕府まで世界の中心になつてしまひます。

 アレクサンダー大王だつて一代で終わつてゐます。なら、何千年と歴史が續いてゐる、我が國は、どうなるのでせう。

 歐州でやつと歴史らしいものが生まれたのはカルタゴやエジプトを亡ぼしたローマ帝國です。この帝國は面白い。塩野七海さんの、ローマ人の物語をぜひお讀みください。止まらなくなります。

 そして、その素晴らしいローマ帝國を、人間とは惡魔かと疑いたくなるようにドロドロにしてしまつたのが、キリスト教です。いえ、正確に云ひます。カトリック教會主義です。

 歴史とは、地球儀を俯瞰しながら學習しないとわからないのです。

 なぜ大航海時代が始まつたか。その要因は様々ありますが、オスマントルコが中東を支配して、歐州の人間たちに欠かせないアジアのスパイスが手に入らなくなつたからです。

 ときどき、こんなことを書きますね。

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このページは、宝徳 健が2016年10月 5日 12:59に書いたブログ記事です。

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