福髙讃歌 4(皇紀弐千六百七十七年五月十日 六)

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 明朝は、おそらくブログが書けません。なので、今日中に明日の分を書きます。目標が達成できないといふのは、たまらなくストレスが溜まります。それは、自分の生きる目的が弱いからに他なりません。

 本で明治の男たちのことを知つたり、身近にゐる、うちの親父を見たりすると、明治の男や昭和一けたとはすごい奴らだなと思ひます。決めたことはやる。教育が違ふのですね。

 福髙讃歌の第四弾です。

 かの大戰を乘りきつた、私たちの福髙の先輩たちです。この素晴らしい髙校の火をよくぞ消さないでくださいました。

 私が福髙で過ごしたことを、甥(姉の子)に小さい時から聞かせてゐました。小さい時から彼の目標は、私と同じ出身髙校と大學になつてしまひました(笑)。ごめんね。

 その妹の姪も福髙。かうやつて繋がれていくのですね~。

  福髙に入つてまず驚くことは、何日ぐらいだらう、體育館に閉じ込められて、全員が、校歌をはじめとした福髙の歌を、すべて完璧に覺へさせられるのです。「聲が小さいつたい!!!」「なんばしよつとや!!!」 應援團の怒聲が體育館に響き渡ります。

 そこにも先生は一人もゐません。とにかく口を出しません。體育祭もさうです。金は出しても口は出さない。 たかだか十七、八歳の髙校正のやることに一切口を挟まない。これは、簡單さうで、なかなかできるものではありません。不安でしかたがないと思ひます。でも、しない。

 こんなマネジメントができる髙校があるでせうか? それも百年も。

 生徒會運營も、各部への豫算配分も、すべて生徒が自主運營。自主獨立を學びます。

 これが教育です!!!

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このページは、宝徳 健が2017年5月10日 20:52に書いたブログ記事です。

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