2017年9月アーカイブ

 いけぴーに簡単にやられてしまふ、前原がもし、首相になったら・・・・。習金平や正恩やトランプやぷーちゃには、赤子の手をひねられるやうにやられてしまふでせう。

 首相とは、外國と戰爭に勝利できる人間のことを云ひます(國際的には)。

 だから、スターリンはとんでもない奴ですが、世界でみればすごい奴です。習金平もプーチンも正恩も。だつて、自國を他國から守る力があるのですから。正恩なんて、アメリカから自國を護ってゐます。

 まあ、これまでのアメリカ大統領はヘタレばかりですが。

 我が國に目を向けます。これができるのは誰ですか? 安倍さんを優秀な行政官でしかないと云ふ人もゐます。確かにそうでせう。ただ、あの外交を出来る人は今、他にゐますか? 前原?とんでもないことはわかりますね。池ピー? 喧嘩はできても後始末ができない(政策がないから)。無理ですね。レンホー? っぷっ。 野田? (爆笑)。

 ねっ? 單純に考へませう。
 呂不韋の活躍で子楚が帰国しました。
 旅籠屋の主人が怪しまれて村長に呼び出されたところまででした。


義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子
 今年九十歳の親父が、私に必死に手紙を送ってきます。自分の人生をどこかに遺したいのですね。書き綴っていきます。

☐宝徳 卓の思い出 つづき
 今囘は、安河内Aくんです。文中に出てくる信二がBです。

 どぶさらいといふ練習を思ひだしました。振りまわしよりしんどいやつです。

  1・1/2は、二人が相手コート、一人がこちらのコートに立って、ランダムではなくコースを決めてやるストローク練習です。角度のある球を打つ訓練と、角度のある球が来たときにどう對應するかの訓練です。

 やはり文中で出てくる 信二のすごいこと とは、信二は振りまわしの時、 ダイビングキャッチをするのです。でも、これをやると、次に出てくる玉までの時間が稼げるのです。そんなことはこちらは御見通し。飛ぼうが寝ころぼうが、どんどん球をだしていきます。甘い甘い(笑)。
 
 うん、10月の準備が素晴らしくでき始めています。でも、私自身がサボらないように、10月の任務分析(目的・目標・手段)を、下記します。逃げられないうよに。

目的
①すべてのクライアントの喜ぶ顔を観る
②すべてのクライアントと同じ方向性を視る
③すべてのクライアントを同じ課題を診る

目標
①設定課題をすべて消し込む
②本を20冊讀む
③手紙を30通書く
④ブログを70書く
⑤本のまとめを3つ創る(それをコンサルHPの方のフログに書く)

手段
①本当に必要なとき以外は酒を飲まない
②気絶するまで仕事をする
③移動中はメモを書きまくる、整理しまくる

 あ~あ、來年六十歳だ~と思ってゐました。先日、八十歳の方とお會ひしました。「宝徳さん、何を言つてるのかね。今の年齢は、昔の7掛けなんだよ。だから私はまだ、五十六歳なんだ。五十代と云ふのは昔から「五十・六十はなたれ小僧」と云はれてきたんだよ。はっはっはっは~」ですつて。素敵だな~。

 と云ふことは私はまだ四十前半!!!!!!!!!!!! はなたれ小僧ではなく、小便小僧ですね(爆笑)!!!

 やった~!!!!! 人に元氣をプレゼントできる人間に私もなります!!!!!
 原子力發電所でウランを処理すると必ずプロトニウムが出ます。語源はプルトー ローマ神話に登場します。ギリシャ神話では、ハーディスです。冥界を支配する神です。
「プルトー」の画像検索結果
 このプルトニウムがやっかいです。日米原子力協定をご存知ですか?
 右大臣家の娘であり、東宮の後宮に入つてゐる女御でもある朧月夜との密會を再開した光源氏です。東宮(皇太子)つて、光源氏と藤壺の間に産まれた子だよね(笑)?

 あるとき、朧月夜が體調を崩し、右大臣家に里帰りをしました。なんと、光源氏は、そこに足繁く通いはじめたのです。なんつう大胆な。
  「呂不韋の先物買い」の続きです。秦の始皇帝の父(荘襄王:この当時は子楚)が趙に人質となっているとき、呂不韋が子楚を担ぎ出そうとします。続きです。呂不韋に別室で話を聞いた陽泉君は、姉の皇后にそれを話しました。
 小文吾が信乃の着物を落としてしまったところまででした。


義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼見八(いぬかいけんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。いずれ犬飼現八(いぬかいげんぱち)となる。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子
☐宝徳 卓の思い出 つづき
 今囘は、ツバメ返しこと 寺田君です。

 針スマッシュってなんだっけ?

