2016年5月アーカイブ

 いいね~、速く寝て未明に起きて仕事して・・・。私に一番合つてゐるパターンです。酒飲まないとできますね(笑)(=^・・^=)

 我が國は、宗敎がなくても道德が保てた世界で唯一の奇跡の國です。それは、階層型支配形態の社會ではなく、共同體使命型社會で、一致團結、互譲互助の社會をみんなで築いてきたからです。言い換えるとそれは(自己)満足ではなく、幸(さきは)ひを求めてきたからです。實は、かつての出光興産の理念とはここにあつたのです。獨立してから初めてそれに氣づきました。
 あ~、朝は樂しい。ブログ書くのは樂しいなあ。このブログを始めてもう十一年近くなります。始めた目的は、「その時々で、考へた自分の思ひを綴つておく」といふものでした。書いてゐる内容も随分變はつてきましたし、一度ブログが壊れて、まだ復旧できていない期間も1年以上あります。こんな自己満足ブログにお付き合いいただける読者の方々にも厚くお礼申し上げます。

 まだまだ書きたいことがいーーーーつぱいあります。

 不朽の名著「フランス大革命に抗して シャトーブリアンとロマン主義 伊東冬美著 中公新書」を參考に、保守とは何かを考へてゐます。この本は、倉山満が「この本讀まずして保守を語るな」といふほどのものです。
 ひとつ前のブログで述べたやうに、仕事のリズムを變へ、そして、仕事のやり方も變へて行くので、自分の生活のリズムが整つて來ました。かててくはへて、斷酒中(笑)。ずつと斷酒をするつもりはありませんが、これはいい。軆體の調子もよいし時間が取れる。

 さてさて、昨日は第二条でした。三寳とは、人が守るべき「法」であり「道理」を言葉で示してくれる道德的指南書です。

 新渡戸稲造が渡歐したときに、「日本は宗敎がないのに、なぜ、道德が保てるのか」と外國人から質問されて困つたさうです(結果的に武士道があつたから道德が保ててゐる)。

 逆に今は、かう質問されるかも。「日本はかつてあんなに道德心があつたのに、なぜ今、ここまで退化したのか」と。憲法と云ふなの文章でしかない 邪敎 日本國憲法と、敗戰後の左翼敎育で、國がめちゃくちゃになつてしまひました。今我が國に必要なのは、まさに「ルネッサンス(再生)」ですね。
 はやくねて、今日のやうに早い時間から起きることが出來て、そして、本を讀んだり、ブログを書いたり、調べ物をまとめたり、手紙を書いたり、細かい仕事を整理したりしている時間が取れるときが一番幸せです。退院して本當に惱みました。體調はかなりといふかとても良い。でも、體力が戻らないのです。一氣に集中してやる仕事が出來ませんでした(ブログでは調子よささうに書いてゐながら)。醫者にいはせると「開胸首ずつをしたのだからそれは仕方がない。二十代でも體力が元に戻るまで一年はかかる」とのこと。

 今までの私は、三つ四つの仕事を一度にだーーーーつと深めていく力がありました。それができない自分にいらだちを覺へました。でも、そんな中、少しずつ新しい仕事のペースを構築できるやうになりはじめてゐます。安心は絶望の始まりなので、それで安心は出來ませんが、そのことにより、随分自分に餘裕が出來はじめました。よかつた。本當によかつた。健康以外必要なものはないのかもしれません。

 さて、この時期に使ふ言葉に「青葉空」があります。
 どこでだつたつけな~。確か、石山寺です。石山寺は、紫式部が「面白い小説を書け」と命じられて、構想を練るために籠つた寺です。大好きな寺のひとつです。石山寺には、もちろん源氏物語に關係する土産物の品々がたくさんあります。そのひとつに、源氏物語のあらすじを簡單にまとめた短冊があります。

 その最初か二番目に出てきたゐたのが、第二帖(今日から)の「雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)」です。

