2014年6月アーカイブ

 弊社月刊誌 士魂商才第七十六號の原稿が出來ました。今、印刷中で終わったらセットします。

 今月號は、我が國臣民にとつて最も重要なテーマを設定してゐます。我が國國體の根本原理である「シラス」と「ウシハク」の違ひです。古事記は、私たちに遺してくれた重要な遺言です。ぜひ、お讀みください。完成と發送が遅くなつたことをお詫び申し上げます。

 巻頭言だけ紹介します。
 最近、本當にたくさんお仕事をいただいています。ありがたいことです。感謝感謝。でも、まだまだできます。私は、獨立してまうすぐ丸十三年になります。これまでもとても樂しい仕事でしたが、今が、一番充實し、そして、夢に向かつてやることが視え、氣力が充実してゐます。

 さて、産經新聞は、今の、新聞の中では最もまともな新聞でですが、それでも、時々變なことをやります。自分達の勉強不足で世論を惑わせてはいけません。昨日もやつてゐました。

 史上最大の狂人、元アメリカ大統領 ウッド・ロー・ウィルソンを美化する記事を掲載してゐました。
 世の中が甘くなつてゐます。

 先日、ある會社に電話をかけました。すると・・・。

百人一首 七十弐

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音に聞く 髙師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れころもすれ

 とても艶めかしい歌です。でも、これは七十歳超の熟女と三十歳前の青年の歌の対決なのです。

 歌合わせと云ふ、歌を交互にやり取りをして歌の優劣をつける歌合戦がありますが、その中でも艶書合と云ふものがあります。「えんしょあはせ」と讀みます。

得意と失意

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「得意の事多く、失意の事少なければ、其の人知慮を減るず。不幸と謂ふ可し。得意の事少なく、失意の事多ければ、其の人、知慮を長ず。幸ひと謂ふ可し」

菖蒲華

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 今は、七十二候 二十九候 夏至 次候 「菖蒲華」です。「あやめはなさく」と讀みます。 文字通りあやめの花が咲く頃です。

乃東枯

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 もう、夏至なんですね。今は、七十二候 二十八候 夏至 初候 「及東枯」です。「なつかれくさかるる」と讀みます。

 冬瓜がおいしい時期です。夏なのに「冬」瓜?

百人一首 七十一

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夕(ゆふ)されば 門田の稲葉 おとづれて あしのまろやに 秋風の吹く

 大納言經信の歌です。

「夕方になつたので、いつぱいに實つた稲の葉にさらさらと音をさせながら、葦ぶきの小屋に秋風が吹きこんでくるよ」
 日誌から先に書きます。たくさん書くと入らない恐れがあるので。

 私の祖父が、當時我が國でふたつしかなかつた水産高校のひとつ、名門 小浜水産に入つたことは、すでにこの父の手紙で紹介しました。

 今、小浜でたくさんの仕事をいただいてゐます。小浜水産の話をお客様にすると、みんなとても好意的に聞いてくださいます。ところが、小浜水産は来年 廃校になり、若狭高校に吸収されるさうです。祖父の母校が亡くなることにとても寂しい気持ちを感じます。

 では、つづきです。
 ブログの調子がかなり惡い。數年前一度壊れた時とよく状況が似ています。ブログを書いても入らないことが多いので、書くのが怖くてしかたがありません。モジラをバージョンアップしないといけないかなあ??? でも、高いからなあ。 私はITはさほど詳しくありません。何かお金がかからない方法がないのだらうか?

 さて、アウン・サン・スーチーがまたわがままな騒ぎ方をしています。メディアは、なぜ、眞實を傳へやうとしないのだらうか? なぜ彼女を英雄扱いするのだらうか?

テスト

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ブログがうまくはいりません。テストです。


 昨日は、岐阜にゐました。夕食を摂るために外に出ました。途中で、私が岐阜で一番好きなお店に寄りました。
 自分の爲すべきこと、人生として爲すべきこと、そして、それらを實現するための自分の力・・・。完全に合わさり合い、そして視えてきました。まだまだ、苦しい状況には變はりはありませんが、数年前と比べて全く状況は違ひます。仕事に燃えに燃えてゐますし、宇宙のエネルギーが身体の中に、グングン入りこんで來るのがわかります。でも、かういふ時こそ、「慎んで慎んで」。天は必ず視ています。
 父の兄弟は、敏子(父の姉)-佳男(私の父)-正是(まさよし)-卓(たかし)-治(おさむ)となつてゐます。

つづきです。

百人一首 七十

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寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮

 良暹法師(りょうぜんほうし)の歌なのですが、この方の生い立ちはよくわかりません。わかつてゐることは、かなりの歌の使い手だつたといふことです。

梅子黄

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 今日から七十二候 二十七候 芒種 末候 梅子黄です。「うめのみきなり」または「うめのみきばむ」と讀みます。

 私の實家には、祖父の写真が掲げられています。きりっとして睨めつけたやうな表情なので、幼い時は、「おじいちゃん、こわいな~」と思つてゐました。少し大きくなつて、父に「あの写真のおじいちゃんは何歳ですか?」と聞くと、確か四十二歳と教へてくれました。

