蚕起食桑(皇紀弐千六百七十七年五月二十三日 弐)

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 五月二十日~五月二十六日、つまり、今は、七十二候 小満 初候 蚕起食桑です。「かいこおきてくわをはむ」と讀みます。

 蚕が、桑の葉をたくさん食べて成長する頃です。人々の暮らしを支えていたため、「おかいこさま」と敬称をつけて呼ぶ地方もありました。

 私たちが子供のころは、養蚕はとても軆近なものでした。
 田のあぜ道は、今のやうなすっきりしたものではなく、いろいろなものが植わつてゐました。農家の副業ですね。でも、養蚕は副業ではありません。

 あぜ道には、蚕の餌になる桑の木がたくさん植わつてゐました。桑の實がまたおいしい。食べ過ぎると腹を壊すので、親からは、「桑の實を食べるな」といはれてゐました。當時は、そこいら中におやつがあります。野イチゴ、山イチゴ、アケビ、うべ、柿、桑・・・・。 子供なので食べてしまひます。家に歸へると「桑の實を食べただろう」と母からの追及が。「食べてゐない」といふと「うそを言いなさい」なぜばれるか。桑の実は食べると口の周りが眞つ青になるのですぎにわかるのです(笑)。

 小學校の事業でも、蚕を飼つて繭にする課程がありました。懸命に蚕に桑の實をあげて。
「蚕 繭 写真」の画像検索結果

 出來たときは「きれいだなあ」と思ひました。

 歴代皇后陛下は、養蚕をやられてゐます。皇室は、常に、うしなひかける我が國の文化・文明を繼承してくださいます。
「皇后陛下 養蚕 写真」の画像検索結果

 ありがたいことです。美しい、美しい、心まで美しい我が國に生まれてよかつた。

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このページは、宝徳 健が2017年5月23日 03:38に書いたブログ記事です。

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