 でも、それだけ讀んでゐては何の事かさつぱりわかりません。

 第二帖で、なぜ、「雨夜の品定め」が出て來るのか。それは、頭中將(とうのちゅうじょう)を登場させるからなのです。第一帖と同じで、五十四帖に及びそうだいな今後の源氏物語を讀みやすくするために紫式部が行つた工夫です。
 普段何氣なく使つてゐる言葉が、實は佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。今日は「一大事」です。
 我が國のキリスト敎徒比率は、人口の1%です。ここに日本人の賢明さがあります。

 では、なぜ、佛敎が我が國に受け入れられたのか。聖德太子は、なぜ、十七条憲法で佛敎の三寳を述べたのか。
 この第一帖(第一章)は、源氏物語と云ふ壮大な物語の序章です。源氏物語の大前提です。

 帝とある女御の間に皇太子が生まれ、その後、帝が桐壺を溺愛して第二皇子をもうけます。それが光源氏です。帝は將來のトラブルを案じ、第二皇子を臣下に落として源氏の姓を與へます。桐壺が他界し、嘆きの帝は、桐壺とよく似た藤壺を女御とします。

 この藤壺に、青年となつた光源氏が許されに戀を抱き、そして、子供まで生まれます(第一帖は生まれるところまでは出てこない)。
 書くのを忘れてゐましたが、五月二十七日は、海軍記念日です。聯合艦隊がバルチック艦隊を打ち破つた日です。もし、明治の軍人たちが大東亞戰爭をたたかつてゐた、きつと勝つてゐたでせう。

 おつと本題。普段何氣に使つてゐる言葉が實は、佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。

 今日は、「醍醐味:だいごみ」です。

 カルピスといふ飲み物がありますね。これは、「カルピス」と「サルピス」を合せた言葉です。
 皇太子を生んだ女御(にょうご)は、「うちの子より、光源氏の方がいいわ。帝はあの子を後繼者にするのではないだらうか」と嫉妬に狂います。それに權力爭ひがくははります。この女御(あへて名前は出しません。源氏物語を讀むとき名前にこだわると進めなくなります)は、出自は立派だし、バックには有力者が控えてゐます。周りも「光ちゃんのはうがいいぢやない」となつてゐます。

 帝は、愛する光の君の將來を案じます。
 聖德太子の十七条憲法を解説してゐます。我が國は、十七条憲法と敎育勅語と五箇条の御誓文があれば、本當は憲法など不要です。いや、それそのものが憲法であり、本來の我が國では、それで十分なのです。それを具體化したのが、大日本帝国憲法でした。今の、憲法と云ふ名の文章でしかない 邪敎日本國憲法など、國をだめにするだけです。

 さて、今日から第二条です。
 今週號の週間新潮の藤原正彦先生のコラムに比叡山延暦寺 根本中堂の「不滅の法灯」の話しが載つてゐました。なんでも、根本中堂の奥にある三本の蝋燭は、千二百年間一度も消えたことがないさうな。延暦寺は好きで何度も足を運んでゐます。信長の焼き討ちの時も他の寺に移されて大丈夫だつたさうです。

 皿に菜種油をそそぎ、わずかに出した芯に火を灯して佛さまにお仕へしてゐます。

禁酒宣言

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 昨日から六月いっぱいまで禁酒します!!!やるぞーーーー!!!世界に宣言してしまつた(笑)。かうでもしないと守らない(涙)。
 共同體を大切にしてきた我が國です。では、個人はどうだつたのか。
 ORKさん、ありがとうございます。書く勇氣がわいてきました。

 第一帖(第一章)桐壺の解説をしてゐます。とにかく、源氏物語は桐壺からはじまります。帝が溺愛する桐壺から、それはそれはかはいい、玉のやうな光源氏が生まれました。誰もが一目見たとたん、絶賛します。
 
 成長するについて深い敎養や嗜みも加はり、ますます宮中の人氣者となりました。

 それでなくても、帝の寵愛を一軆に受けてゐる桐壺です。
 何回目の挑戰でせうか(笑)。源氏物語は讀んだのですが、人にわかりやすく解説することがなかなか困難でした。このブログで何度か挑戰したのですが、斷念してゐます。さあ、やるぞ。切り口を變へて挑戰です。

