ころばないようにするから(皇紀弐千六百七十七年五月二十一日 參)

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 宇佐美の親父第六弾です。
 親父さんは、ある年、SSのオープンに出席して凍つた地面で轉んでしまひ、頭を 強く打ちました。頭蓋骨の一部をとりはずすくらいの重症でした。もちろん一時、本人は意識がありませんでした。ある年の12月です。集中治療室で個室に入りました。

 親父くらいの人間となると、たくさんの人がお見舞いに訪れます。私も、ある程度、いろんな人のお見舞いが一巡したときに親父さんの好きな、うす皮饅頭をもって名古屋 (当時)からお見舞いに行きました。
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   お見舞いに行って、會つた瞬間は私のこともわからない様子でした。30秒ほどして、「おつ、寳德か、よく來たな」とおっしゃいました。そうとうひど い怪我だったことが推察されます。しばらくして、「寳德、頭に骨がはいっとらん。触ってみるか~~」。と言はれても触れませんよね。そのうち、部屋の中にいた、宇佐美の社員さんが何かの 用事で部屋からいなくなりました。そのときの會話です。親「寳德、頼みがある」 私「なんですか?」 親「オープンしたSSが氣になってしかたがない。俺を連れて行ってくれんか。社員の誰に頼んでも連れて行っ てくれない」 私「あたりまえでしょう。この部屋をどこだと思ってるんですか。集中治療室ですよ。それに、出かけて轉んだりしたら、ほんとに死んでしまい ますよ」。 親「ころばないようにするから(氏はこういうかわいいところがあります)」 私「そういう問題じゃないでしょ。ダメです」

 
 
親「お前までそんなことを言うのか。もうお前とは口をきかない・・・」 と言って不機嫌に黙り込みました。

 私は話している途中でなきそうになりました。そして心の中で、「この人は、ほんとうに事業を愛しているんだなぁ。事業が成功するということはこん なにも純粋になるということなのか」と思ひました。

 今、盛んに心の經營が叫ばれています。もちろん經營の技術は必要なのですが、日本人が本来得意としてきたことが今になって見直されようとしていま す。非常に難しいことなのですが、とても単純なことです。事業と社員と顧客を愛する誰よりも強い心。事業のスタートなのでしょうね。

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このページは、宝徳 健が2017年5月21日 09:45に書いたブログ記事です。

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