日本語の學習(皇紀弐千六百七十七年五月十七日 六)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 これを書いたら▲32です。

敷島の やまと心を うるはしく うたひあぐべき このはもがな

 明治天皇の御製です。「敷島」は、やまとの枕詞です。

 明治天皇御集の中の、このひとつあとの御製が、

おもふこと 思ふがままに いひてみむ 歌のしらべに なりもならずも

です。

 私は、自分の和歌が稚拙なのは、よくわかつてゐます。もう詠むのをやめやうかなあ、と思つたときもありました。あるとき、和歌でとても有名な人とお話ができるチャンスがありました。その方曰はく「いいのいいの、出来榮へなんか氣にしなくて、どんどん詠めばよいの」と仰つてくださいました。とても氣が樂になり、今に至つてゐます。厚顔無恥ですね(笑)。

 思ふがままにいひてみて も 歌にはならないかもしれませんが、明治天皇も、そんなことを氣にせず詠めよと仰つてゐるのかなあ。そして、次の御製で、うるはしき我が國をうたひあぐと・・・。なんて、素直な、なんて「まこと」な。心が洗はれます。

 では、三島由紀夫の文學的遺書である「小説とは何か」を學集しませう。

 たとへばこんな例を考へてみたらよからう。昆學者が蝶を採集し、サーカスのために捕獲業者が猛獣を捕獲するやうに、人間を採集しようとしてゐる異樣な人間。人間でありながら人間を採集するといふだけでも、すでに背德的な犯罪的な匂ひがするが、それも現實につかまへるのではなくて、言葉といふ捕蟲網で、相手の本質を盗み取つてしまふ人間。しかもそれを、宗教家のやうに責任を以てやるのではなく、無責任きはまるやり口で、自分の不可解な目的のために勝手に使役しようとする人間。何の權利ももたずにそんなことをする人間を、社會が容認してゐるのは、實はへんなことなのである。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6888

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年5月17日 20:42に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再2(皇紀弐千六百七十七年五月十七日 五)」です。

次のブログ記事は「超譯 統帥參考 5(皇紀弐千六百七十七年五月十七日 七)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。