 まず、なぜ源氏物語が通讀できないか。それは、私の心の戀人 紫式部が天才だからです。彼女が今の世に生きていれば、私はすべてを投げ打って彼女に仕えます。彼氏にしてまらおうなんて、そんな大それた考へは持ちません。

 だいたい、千年前には、女性が小説を書くなど、歐州や支那では考へられません。そんなことをしたら、殺されてしまひました。

 なのに、我が國では、紫式部や清少納言が出ました。男女は區別はされてゐましたが、差別は、我が國ではありませんでした。それどころか女性のはうが強かつたのでは(笑)。

 源氏物語は、五十四巻からなつてゐます。その第一巻(源氏物語では第一帖)は、桐壺です。

 さあさあ、私の再度の源氏物語挑戰をとくとご覧あれ。
 昨日のつづきです。
 普段、何氣なく使つてゐる言葉が實は、佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。

 今日は、「融通」です。
 故宇佐美の親父に怒られさうですね(笑)。「寳德、いつも同じやうにやれ。調子が良いからたくさんやつて、調子が惡いとやらない。そんなことではだめなんだ。いつも同じやうにやれ」といつも敎ていただきまhした。う~ん。ごめんなさい。コツコツ書かねば。

 シャトーブリアンが擧げたアメリカの問題點の三つ目です。
 お願いだから、日本人なら今上天皇陛下が何代で今は皇紀何年かぐらいは知つておいてください。言はないでね「今は、そんなの知らないことが當たりまえ」と。悲しくなります。

 十七条憲法の續きです。
 今日は、「心」に關係する大和言葉を。

 「感動する」とよく使ひますが、これよりも「心に沁みる」「胸を打つ」のはうが、いいですよね~。
 今日は、久しぶりの休日にしてゐます。本を讀むぞ~。ブログ書くぞ~。手紙を書くぞ~。

 普段、何氣に使つてゐる言葉で、實はそれが佛敎用語だつたなんてのを紹介してゐます。「今日は、有漏(うろ)」です。

 うろつく、とか、うろうろするとか云ひますよね。これはこの佛敎用語の「有漏」が語源です。
 數をかぞえる單位を子供の頃、懸命に覺へましたね。
 ずつと、書こうと思つてゐました。ずつと、ずつと・・・。聖德太子の十七条憲法・・・・。

 やうやく書けます。十七条憲法と敎育勅語は、私達日本人の魂です。

 では、まず、第一条を何回かに分けて解説します。企業の組織づくりのベースになる考へ方です。
 シャトーブリアンが擧げたアメリカの三つの問題點を書いてゐます。二つ目です。
 倉山満が、「この本を讀まずして保守を語るな」といふ名著「フランス革命に抗して シャトーブリアンとロマン主義 伊東冬美著 中公新書」の參考に書いてゐます。

 ロベスピエールのことを書こうと思つたのですが、シャトーブリアンについて少し書きます。生い立ちなんかは省略します。殘忍なフランス革命に失望したシャトーブリアンは、新天地アメリカに渡ります。この時點でも、まだ、シャトーブリアンは共和政にあこがれてゐます。アメリカ共和國について、シャトーブリアンは、三つの問題点を擧げてゐます。これは十八世紀の出來事です。現代のアメリカと比較してみても面白い。
 田に水が張られ始めました。山の緑がたまらなく美しくなりました。我が國が最も美しい季節です。

田の水に 白鷺遊び 緑映え 豊葦原の 瑞穂の國で

 この新緑の季節のことを「若葉時(わかばどき)」と云ひます。この時期の若葉に降り注ぐ雨は、「若葉雨」。他にも、「緑雨(りょくう)」「翆雨(すいう)」「青雨(せいう)」などとも云ひます。
 大企業の情けなさが續いてゐます。シャープ、東芝、三菱自動車・・・・。かつて、我が日本の企業では、起こり得なかつた不祥事が次々と。トップに理念がないのですね。出世慾にかられて。

