十七条憲法(皇紀弐千六百七十六年五月二十七日 弍)

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 聖德太子の十七条憲法を解説してゐます。我が國は、十七条憲法と敎育勅語と五箇条の御誓文があれば、本當は憲法など不要です。いや、それそのものが憲法であり、本來の我が國では、それで十分なのです。それを具體化したのが、大日本帝国憲法でした。今の、憲法と云ふ名の文章でしかない 邪敎日本國憲法など、國をだめにするだけです。

 さて、今日から第二条です。
 二に曰はく、篤く三宝を敬(うやま)へ。三宝とは、佛と法と僧なり。すなはち四生(ししょう)の終帰(よりどころ)、萬國の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴(たつと)ばざらん。人、はなはだ惡しきもの少なし。よく敎へるをもて從ふ。それ三宝に帰(よ)りまつらずが、何をもつてか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

 第二条 眞心をこめて三宝をうやまへ。三宝とはさとれる佛と、理法と、人々のつどひのことである。それは生きとせ生けるものの最後のよりごころであり、あらゆる國ぐにが仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないといふことがあらうか。人間には極惡のものはまれである。敎へられたらば、道理に従ふものである。それゆへに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行ひを何によつて正しくすることができやうか。

 解説は次囘から。

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このページは、宝徳 健が2016年5月27日 16:56に書いたブログ記事です。

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