末生(皇紀弐千六百七十六年十月五日 弐)

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 夏目漱石の小説は、若いときよく讀みました。三四郎が一番好きでした。吾輩は猫であるは、若いときはよく理解できませんでした(今はできます)。そして、坊ちゃん。

 これも面白かつたですね~。坊ちゃんの中で、「うらなり」といふ登場人物がゐます。

 坊ちゃんが、青白い顔でありながらふくれているその人物の顔を見て、子供の頃に同じように青くふくれている人物について下女の清が、「あれはうらなりのとうなすばかり食べているからああなった。」と言っていたのを思ひ出し、「うらなり」と名づけました。
 かつて、先端や枝先のことを「末:うら」と云ひました。つまり、時期が遅くなつて、伸びた蔓の先の方にできた實が「末生:うらなり」です。

 反對に根元に近いところに成る實は、「元生:もとなり」と云ひます。

 末生は、艶がなく、味も落ちるので、顔色が青白く、元氣のない人を例へる言葉になりました。

 この時期、木々にはうらなりが目立ちます。

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このページは、宝徳 健が2016年10月 5日 13:23に書いたブログ記事です。

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