 「出世」。これも實は佛敎用語なのです。

 私たちは、江戸時代は暗い時代と習ひました。眞つ赤な嘘です。農民が虐げられていたとも。なのに、人口が増えたとも習ひました。おかしいですよね。年貢がきつく、虐げられたなら、人口など増えるはずがありません。

 江戸末期に日本にやつてきた、イギリス人女性 イザベラ・バードは、「妖精のやうな國だ」「農民がふくよかで笑つてゐる」と著書に書いてゐます。
春過ぎて 夏來にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天(あま)の香久山

 持統天皇の御製です。美しい歌ですね。天皇は、いついかなるときでも、私達臣民の事をお考えくださつてゐます。そして、平和であることを喜ばれます。

 今日の言葉は「白妙(しろたへ)」です。
 普段、何氣に使つてゐる言葉で、實は佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。今日は「觀念」です。
 名著「フランス大革命に抗して シャトーブリアンとロマン主義 伊東冬美著」の參考に、多くのフランス人が今でも死ぬほど後悔してゐるフランス革命の愚かさを解説してゐます。と同時に、保守とは何かを探りませう。保守とは

國體を破壊する狂氣に對抗する存在

です。

 ルイ十六世が、暗愚な王だつたといふ説があります。あの、嘘漫画「ベルサイユのばら」でもさう描かれてゐます。


 暦ではまう夏です。藤の花が終はり、桐の花へと移ります。桐の花を「花桐(はなぎり)」と云ひます。

 なんと桐の花は、蕾が九か月前から用意されるやうです。

 佛敎用語で、普段何氣に使つてゐる言葉を紹介してゐます。

 アウフヘーベン(止揚)と云ふ言葉があります。リーダーにとつて無くてはならない技量です。よく、部下と同じレベルで問題を云ひあふリーダーを見かけます。これでは、部下は云ふことは聞きません。だつて自分と同じレベルの人の云ふことなんて聞きませんよね。

 部下よりも一段髙いレベルで、部下が持つてゐることを解決することをアウフヘーベンと云ひます。

 さて、今日の言葉は「方便」です。
 昨夜、久しぶりにテレビを観てゐました。モニタリングとかいふ番組をやつてゐました。息子がケラケラ笑ひながら( ´艸`)、観てゐました。その中で、佐藤健といふ俳優が出てきました。「へー、若いのに言葉の使ひ方がとてもきれい」と思つてゐたら、突然「全然、大丈夫です」と云ひました。「おいおい、勘辯してくれよ~」。

 次に、本を讀んでゐたら、ガミさんと息子が今度はケンミンショーといふ番組を。私は、このみのもんたといふ存在にアレルギーが出てくるのですが、まあ、番組としては面白い。でも・・・・。

 若くてきれいな女性が「食べれます」・・・。「すごいおいしい」・・・・。勘弁してくれよ~。美しい日本語を汚くしないでくれ。美しいものを汚すのは支那人だけでたくさんです。

 井森美幸の言葉はきれいでしたね。

 とにかく言葉を・・・。我が國は、言霊の幸(さきは)ふ國です。美しい言葉を使ふから、みんなが幸せになる國です。わざわざ美しいものを汚す必要はない。

 つづきです。
 普段、何氣に使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。

 今日は、堪忍です。あまり、使はれなくなりましたね。昔は、ごめんと云ふのに「堪忍ね」と使つてゐました。辛抱するといふ意味もあります。
 フランス革命のことを知れば知るほど、背筋が寒くなります。かつて、カトリック敎會主義のことを調べた時もさうでした。「眞實の歴史を知つてゐる、それだけで殺す十分な理由になる」といふ歐米支那の言葉は本當なのですね。日本人に生まれてよかつた。

 前囘は、女性たちがルイ十六世にパンを要求しに行つたところまででした。女性たちは一夜を明かします。ベルサイユ宮殿の外で。
 上念司氏の著作によれば、國を人の軆體にたとへると、經濟は肉體、政治は衣服と云ひます。經濟がおかしくなると、人は、餘計な思想に走り政府を轉覆しやうとします。また、経済の規模に應じて政治體制を變化させていく必要があります。

