2016年9月アーカイブ

 タイトルの年を少し變へてみました。盡日(尽日)とは、その月の最終日です。今月は、きちんと力を盡せたかしら。

 今日は、九条本文を紹介します。
 今日で、九月も終わりですね。早いなあ。でも、まだ半袖のワイシャツを着てゐます。昔は、明日十月一日が衣替えでした。やはり温暖化なのでせうかね~。

 先日、STさんと食事をご一緒したときに、以前、STさんにお渡しした本に「源氏物語は、もののあはれの文學」と書いてあることの話になり、とてもおいしい酒の肴になりました。

 清少納言の枕草子は「をかし」の文學と云はれてゐます。ずつとずつと續いた我が國の感覺。それを本居宣長が「源氏物語の小櫛」で説いてゐます。本居宣長が我が國文化の發展に果たした役割も大きいですね。彼がいなかつたら、少し曲がつた文化になつていたかもしれません。古事記傳などは、その代表的なものです。正岡子規、井上毅も、我が國文化を救ひました。井上毅は、文化だけではありません。我が國そのものを救つた、我が國の救世主です。

 我が國は、危機に陥つたとき、必ずかういふ救世主が出てきます。でも、今の學校教育では、彼らをそのやうに扱ひません。子供たちが勉強を好きになるはずがありません。

 さて、源氏物語に戻ります。光源氏は、「藤壺の姪なら」と、祖母の尼君に、後見を申し出ます。

 季節の素敵な言葉を時々紹介してゐます。今日は「秋湿り」です。
 今日から七十二候 秋分 次候 「蟄虫坏戸」です。「虫かくれて戸を叩く」と讀みます。

 我が國には、七十二の季節があります。間違えても「ななじゅうに」と讀まないでください。「しちじゅうに」です。この場合。

 虫たちが冬ごもりの支度をはじめる時季です。「虫」はカエルやヘビなど爬虫類を指す言葉でもありました。


 季節の素敵な言葉を時々紹介してゐます。

 我が國は、「言霊の幸う國(ことだまのさきはふくに)」です。きれいな言葉を使ひあふので、みんなが自然と幸せになるという意味です。

 昨日、TJさんの車のTVを觀てゐました。結構好きな、綾瀬はるかさんが「○○を見れます」と・・・・。

 脱力感。あなたもか~。千年の戀も一氣に冷めます(別に、綾瀬はるかのことではありません:笑)。

 お願いだから言葉は正しく使ひませう。

 「觀戰いただきたい」。偉い人がよく使ひますよね。これも間違い。「ご觀戰いただきたい」か「觀戰していただきたい」です。言葉の亂れは國の亂れです。小學校から英語の授業をなど、國家破壊にもつながる行為を叫ばずに、國語を徹底的に學びませう。

 藤原正彦先生の「祖国とは国語」を讀んでください。

 前置きが長くなりすぎました。今日の言葉「天満月」です。なんて讀むでしょ(笑)。
 あの倉山満をして「この本を讀まずして保守を語るな」と言はしめる本「フランス大革命に抗して シャトーブリアンとロマン主義 伊東冬美著」を解説してゐ ます。今でも、多くのフランス人が、あの革命を心から悔やんでゐます。なのに、我が國は、「國民主權」といふ愚かな概念を賛辞します。

 共和國といふ言葉は、耳に心地がよいのですが、實は、とても恐ろしい言葉であり、政治體制です。

 それと、立憲君主國においてよく云はれる「君臨すれども統治せず」といふ言葉は完全なる間違ひです。特に我が國の場合には。

統治すれども支配せず

が正しいのです。左翼の上手な言葉の操作に騙されないやうにしませう。

 さて、貴族軍が結成されました。
 世界の大學ランキングがどうのかうのといふアホらしいニュースをテレビでやつてゐました。新聞にも記事が載つてゐました。不勉強メディアの面々がさも、得意さうに、我が國の大學は創造性が足りないとかなんとか・・・。

 今、ハーバードやMITに行つてどうするの? 支那人、朝鮮人だらけです。

 創造性がないなら、こんなにノーベル賞を取りますか? 世界の戦闘機は、我が國の素材がないと作ることができません。

 太古の昔から、女性が創つた小説がある國のどこが創造性がないのでせうか。

 つまり、歐米人や支那人は、我が國のことが理解できないのを通り越して、信じられないのです。人間社會では絶對にできないことを實現してしまつたからです。唯一神話の世界から歴史が連續した我が国を。だから正しく評價できません。
 昨日、どのニュースだったかなあ・・・・。ある學校が「男の子は元気、女の子は優しさ」といふ校風を作つたところ、父兄だつたかどこだつたかから、訴へられたさうです。

