百人一首 六十三

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今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな

「今は、せめてあなたへの戀心は斷切りますといふことだけでも、人づてでなく、逢つて直接伝へたい」

 ただの戀の歌と思ふなかれ。
 詠み人は左京大夫道雅です。藤原通雅です。祖父は関白道隆。父は内大臣伊周(これちか)です。普通なら出世街道まっしぐら。

 ところが通雅が五歳のときに伊周が失脚します。通雅は出世の道がなくなりました。

 通雅は二十六歳の時に許されない戀をします。なんとなんと、三条院の一の宮(第一皇女)がお相手です。彼女はこのとき十六歳。失脚した人間の息子とでは、不釣合いです。

 でも、二人は戀に落ちます。人目を忍んで通ふやうになりました。

 三条院が溺愛するこの姫君に手を出したなどと・・・・。ああ、恐ろしい。二人は密會を続けますが、つひにばれてしまひます。院は激怒します。二人の間を引き裂くべく、宮に監視を漬けました。

 二人は、今生で二度と逢ふことができなくなりました。通雅は、仕事を罷免されました。そのときの役職が右京權大夫です。

 姫は、思ひ惱んで出家してしまひます。

 この背景を知つていたら、この歌はたまらなく面白いものになります。

 「まう、あなたへの思ひを断ち切ります」「でも、そのことを逢つて傳へたい」

 きちんと、素直に、自分の心を表現できたのがかつての我が國臣民でした。和歌を通じて。

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このページは、宝徳 健が2014年6月 7日 00:42に書いたブログ記事です。

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