出世(皇紀弍千六百七十六年五月十二日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 大企業の情けなさが續いてゐます。シャープ、東芝、三菱自動車・・・・。かつて、我が日本の企業では、起こり得なかつた不祥事が次々と。トップに理念がないのですね。出世慾にかられて。

 「出世」。これも實は佛敎用語なのです。

 浄土眞宗のお經 「正信偈」に「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」あります。意味は、「釈尊がこの世に出られたのは、ただ阿彌陀佛の本願の敎へを説くためでありました」という意味です。

 これは、「出世本懐」(しゅっせほんがい)ともいい、釈尊がこの世に生まれ出でられた眞の目的を示しています。

 すなわち、佛敎で言ふ本来の「出世」の意味は、「佛さまが私達を救ふために、假に人間の姿となって、この世に生まれ出られること」をいふのです。

 また、佛敎には「出世間」という言葉もあります。

 これは、私達人間が世俗のことを捨てて、佛敎の修業者になることで、「出家」と同じ意味です。

 それでは、なぜこのような崇髙な意味を持つ言葉が、俗世間ぽい言葉として使われるようになったのでせうか。

 それは、昔の日本における公卿の子息は、学問を身につけ、人格を形成するために出家(出世)することが多く、彼らは普通の人達よりも早く昇進したために、「出世」という言葉が、「昇進する」「世間に認められる」という意味に使われるようになったのだと言はれています。

 その意味からも、「出世」するとは、髙い地位を目指し、有名になることを目的とするよりも、まずは自分自身の足元も見て、必要な知識を身につけ、人格を陶冶することが大切なのではないでせうか。

 大企業のトップこそ知るべき言葉です。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6312

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年5月12日 05:24に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「なぜ嘘の歴史が(皇紀弍千六百七十六年五月八日 參)」です。

次のブログ記事は「若葉時(皇紀弍千六百七十六年五月十二日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。