 なのに、大學では、経済學部より法律學部の方が髙い評價を受けます。經濟オンチがそこいら中にはびこります。安倍さんと黒田さんが登場するまでの20年のデフレはどう解説すればいいのか・・・。經濟オンチばかりが政界・經濟界・金融界にいたといふまぎれもない證處です。

 私たちは、人類が歴史上起こしてきた、人氣や勢いだけの愚かなリーダーによる國家破壊を防ぐために賢い臣民になる必要があります。専門的な知識ではなく、賢い臣民になるための、地政學、經濟、國防、敎育などの基本的なことは當然のごとく知つておく必要があります。もちろん歴史も。

 このブログのテーマは「誰が正しいかではなく、何が正しいかの追求」です。これからもさういふ内容をどんどん紹介していきます。この素晴らしい日本を潰さないためにも。學校で習つた歴史はすべてが嘘です。それをきちんと見破るためにも。

 今日は、國際金融のトリレンマを紹介します。
 田に水が張られ始めました。我が國が最も美しくなる頃です。我が國は、豐葦原の瑞穂の國です。天照大御神のお導きにより、米を以て臣民は生活することになりました。米は一人ではできません。なので、ひとり一人がわがままを云はず、みんなで「力を合はせて」社會を築きました。それが「結い」の心です。

 昔は、田んぼだらけでした。田に水が張られると蛙が鳴き始めます。
 今日は、五節句のひとつ端午の節句ですね。

人日(じんじつ)の節句:一月七日
「七草粥」を食べる日です。「人日」とは「人の日」の意味です。古代支那では正月1日に鶏、2日に狗、 3日に羊、4日に猪、5日に牛、6日に馬、7日に人、8日に穀をそれぞれ占つたと傳へられてゐます(當日の晴雨で吉凶を占つたもの)。この正月7日(人の日)に、邪氣を祓つて1年の無事を禱るとして「七草の入った粥を食べる」風習があったのださうです。

上巳(じょうし)の節句:三月三日
三月の最初の「巳の日」という意味です。「禊ぎをして穢れを祓い、身代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあり、江戸時代以降「雛祭り」として庶民の間に定着しました。別名「桃の節句」です。

端午(たんご)の節句:五月五日
5月最初の「午の日」という意味です。古くは「藥草摘みの日」であり藥草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立軆出世を願う行事へ轉化していきました。別名「菖蒲の節句」です。

七夕(しちせき)の節句:七月七日
「たなばた」です。有名な「おり姫(織女星)とひこ星(牽牛星)」の傳説は支那から傳へられたものです。日本にも「棚機つ女(たなばたつめ)」の傳説というのがあつて、双方が結びついて「七夕」の節句となったさうです。別名は「笹の節句」です。

重陽(ちょうよう)の節句:九月九日
易經では、奇数が陽、偶數が陰です。陽の數なかで一番大きいのが九です。九が重なるから重陽です。この日に菊の花を飾り、邪氣を祓つて長寿を禱ります。宮中では重要な節句として位置付けられています。別名「菊の節句」です。

 本題に戻します。佛敎用語で普段何氣に使つてゐる言葉を紹介してゐます。

 今日は、「世知辛い(せちがらい)」です。
 さつきが美しいですね~。我が國は本當に美しい。この美しい自然にはぐくまれ、私たちの先人たちは、豐な國づくりをしてくれたのですね。美しい日本語を創つてくれたのですね。

言霊の幸(さきは)ふ國

の子孫であることを忘れないやうにしませう。魂が乘り移つた美しい日本語を語るから、お互いが幸せになれる國の子孫です。「ら」抜き言葉、「語尾あげ」言葉、「全然大丈夫です」など、聞いていて背筋が凍るやうなおぞましい言葉を使つて、せつかくのこんな美しい國を汚す臣民になるのはよしませう。

