戰國策 再27(皇紀弐千六百七十七年九月九日 五)

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 秦の昭王の命令を聞かない武安君のところに、昭王は、范雎(はんしょ)を派遣して説得に当たらせます。范雎の言葉に、武安君は答えます。
 「あの時は、楚王は大国を鼻にかけて政治をかえりみなかった。臣下同士も、手柄をた てた者がかえってねたまれ、へつらい上手が幅をきかせて忠臣が避けられた。人民にも見放されて、城も荒れ放題。忠臣もなく、守りも弱かった。

 そこで私は、敵地深く侵入し、橋をこわして船を焼いて味方の戦意をかきたて、村を略奪して軍糧を確保した。味方の兵は、軍営を我が家とし、大将を父母の ごとく慕った。一致協力して事にあたり、死んでも退却はしなかった。一方、楚の兵は、自国の領内で戦ったので、家のことばかり心配して浮きだち、闘志がな かった。だから勝てたのです。

 また韓・魏との戦いのときは、孤立した韓は、魏をあてにして自国の兵を投入したがらない。魏は魏で、韓の精鋭をあてにし、それを先陣にたてようと する。互いに利害が一致しなかった。そこで、韓の陣地を襲うとみせかけて、全軍一丸となって魏軍の不意をついた。魏軍を破ったからには韓軍はものの数では ない。勝ちに乗じて追撃した。だからこの時も勝てたのです。いずれも、形勢を十分に計算した。勝つのは当然で何の不思議もない。ところが昨年、長平で趙の 軍を破ったときは、深追いをさけて、全滅させる好機を失った」

 まだまだ続きます。また明日。

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このページは、宝徳 健が2017年9月 9日 09:52に書いたブログ記事です。

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