2017年5月アーカイブ

岡田英弘先生

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 が、亡くなりました。何という悲しさ。何という我が国のそんしつ。明日、詳しく書きます。心からお悔やみ申し上げます。宮脇淳子先生の心中お察し致します。
 これで今月のブログは打ち止めです。くやしい。でも115個も書きました。

 年間目標達成ペースまであと15。六月の早いうちに囘復させます。

 1月:52  ▲10
 2月:21  ▲35
 3月:41  ▲21
 4月:115  +55    計228  あれっ? ▲11だ。 まっ、いいか~。

 犬塚信乃が生まれたところからでしたね。
 だめだ~、今月で▲を取り戻せない。仕事がたくさん。今日もずるして八犬伝を二つだけ。でも、面白いでしょう?

 昨日、家に歸らうと思ったら、JRが沿線火災で西明石驛で、電車がストップ。一つ先の明石まで行けば阪神電車に乗り入れしてゐる山陽電鐡に乘れたのに~。泊まりました(涙)。ほか辯を食ひながら。

 
 前回は、大塚が犬塚になったいわれでした。さて、信乃が生まれるときの話をします。
 今日のブログはこれで打ち止めです。今から、とても重要な仕事が途中です。午前中までに仕上げます。

 これを書いたらあと▲15通で年間目標達成ペースに追い付きます。明日は17通書きます。讀者がそんなに讀めないか(笑)。まあ、このブログはしょせん私のわがままで成り立つてゐます。お付き合ひください。

 我が福髙高校は、とても面白い學校でした。先生が、未熟な生徒を大人扱いする。生徒はそれを自覺する。甘えを許さないのではなく、甘えから出てくる結果を生徒自軀に責任を負わせる。

 まさにネガティブリストなんです。あんなことが髙校で實現するなんて、いまだに信じられません。

 自覺・自律・自立。人間が生きる基礎力です。それをわからずやたらマネジメントしたがる經營が横行してゐるから經濟がおかしくなります。

 私は、髙校時代、有機化學が大好きでした(實は、理系だつた:笑)。有機化合物の構造式を書くのが大好きでした。化學の先生は、確か小林先生。普通の教科書なんて無視です。自作の教科書。私は今でも、その自作の教科書を持つてゐます。

 ナイロン6-6の構造式を自分で書いたときなど、感動で軀が震えました。とにかく大人の教育。

 今の日本の教育は、國も企業も子供を育ててゐます。

 小學:世間に出ても恥ずかしくない教育を施す。
 大學:大人の教育を施す。
 中學:矛盾する事柄を処理する考へ方を持つ

 かつての我が國の教育です。それを、福髙高校は、自然とやつてゐました。すばらしい。

 西日本新聞に連載されてゐる記事「福髙讃歌」をお樂しみください。

 八犬傳や宇佐美の親父の記事を再掲しやうと思つて、過去の自分のブログを検索していたら、私、結構よい記事を書いてゐますね~。戰國策、六韜三略、支那の古典・・・・・。今の讀者の方が讀まれていない記事もありますので、どんどん再掲していきますね。ブログを書き始めて今年で十二年になるんだ~。

 閑話休題(このことば氣に入りました:笑)。大塚に所領をもっていたのになぜ、番作は犬塚かというところからでした。
 今囘は犬塚番作と手束(たつか)(犬塚信乃の両親)のなれそめですね。

「南総里見八犬伝 NHK人形劇 写真」の画像検索結果

 目標達成ペース挽囘のために少しずるをさせてくださいね。今日は、八犬傳を三つ書きます。平成二十一年十一月二十七日の記事です。

 今日は番作と手束の馴れ初めの話をする予定でしたね。
 でもその前にちょっと、理解促進のために当時の時代背景を説明します。
 びびりながら書いてゐます。さぼったから目標達成ペースにおいつかないかもしれない。悲しい。これから膨大な仕事が待つてゐます。

