超譯 統帥參考 4(皇紀弐千六百七十七年五月十二日 四)

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 これを書いたら▲41です。

 マキャベリはご存知ですか?ニッコロ・マキャヴェッリ。イタリア、ルネサンス期の政治思想家です。フィレンツェ共和國の外交官で、『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』、『戰術論』を上梓してゐます。

 マキャベリは、かう言つてゐます。今の我が國國民が知るべきものです。

☆君主は軍事に専念せよ。軍事は君主の本務であり、これを忘れて、優雅な趣味などに心を向けていれば必ず國を失ふ。

☆武器なき人格者は滅びる。

☆君主に強い軍隊がある限り善良な同盟国に不自由することはない。
 歐州は、たまらない人殺しの歴史がありました。ルネッサンスとは「再生」です。もう、殺し合いはやめようよとなりました。その時オランダの女王がかう云ひました。

異教徒は殺さなくてもいい

 「異宗教」ではありませんよ。「異教徒」です。おなじキリスト教の中でも派が違へば「殺さなくてはならなかった」のです。それが腐りきったカトリック教會主義の命令でも訓令でもない「号令」でした。その最終宗教戰爭が、三十年戰爭でした。勢力を廣げたい、カトリック教會主義は、我が國も襲ひました。それが島原の亂です。教科書では、島原の亂は何か正義のやうに教へてゐますが、とんでもない。德川幕府はさすが軍事政權です。それに氣づきました。

 鎖國をしたのではありません。カトリック教會主義を追ひ出したのです。プロテスタントのオランダとは付き合つてゐます。軍事政權は惡くないどころか、状況判斷が的確です。江戸末期に最初に通商条約をアメリカといふ當時の中堅國と結んだのは軍事政權ゆへの賢明さでした。イギリスやロシアと結んでゐたら、今の我が國は存在してゐないでせう。 教科書では、何か、幕府が混亂してゐたやうに習ひますが、とんでもない間違ひです。

 おつともとに戻ります。

 古代支那の呉子がの著作で有名な呉起が、魏の國の文候に拝謁したときのことです。

文候「私は德を以て國を治め外國と交わつてゐる。軍事は好まない」
呉起「君、なんぞ言と心の違へるや。戰國の世に、武を好まないで國を保つことができませうや」

 呉起は文候を否めます。本音を隱してゐた文候は、呉起を宰相にします。

 え~ん、長くなりすぎて、統帥參考まで、書けなかつた涙。

 我が國は、戰ひもせずに平和を獲得したわけではありません(今のではない、歴史上の)。天皇家は國民を護るためにと、そして、「シラス」といふ人間社會の奇跡の國體を護るために、必死に戰つてきました。だから征夷大將軍の任命権權は、常に天皇陛下にありました。兵馬の權は天皇陛下になければいけないのです。

 なるほど、平時の自衞隊最高指揮官は、内閣総理大臣でいいでせう。では、内閣が機能しなくなつたときには、誰が國を動かすのですか? その時を想定して國を護る規程を設けるのが憲法です。

 環境權とか教育無償化とかそんなものを憲法に盛り付ける意味はまつたくありません。そんなものは法律レベルのことです。あほらしくて議論する氣にもなりません。

 そして國家安全保障の究極は、天皇陛下です。だから、憲法「典」には、天皇陛下が「統治者」であると明記しないと、緊急事態に國を護ることができないのです。

 大日本帝國憲法に、もし、緊急事態における天皇の役割が明記されてゐなかつたら、二・二六事件も終戰の詔勅もおさめられず、我が國はつぶれていたでせう。カルタゴのやうに。

 あ~ん、すみません。統帥參考が憲法典論議になつてしまひました。

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このページは、宝徳 健が2017年5月12日 04:19に書いたブログ記事です。

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