梅子黄

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 今日から七十二候 二十七候 芒種 末候 梅子黄です。「うめのみきなり」または「うめのみきばむ」と讀みます。

 今年こそ、久しぶりに、六月に梅干し、梅酒、梅ブランデー、梅シロップ、らっきょうを漬けやうと思とたのですが、ダメさふです。残念だな~。

 かういふのは、ゆつくりとした時間を持てない時はいけません。本當は、梅干しも漬けたいのですが、それこそ時間が必要です。以前は漬けられた。といふことは、時間に余裕があつたのですね。その時は目いつぱい仕事をしてゐたつもりでも。では、今もさふなのかな? もつと成長すれば、この仕事量もきつと樂にこなせるやうになるのでせう。

 勅なれば いともかしこき 鶯の 宿はとはば いかがこたへむ

 「大鏡」といふ書物がありますが、その中に書かれてゐる話です。村上天皇の天暦の世、御所の清涼殿の梅の木が枯れたので、それにかはる梅を探しました。すると、紀貫之の娘の邸に立派な梅の木があることがわかりました。村上天皇の勅令により、その梅は御所に移されることになりました。哀しんだ娘がその時に、詠んだ歌です。

 この歌を枝に懸けておいたところ、村上天皇の目に留まり、その詩情を憐れんで、梅は紀貫之の娘の元に返されました。

 これが有名な臨済宗相国寺の「鶯宿梅」または「軒の紅梅」です。

 紀貫之の娘の家だつたのでは?

 足利三代将軍義満は、二十五歳で早世した第二子 義嗣を弔ふために、京都二条西の紀貫之邸の跡地に、林光院を開創しました。そのときに、鶯宿梅は寺と消長を共にしました。
 



 世界で唯一歴史が連續した我が國ならではのエピソードですね。

 あ~、旅がしたい。

千年の 昔におりた 鶯の 枝が今でも 鶯を待つ

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このページは、宝徳 健が2014年6月16日 01:16に書いたブログ記事です。

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