命の手紙 14(皇紀弐千六百七十七年五月三日 四)

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 昨日も親父から手紙が來てゐました。一進一退ですね。元氣なときは、今までで最高の調子といひ、元氣がないときは・・・・。

 まあ、それでも普通の九十歳に比べたら元氣ですが(笑)。たいしたものです。昭和一桁とは、私たちとは生き方が違ひます。

 つづきです。まあ、九十歳の親父が子供のころのことをよく覺へてゐるわ(笑)。
 西湖津小学校を昭和18年卒業ならボクの三つ下。山崎多代さんは言う。「毎朝、西湖津駅(始発駅)で、宝徳のにいさんに会っていた。ハンサムで静かな方で女学生の皆があこがれていた。私は背が低かった、と言うが僕は思い出せない。いまでもハンサムですよ、だが今は人を人とは思わない正確に変わっている」と答えた。

 なぜ、「宝徳のにいさん」なんだろうと思っていたら、山崎多代さんのお父さんは西湖津で缶詰工場を経営していて、ボクの父の中学校の先輩で、同郷、父とは交流が深かったようだ。父を「おじさん:というぐらいだから余程の家族つきあいがあったのだろう。 つづく

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このページは、宝徳 健が2017年5月 3日 08:28に書いたブログ記事です。

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