福髙讃歌 5(皇紀弐千六百七十七年五月十二日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 私は大阪在住なので、西日本新聞を讀むことができません。同級生が、この福髙讃歌の記事をまとめて送つてくださいます。今、送つてもらつてゐるのは今囘まで。また送つてくれたら、この記事を書きます。

 愛する我が母校の愛する福髙讃歌の歌詞ばい。よーとみちゃりやいね。


學び舎にめぐれる月日
友垣の集ひ重ねて
永遠(とこしへ)に訓(おしへ)は残る
姿勢(まこと)もて業(わざ)勵まばや
姿勢もて業勵まばや~♪


たけ髙き銀杏の並木
朝夕に何思ふらん
大地(つち)深く根ぞ養へる
その姿雄々しからずや
その姿雄々しからずや~♪

 ああ、だめっちゃ!涙が出てくるばい。福髙の歌はすべて愛しとるけんね。なんもかんも歌ふと涙が出てこやうが。この歴史的假名遣ひもたまらんめえが。

 こげなよか髙校の學び舎でくさ、最髙の友垣に圍まれてくさ、今でも、その友垣と集つてくさ、永遠(とこしへ)に残る教へば、語りあふと。たまらんめえが。幸せつたい。たまらんめえが。いはせんめえが。

 なんかあつたら、スッと集まるつたい。集まつたら、なんも言はんとに、誰かが何かの役割をスッとやりよつたい。みんなが、みんなを本當にすきつたい。その會合が終わつたら、樂しさの餘韻がしばらく續くつたい。たまらんめえが。

 ただ百周年やないつたい。この傳統を髙め繋げならがの百年つたい。すごかろう!!!

 なかなかでけん(博多辦)ことつたい。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6866

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年5月12日 02:49に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「本 徒然なるままに(皇紀弐千六百七十七年五月十一日)」です。

次のブログ記事は「徒然なるままに(皇紀弐千六百七十七年五月十二日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。