 かったりごうたい:かわりばんこ の 博多辯です。

 森菓子  福岡髙校体育會男子でお世話になったことがない人はいないでせう。部活帰りにたいてい寄って、パンやらお菓子やらカップ麺やら食つてました。もう閉じてゐるみたいですが、たたずまいだけは残つてゐます。


 やさしいおばちゃん二人が、いつも最高の笑顔で私たちを迎へてくれました。
 もう、吉本新喜劇よりも面白いと云つたら吉本に失礼になるかしら。先日、天下國家のことを考えない男は、どんなに知識があつてもリーダーとは云へない。そして、教養とリーダーシップを両方兼ね備えたのが、眞のエリートだと申し上げました。

 そこにもう一つ加へませう。「喧嘩が出来る男の子かどうか」です。この場合の喧嘩とは毆り合ひを意味しません。相手との對峙仕方です。どんなにつらくても心を眞つぐにする。間合いを取る。受け留める。チャンスが來たら、戰力を一氣に投入する勇氣がある。などなど。

 今の學校教育は「喧嘩をしてはいけません」「ジェンダーフリー」「みんな仲良く」「いじめはだめ」「かはいさう」・・・・・。 男の子を弱くすることばかり。こんなことで、あの野蛮極まりない、歐米や支那と伍していけるのでせうか? だから、すつかり、喧嘩が出来ない男が増えてしまひました。

 松下政經塾の男どもなどその典型です。私の大學時代の後輩も一人ゐますが、この選に漏れません。




 古典は、特に、神話は、祖先の遺言を云はれてゐます。

 例へば、支那の古典 孝經に「身体髪膚、これを父母に受く。敢へて毀傷せざるは、孝の始めなり」(しんたいはっぷこれをふびにうく。あへてきしょうせざるはこうのはじめまり)。

 「この身体は、父母からもらった大切なものだ。だから、それを傷つけないことが親孝行の始まりだ」です。まあ、私の身体は、あばれんぼうの傷跡がたくさんあるので偉さうなことは言へませんが、それでも、自ら進んで傷つける 「ピアス」なるもの。きちんと古典を讀んで教養を身に着けてゐれば、あれがどれほど愚行かがわかります。

 例へば、山彦(神武天皇の御祖父さん)のお嫁さん、豊玉毘売(トヨタマビメ)が、出産のとき、私のお産の場をのぞかないでねとお願いした話があります。山彦は覗いてしまひ、豊玉毘売は、子供を遺して海に歸らなくてはならなくなりました。
 今の教育に欠けてゐるのもののひとつに「教養」があります。今の日本で俗に云はれてゐるエリートは、ただ知識と金と地位がある人のことを言つてゐるだけです。本来のエリートではありません。

 明治時代となり、洋行がブームとなりました。ほんの少し歐米に行つただけで歸つてきたら偉さうにする奴らがいました。そいつらが作つたのが東大法學部です。そして、官僚を作り、昭和になつてから、その官僚たちが國家を破壊しました。軍もしかり。官立教育はせいぜい義務教育までで充分です。

 明治初期の男たちは、武士でした。彼らは國家を常に頭においてゐました。そしてその男たちを支える女性たちの婦道。どんな仕事についていても、どんなに収入があつても、「天下國家」を考へてゐない連中はリーダーとは呼べません。

 逆に、たとえば(表現は惡いですが)道端のごみを拾つて生計を立てていても、天下國家のためにやつてゐれば、その人はリーダーです。眞のエリートです。

 「教養」と「リーダーシップ」が今の教育で圧倒的に抜けてゐるものです。

 古典は、教養を磨くのに最適な教材です。ひさしぶりの源氏物語です。

 藤壺が突然、「出家します」と云ひだしたところまででした
 「呂不韋の先物買い」の続きです。秦の始皇帝の父(荘襄王:この当時は子楚)が趙に人質となっているとき、呂不韋が子楚を担ぎ出そうとします。続 きです。
 なんと、見八(けんぱち)だけではなく、旅籠屋の息子、小文吾までが、玉を持ち、体に痣があるではありませんか。信乃と見八は、身を乗り出して、旅籠屋の主人の話を聞きました。そのときです。

