教育に關する勅語 8(皇紀弐千六百七十七年五月十二日 五)

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 これを書いたら▲40です。一日4つずつブログを書いたら20日で追いつきますが、それでは5月中に目標達成レベルに追い付くといつた決意が満たされません。う~、相變はらず弱い男だ。ルーティンをやつて自分を律しないと(しばるのではない。結構樂しい)、でたらめな男になります。

 さて、隱くれた我が國の救世主 井上毅(いのうえこわし)のことについてのつづきです。

 井上毅の強さは、子供のころから「四書五經」を徹底的に学び、朱子學にも通じてそれを血肉とした結果、井上が獲得した價値觀であり、アイデンティティでもありました。それに對して横井の言ひ分は、大儒學者であつても自らのアイデンティティを放棄し、熊本藩のアイデンティティを否定し、我が國のアイデンティティをも否定する納得しがたい説と井上にはうつりました。

 前囘書きましたが、横井の「四海兄弟」説にも強く反論しました。人類が皆兄弟だったら、なぜ、植民地が生まれるのかといふことです。開國主義者の横井が「鎖國、鎖國とばかり云つてゐると、英國、アメリカなどの四國連合隊に砲撃された長州のやうな目に遭うぞ」といと「四海皆兄弟で、西洋が本當に文明の上にあるなら、なぜ彼らは長州をあんな目に遭わせるのか。『萬國』を『一體』と見るほどの國であるのなら、開國を拒否する長州をなぜ『敵』とし、滅亡の禍に陥れるのか。それが天理なのか」と反論しました。

 西郷隆盛も『南洲翁遺訓』で「本當の文明國ならそんなことは絶對にしないはずだ」と言つてゐます。

 今の『グローバリゼーション』などという耳に心地の良い言葉も同じことです。貿易につひても、自國の國益を得るために、他國を陥れるような「自由貿易」などという言葉が使はれますが、これは羊の皮をかぶつたオオカミです。貿易を自由化する時は、國内規制を強化しないと國家の経済が滅びること等、國際常識です。不勉強なメディアにすぐに騙されるお人よしの日本人は、他國と仲良くしていれば自國も潤うと勘違ひします。これが間違いなことは、敗戦後七十年近くアメリカにいいやうにやられてきた歴史が証明しています。

 井上の主張が横井への反發レベルで終わつてゐたら、彼は單なる鎖國論者として終わつてゐました。ところが彼はさうなりませんでした。井上は、傳統や慣習を大切にしながらも、現實主義者でした。國際関係についても、横井の楽観論には與みしませんでした。それゆえ、いつか國を開かざるを得ないことが現實だとしたら、どうやって國を開けばいいのか、そのためには何が必要か、を考へました。我が國に対するこの一途ともいへる信念やこだわりがなければ、明治維新はまったく違ったものになっていました。そして、我が國は、もうなかつたでせう。たつた一人の男が、明治維新にみなが酔うなかで冷静だつたのです。


本文の続きです。

是(カク)の如キハ独リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラス、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

 

訳します。

これらの教えをよく守ることは、ただ単に、我が國の立派な國民であるばかりではなく、又、同時に私たちの祖先が歩んできた美風を、十分に明らかにすることができる

 

 これなんです。「又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん」です。自分たちがいいだけではなく、祖先が創ってくれた素晴らしいものを後世に引き継ぐことが、「連続」「継続」であり、我が國が世界で唯一歴史が継続した世界最古の國である証なのです。

 それがどうでしょうか? 所かまわず、ゴミをポポイ捨てる若者。電車に乗ったら、シンナー中毒患者と見紛うスマフォ患者。歩きながらスマフォをするバカ。満員の電車やエレベーターで平気でベビーカーを広げている母親。電車やバスで、大人より子供を座らせている信じられない光景。ボリュームいっぱいで音楽を聴くバカ。 

 日本人がまるで支那人のようになってしまいました。

 子供の頃の思い出があります。確か親とバスに乗るために、列に並んでいました。すると列に割り込もうとする人がいました。並んでいる人が云いました。「お前、それでも日本人か」と。私はその時、日本人なんだから、きちんと並ばないとと思いました。

 不況でも國は潰れません。日本人が日本人で亡くなったとき、國は滅びます。今の私たちなど、未来の誰も、遺風を顕彰してなどくれません。

 先の大戦の英霊たちは、こんな國を遺すために、我が國に命を捧げてくれたのではありません。

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このページは、宝徳 健が2017年5月12日 04:45に書いたブログ記事です。

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