十七条憲法(皇紀弐千六百七十六年五月二十二日 弍)

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 昨日のつづきです。
 人間には、黨派心(党派心)がありますので、大局を見通してゐる者は少ないといふ人間觀を一条では言つてゐます。つまり人間は完璧ではない。しかし共同體の中には、從ふべき何か嚴然として秩序、大木の年輪のやうなものがあるのだとして、それに「道理」と云ふ言葉を當ててゐます。

 第一条では、事理と云ふ言葉がこれになります。

 我が國が目指した人間社會の奇跡を實現するために、十七条憲法は、最初に、人間が「間」の存在であることを確認し、「共同體を優先せよ。個人を優先して調和を亂してはいけない」といふ社會道德の基本理念を提示してゐるのです。

 共同體を大切にすることが道德であると、最初から明らかにしてゐます。これが、宗教がなくても道德が保たれた奇跡の國 日本の眞骨頂なのです。

 では、個人は否定されてきたのか。そんなことはありません。次囘にそれを書きましょう。

 歐米や支名は、個人が優先されてきたから、力のある個人のみがすべてのものを保有するウシハクの支配形態しかできなかつたのです。我が国は、共同體を尊重するからこそ、個人が生きたのです。

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このページは、宝徳 健が2016年5月22日 11:43に書いたブログ記事です。

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