 美しいものを汚すのは支那人だけでたくさんです。

 さつきが、美しく咲き亂れてゐます。


 牡丹もこの時期ですね。特に夕牡丹が美しい。

さつき ( 春 ) - 書の散歩道 - Yahoo!ブログ
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さつき 皐月 旧暦の五月 皐月に咲くかららしい。 この写真はご近所の 天婦羅屋さんの 店先にある石と 皐月の庭。

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 田沼意次は、なであんなに低い評價なのでせうか? ずつと、ずつと、不思議でなりませんでした。

 明治維新は、幕府と藩の經濟破綻が直接的な要因で起きました。そんな解説はほとんどありません。あるとしたが、最近上梓された 「經濟で讀み解く 明治維新 上念司著 KKベストセラーズ」でせうか。

 この上念司と云ふ人物は、とにかく面白い、経済をかういふ着眼で書く人間は今までいなかつたでせう。官立大學出身ではないので出来る業でせう。官立出身者ではないからこんな發相が出來るのでせう。彼の本は讀んだはうがいいですね。經濟オンチにもわかりやすくマクロ經濟を語つてゐます。

 彼の本を參考に、田沼意次の偉業をシリーズでみていきませう。
 佛敎用語で、普段何氣に使っている言葉を紹介してゐます。私は佛敎徒ではありませんが、へーと思ふことばかりですね。

 數年前、タイトルは忘れましたが、松井秀樹選手の本を讀みました。そこに書いてあつたのが「努力しつづけること、それが才能」と書いてあるのをみて、感動を覚へました。

 根氣は、まさにさうですね。
 今日は、憲法と云ふ名の文章でしかない、邪敎 日本國憲法の日ですね。その邪敎ぶりをしつかりと檢證するのもよいのでは?

 さて、普段何氣なく使つてゐる言葉が実は佛敎用語といふものを紹介してゐます。實は、安心もさうなんです。

 私たちは、中學・髙校と、「江戸時代は暗い時代で、エタ、ヒニンなどの人間差別もあり、五人組の監視機構にしばられて人々には自由がなかつたと習ひました。

 なのに、元禄文化が花開いて、庶民の間に今の年間行事が広がつたとも。

 これつて矛盾してゐますよね???
 普段何氣なく使つてゐる言葉で、それが實は佛敎用語だつたものを紹介しています。今日は「微塵(みじん)」です。
 先日も書きましたが、大陸を支配した匈奴などは、我が國に食指を伸ばします。戰ひに慣れてゐなかつた我が國は、一旦、引きます。それが恐らく、宮崎の高千穂峡だつたのでせう。

 武器を大國主命に私、我が國を統治させますが、それは、しょせん、「ウシハク」の支配形態でした。それは我が國の天皇が統治した形態とはまつたく違ひます。國譲りが始まります。

 私は、昔、國譲りなんてひどいなあ。と思っていました。大國主命が懸命に政治を行つてゐるのに、なんてことをするんだと。でも、結局國體を知らないからさう思つてしまひました。

 歴史認識が間違つてゐる手塚治虫は、これを朝鮮半島から來た勢力が我が國を征服し天皇家になつたと漫画「火の鳥」に書きます。嘘です。

 大陸の勢力が天皇家であつた證處など、何一つありません。歴史學からみても、考古學からみても。

 茨城県鹿島神宮に祀られている、建御雷之男大神(たけみかづちのおおかみ)が、大國主命に國譲りを迫ります。つづく

(参考:鹿島神宮)


 この神社には何度も足を運びました。なんとも云へない雰圍氣を醸し出してゐます。

 

 御手洗の池です。この池は、どんな身長であつても、入れば必ず胸の深さだと云はれてゐます。


 浜茶屋やましょうの焼きはまぐり(食べログより、以下、同樣)

 竹やぶのてんせいろ

 四季亭の定食。


 鈴章 なまず料理。

 あ~、喰いてえ~。腹減つた。
 普段、何げなく使つてゐることばで、實は、それが佛敎用語であるものを紹介してゐます。

 今日は「滅相(めつそう)」です。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例なし。」 鴨長明の『方丈記』冒頭の有名な一文です。

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