 閑話休題。大切にしていゐた數珠ブレスレットが、壊れてしまひました。それも3つも。パーンつて紐が切れて珠がはじけたんです。


 これは奈良の東大寺で賈つたとてもよい數珠です。


 

 これは入院した時にHYTさんにいただいた、少彦名神社の病氣平癒の數珠です。


 

  これは先日辞めたスタッフが、これまた入院の時に飛騨高山で賈つてきてくれた數珠です。

 なんと三つとも同時期に・・・・。天が何かを告げてゐます。

パラパラと 舞ひ落ちる珠 床に散る 心の甘さを 散らされるやう

 それが・・・
 ふ~、すつかりブログをさぼつてしまひました。

 今日まで、七十二候 小満 次候 紅花榮です。「べにばなさかふ」と讀みます。あたり一面に紅花が咲く頃です。紅花は古代エジプト時代から染料として利用されてゐました。花びらの水に溶ける黄色の色素と、水に溶けない赤の色素から、紅色がつくられます。

 そして、明日から、小満 末候 麦秋至です。「むぎのときいたる」です。

 麦が熟し、たつぷりと金色の穂をつける頃です。百穀が成熟する、麦にとつての「秋」です。この時期に穂を揺らしながら吹き渡る風を麦嵐、また降る雨を麦雨と呼びます。
 これを書いたら▲16です。今日はこれで打ち止め。仕事を強力に進めます。

 またまた福岡の友達が、西日本新聞に掲載されてゐる福髙讃歌の記事を送ってくれました。

 舊制中學から新制髙校になつたのは、昭和二十三年(1948年)ですから、この記事に載つてゐる、昭和二十ニ年(1947年)のラグビー全國優勝は、まだ舊制中學ですね。

 福髙で傳統的に強いのが、ラグビー、硬式テニス、バスケです。どの部も全國優勝の經驗があります。

 この時代の解説は私には無理なので、記事をお讀みください。
 昨日家に歸つたら親父から手紙がきてゐました。若いころの寫眞の解説がありました。解説はゆつくりするとして、十八歳の親父をご覧ください。


 今囘は弥永君です。雨が多い季節ですね~。寒風地獄とはなんだつたつけなあ。灼熱地獄もあつたのかなあ? どんな練習? 竹刀なんか持つていたかなあ(汗)。鬼じゃん(涙)。
 これを書くと▲19です。

 急に暑くなつてきましたね。立夏を過ぎて、小満ですものね。夏になると思ひ出します。ガソリンスタンドには、當然電灯があります。夏になるとそこに虫が集まつてうつとおしくて仕方がありません。ある夏、親父さんと一緒に夜ある宇佐美のSSに行きました。
 いよいよ、八犬士が次々と登場します。登場するといっても、ひとりひとりの物語が長いのです。今回から、突然、話が、伏姫と八房から、まったく関係がない内容に飛んでしまいます。ひとりを読み進んで行くうちに、「あ~、なるほど」というのが南総里見八犬伝の面白さです。そして、次も読みたくなる。

 私は、やはり最初に出てくる犬塚信乃(いぬづかしの)が大好きです。犬塚信乃戌孝(いぬづかしのもりたか)。
「犬塚信乃戍孝」の画像検索結果


 ロジャー・ムーアさんが亡くなりましたね。私たちの世代は、アメリカ全土を擧げたプロパガンダ戰略に騙されてゐました。ハリウッド映画を崇拝し、なんかわけのわからない音樂を聞かされ、やたら、音階だけたかい、表音文字の英語をありがたがりました。