 父が三番目の弟 卓(たかし)のことを書いてゐます。父の兄弟は、敏子(長女)、佳男(父:長男)、正是(まさよし:次男)、卓(三男)、治(おさむ:四男)です。正是と卓は他界しました。

☐宝徳 卓の思い出 つづき
 今囘は、小田君です。

 ストロークボールとは、ストローク練習に耐えられるボールのことです。普段は4~8個ぐらいしかありませんが、この時期の福岡は、雨天が多く、練習量が少なくなるのでこんなにたくさんあります。

 クソボールとは、毛が抜けてまったボールです。ボレーの練習に使ひます。

 パンクボールとはもう使ひものにならなくなつたボールですが、私たちはスマッシュ練習に使つてゐました。

 とにかく金がないのです。学校から出る126千圓/年の予算に、一人1,000圓/月(当時の1,000圓は大金です)の部費が活動費です。あとは、OBに毎月手紙を書きまくつてカンパを求めてゐました。弱いチームであればカンパを求めても誰も應じてくれないと思ひますが、私たちは、インターハイに行くとOBにも斷言しました。お金だけではなく、OBがたくさん練習をつけに來てくれるやうになりました。

 インターハイ出場が決まつたとき、OBがアディダスの三本線のウェアを賈つてくれました。もう、うれしくてうれしくて天にも昇る氣持ちでした。それまでの私たちのウェアは、先輩たちが部室に遺していつた、カビだらけのものです。

 私が、第一囘西日本選抜(現全国選抜)で、選手宣誓をしたとき、その様子がTVに映りました。ボロボロのトレーナーを着てゐました。TVでそれを観た母がTVの前でつぶやいたそうです。「もっと早く宣誓をするのがわかつていたら、新しいのを賈つてあげたのに」。母親は自分の恥とも思ひながら(笑)。 私の家族は、誰一人、私がテニスをするのを観たことがありません。

 私は、それを何とも思つたことがないし、来られるとあとで鬱陶しいですしね(笑)。

 ロブの練習をしています。これはとても重要かつ高等テクニックです。

 振りまわしとは本當にきつい練習です。ボールの出し手が、コートの中の好きなところに球を出します。それを拾ひまくるといふ練習です。しんどいなかで、1球さぼつて拾はないと、次の球を拾ふことが出来なくなります。どんなに苦しくても、サボらないで拾いまくるのがコツです。今のプレーヤーはこんな不合理な練習はしないでしょうけど(笑)。
 九月二十日はブログ十二周年でした。平成五年九月二十日。續いたもんだなあ。一時、ブログが壊れて、復活していない記事もたくさんあります。まあ、これは時間がかかるので仕事を引退したらゆっくり復活させます。

 このブログは、私が考へたことを書き留めるために始めました。當初は人に讀んでいただくことは想定してゐませんでした。まあ、こんなブログですから期待できませんよね(笑)。でも、それなりに讀んでいただける人が増えてきました。

 何をやつても續かない私が、「継続」といふことを覺へたのもこのブログのおかげです。

 アウンサンスーチーがメディアで叩かれまくつてゐます。眞實を知る人間からすれば、いまさら何をといふ感じです。メディアの不勉強さにはあきれます。それに騙される國民にも。
 彎岸戰爭のときは、フランス、ドイツ、ロシアは、リスクを冒してまでアメリカと對立する必要はありません(地政學上)。當時、あそこまで海軍と空軍を運べる國はアメリカしかありません(今も)。中東の地図を滅茶苦茶にしたのは英米です。英米は中東の國々から報復されても文句は言へません(このことは今囘は割愛します)。


 事情があつて掃除をしなくてはならなくなりました。トイレの掃除をしてゐて、便座カバーを洗はうとしました。洗ひました。取付できない自分がゐます。情けない。便座カバーはなんであんなに取り付けが難し
いのだらうか。ある女性から云はれたことがあります。「人の知らないことをたくさん知ってゐるけど、人の知っていることは全くしらないですね」と。う~。

 手でも持てて、掛けられて、リュックにもなる3WAYのバッグを賈ひました。これで樂になる~、と思ひました。でも・・・
 「呂不韋の先物買い」の続きです。秦の始皇帝の父(荘襄王:この当時は子楚)が趙に人質となっているとき、呂不韋が子楚を担ぎ出そうとします。

