徒然なるままに(皇紀弐千六百七十六年九月一日)

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 長月ですね。明治政府のいくつかの失敗の中の一つに暦を新暦に變へたことがあります。私たちの生活は旧暦で動いてゐます。西暦と元号を使ひわける器用で優秀な日本人です。旧暦を使ひ續けても問題はなかつたでせう。

 今日は、二百十日と思つてゐたら、今年は閏年なので、昨日が二百十日なのですね。今はあまり二百十日と云ふ表現を使はなくなりました。子供のころ、二百十日とか二百二十日には、薹風がくるのかな~、なんて思つてゐました。

 そうだ、以前、飛行機の中で病人が出ました。スチュワーデスさんが「どなたかお醫者さんはいらっしゃいませんか~」と叫んでいましたが、これほど危險なことはありません。「病人を殺していただけませんか~」と叫んでゐるのと同じです。
 優秀なお醫者さんには大變申し訳ないいい方なのですが、醫者の専門醫は、自分の専門以外診察することも治療することもできません。醫療のコンサルをするとそれがとてもよくわかります。極端な話、風邪も治せない醫者がたくさんゐます。

 私の主治醫の先生は、長く臨床をやられてから開業されたので、本當に安心して診てもらへますが、こんな先生は、ほとんどゐません。

 飛行機で病気になるのはやめましょう。飛行機の中で激しい腹痛になって、スチュワーデスさんが、先ほどのように叫んで、眼科が出てきたら最惡です。

 最近の、テレビの崩壊ぶりにはまう目も當てられませんね。

 たとへば、私は観てゐませんでしたが、相沢直樹といふ金融機関のドラマがありました。結構人気を博してゐました。そのあと、同じ作家(名前は知りません)の なんとかルーズベルトといふドラマ、そのあとにも、同じ作家の名前は忘れましたがドラマ・・・・。

 これって、二番煎じ三番煎じを狙ってゐるだけですよね。これだと、相沢直樹を観た視聴者しか、弐番目、参番目のドラマは観ません。どんどん視聴者が減ってゐます。かういふのを「縮小再生産」と云ふさうです。

 自分たちに創造性がないといふのを暴露してゐるやうなものです。

 自分たちで何かをして自分たちで笑つてゐる愚かなお笑い番組もたくさん。辟易とします。放送界の人間力が著しく低下してゐるのでせうね。

 そうだ、以前、奈良でセミナーをさせていただいたとき、結構 ご參加いただいた企業の經營者さんたちの反應がよかつたので、「どうですか?本日のテーマに取り組んでみませんか?」と聞きました。かういふ答えが返つてきました。

「先生、大阪は食いだおれ、京都は着だおれ、って言いますよね。奈良は寝だおれといつて中々起きないんです」

 つまり、新しい情報が入つてもなかなか活用しないと云ふこと。まあいいか((笑)

 それが申し上げたいのではなくて、着だおれつて、京都の人はお祖母さんの着ていた着物を自分の娘さんに、そしてその娘さんがお母さんになったときには、自分の子供たちへと、祖母、母、孫と、1枚の着物を大切に順送りしていくので、呉服屋がもたないことを表現しているのが本當ださうです。

 食いだおれは、時の権力者、豊臣秀吉が浪花(大阪)商人の財力を恐れ、その財力を減らし、力を弱めるため、橋の「杭」の寄進を豪商に命じたというのです。大阪は八百八橋 と云われるぐらいの橋があり、「橋の杭」の寄進には莫大なお金が必要になつたたので、「杭だおれ」と云はれるやうになつたのが本當ださうです。

 世の中のこんなことをたくさん知りたいですね。面白い。 をはり

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このページは、宝徳 健が2016年9月 1日 05:44に書いたブログ記事です。

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