田沼意次 弍(皇紀弍千六百七十六年五月四日 弍)

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 田沼意次は、なであんなに低い評價なのでせうか? ずつと、ずつと、不思議でなりませんでした。

 明治維新は、幕府と藩の經濟破綻が直接的な要因で起きました。そんな解説はほとんどありません。あるとしたが、最近上梓された 「經濟で讀み解く 明治維新 上念司著 KKベストセラーズ」でせうか。

 この上念司と云ふ人物は、とにかく面白い、経済をかういふ着眼で書く人間は今までいなかつたでせう。官立大學出身ではないので出来る業でせう。官立出身者ではないからこんな發相が出來るのでせう。彼の本は讀んだはうがいいですね。經濟オンチにもわかりやすくマクロ經濟を語つてゐます。

 彼の本を參考に、田沼意次の偉業をシリーズでみていきませう。
 幕藩體制が崩れた要因の大きなものに、德川政權の徴税システムがありました。

 德川は、全部で四百万石でした。日本全國では、三千万石です。つまり、13パーセント程度で、日本全土を統治しなければならないのです。

 幕藩體制は、德川幕府と云へども、各藩に對する徴税權はありません。そして、江戸中期以降、民間經濟が恐ろしく發達したことから、おそらく一億萬石以上のGDPがあつたのでせう。

 つまり、40%程度の經濟規模の德川が、2.5倍以上の全國の面倒を見ることになります。

 今の我が國のGDPは、約五百兆圓です。年度予算が約百兆圓です。亂暴ですが、これを當てはめて、GDPの二割を國家予算とすると、德川幕府は德川GDPの25パーセントを支出しなければならなくなります。

 もし、江戸期に、全國的な徴税システムが存在したとしたら(家康がそこまで視野に入れていたとしたら)、我が國は、イギリスよりも早く産業革命を起こし、日清、日露、大東亜戰爭はなかつたのではないかと思はれます(それには、マクロ經濟を知る人間が常に幕府に必要ですが)。

 家康がそれをしなかつたのは、德川政權初期には、豊富な金山、銀山があり、幕府がそのほとんどを手に入れ、潤沢な資金があつたからです。

 でも、金山・銀山は有限です。枯渇すれば、全國的な貨幣鋳造權を持たない德川幕府の金融制政策は行き詰まり、どんなに生産性が上がつても、それに應へる貨幣供給ができません。つまり、デフレスパイラルに落ちることになります。

 つまり、金本位制(銀本位制でもよい)は、保有する金の量が上限に達するとデフレに陥るといふ怖ろしい制度なのです。城山三郎は、著作「男子の本懐」で、それをやつた、浜口首相と井上準之助を英雄視してゐます。この人は、なんで臣民に間違つたメッセージを送るのでせうか。

 まあいいや。江戸期は、これに加へて、米本位制です(解説は後日)。

 この幕藩體制の徴税システムに眞向から挑戰したのが、田沼意次でした。地政學、經濟學を理解していた田沼意次がもう少し續いたら、我が國は、經濟と國防を整へることができ、歐米列強に好きなやうにされるやうな國にはならなかつたでせう。なのに、みんななぜ田沼意次を惡く云ふのだらう。

 その後の、松平定信や水野忠邦は、學校の教科書で正義の味方として表現されてゐます。この二人が中心となつて我が國の經濟を崩壊させたのに。つづく

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このページは、宝徳 健が2016年5月 4日 12:25に書いたブログ記事です。

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