 ずいぶんとしつかりした四十二歳です。敗戰後の私達は、過つた教育を受けてきたため、なんともはや大人でも幼くなつたものです。我が國は、退化してゐます。でもそれに臣民が気づいてゐません。悲しいことです。さて、親父たちにはまう一人兄弟がゐたのです。つづきです。

 今日の漢字は「斷」と「繼」です。

 両方とも造りの部分に特徴があります。

均しくこれ人

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「均しく是れ人なり。遊惰なれば則ち弱なり。一旦困苦すれば則ち強と爲る。愜意(きょうい)なれば則ち柔なり。一旦激發すれば則ち剛と爲る。気質の変化す可(べ)きこと此(か)くの如し」

百人一首 六十九

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嵐ふく 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり

 能因法師の歌です。

「嵐で乱舞してゐる三室山の紅葉は、龍田川の川面をおおひつくして、まるで錦の織物のやうである」
 續きです。祖父 義一が朝鮮に渡りました。祖母と結婚します。

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「悔(かい)の字は、是れ善悪街頭の文字なり。君子は悔いて以て善に遷り、小人は悔いて以て惡を逐(お)う。故に宜しく立志を以て之を率いるべし。復(ま)た因循の幣無からんのみ」

百人一首 六十八

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心にも あらで憂き世に ながらへば 戀しかるべき 夜半(よは)の月かな

 三条院の歌です。

 「これから先、本心とは裏腹につらいこの世に生きながらえたなら、きつと戀しくなるだらう。今夜の月が」
 留守中に受け取ることができない荷物を受け取りました。HYTさんからの贈り物。とつてもおいしい和菓子がたくさん。私は和菓子が大好きです。
 つづきです。

源有るの活水

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「源有るの活水は、浮萍(ふひょう)も自ら潔く、源無きの濁沼は、蓴菜(じゅんさい)も亦汚る」

百人一首 六十七

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春の夜の 夢ばかりなる 手枕(たまくら)に かひなくたたむ 名こそ惜しけれ

 作者は、周防内侍(すおうのないし)です。周防守 平棟仲(すおうのかみ たいらのむねなか)の娘なので、周防内侍と呼ばれてゐました。才女です。
 コンプライアンスとは、ポジティブリストです。「これしかやつちやいけない」。もつと云ふと「これをやつてゐれば、あとは何も考へる必要がない」と云ふものです。
 今日は、徑()、經()、輕()、(頚)、、莖()、です。すべて「巠」が基本になつてゐます。

本願

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「我より前なる者は、千古萬古にして、我より後なる者は、千世萬世なり。假令(たとひ)我れ壽を保つこと百年なりとも、亦一呼吸の間にみ。今幸に生まれて人たり。庶(こい)幾(ねがは)くは人たるを成して終らん。斯れのみ。本願此(ここ)に在り」

百人一首 六十六

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もろともに あはれと思へ 山ざくら 花よりほかに 知る人もなし

 格調が髙い歌ですね~。大僧正行尊の歌です。

腐草爲螢

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 今日から七十二候 二十六候 芒種 次候 「腐草爲螢」です。

 「くされたるくさほたるとなる」と讀みます。「ふそうほたるとなる」とも。腐つた草が蒸れ螢に生まれかはる頃です。そんなことないのですが、さふ考へることが面白ひですね。

 都会に住む子供たちはかはいさうですね。
 今日のブログはこれだけです。ちよつと仕事がたてこんでいるので。

 「まおちゃん」。浅田真央さんではありません。

新聞のない朝

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 だいたいこのぐらいの時間に朝刊を賈ひに行きます。今も、ブログがひと段落つひたので、賈ひにいつたら、コンビニのお兄さんが「今日は新聞は休みです」と。あ~、さふだつた~。さふいへば昨日、廣告が入つてゐた~。


 私が新聞配達をしていたのは、もう四十數年前です。あの頃の朝刊は、一月二日、春分の日、秋分の日の三日しか休刊日がありませんでした。だから、新聞配達の仕事に就こうと思つたら覚悟がいります。旅行なんか行けないのです。風邪もひけません。誰かが休むと誰かがその人の分を配ります。そんな人的余裕など新聞販売店にはありません。また、その頃の家には、新聞が好きな人が今とは違つてたくさんゐました。配つてゐると、門の前で待つてゐる人もいました。私の親父も新聞が來るまで、何度も何度も玄関に見に行つていたっけ。
 今回、特約販売店への卸値を市場連動からコスト連動に切り替えた元売ですが、例へばその時のコスモ石油の見解はかうです。「市場價格は原油コストが反映されず實態と乖離している」。

 いまさら何を。
 今日の漢字は「關」です。間違った略字は「関」です。どうしてかういふ字になつたのだらうか?

