教育に關する勅語 5(皇紀弐千六百七十七年五月四日 五)

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ちはやぶる 神のまもりに よりてこそ わが葦原の くにはやすけれ

さだめたる 國のおきてはいにしへの 聖の君の みこゑなりけり

いそのかみ 古きためしを たづねつつ 新しき世の こともさだめむ

つくづくと 思ふにつけて 尊きは とほつみおやの 御陵威なりけり

めにみえぬ かみの心に 通ふこそ 人の心の まことなりけり

千万の 民の力を あつめなば いかなる業も 成らむとぞ思ふ

いかならむ ときにあふとも 人はみな 誠の道を ふめとをしへよ

天つ神 定めたまひし 國なれば 我が國ながら たふとかりけり

わがしげる 野にも山にも しげらせよ 神ながらなる 道をしへぐさ


 教育勅語の一つ一つに對する明治帝の御製です。

 さて、井上毅(いのうえ こわし)についてのつづきです。

 もし井上毅がいなかったら、この素晴らしい教育勅語はできてゐませんでした。その井上毅が二十歳のときに、熊本の儒學者の大先輩・横井小楠と對決します。横井はこの時五十六歳でした。福井の松平春嶽に仕へてゐました。我が國を代表する開明派の儒學者です。この三十六歳も違ふ大先輩であり大學者に、井上は臆することなく自分の主張をぶつけました。

第一の論点:思と学

 横井は古代には書物などなかったはずで、ならば「學」とは、當時、何であつたかと問います。「思ふ」といふことの重大性を説こうとしました。単に「學ぶ」といふことだけではダメで、「思ふ」ことに價値があるとしたのです。「思ふ」ことですべてを自ら内部化するのが主體的思考に他ならない、という立場です。

 

 これに対して、井上も負けてはいません。「思ふ」ことの重要性はわかるものの、「思ふ」といふ行爲はややもすれば主觀的で獨善的に陥りやすい。自分勝手に思つてゐるだけではダメで、それを防ぐためには、やはり「學ぶ」ことが必要ではないか。そこはどうなってゐるのだらうか、と横井に反問します。

 横井はいらだちますが、この問題は井上にとって非常に重要なテーマでした。井上は、何事においても主觀主義を徹底的に排し、自分をひたすら客觀視してとらえる禁欲的な態度を生涯崩そうとしませんでした。

 

 この他にも、「キリスト教に対する評價」「交易問題」などで井上と横井は對決します(對立ではない)。これらの對決を通しての井上の思想形成が教育勅語作成に當たつて發揮されます。


(勅語本文について)

 

爾臣民(なんじしんみん)、父母ニ孝ニ、兄弟(けいてい)ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹(きょうけん)己ヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ

 

 

 

訳します。

國民のみなさん、このような教育の原點を踏まえ、両親には孝養を盡くし、兄弟姉妹は仲良くし、夫婦は心を合せて仲睦まじくし、友人とは信じ合える關係になり、さらに自己に對しては愼ましやかな態度と謙虚な心構へを維持し、多くの人々に對しては廣い愛の心をもとうではありませんか。

 

 これのどこが軍國主義なのでしょうか? 譯が分かりません。教育勅語を否定する人は、「両親に孝行をしない(左翼はそう言ひます)」「兄弟姉妹は仲良くしなくてもいい」「夫婦は喧嘩ばかりしろ」「友人は信じるな」「自己はわがままばかりでいい(日教組はそう言ひます)」「他の人間を愛することなどするな」と言ひたいのでしょうか?

 

 内容を學ばなくて、そのことを否定する人がたくさんいます。かういふ人の思ひ込みは始末に終へません。きちんと教育勅語を學べば、教育勅語がどんなに素晴らしいものであるかは一目瞭然です。

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このページは、宝徳 健が2017年5月 4日 04:45に書いたブログ記事です。

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