源氏物語 58(皇紀弐千六百七十七年五月一日 四)

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 源氏物語は、1008年に初版が發行されてゐます。なんと1011年前。このころ歐州や支那で女性が小説を書こうとすると殺されてゐました。その意味はお分かりですね。

 滋賀県に石山寺があります。紫式部がここで源氏物語の構想を練りました。大好きな寺の一つです。しじみごはんがうまい。
「石山寺 写真」の画像検索結果

(滋賀県石山觀光協會HP)
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 さてさて、久しぶりに頭中將(とうのちゅうじょう)が登場します。位が上がつて、今は、三位中將(さんみのちゅうじょう)です。

 自分の奥さんの葵の上が亡くなつたのに、光源氏は、「ああ、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が斎宮となる姫君と一緒に伊勢に行つてしまつたらさびしいなあ」などと不届きなことを考へます。

 惱める光源氏のところに、三位中將がやつてきます。二人はとても仲がよい。
 
 三位中將も悲しい。なんといつても葵の上は、妹です。二人の親である左大臣家も悲しい。左大臣は光源氏をとても氣に入り頼りにしてゐました。

 でも、そこには絆があります。葵の上が命を懸けてこの世に遺した幼子です。彼は左大臣家で育ててゐます。名前は夕霧。若君です。

 少し落ち着いてから、光源氏は、本宅である二条院に歸ります。そこには紫の上が。 つづく

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このページは、宝徳 健が2017年5月 1日 02:36に書いたブログ記事です。

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