一日を愼む

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「昨日を送りて今日(こんにち)を迎へ、今日を送りて明日(みょうにち)を迎ふ。人生百年此(か)くの如きに過ぎず。故に宜しく一日(いちじつ)を愼むべし。一日を愼まずんば、醜(しゅう)を身後(しんご)に遺さん。恨む可(べ)し。羅山先生謂ふ。「暮年(ぼねん)宜しく一日の事を謀るべし」と。余謂う。「此の言淺きに似て淺きに非ず」と。」

百人一首 六十五

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うらみ侘び ほさぬ袖だに あるものを 戀(恋)に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

 詠み人は相模です。女性なんですが、相模守大江公資(さがみのかみおおえのきんより)を結婚したため、相模といふ女房名で呼ばれるやうになりました。

 これがただの戀の歌ではありません。歌合(うたあわせ)といふ言葉をご存知でせうか?
 父から手紙が来ました。久しぶりです。長いので何回かにわけて。いつでも讀み返せるやうにブログに書いておきます。
 今日の漢字は「觀」です。略字では「観」です。

適材適所

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佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「人才には、小大有り。敏鈍有り。敏大は固(もと)より用ふ可(べ)きなり。但だ日間(にっかんん)の瑣事は、小鈍の者を卻(かえ)つて能(よ)く用を成す。敏大の如きは、則ち常故(じょうこ)を軽蔑す。是れ知る。人才各(おのおの)用処有り。概棄すべきに非(あら)ざるを」

百人一首 六十四

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 朝ぼらけ 宇治の川霧 絶えだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木(あじろぎ)

 なんと上手な歌なんでしょう。詠み人は、権中納言定頼です。そう、「百人一首 六十」の小式部のところで登場し、小式部にやり込められた男です。でも、歌の才能は抜群でした。
 以前、自分も身を置いてゐたのでこの表現は心苦しいのですが。
 今日の漢字は「罐」です。間違つた略字は「缶」です。
 變なタイトルですね(笑)。結構人生の中で犯す過ちです。

 でも、内容はまず佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「人の我に就きて事を謀らば、須(すべか)らく妥貼易簡(だちょういかん)にして事端(じたん)を要すべし。卽(すなは))ち是れ智なり。若し穿鑿(せんさく)を爲に過ぎて、己の才智を逞うせば、卻(かえ)つて他の過を惹かん。殆ど是れ不智なり。


百人一首 六十三

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今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな

「今は、せめてあなたへの戀心は斷切りますといふことだけでも、人づてでなく、逢つて直接伝へたい」

 ただの戀の歌と思ふなかれ。
 このタイトルは以前にも書きました。醜い。とにかく醜い。スマフォが惡いのではない。スマフォを使う人間に問題があります。
 今日の漢字は「卷」です。略字は巻です。

蟷螂生

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 今日から、二十四節気 芒種(ぼうしゅ)です。稻など「芒(のぎ)=穂」のある穀物の種まきの頃なんで芒種です。

 そして七十二候 二十五候 芒種 初候 「蟷螂生」です。「かまきりしょうず」と讀みます。蟷螂が生まれ出ることです。私は、蟷螂が大の苦手です。子供のころ、蟷螂が肩に止まり、何かと思って振り向いたら、蟷螂と眼が合いました。うえ~~~~~。それ以来・・・・。

 さて、梅雨に入ります。梅雨の花がいろいろ咲きます。紫陽花。きれいですね~。くちなし。いいですね~。橘。文化勲章の花です。

百人一首 六十二

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夜をこめて 鳥のそら音(ね)は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

 有名な歌です。清少納言です。この歌をめぐる話も面白い。
 う~、昨夜遅くまで仕事をして、そのまま倒れて(つまり、自然の眠り)、起きたら四時だつた。しまつた。といふことで今日のブログは一つだけ。

 このブログでキリスト教のことをほんの少しでも書けば、すさまじい攻撃を受けます。わけのわからないコメントがたくさん入ります。でも、書きます。

 聖書≠キリスト教≠協会なのですね。

※明日、明後日は、ネット環境にないので、ブログを書くことができません。
 繰り返します。ポジティブリストとネガティブリストといふ言葉があります。

 例へば、軍において「これは絶対にやつてはいけない。あとは國際法に準じていればやつてよい」といふのがネガティブリストです。

 逆に「これだけはやつてよい。あとはやつてはいけない」といふのがポジティブリストです。

 前者が常識で、後者が非常識です。現在の我が國はポジティブリストです。
 今回の漢字は「勸」「歡」です。ふたつとも「雚」がついてゐます。

大事は背くも可

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「日間の瑣事(さじ)は、世俗に背(そむ)かぬも可なり。立身操守(りっしんそうしゅ)は、世俗に背くも可なり」

百人一首 六十一

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 いにしへの 奈良の都の 八重ざくら 今日九重に 匂ひぬるかな

 この歌の逸話はたまらなく面白い。詠み人は伊勢大輔(いせのたいふ)です。お父さんが、伊勢神宮の祭主だつたので伊勢大輔と呼ばれてゐました。「百人一首四十九」の詠み人である大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)は祖父です。父の伊勢輔親(すけちか)は三十六歌仙です。卓越した歌人を輩出する大中臣家の娘でした。

 そして、彼女自身も中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)に仕へてゐました。時は、平安王朝が隆盛を極め輝いてゐた十世紀末~十一世紀初めの一条天皇の御世です。

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