命の手紙 19(皇紀弐千六百七十七年五月十日 參)

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 これを書いたら▲47です。ずいぶんさぼったなあ。昨夜から出張で泊まりですが意識さえあれば書けます。

 朝鮮の友達からの手紙です。素晴らしい日本語ですね。今の私たちは恥づかしい。

 その前に、こんなことを書いてゐます。

 (前略)〇月初めから風邪をひいたことが原因かな?と思われる絶望的な状態になりましたが、45日後、完全に復調し、「矢でも鉄砲でも持ってこい」と意気盛んです。

 こんなことを書いてきたのは初めてです。まあ、九十歳ですからね~。
コリアからの便り

ーソウル発ー
「キムソンセンニム アンニョンハセムニカ」で始まる貴兄のお手紙をいただき改めてなつかしく思っております。

 相変わらずお元気でお勤めとの事、なによりと思っています。奥様が殆ど歩けなくなったとのお話、なんとも慰めの言葉も見つかりません。あれ程優しいお心の持ち主であったのに・・・。あまりにも厳しい運命だと、愚妻と話し合いながらとても残念に思っております。貴兄lの運転でなにとぞ暇を創って奥様にいい所を見物させてお慰めしてください。

[注記:この注記はおやじです]
 発信人はソウルに住む金享貞(きんきょうてい)君。彼は中学校の同学年だがクラスが別だったので交流はなかった。ある日、3月半ばの通信でお話しした姜豪(カンハン)君(以下、Mr.姜)から「金享貞が心臓病手術で日本に行くー頼むよ」と電話があった。

 執刀は、日本大学(後に総長)。 瀬在教授は心臓外科の権威だということをこのとき知った。成田には日本大学からの迎えの人(上松瀬(上松瀬)教授)が来ていた。以下は、術後の模様を伝えてきた金亭貞)の手紙  つづく

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このページは、宝徳 健が2017年5月10日 05:17に書いたブログ記事です。

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