 氣違ひが横行する時代になりました。ジェンダーフリーとはこれほど恐ろしいのです。男が女を守れなくなつてしまひます。すこし下品ですが、これでは立たない男が増えるのではないでせうか。そうなると結局、損をするのは女です。

 私は自分よりも弱い、女性や子供と歩くときは、その人を何があつても守るといふ氣持ちを強く持つてゐます。車道の左右は別にして、基本的に、女性の右側を歩きます。利き腕をフリーにしてその人たちを守るためです。家族ではなくても同じです。そうすると女性の利き腕は、男性の左側になります。さうです。女性は、利き腕で男性をコントロールするのです。これが男女區別。役割が違ふのです。
もちろん、能力がある人はどんどん世の中に出て行つてください。それと、役割は違ひます。

 男とは、女性や子供や年配の方など、自分よりも弱い存在を守ることしかその價値はありません。守るために鍛える。守るために働く。その守ることしかできない男を、愛と優しさと献軆で、もつと、その力を發揮させるのが女です。もちろん、例外はありますが。

 左翼が、この素晴らしい我が國を、どんどん退化させ、汚していきます。一見、耳に心地よい言葉は、すべて、世の中を退化させ、汚します。

 話は變はります。先日、息子に「帝國憲法義解 伊藤博文」「立憲非立憲 佐々木惣一」「外交随想 石井菊次郎(外交余禄は彼は讀破してゐるから割愛)」「憲政の本義 吉野作造」が手に入ったから讀むかと尋ねました。
 時々、素敵な日本語を紹介してゐます。

 以前、歐州の友人の話をしました。ある秋にその友人が日本にきました。虫の音を聞いた彼らは「ノイズ」と云ひました。

 草もそんな感じなのでせう。我が國では、もろもろの名前も知らない草たちを千草(ちぐさ)と云ひます。
 少し前に、「本当はこわいグリム童話」を讀みました。

 カトリック教會主義の恐ろしさが理解できます。カトリック教會主義は、本當に世の中を停滞させました。あの素晴らしかつたローマ帝国を、暗黒の汚れた世界にしてしまひました。

 聖書に書いてあることしか信じてはいけないので、學問が發達しませんでした。

 グリム童話は魔女裁判に近いものが書かれてゐます。シンデレラなんてあのガラスの靴を履くのに、姉たちは、足の一部を切り落としてゐます。白雪姫は、生きるために小人たちに体を捧げてゐます。ラプンチェルなんてエロ本そのもの。ヘンゼルとグレーテルも。何度も書き換えられてそして、日本でも書き換えられて、今は、普通の童話になつてゐます。

 歐州では、女性の地位がとても低いのです。イブはアダムの肋骨から生れました。なのでユダヤ教では、女性は何か、汚い者として扱われます。それでは困ると云ふので、新約聖書でマリアを登場させて女性の地位を「少しだけ」上げました。聖書は、ゾロアスター教の焼き直しです。ゾロアスター教にもマリアのやうな女性が登場します。

 おっと、あまり書くとまた、すごい攻撃を受けますので・・・。

 我が國では・・・。
 廣島カープが優勝しましたね。日本一になつてほしい。あの球團は本當に素晴らしい。

 サラリーマン新入社員の頃、出光興産 広島支店 直營ガソリンスタンドで實習を受けました。富士見町にありました。今は、こんな風になつてゐます。


 1983年ですから、三十三年前です。
 東の池波正太郎、西の織田作之助。

 両大家共、見事な小説を書くことで知られてゐますが、この表現は、二人のグルメぶりをあらはす言葉です。

 でも、大阪の人にこれを云ふと、「織田作之助つて誰?」と聞かれることが多いのです。「ほら、夫婦善哉の作者やん」といふと、「ああ~」と返事が返つてきます。

 丸萬本家の「魚すき」なんか最髙ですよ。本町にあります。織田作之助がこよなく愛した店です。
「丸萬本家 魚すき 写真」の画像検索結果


 池波正太郎と織田作之助の本を讀んでゐると、腹が減つてきます。だつて、うまいものばかり出て来るんですもの(笑)。

 池波先生の小説は大好きです。
 十七条憲法の解説があいてしまひました。

 大日本帝國憲法が公布されたとき、歐州の學者は云ひました。「こんなに國民に、權利を與へていいのか」と。

 ご存知の通り、大日本帝國憲法には、主權といふ言葉がひとつもありません。天皇陛下と太古の昔から心で結ばれてゐる私たちは、權利・義務發想で、國づくりを共に歩んだ歴史などありません。天皇陛下は、私たちを「おほみたから」として、誰よりも大切にしてくださしました。公地公民ととして、誰の支配も受けたことがない歴史を有してゐます。

