文明論(皇紀弐千六百七十六年十月二日)

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 いつだつけな。最近、TVを觀てゐたら、「全然食べれます」と言つてゐた有名人がいました。

 かういふ言葉を聞くと脱力感が全軆を貫きます。「全然」の後には否定形がきます。「食べられません」です。我が國は、言霊の幸ふ國(ことだまのさきはふくに)です。きれいな言葉をお互いに使ひ合ふからみんなが幸せになる國でした。世界で最も近代的な國は日本です。文化があり、平和で治安が良く、親切で食べ物がおいしい。世界で唯一歴史が連續した國です。

 白人が白人のエゴを世界に押し付けた時代がありました。日本以外の有色人種の國は、それを征服といふ形で受け入れました。我が國は明治維新と云ふ自己改革によつて近代化を図り、世界中の國々に我が國は、文明國だと認めさせました。
 そんな我が國でも、彼らの考へ方を理解していない(できない)ことはたくさんあります。

 たとへば死刑。

 なんか、我が國では、國に國民を殺す權利はないとか、先進國では、死刑は廃止されてゐる國が多いとか、あほみたいな左翼法律家がのたまつてゐます。EUは、加盟条件が死刑を廢止することになつてゐるとか。

 「死刑は残虐な刑」とか「改心した罪人を死刑にすることは道德的でない」とか。

 普段、道德を嫌つてゐる左翼が、こんなときには道德を持ち出します。民進黨を見ていたらわかりますが、左翼とは、自分のことはさておき、自分の都合の良い時に、自分の都合の良い言葉を使ひます。

 自分の愛する者を殺した憎き犯罪者に對して、日本人だと「殺してやる!」となります。でも、國はそのような場合でも殺人を認めてゐません。政府が代わりに死刑を執行します。死刑執行で被害者遺族も溜飲を少しは下げます。

 でも、残酷な歐米では違ひます。「死なせてやるものか」と考へます。だから改心させたうえで、永遠に牢獄に閉じ込めるのです。希望を奪い、後悔の真っただ中で、生きさせます。愛する者の命が戻らないので、自分の生きてゐる間は、犯罪者を苦しめ續けるのです。

 かういふ文化的發想なしに、死刑廃止論に歐米スタンダードを持ち出してはいけません。左翼とは不勉強ご都合主義なのです。

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コメント(2)

こんにちは。

異論ありません。まったくおっしゃるとおりですね。
殺人者の人権ばかりを尊重して、死者はただの肉と骨の塊であって人権など認めないと言わんばかりの人権思想家にはうんざりしますね。遺族の人権すらもないがしろにされます。

 深田さん、コメント感謝します。ただしいことをただしいと言える世の中を創りましょうね。間違ったことをただしいという左翼を許さないような世の中を。
 まあ、だいぶんよくなってきました。左翼もあせっていますし(笑)。

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このページは、宝徳 健が2016年10月 2日 08:37に書いたブログ記事です。

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