福髙讃歌 7(皇紀弐千六百七十七年五月三十日 六)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日のブログはこれで打ち止めです。今から、とても重要な仕事が途中です。午前中までに仕上げます。

 これを書いたらあと▲15通で年間目標達成ペースに追い付きます。明日は17通書きます。讀者がそんなに讀めないか(笑)。まあ、このブログはしょせん私のわがままで成り立つてゐます。お付き合ひください。

 我が福髙高校は、とても面白い學校でした。先生が、未熟な生徒を大人扱いする。生徒はそれを自覺する。甘えを許さないのではなく、甘えから出てくる結果を生徒自軀に責任を負わせる。

 まさにネガティブリストなんです。あんなことが髙校で實現するなんて、いまだに信じられません。

 自覺・自律・自立。人間が生きる基礎力です。それをわからずやたらマネジメントしたがる經營が横行してゐるから經濟がおかしくなります。

 私は、髙校時代、有機化學が大好きでした(實は、理系だつた:笑)。有機化合物の構造式を書くのが大好きでした。化學の先生は、確か小林先生。普通の教科書なんて無視です。自作の教科書。私は今でも、その自作の教科書を持つてゐます。

 ナイロン6-6の構造式を自分で書いたときなど、感動で軀が震えました。とにかく大人の教育。

 今の日本の教育は、國も企業も子供を育ててゐます。

 小學:世間に出ても恥ずかしくない教育を施す。
 大學:大人の教育を施す。
 中學:矛盾する事柄を処理する考へ方を持つ

 かつての我が國の教育です。それを、福髙高校は、自然とやつてゐました。すばらしい。

 西日本新聞に連載されてゐる記事「福髙讃歌」をお樂しみください。



トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6924

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年5月30日 03:45に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再10(皇紀弐千六百七十七年五月三十日 五)」です。

次のブログ記事は「どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再11(皇紀弐千六百七十七年五月三十一日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。