 私もその中の一人です(笑)。 その中のその中に、「007」がありました。

 ショーン・コネリー。たまりませんね。この人の眞似をしたくてバーに行き「マティニィ ベリードライ」と注文してバーテンダーに笑われたものです。

「ショーン・コネリー ポスター」の画像検索結果

 これを書いたら▲20です。そして、今月のブログが101通になりました。平成十七年(2005年)九月に書き始めてからの新記録です。やりゃあ、できるじゃん。

白雲の よそに求むな 世の人の まことのみちぞ しきしまのみち

さまざまの 世のたしなみも ことのはの みちのうへには たつものぞなき

 両首とも、明治天皇の御製です。

 今日は、天智天皇と大海人皇子の話から少し離れて、聖德太子の話を。
 これを書いたら▲21です。

 今年九十歳になる父が、自分の人生を振り返つてゐます。子供の私でも知らないことばかり。それに面白い。金亨貞さんとの手紙のやり取りです。金さんは、台風を颱風と書いていらっしゃる。すごいですね。注記は父です。
 これを書くと▲22です。

 宇佐美の親父、第八弾です。

 宇佐美のSSは、それぞれ個性があるのですが、ある部分ではきちつと意識が統一されていゐます。當時3000人からいる社員にどうやつてこの意識統一をするかを宇佐美氏に尋ねたことがありました。
 これを書くと▲23です。

 伏姫の月経がとまりました。って、ところからでしたね。

 さあ、八犬傳の本番に突入していきます。仁義禮智忠信孝悌。伏姫のおなかから出て行った八つの珠が大活躍。これが八犬傳です。もう、面白いのなんの。

「八犬伝 八つの玉 イラスト」の画像検索結果

「NHK 八犬伝 人形劇 写真」の画像検索結果

 私たちの子供のころ、NHKでやつてゐた里見八犬傳の人形劇です。同年代の人はたまらないでせう(笑)。
 五月二十日~五月二十六日、つまり、今は、七十二候 小満 初候 蚕起食桑です。「かいこおきてくわをはむ」と讀みます。

 蚕が、桑の葉をたくさん食べて成長する頃です。人々の暮らしを支えていたため、「おかいこさま」と敬称をつけて呼ぶ地方もありました。

 私たちが子供のころは、養蚕はとても軆近なものでした。
 この日もまた寺田君です。なんかわけのわからない内容です(笑)。
 これを書けばあと▲24です。

 戰爭における勝利は、計画の巧みなるより、實施において意志強固なるものに歸す。
 これを書けばあと▲25です。

 物語は第十帖に入ります。タイトルは「賢木(さかき)」です。

 まずはもうおなじみの六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)です。くれも繰り返しますが、六条御息所は、桐壺帝の弟がまだ東宮であつたころ入内して娘をまうけ、皇后になつたかもしれない人なのです。

 出自は申し分ありません。教養も、器量も、たしなみも。どれも優れていて文句のつけようがありません。

 でも、東宮が早世して寡婦となりました。
 今月中に絶對においつく。これを書けば▲26。あと9日だから、最低5通/日を書かないと。なんと、これを書けば今月のブログ數が93になります。今まで最高が月間100です。輕く抜けさうです。なんて、どうでもよいこと・・・・。

 今年九十歳になる父が、私たちに必死に人生を遺そうとしてゐます。引き繼ぐのは長男の私のミッションです。

 金亨貞さんとの手紙のやり取りのつづきです。注記は親父です。
 今囘は、ツバメ返しこと寺田君です。 ボックスつてなんだつけ?

 インターバルとは、二列縦隊で走つてゐるとき、一番先頭が「ダッシュ!!」と聲を出します。すると、最後尾の二人がダッシュして、先頭の前まで走ります。これが延々と續きます。

 元永君が辞めるといいだしたのですね。練習がきついからなかなか勉強との両立が・・・・。ごめんね。

 今は違ふやうですが、當時の福髙は、壓倒的に男子が多い學校でした。なので、女子を全クラスに適正配分できません。だから、2クラス 「男くら(ダンクラ:おとこばかりのクラス)」がありました。汚いのなんの。

