フランス革命と保守(皇紀弐千六百七十六年五月三十一日 五)

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 あ~、朝は樂しい。ブログ書くのは樂しいなあ。このブログを始めてもう十一年近くなります。始めた目的は、「その時々で、考へた自分の思ひを綴つておく」といふものでした。書いてゐる内容も随分變はつてきましたし、一度ブログが壊れて、まだ復旧できていない期間も1年以上あります。こんな自己満足ブログにお付き合いいただける読者の方々にも厚くお礼申し上げます。

 まだまだ書きたいことがいーーーーつぱいあります。

 不朽の名著「フランス大革命に抗して シャトーブリアンとロマン主義 伊東冬美著 中公新書」を參考に、保守とは何かを考へてゐます。この本は、倉山満が「この本讀まずして保守を語るな」といふほどのものです。
 フランス革命に失望したシャトーブリアンは、アメリカに渡ります。アメリカの都市における生活は、歐州の良さを否定するものでもあり、シャトーブリアンはアメリカに失望します。

 居住をアメリカの田舎に移したシャトーブリアンはそこで平隱を得ます。アメリカの田舎には古き良き傳統が殘つてゐたのでした。

 ある日、シャトーブリアンは、小川の辺りの農家で一泊することになりました。そこでもらつた新聞を廣げたとき、シャトーブリアンは信じがたい思ひにとらはれました。彼の眼に飛び込んできたのは、「國王、逃亡」の記事でした。

 有名な「ヴァレン事件」です。

 あの嘘漫画ベルサイユのばらでは、國王が横暴下からギロチンにかけられた。それまでは國民は國王を信じ、そこまでしようと思つていなかつたとしていますが、それは嘘と云ふことだけは申し述べておきます。

 ヴァレン事件。長いので数囘にわけて書きます。

 ヴァレン事件は、1791年6月20に起こりました。225年前です。我が國では、寛政三年です。あの優秀な政治家である田沼意次が失脚し、日本の黎明期を送らせた德川家斉の長期政權に入つた頃です。

 6月20日23時30分、ルイ十六世は、マリー・アントワネット、内親王、王太子、エリザベート王女等を伴つて、ベルギーへと向かひました。この事件の亡命計画を立て、それを實行に移すまで、イニシアティブをとつたのは、マリー・アントワネットです。つづく

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このページは、宝徳 健が2016年5月31日 02:35に書いたブログ記事です。

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