 呂不韋が子楚に近づきます。

 信乃と見八(けんぱち)が、痣と玉を持つ同じ運命であることを感激をもって話し合っていたところまででした。
 あらら、しばらくブログを書かななかったら秋分になつてしまひました。すみません。どこも惡くないので心配しないでください。いろいろありまして←言ひ譯 軍人さんを見習ひなさい(Military personnel are not excuses)。

 明日まで、七十二候 秋分 初候 「雷乃収聲」です。「かみなりすなはちこえをおさむ」と讀みます。

 夏の間に鳴り響いた雷が収まる頃です。空にはもこもことした鱗雲があらわれます。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉の通り、残暑も落ち着き、秋の気候へと變はつていきます。

 それにしても今年の夏はよく雷が鳴りましたね~。

「雷 写真」の画像検索結果

 雷にも種類があるさうです。
 
 今囘は、岡村君です。

 どぶさらいって、どんな練習だったかなあ。犬神家の一族はなつかしいですね~。

 昭和五十二年です。部長もコーチもゐない、私たちテニス部は、自分たちの力でインターハイに行きました。その年ですね。

 いっちょん:まったく
 しやからしい:本当はしぇからしい:うるさい
 ぎょうらしい:おおげさ、けばけばしい、うっとおしい

 博多辯です。

 IKさんの事務所です。今。だれもいません。風が強いので不気味です。おねがいだから何にも起きないで。でも、こんな時間いいなあ。ブログ書けるし手紙書けるし。何より、かうやつてゆつたり時間を過ごすと、仕事のいろいろなことを落ち着いて考えることができます。今日は徹夜。無理していません。樂しいんです。

 今、惱みがあります。息子が盆に歸つてきたとき、私に3WAYバッグを薦めました。、一つにまとめて必要なときには背中に背負えと。賈ひました。確かに便利です。片方にパソコンやWeb関係の物を入れ、片方に仕事の書類・・・。うん、こりゃあいい。と思ったとき、「本が入らない」。

 結局もうひとつバッグを。でも、これが定まらない。今囘の出張には、まえにある美容室でもらったのを・・・。でも今一つ定まらない。だから、次は・・・。一度棚を見渡します。

 今夕から出張です。明石→博多→東京→館山→横浜→敦賀→小浜で、関西に戻るのは19日になります。へっへ~。
 さあ!今日から、戦国時代でもっとも有名な話です。これは一般常識として知っておかなくてはだめです。「呂不韋(りょふい)の先物買い」です。「奇貨、居くべし」という言葉で有名です。実は、秦の 始皇帝は、実の父の子供ではない可能性があります。また、この呂不韋という男がいなかったら、秦の始皇帝はありえなかったのです。
 どうですか? このシリーズ。 日本という国は鎖国をしていても、世界に匹敵する文化を持っていたのです。江戸時代に開国し、明治初期に、外国のことをどんどん受け入れていきました。特に、科学技術と政治システムです(ただ、数学は日本の方が発達していて、何も学ぶことがなかったそうですが)。科学技術は、欧米列強の恐怖から逃れるため。政治システムは国際社会の仲間入りをするためです。まあ、それは当然のことです。でも、よく考えてみてください。国際的な政治システムがなくても、日本は、平和で、民の知力は高く、文化は発達していたのです。伊能忠敬の地図など、イギリスは驚嘆したそうです。そうです、そんな複雑な政治システムがなくても、日本は国家と国民が一体に国を運営する力を持っていたのです。考えようによっては、この方がすごいですよね。

 まあ、そんなことはいいとして。どこまでだっか。そうだ、信乃が旅籠屋の主人に助けられて話していたら、見八が、大塚村で自分の隣に住んでいた糠助の子供だということがわかったところまででした。

※お斷り
 このシリーズは、今から八年前に書かれてゐます。私の認識不足のところがありますので、修正しておきます。鎖國ではありません。カトリック教會主義の排除です。では、引き續きお樂しみください。
 いろいろな資料を北陸に忘れてきたので、記事がたくさん書けないのfが殘念です。

 今日から七十二候 白露 次候 鶺鴒鳴です。「せきれいなく」と讀みます。

 鶺鴒が鳴きはじめる頃です。鶺鴒は水邊を好む鳥です。川の上流域に行くほど多く觀られます。町なかでは、あまり見かけられないかもしれませんが、民家の軒下などにも巣を作ります。

「鶺鴒 寫眞」の画像検索結果

 こんな鳥です。よく見かけますよね。

 鶺鴒と云へば伊達政宗ですね。あの話本當なのかなあ。
 今年、九十歳になった父が大量に手紙を送ってきます。何かを遺したいのでせう。私がこのブログに遺します。さういへば、最近こないなあ。1か月前風邪をこじらせたと妹から。母の誕生日の今日、電話してみます。