 元永君は西南中学出軆だつたのですね。
 宇佐美史郎氏の思い出です。第七弾。私は、平成8年7月に、出光興産㈱本社から名古屋支店に転勤となりました。その際、宇佐美の担当者としての転勤と 聞かされ、最初は「あんな広域の安売り店を担当するのはいやだな~。社長も、きっとあくの強い人なんだろうか~」と思いました。

 しかし出会って、いくどかお話しをうかがうにしたがって、意を強くしました。「この人は、石油業界唯一の真実だ」と。
 岐阜事務所撤退完了。北陸事務所移設完了(まだ、箱だらけですが、ネット環境が整ったので威力百倍)。仕事するぞ~。 引っ越しの時に、胸のポケットにスマフォをいれたまま作業をしてゐたら、汗でスマフォが濡れてしまつたみたいです。ワイファイがあるところではラインとメールは出来るのですが、通話がまつたくダメ。あせるあせる。こんなに不便なのですね。

 同じ機種を修理に出すと三日かかるとか・・・。代替機を貸すといはれましたが、メールと電話だけとか・・・。それでは困るので、新規購入・・・・。 iphon7・・・・。またみんなから文句をいはれさう(涙)。

 みなさん、引っ越しの時は、スマフォをおいて作業しませう。

 東京から南房総に行くには、昔は船で木更津まで行く方法がもっとも近かったようです。木更津も中々味な街です。そこから、君津、富津と超えて、安房の国に入ります。途中にある保田は、鋸山(のこぎりやま)があるところ。山頂がギザギザしているので鋸山。大仏や観音様や千五百羅漢などがあります。結構面白い山です。そして、保田を過ぎると岩井です。ここは枇杷の産地です。そんじょそこらのスーパーで売っている枇杷とはものが違います。とにかく、いろいろなことが楽しめるのが房総半島です。

 さてさて、山に入った伏姫と八房はどんな生活をしているのでしょうか。
 八房が伏姫を乗せてどこかに行つてしまひました。
 宇佐美の親父第六弾です。
 親父と金享貞さんの手紙のやりとりが續きます。今日は、親父が手紙や韓国に關して解説をしてゐます。ツルチュックと出会へるのでせうか?
 昨日、岐阜事務所を撤退しました。機能を、北陸事務所に移設しませす。

 といふことで昨日は、ブログを書きませんでした。今日、挽回しないと。

 今囘の日誌は、私たちのマドンナ 生田晴美マネジャーです。なんで生田さんが書いたんだろう???

 坂本くんとは、仲の良かった福岡中央高校テニス部の選手です。
 これを書いたら▲28です。

 親父が清涼飲料水 幻のツルチュックを探し始めます。
 この記事を書いたら▲29です。今月中に絶對に追いつく。つづきです。平成二十一年十一月九日の記事です。

 さて、敵将景連の首を獲ってきた妖犬八房です。

 義実(よしざね)は困ってしまいます。八房にどんなうまそうな餌をやっても見向きもせず、犬飼たちが遠くへ引いていけば、たけり狂い、鎖を引きちぎって、室内に暴れこみ、奥座敷で枕草子を読んでいる伏姫(ふせひめ)を押し倒します。

 

 
 南総里見八犬傳と宇佐美の親父の話がすごい反響です。コメントに入れてくれたらいいのに~。そうか、こんなブログの作者と知り合いと思はれたくないんだな~(笑)。 少なくても間違ったことは書いてゐないのに・・・😢。

 宇佐美の親父の話は、以前書いた時も大反響でした。8年前に南総里見八犬傳を書いたときは、あまり反響がなかったのに、今囘はすごい。なぜでせう?

