新聞のない朝

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 だいたいこのぐらいの時間に朝刊を賈ひに行きます。今も、ブログがひと段落つひたので、賈ひにいつたら、コンビニのお兄さんが「今日は新聞は休みです」と。あ~、さふだつた~。さふいへば昨日、廣告が入つてゐた~。


 私が新聞配達をしていたのは、もう四十數年前です。あの頃の朝刊は、一月二日、春分の日、秋分の日の三日しか休刊日がありませんでした。だから、新聞配達の仕事に就こうと思つたら覚悟がいります。旅行なんか行けないのです。風邪もひけません。誰かが休むと誰かがその人の分を配ります。そんな人的余裕など新聞販売店にはありません。また、その頃の家には、新聞が好きな人が今とは違つてたくさんゐました。配つてゐると、門の前で待つてゐる人もいました。私の親父も新聞が來るまで、何度も何度も玄関に見に行つていたっけ。
 ちょっとでも遅くいくと(朝7時ぐらいでも)。ぷんぷん怒って「夕刊を持つてきたのか」と皮肉を云はれることもありました。

 今みたいに就職してすぐに「この仕事は私には合いません」などといふ、人間として信じられないアホでは務まらないのです。仕事が自分には合わせてくれません。自分が仕事に合わせていくのです。

 しんどい仕事でしたが、樂しい思ひ出もたくさんありました。家が貧しいといふことは、金持ちよりも學ぶことがたくさんあります。

 でも、貧乏人が金持ちより劣つてゐること。それは「金の使ひ方」を知らないことです。だから貧乏人が金を持つと危険です。

 まあ、そんなことはどうでもいいや。

 とにかく新聞がない朝はさびしい。

でたらめな 記事ばかり書く メディアでも ないとさびしき 矛盾やいかに

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このページは、宝徳 健が2014年6月 9日 05:17に書いたブログ記事です。

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