 今日から新しい手紙です。もう叔父の名前を出していいですね。父の弐番目の下の弟 卓(たかし)です。

☐宝徳 卓の思い出
 今夜は徹夜なので、このブログから明日の日付にしてください。

 IKさんの奥さんも今日が誕生日です。おめでたうございます。

 母は生きていれば八十五歳です。昭和七年九月十二日生まれ。

 一度だけ、誕生日を忘れて連絡しない時がありました。家に歸つたらものすごく悲しさうな顔をしてゐました。今でも、その日のことを思ひだすと心が痛みます。平成七年七月十日死去。享年六十二歳でした。
 秦の昭王は、武安君の諫言を聞かず、自ら趙を攻めて惨敗します。武安君は「だから言わないことではない」と言います。起こった昭王は、武安君のも とを訪れ、無理やり病床から起こして言います。
 旅籠屋の主人が釣りをしているときに出くわした信乃と見八を出すけだそうとしているところまででした。
□昔話
 のつづきです。
 ああ、本が面白い。たまりませんね。

 今、日歐支の兵法の比較をしてゐます(アメリカにはない)。やはり我が國の兵法は美しい。なのに、「軍事」といふだけで惡ととらへる愚かな人が多い。我が國の武は正義です。

 讀み返してゐます。

 闘戰經(とうせんきょう)。我が國最古の兵法です。孫氏の兵法は、人を騙すことを教へてゐます。闘戰經は世を治める道を教へてゐます。この違いは大きい。

画像検索結果



 そろそろ、来年の手帳を準備しないと。毎年、10月に替えてゐます。予定を組むときは樂しいんだけど、いざやるとなるととてもしんどい。人間とは弱いものですね~(笑)。

 一昨年の今頃は、入院していたんだよな~。周りの人に怒られるかもしれませんが、結構、樂しい入院生活でした。病院經營の勉強にもなりました。もちろん、健康管理の勉強にも。

 頭髪のカラーをするのを次囘の美容室からやめます。おそらく、眞白な頭になるでせう。
 私たちは、子供のころから、歐米はすごいといふ教育を受けて來ました。なので子供の頃は、歐米のものが花盛り。映画などは、ほとんどがアメリカPRです。アメリカはこんなにすごいんだ!といふ内容ばかりです。たまに日本を馬鹿にしたものも(笑)。猿の惑星など、日本人を猿にみたてた映画です。それが米國ではあまりヒットせずに、日本で大ヒット(笑)。作った人間は、ギャフンですね(笑)。

 でも、たいしたことないんです。歐州なんて暗黑の歴史そのものです。

 兵法もさうです。
 秦の昭王から武安君のところに派遣された范雎に対して、武安君が答える続きで す。
  すこ~しだけ、話が変わります。すぐに戻りますので。信乃と見八が川に浮かべてあった舟に落ちて、その舟が流されてどこかに行ってしまったところまででしたね。
□昔話
 のつづきです。
 今回は、真城君です。
 支那の兵法には、孫氏、呉子、六韜三略などがあります。歐州にはクウラゼウィッツの戰爭論があります。でも、これらの兵法は、相手を欺くことはあたりまえ(孫氏の兵は詭道なり 戰爭とは相手を欺くものだ)に代表されるように何か正々堂々としたところがありません(若い時はむさぼり讀みましたが)。

 そんな戰ひではだめだと、我が國でつくられた兵法が「闘戰經 とうせんきょう」です。これは、いずれ詳しく書きますが、なんと、九百年前のこの兵法があるルートで残つてゐるのです。

 この内容がまた素敵です。人間社會の奇跡を創造した我が國 日本。兵法の世界でもそうなんです。武力を持たないことが平和だと錯覺してゐるおバカな國民を多いのは敗戰後の腐った教育の責任です。眞理、眞實をしつかりと教へてゐれば、そんなことがいかにおろかなことかは明白です。


 我が武なるものは天地の初めに在り、しかして一氣に天地を両(わか)つ。雛の卵を割るがごとし。故に我が道は萬物の根元、百家(ひゃっか)の權與(けんよ)なり。

 闘戰經にある言葉です。
 秦の昭王の命令を聞かない武安君のところに、昭王は、范雎(はんしょ)を派遣して説得に当たらせます。范雎の言葉に、武安君は答えます。
 犬飼見八(いぬかいけんぱち)という男が信乃との対決の為に獄から出されました。
□昔話
 のつづきです。