 では今日も親父さんの力を借りて。
 
 昔、宇佐美のガソリンスタンドの店長が、集金に行くとき、会社の車に彼女を乘せてまわっていたそうです。たまたま街に出ていた親父さんが、それを目撃しました。

 あなたならどうします? 呼び出して怒ります? そんなの小者がやることです。
 久々の登場です。小山君。英語の小山先生の息子が、長~い、日誌を書いてくれてゐます。

 明朝もおそらくブログが書けません。仮眠後に、仕事~。樂しいな~。

 しかし、長い。手元にある日誌をブログに打つてゐるのですが、2ページにわたるとさすがにつらい(笑)。

 まあ、讀んでください。

 アグネス・ラム・・・・・懐かしいですね。
 平成二十一年十一月八日の記事です。

 さ~て、妖犬八房にとんでもない約束をしてしまった里見義実(よしざね)です。どうなることやら。
 これを書くと▲31です。

 父と金亨貞さんとの手紙のやり取りです。注記は親父がかいてゐます。
 先ほどの記事とこの記事は、明日の最低數分です。

 宇佐美の親父さんの話し。第五弾。
 
 そのまえに、前の親父さんの記事で、生姜燒きの話をしたので、鯛のかぶと煮の話もすこし。宇佐美本社の近くに、あるとき、京都料理の店ができました。宇佐美本社に行くと

親「おお、寳德、今日は飯を食つていけ。近くになあ、京都料理の店ができたんだ」
私「へー、ありがとうございます。うれしいなあ」

 親父さんは、いつも、近くにあるジョナサンかラーメンですから、そんなご馳走が食べられるなんて。

 行ってから、いろいろな料理を注文しました。そのひとつに、鯛のかぶ煮もありました。

 またまた親父さんの機嫌が惡くなります。私「(またか~、今度はなんだよ~)」

私「どうしたんですか?おいしそうですよ。食べませうよ」
親「寳德なあ。鯛のかぶと煮は、なあ、もっと出汁が濃くて、つけあはせのごぼうにまで、しみこんで、噛んだら、キュッと辛さがなあ口の中でひろがらなくてはならんのだ」
私「ここは、京都料理の店ですよ。薄味なのはあたりまえでせう」
親「うるさ」

 と云ひながら、結構食べてゐました。親父さんのかういふところも大好きだったので、私は苦にならなかつたのですが、社員のみなさんは敬遠してゐました(笑)。

 閑話休題。消火器の話し。
 おそらく、明朝はブログが書けません。未明に起きて仕事をするからです。今のうちに書いておきます。

 いかに優秀な將帥も、敵に勝つことのできない者は將帥としての價値はない。敵に勝つためには、まず部下の信頼を獲得するとともに、これに確信を與へ、戰勝に對する熱烈なる信念のもとに、この部下を敵にに指向し、萬難を排してこの信念をつらぬかねばならない。戰勝を獲得するためには戰略・戰術の巧拙よりも、このことの方がはるかに重大な意味を持つ。
 これを書いたら▲32です。

敷島の やまと心を うるはしく うたひあぐべき このはもがな

 明治天皇の御製です。「敷島」は、やまとの枕詞です。

 明治天皇御集の中の、このひとつあとの御製が、

おもふこと 思ふがままに いひてみむ 歌のしらべに なりもならずも

です。

 私は、自分の和歌が稚拙なのは、よくわかつてゐます。もう詠むのをやめやうかなあ、と思つたときもありました。あるとき、和歌でとても有名な人とお話ができるチャンスがありました。その方曰はく「いいのいいの、出来榮へなんか氣にしなくて、どんどん詠めばよいの」と仰つてくださいました。とても氣が樂になり、今に至つてゐます。厚顔無恥ですね(笑)。

 思ふがままにいひてみて も 歌にはならないかもしれませんが、明治天皇も、そんなことを氣にせず詠めよと仰つてゐるのかなあ。そして、次の御製で、うるはしき我が國をうたひあぐと・・・。なんて、素直な、なんて「まこと」な。心が洗はれます。

 では、三島由紀夫の文學的遺書である「小説とは何か」を學集しませう。