堪忍(皇紀弐千六百七十六年五月六日 弐)

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 普段、何氣に使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。

 今日は、堪忍です。あまり、使はれなくなりましたね。昔は、ごめんと云ふのに「堪忍ね」と使つてゐました。辛抱するといふ意味もあります。
 佛敎用語でもほぼ同じなのですが、大切なのは、ただ我慢するといふのではなく、「許す」といふ要素が入るかどうかです。

 我慢する、耐え忍ぶ。なんで自分だけこんな・・・。これではなく、そこに「相手を許す」といふ心を持つことで、乾かない心が出てきます。きちんと受け止めるといふことですね。

 佛敎では、私たちが住む人間界は、「堪忍土(かんにんど)」と云つて耐へ忍ぶことが多い苦しみの世界の一と説いてゐます。

 でも、「耐える」だけよりも、「許す」ことができたらいいですね。そのためには自分自身に素直になることです。

 斷つておきますが、私は佛敎を専門に敎へてもらつたこともありませんし、佛敎徒でもありません。「何が正しいか」を知りたいだけです。

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このページは、宝徳 健が2016年5月 6日 08:11に書いたブログ記事です。

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