 今囘は、安河内信二君。安河内Bです。

 福岡云ふ土地は、もちろん日本海側です。ですから、冬はどんより。なかなか晴れません。寒いし。だから、この時期のテニス部はなかなかボールを打つことができまsん。トレーニングにも飽きてきます。部員のモチベーションを維持するためにあれこれと工夫が必要です。
 今日は、五節句のひとつ九月九日重用の節句です。このブログでも繰り返し書いてきました。今年も書きますね。

一月七日:人日(じんじつ)の節句 七草粥を食べます。

三月三日:上巳(じょうし)の節句 三月の最初の「巳の日」という意味です。「禊ぎをして穢れを祓ひ、軆代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあり、江戸時代以降「雛祭り」として庶民の間に定着しました。別名「桃の節句」は有名です。

五月五日:端午の節句 五月最初の「午の日」という意味です。古くは「藥草摘みの日」であり藥草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立軆出世を願ふ行事へ轉化していきました。

七月七日:七夕(しちせき)の節句 別命 笹の節句です。

九月九日:重陽(ちょうよう)の節句 「九」という数字は、易によれば「陽數の極」にあたり、これが重なる(非常にめでたい)という意味です。支那の風習(この日に菊の花を飾り、邪氣を祓つて長寿を禱るといふもの)が元になつていて、宮中では重要な節句として位置付けられてゐます。別名「菊の節句」です。

http://wakadokoro.com/wp-content/uploads/2015/11/332520.jpg
 武安君(将軍白起)の諫言を聞かずに、別の将軍を派遣して、趙を攻めた秦の昭王です。

 でも、その将軍は、苦戦に陥って五つの軍団を失いました。昭王は、武安君を派遣し ようとしましたが、武安君は病気を口実に辞退しました。

 信乃が足利成氏の家来に襲われ、屋根に逃げたところまででした。
 海道東征のコンサートが來年2月2日に大阪であります。

 行きたい!といふレベルではありません。話を聽いただけで、軆體が震えます。行きます。チケットが手に入るかなあ。

 海道東征は、皇紀二千六百年(昭和十五年)の奉祝曲として創られました。神武天皇の「東征」を題材に全8章からなる壮大な交聲局です。

 つまり我が國 建國の調べです。これに行きたくない日本人はいるのだらうか。作曲者は、第二の國歌 海ゆかば などで有名な 天才作曲家 信時潔です。

 ああ、もうたまらない。



 CDです。當然、持っています。

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 本です。もちろんこれも。九月十五日 チケット發賣開始。必ず取ります。

 まあ、こんなのに一緒に行ってくれる人などいないでせうけど(笑)。
 九十歳になる親父がどんどん手紙を書いてきます。親父が傳へたいことを遺しておきます。

 今回から新しい章です。

□昔ばなし

  今囘は、藤(とう)君です。彼はどこかで、校長先生とやっているとか
 す・すみません。

 今日、コンサルのノートに8月7日 〇〇 と書いたら、隣の女性から、「宝徳さん、今日は9月だよ」大丈夫?」と云はれました(涙)。 ふ~ら、ふら。ふ~ら、ふら(笑)。

☐したづつみを打つ
 舌づつみ だと 雀のお宿になってしまひます。「舌つづみ」です。「舌鼓」

☐はすに構える
 物事にずれた対応のこと。「斜に構へる」です。

☐だいがえ案(これがこのなかでは最も恥づかしい)
 これは聞いていてこちらが恥づかしくなります。「代替(だいたい)案」です。

☐ありえる
 TVで横行している恥づかしい言葉ですね。聞いてゐるとイライラしてきます。ありうる です。

☐年棒(これは讀み方を)
 ねんぼう と讀まないでね。「ねんぽう」です。「俸」です。「棒」ではありません。
 ひぇ~、しばらく書かなかったら 処暑 末候 禾乃登(こくものすなはちみのる)を過ぎてしまつた( ;∀;)

 禾(のぎ)は穀物をあらはします。その穀物を独り占めするのが「私」といふ字です。「ム」は肘を曲げた状態です。肘を曲げて穀物(禾)をすべて自分のところに引き寄せるといふ字が私。そのわがままな「ム」を大きな屋根の下に入れて、わがままでなくしたのが「公」です。

 さて、けふから、二十四節氣は「白露 はくろ」です。

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