日章丸事件 5(皇紀弐千六百七十七年一月廿五日)

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 母の兄弟の長男(伯父)の名は舜一でした。私は会つたことはないのですが、母の家族が北朝鮮から引き揚げて來るときに、途中で亡くなつた伯母の名は堯子(たかこ)だつたさうです。とても優しい人だつたと母から聞かされてゐます。会いたかつたなあ。膝にちょこんと座りたかつた。

 堯と舜は、支那古代の皇帝です。今でも、支那では理想の皇帝とされてゐます。まあ、さうでせうね。シュウキンペーなんかが皇帝になつてゐる今の支那では、人間性などといふ言葉は死語でせうから(笑)。

 昔の親は教養があります。子供ができる、若い時期でも、きちんと支那の古典から子供の名前を引用してゐます。腐つた戰後教育を受けてきた私たちとは、まつたく違ひます。
 
 舜一おじさんや堯子おばさんの名前を付けた祖父は、出光佐三店主弟 出光計助(當時専務)の高校の同級生です。母と共に、父の記事に出てきます。。

俯仰天地に愧ぢず

 日章丸が川崎港に着いたとき、マスコミにコメントを求められた出光佐三店主が、仰つたことばです。「天に對して何も恥ずべきことなどない(こころに一片の曇りもない)」「ふぎょうてんちにはぢず」です。

 明治のと男はすごいですね。胆力、教養が私たちとはまつたく違ひます。私たちは今、我が國史上最低の國を作つてしまつてゐることを、國民が自覺しなければなりません。

 それを自覺していない不感症國民だらけです(もちろん、私も)。

 さて、今年九十歳になる父が、命を懸けてこの世に残さうとしてゐるもののひとつ、日章丸事件をお樂しみください。いよいよ母の登場です。

 父が書いてゐる通り、百田尚樹氏については、私も同感です。「海賊と呼ばれた男」が出たとき、賈つて讀みましたが、ものの數分で讀むのをやめました。「盗作やん」と。出光には立派な本がたくさんあるに、それを讀まずに海賊を喜んで讀んでゐる社員が多いのはなんと情けないことか。百田氏の永遠のゼロも讀んだときにも同じ感じがしましたし、映画を観たときは、その駄作に、演技怒鳴りまくりの岡田なにがしが主役だつたので興ざめでした。

 今日の、文中に出てくる「出光万歳」「日本万歳」のところを評傳 出光佐三で入社前に讀みました。涙があふれてとまりませんでした。「俺は、こんなにすごい會社に入れるのか。命を捧げてもよい」と。

 今の日本は情けない。何が働き方改革でせうか。男は命がけの仕事をして初めて男です。仕事で死ねるなら、男子の本懐です。

 すみません・・・・。前置きが長くなりました。
■妻・宝徳(旧姓、秋武)汎子の活躍
 
 英国軍艦に沈没される危険を冒してのイランからの石油積み出し。出光興産㈱の社運を賭けたプロジェクトに汎子が携わっていたことは、高倉秀三の580ページに及ぶ大著 評伝 出光佐三 士魂商才の奇跡 に詳しい。

 公海に出たとき、日章丸の新田船長が「店主の支持を伝える。『アバダン(イラクの石油積出港)へ行け』」と告げると期せずして船員が「出光万歳」「日本万歳」と何度も叫んだという。
※出光佐三は「社長」と呼ばせなかつた。

 機密漏洩を避けるため、乗組員は公海上に出るまで「行き先を知らなかつた」。いまそのようなことをしたら、メディアが黙ってはいないだろう。だた、明治の男たちはそれを受け入れて出航した。

 百田直樹著「海賊と呼ばれた男」が刊行されているが、この著作は、それまでに世に出た出光佐三関連著書の寄せ集めであり、いわば盗作に等しいと断ずる。

 つづく(母の話しはまだまだ続きます)。

命かけ 偉大な事業を なしとげる これぞ魂 大和魂

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このページは、宝徳 健が2017年1月25日 02:40に書いたブログ記事です。

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