助けてしてあげやうとしただけなのに

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 變なタイトルですね(笑)。結構人生の中で犯す過ちです。

 でも、内容はまず佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「人の我に就きて事を謀らば、須(すべか)らく妥貼易簡(だちょういかん)にして事端(じたん)を要すべし。卽(すなは))ち是れ智なり。若し穿鑿(せんさく)を爲に過ぎて、己の才智を逞うせば、卻(かえ)つて他の過を惹かん。殆ど是れ不智なり。


「他人が自分に相談にやつてきた時は、穏やかに簡潔に意見を述べ、爭ひの種とならないやうにするのが、智慧といふものである。もしも、細部をひじくり突き詰めて、自分の才智を振り廻すと、思はぬ禍ひを引き起こしかねない。これは相談に應ずる智慧のないも同然である」

 よくいますよね。人の相談に乘りすぎて、かえつて、状況を惡化させてゐる人が。

 交流分析に「ゲーム分析」と云ふ分野があります。よかれと思つてやつてゐることなのに、人間關係をかえつて惡化させていることが40種ぐらい挙げられています。まあ、自分では面白くないと思つてゐても、つい手を出して、お互ひに氣まづくなるものです。「またやっちゃった~、ああ~」と嫌な氣分になるのは、すべてゲームと思つてください。

 ゲーム分析の中に「助けてしてあげやうとしただけなのに」「はい、でも」といふゲームがあります。

 私達コンサルや親や親族関係でよく起きるゲームです。

 例えば、ゲームをしやすいクライアントや親族から「相談」されます。ひと肌脱いでやるか~、と思つた瞬間に「助けてしてあげやうとしただけなのにゲーム」の始まりです。素人はゲームに一度入つてしまつたら、抜け出すことはほぼ不可能です。では、だうすればよいか。ゲームに入らないことです。

 でも、ゲームをしかけられて、ゲームに乘りやすい人間は、ここで對應しなければ、

冷たい人間と思われるかもしれない

 と考えます。さふ考へる人は自分でもゲームをしやすい人間です。よけいなお世話に口も體も出さないことです。一度、ゲーマーの經衞者にこの對應をしたら、クライアント契約を切られたことがありました。でも、それでいいのです。主語が自分以外になつてゐる會社は決してうまくいきません。

 かういふケースもあります。相談されます。

「先生、これこれかういふことで惱んでゐるんですけど」

「では、かういふことをやられてはいかがですか?」

「それは、どうも私には」

「では、かういふことはどうですか?」

「それは一度やつたんですが、効果がありませんでして」

 などなど、アドバイザーが何を云つても相談者が否定します。最後は、アドバイザーが怒つて終わりです。相談者は深層心理で「へっ、お前の云ふことなんて聞かないよ」と叫んでゐます。

 今回の一斎先生の言葉は興味深いですね~。まさにその通りです。

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このページは、宝徳 健が2014年6月 7日 00:56に書いたブログ記事です。

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