十七条憲法(皇紀弐千六百七十六年五月三十日 參)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 我が國のキリスト敎徒比率は、人口の1%です。ここに日本人の賢明さがあります。

 では、なぜ、佛敎が我が國に受け入れられたのか。聖德太子は、なぜ、十七条憲法で佛敎の三寳を述べたのか。
 ただ單に、「佛敎の敎へを守れ」と聖德太子は、言つてゐません。太子が言つてゐる、「佛敎の敎へ」とは、我が日本人の自然觀と合致するといふ意味での理解のされ方だといふ點に留意する必要があります。


 我が國が、佛敎を受け容れてきたのは、佛敎の敎へが、佛敎傳來以前の我が國の「自然道」を包含してゐると理解されたからでせう。つまり元々の日本人の精神性と釈尊の敎へとが共鳴するところがあつたのです。

 第二条の条文にある「惡しき者少なし」といふ前提に、日本人獨特の在り方、考え方が出てゐます。自然に從ふ存在の人間そのものは本來善である、とする日本人にとつて、佛敎の概念は理解しやすいだけではなく、日本人の在り方をより明確に理論づけてくれる考へ方だつたのです。

 聖書を讀むと、人間は惡そのもので、自分たちでは律することが出來ないので神に律してもらふといふ内容になつてゐます。

 キリスト敎型の結婚式でも、愛を、結婚相手に誓ふのではなく、神に誓つてゐます。教會で結婚式を擧げる人(キリスト敎徒でもないのに)が、不思議でなりません。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6333

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年5月30日 07:13に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「源氏物語 4(皇紀弐千六百七十六年五月三十日)」です。

次のブログ記事は「一大事(皇紀弐千六百七十六年五月三十一日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。