 それだけをみても、今の、憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法は、我が國の憲法ではないことがわかります。

 第八条は「自然道に基づく生活時間」を説いてゐます。
 我が國は、太古の昔より、自然道と共に生きてきました。人が萬物を支配するといふ歐米や支那とは違ひ、この世の萬物と共生していくと云ふ生き方です。

 ですから、七十二候と云ふ七十二もの季節があるのです。

 季節の素敵な言葉を時々紹介してゐます。 今日は、「月の客」です。
 あー、徹夜してしまいました。これで仕事がおいついたかな。全部自分の責任なんですが。

 バタバタしていてもなぜか本だけは讀むでゐます。漫画もそれなりに(笑)。

 「帝国憲法義解 伊藤博文」。これを讀まずして憲法を語つてはいけませんね。伊藤博文が憲法の研究をしにまず、英國に行きました。ご存じのとおり、不文憲法です。とても良いのですが、マネはできません。フランスなどの共和國は、お話になりません。革命型國家転覆憲法です。共和國とは恐ろしい。

 ドイツもそんなに、参考にならないのですが、ドイツの・・・・、えっと・・・・、なんていふ學者だつたかな。徹夜明けで頭がぼけています・・・、さうだシュタイン教授だ!が、憲法とは文化・歴史であると博文に云ひました。

 それからです、伊藤博文と井上毅の大歴史研究が始まったのは。
 自分のディフェンス力の弱さから、イレギュラーなことが生じると、バタバタしてしまひます。情けない。

 仕事が溜まりに溜まってゐます。ひーーー。仕事の息抜きにブログを書きます。

 久しぶりの源氏物語。夕霧が亡くなつたところまででした。

 夕霧が亡くなつたショックで、光源氏は寝込んでしまひます。
 メディアは一體何をやりたいのでせうか?世論の誘導?國民を欺くこと?
 シリーズものは、明日から復活します。習慣とは恐ろしいものです。三日に一度とか一週間に一度と云ふのは、習慣になりにくい。習慣にするなら毎日にしないとなかなかできません。でも、せつかく創り上げた習慣も、一度、數日途切れると再開するのが大變です。シリーズものを書く前に、今日は、ブログのリハビリです。 あ~、士魂商才も復活手術以來、復活できていません。

 さて、本日の産經新聞の正論は、出光時代の先輩で、今は、都留文科大學の教授をしていらっしゃいます 新保佑司さんでした。この方も深い。大好きです。

 タイトルは山中鹿之助です。
 なんやかんやでブログを長く書いてゐませんでした。たくさんの方から「軆體でも壊したの?」と聴かれましたが、ご安心を。ありがとうございました。

 今日は秋分の日ですね。いつもなら二十三日です。春分、秋分は昼と夜の長さが同じ日を設定します。

 地球は、太陽の周りを三百六十五日と六時間をかけて囘ります。なので、四年に一度閏年で調整するのですが、それでもほんの少しだけずれます。
  あの倉山満をして「この本を讀まずして保守を語るな」と言はしめる本「フランス大革命に抗して シャトーブリアンとロマン主義 伊東冬美著」を解説してゐ ます。今でも、多くのフランス人が、あの革命を心から悔やんでゐます。なのに、我が國は、「國民主權」といふ愚かな概念を賛辞します。

 ルイ十六世の弟 アルトワ伯爵は、スイスのあと、イタリアのトリノに滞在しました。
 昨日は、ブログを書けませんでした。九月九日は重陽の節句です。偶数が陰、奇数は陽です。陽の中で一番大きな數が九です。この旧が重なるから重陽となります。

 個人スポーツは、まさにインディビデュアル・コンバットです。常に自己完結をさせておかなければ怖くて戰へるものではありません。その個人スポーツで團體戰を行ふとなると、プライドの高い2人以上のプレーヤーが使命と運命を共にするのですから、これは大變です。テニスやバドミントンのダブルスなど、まず、パートナーとは私生活では、ほとんど時間を共有することはありません。仲は良くありません。でも、敵を倒すときには、目的はひとつになります。

 どうするか。それが數日前に書いた「任務分析」となります。
 法曹界の人間や法學部出身の人間、そして、憲法學者たちの發言を聞いてゐると、「この人たちはいつたい何を學び、何を話してゐるのだらうか」とびつくりすることがあります。特に「立憲主義」といふ言葉を使ふときです。

