超譯 統帥參考 3(皇紀弐千六百七十七年五月十日 五)

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 組織は、リーダーシップで決まります。マネジメントも必要ですが、リーダーシップがないマネジメントは、ただやみくもに草原で草を刈つてゐるやうなものです。

 今の、我が國は、眞のリーダーシップ教育が行われてゐません。だからマネジメントとリーダーシップを混同する人がかなりゐます。明治の人間は、各界の要職をなす人間がほとんど軍人でした。だから、「將帥」「將校」がどういふものかがよくわかつてゐました。

 それが、髙等文官試驗(現 國家公務員上級職試驗)なんていふくだらないものを作つてしまつたので、また、お受驗などといふくらだない世界を作ったもので、「優秀な行政官」をエリートと勘違ひしてしまつてゐます。官僚も民間企業も企業經營者も。あっちもこっちも石田光成のやうな奴ばかりになつてしまひました。

 官立學校は、せいぜい義務教育までで充分です。官立の大學なんてあると權威がのさばり世の中に弊害を遺すばかりです。髙校以上は、私學でいい。寺子屋でいい。官立學校では、眞のリーダーは育たない。

 では、統帥參考のつづきです。
 將帥の責務は、あらゆる状況を制して、戰勝を獲得するにあり。故に将帥に欠くべからざるものは、將帥たる責任感と戰勝に對する信念なり。
 将帥の價値は、その責任感と信念との失はれたる瞬間において滅す。


 國家戦略は、政治・經濟・外交・軍事・諜報などの書戦略の総合です。戰爭は國を疲弊させるだけなので、これらの戰略を総合的に駆使して、「戰はずして勝つ」といふ最高の状況を創り上げます。

 孫子も言つてゐます。「兵は詭道なり(戰爭は騙しあひだ)」と。

 しかし、あらゆる戦略を駆使してもおさまりがつかないときは軍事となります。軍事をつかさどる將帥の責務は「勝つ」。それだけです。

 フォークランド紛争の時の有名な話です。

サッチャー「戰爭になつたら勝てますか?」
参謀総長「勝てます」
サッチャー「では、やります」

 戦勝を獲得するには、兵法能力すなはち、戦略・戦術駆使します。これを担當する將帥は、肉體的苦痛、精神的苦痛に襲われます。それを乗り越へる知力・精神力・勇氣が求められます。

 その極限状態を乘り切るものこそ、責任感と將帥の戰勝に對する信念でしかありません。

 企業でもスポーツでも同じです。

 よく、「次も勝てるやうにがんばりたいと思ひます」とか「世界チャンピオンになりたい」とかインタビューで答へてゐる選手がゐますが、これではだめです。「次も必ず勝ちます」「世界チャンピオンになります」です。

 平時の名將が必ずしも有事の名將ではありません。これが先の大戰で我が國が敗けた理由です。山本五十六をはじめとして、陸軍大學、海軍大學といふ平時の名將がいざ戰爭になつたとき、戰場に出ていきました。愚かな作戰の繰り返しです。海軍などは、「ハンモックナンバー」があり、海軍大學の成績順で、もう、先の出世が決まつてゐたさうです。そんなアホな。

 責任感と信念。この弐条件が欠けた瞬間がリーダーの座を去るときなのでせうね。

 企業でも同じです。 なんか反省させられます。

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このページは、宝徳 健が2017年5月10日 11:58に書いたブログ記事です。

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