世界史と古事記(皇紀弐千六百七十六年五月六日 參)

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 昨夜、久しぶりにテレビを観てゐました。モニタリングとかいふ番組をやつてゐました。息子がケラケラ笑ひながら( ´艸`)、観てゐました。その中で、佐藤健といふ俳優が出てきました。「へー、若いのに言葉の使ひ方がとてもきれい」と思つてゐたら、突然「全然、大丈夫です」と云ひました。「おいおい、勘辯してくれよ~」。

 次に、本を讀んでゐたら、ガミさんと息子が今度はケンミンショーといふ番組を。私は、このみのもんたといふ存在にアレルギーが出てくるのですが、まあ、番組としては面白い。でも・・・・。

 若くてきれいな女性が「食べれます」・・・。「すごいおいしい」・・・・。勘弁してくれよ~。美しい日本語を汚くしないでくれ。美しいものを汚すのは支那人だけでたくさんです。

 井森美幸の言葉はきれいでしたね。

 とにかく言葉を・・・。我が國は、言霊の幸(さきは)ふ國です。美しい言葉を使ふから、みんなが幸せになる國です。わざわざ美しいものを汚す必要はない。

 つづきです。
 大國主命は善政を敷いてゐるやうで、結局は「ウシハク」の支配形態でした。もし、大國主命が「シラス」の統治形態をしていたら、きつと天照大御神は、國譲りをしなかつたでせう。
 
 なぜか。そんなことは一目瞭然です。我が祖國日本が、歐米や支那のやうな、汚れた歴史を持つてもよいわけがありません。世界で唯一神話の世界から歴史が連続した世界最古の國ができたのは、「シラス」を國體としてゐたからです。

 でも、大國主命は「ウシハク」でした。つまり、歐米や支那の支配形態です。せつかく大陸の匈奴たちの勢力を追い掃つたのに・・・。しかたがなく、天照大御神は、孫の瓊瓊杵尊に、降臨を命じます。ただし、まだまだ、「ウシハク」の形態の地方の豪族があふれてゐます。その中には匈奴の殘黨のいたのでせう。

 なので、まだまだ九州のはしつこの宮崎か鹿児島あたりにしか降りられませんでした。

 我が國だけそんな都合のよいことはできませんが、もし、大陸とのかかはりがなかつたら、どんなに幸せな國だつたのでせうか。我が國は、歴史上、支那大陸との關係が薄いほど幸せになつてゐます。支那大陸と關係が深いほど不幸になつてゐます。田中角栄の、支那との國交樹立以降の我が國をみてください。不幸でしょ? 田中角栄もいらんことをしれくれました。石原慎太郎が天才といふ本を書いて田中角栄を賛美してゐますが、支那と結び臺灣をすて、そして、インフレ時にインフレ政策を展開し、我が國をダメにした政治家のどこに賛美するところがあるのでせうか? 石原慎太郎の老害?

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このページは、宝徳 健が2016年5月 6日 08:17に書いたブログ記事です。

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