 東大の宮沢なんとかといふ學者が、我が國憲法學の權威者となり、宮沢なんとかといふ人間の語る言葉以外はすべて惡といふ風潮ができました。官立學校は、中學までで充分です。變な權威が振りかざされ國がだめになります。

 さて、彼らが語る立憲主義は、GHQが1週間程度で作った、憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法をひたすら守ることとなつてゐます。勉強不足以外の何物でもありません。
 昨日書いた任務分析も今日の「インデビデュアル・コンバット」も軍事用語です。

 軍事と書くとすぐに何か汚いものでも見るやうな顔をする人がたくさんゐますが、どういう頭の構造をしてゐるのでせうか? 民間人よりも軍人の方が生きることにはるかに努力してゐます。また、精神構造は民間人よりもきれいです。 

 政治でも軍事政權のはうがしつかりしてゐるケースが多い。

 また、ファシズムと軍國主義を混同してゐる人がいますが、笑ってしまひますね。軍隊が一番嫌うのがファシズムです。だから、敗戰前の日本をファシズムと云ふ表現がメディアに出ると、吉本以上のコントになります。今の支那がファシズムです。ですから、支那の軍隊ではなく、支那共産党の軍隊です。

 話を戻します。
 今日から七十二候(しちじゅうにこう) 四十三候 白露 初候 草露白です。「はくろ」と「くさのつゆしろし」と呼びます。

 朝晩が涼しくなつて、草に露が宿る頃です。
 團體スポーツの、變な云ひ方ですが、團體戰よりも、個人スポーツの團體戰の方がはるかに難しいのです。

 團體スポーツは一人(または少數の司令塔)によって動きます。個人スポーツは、競技するプレイヤーに、情報分析・最適解の抽出・最適解の選択・決斷・實行が求められます。

 たとえばテニスのダブルス、陸上のリレー、驛傳、水泳のメドレーリレーなどを戰ふ場合のことを考へてみませう。
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」

 云はずと知れた 徒然草(吉田兼好)の出だしです。髙校時代、古文はどちらかと云ふと好きではありませんでしたが、今は、我が國文學の素晴らしさに目覺め、大好きになつてゐます。これほど面白いものかと。今の學校教育は、子供を勉強嫌いになるやうにカリキュラムが組まれてゐます。そこにきて、親がまた、「勉強しろ、勉強しろ」と云ふと、まずいものを強制的に食はされてゐる感じになり、子供がさらに勉強嫌いになります。また、試験をモチベーションの源泉にした、試験に合格するための勉強になるので、教養が軆につきません(私は若いうちの知識教育は否定しません)。

 この徒然草の出だしの中に含まれる「そこはかとなく」は、とても素敵な日本語なのです。
 順番なら、十七条憲法やフランス革命と保守を書くところですが、今囘は、話の流れからどうしても源氏物語を。雨夜の品定めを覺へていらつしゃると思ひます。

 紫式部がなぜ、第2章で雨夜の品定めをあんなに長く書いてゐるかという意味を知らないと、第2章で源氏物語を讀むのをやめてしまふでせう。その後に續く章に出て來る女たちへの布石を打つてゐるのです。その最初が、亡くなつた夕霧です。

 
 昨年九月二日に心臓バイパス手術を受けました。ちやうど一年がたちました。
 また最近、讀書にはまつゐます。なんて面白いんだらう。誰かと語りたい。SWDさんやIKさんと食事をするときなどは、世界で起きてゐることや讀んだ本のことなどを話すのでとても面白い。こんな食事會や飲み會だつたら有意義ですね。お酒とお姉ちゃんだけの飲み會はまういいや。
 長月ですね。明治政府のいくつかの失敗の中の一つに暦を新暦に變へたことがあります。私たちの生活は旧暦で動いてゐます。西暦と元号を使ひわける器用で優秀な日本人です。旧暦を使ひ續けても問題はなかつたでせう。

 今日は、二百十日と思つてゐたら、今年は閏年なので、昨日が二百十日なのですね。今はあまり二百十日と云ふ表現を使はなくなりました。子供のころ、二百十日とか二百二十日には、薹風がくるのかな~、なんて思つてゐました。

 そうだ、以前、飛行機の中で病人が出ました。スチュワーデスさんが「どなたかお醫者さんはいらっしゃいませんか~」と叫んでいましたが、これほど危險なことはありません。「病人を殺していただけませんか~」と叫んでゐるのと同じです。

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